第117話 スーパーエスケープ
急ぎ足で十文字村を後にした三人は、のどかな並木道を並んで歩いていた。
そこには桃花とケルベロス。
そして『武神街』までの案内人として、今は『猿飛佐助』が同行していた。
武神街は、桃花とケルベロスが思っている以上に危険な場所らしい。
だが、その前に越えなければならない難所がある。
途中にある雪山だ。
しかも、その雪山には妖怪の『雪女』が出没するという。
武神街へ辿り着く前から危険だらけである。
だからこそ、任務などでこのルートを何度も行き来し、知り尽くしている佐助が付き添い人として同行する流れになったのは、まさに不幸中の幸いと言えた。
木々の間から朝日が差し込み、風が葉を揺らす。
先程までの騒がしさが嘘のように静かな時間だった。
佐助はすっと桃花とケルベロスの隣に歩調を合わせると、落ち着いた声で語りかけてきた。
「……では桃花さん、ケルベロスさん。本日の目指す場所は、この少し先にある町までにいたしましょう。朝から色々ありましたからね。なので今日は無理をせず、そこまでにしておこうと思いますが、いかがですか? 今後の日程を立てる必要もありますので」
知的な雰囲気を崩さず、どこまでも冷静で洗練された佇まい。
彼女の本質は、闇に紛れて主君を守り、時に導く存在。
だが今は、真田信繁の命により、桃花とケルベロスを守り導く役目を担っていた。
「あ、はい。それで大丈夫ですよ。特に急ぐ旅でもありませんし」
「ええ、アタシもOKよん♡ レディにお任せするわ〜♪」
桃花とケルベロスも、ほとんど付き合いのなかった佐助を、驚くほどすんなり受け入れている様子だった。
先程までのドタバタ騒動も、決して無駄ではなかったのだろう。
むしろ、お互いの距離を縮めるために必要な出来事だったのかもしれない。
二人は佐助の提案へ素直に賛同した。
まだ朝とはいえ、体力も精神力もかなり消耗している。
今後の旅を考えれば無理は禁物だった。
賢明な判断と言える。
「……本当にバタバタだったよね。あの十文字村を出発したというより、“脱出した” って感覚だもん。急いで出ちゃったから、ちゃんと挨拶もできなかったし」
桃花は苦笑いを浮かべながら振り返る。
既に村の姿は見えなくなっていた。
それでも、あの騒がしい空気だけは鮮明に記憶へ残っている。
「そうよね。でも、あれ以上あの村にいたら間違いなくもう一泊する流れだったわよ。下手すりゃ二泊、三泊、四泊と……永遠に死ぬまであそこから出られなかったかもしれないわ。もはや呪われた村よ。村人も武装して鬼どもをやっつけてる時点で異常だわ」
「ちょっとケルちゃん。呪われた村って……。佐助さんがいる前で、流石にそれは失礼だって」
思ったことをストレートに口にしてしまうケルベロスを、桃花が慌てて注意する。
だが、佐助は気にした様子を見せるどころか、表情ひとつ変えずに深く頷く。
「いえ、ケルベロスさんの言う通りです。あの村はスケベザル(秀吉)がいる時点で、すでに呪われています。ヤツが存在する限り、あの村に平穏が訪れることはないでしょう」
「ええ……」
本人が肯定してしまった。
桃花の気遣いは見事に空振りに終わる。
佐助の秀吉に対する恨みは、想像以上に深海よりも深いらしい。
その嫌悪っぷりを見て、ケルベロスの目が輝く。
「アタシ……レディの気持ちが分かったわ! あのバカザル、超ムカつくわね! アイツを退治する時はアタシも協力するからさ! 一緒に頑張りましょ! チリチリのアフロにしそびれたしね!」
「なんと! ケルベロスさんもご協力くださるのですか! ありがたいお言葉! では、その際は一緒にヤツを完膚無きまでに成敗してやりましょう!」
「ええ! やってやりましょう!」
佐助はその場で片膝をついて屈み、ケルベロスが差し出した小さな前足(手)と力強く握手を交わした。
並木道の真ん中で、妙な方向で結束した瞬間でもある。
「……」
「……」
二人の目は本気だった。
「……あれあれ? 私、この二人を止めるべき?」
朝日に照らされながら物騒な誓いを立てる一人と一匹を、桃花は引きつった苦笑いで見つめるしかなかった。
するとここで——
prrrr〜♪
桃花のリュックの中からスマホの着信音が鳴り響く。
「……ん? スマホ鳴ってる? 誰だろう……? 信繁おじちゃんかな?」
リュックからスマホを取り出し画面を確認する。
そこには『おばあちゃん』と表示されていた。
「あ! おばあちゃん!」
桃花はすぐに通話ボタンを押した。
「もしもし、おばあちゃん?」
『あ、桃花〜。おひさ〜☆ 元気してる〜?』
受話器の向こうから、相変わらずの緊張感のない若々しいギャルみたいな、おばあちゃんの声が聞こえてくる。
「うん、元気だよ。おばあちゃんどうしたの?」
『ふふっ、色々あったようね〜。喋る犯罪クマに迷子のエルフだもんね〜。なかなか出会えない組み合わせよ〜。そして、桃花の初恋相手の信繁ちゃんにも再会できたし〜☆』
「なっ! おばあちゃん! なんで知って……! って、もういいや。今日は疲れたし、何も考えずに全てを受け入れるよ。もはや、今更感が満載だし……」
桃花は肩を落とし、この状況への追及を完全に諦めた。
特に規格外なおじいさんとおばあさんに関しては、骨身に染みて理解していた。
今更驚く方が疲れる。
そう思っていた。
『うふふ〜、素直でよろしい♪ そこにさ、佐助ちゃんいるでしょ〜? ちょっとお話したいから、スピーカーモードにしてくれる〜?』
「え? あ、うん。ちょっと待ってね。スピーカーモードって、これ押せばいいのかな? ポチッと」
桃花は勘でスピーカーマークのアイコンをタップした。
『……あーあー、ねぇ、佐助ちゃ〜ん。聞こえる〜? おばあちゃんよ〜ん』
「……ん? この声は……もしかして?」
スマホから響く声を聞いた佐助は、どこか懐かしさを覚えるように、桃花の手元へと視線を向けた。
一方で。
その声を聞いたケルベロスの体はガタガタと激しく震え出し、その顔は純粋な恐怖によって瞬時に塗り固められた。
恐ろしい記憶が脳裏を駆け巡る。
過去に浴びせられた凄まじい出来事が激しくフラッシュバックしている。
「おば様。お久しぶりでございます。お元気そうですね」
佐助は丁寧な口調で応じる。
『お久しぶり〜。私もおじいさんも体力が有り余っちゃってね〜。元気もりもりよ〜ん☆』
「ふふっ、安心しました。あ、それでですが、桃花さんの件で御婆様へお伝えすることがございまして……」
『ああ〜、桃花ちゃんとケルちゃんを武神街まで送って行くって話? 了解よ〜ん☆』
「相変わらず、人間離れした鋭い勘は、今も健在ですね……」
佐助は驚きつつも、どこか納得したように呟く。
しかし、横で聞いていた桃花はたまらず、反射で叫んでしまう。
「いや、もう勘がいいってレベルじゃないでしょ。絶対に目の前で見てないと分かんないことだよこれ……」
桃花のツッコミは尤もだった。
彼女も最初は、おばあさんがこんなにも状況に詳しいのは「たまたま」だと思おうとしていた。
だが、今の会話を聞き、絶対に “見て聞いて” いないと分からないような詳細をあっさりと言い当てるのを見てしまうと、何かしらの超常的な監視ネットワークがある……。
そう思わずにはいられなかった。
『ふふっ、武神街まで行くなんて超楽勝でしょ〜? ま、何かあったら、私とおじいさんが秒で向かってあげるから、心配しないでね〜☆』
「NO! やめて! アタシ達だけで行けるから大丈夫! アンタらは来なくて結構よ!」
おばあちゃんの放った最も物騒なセリフ(秒で来る)に対し、トラウマを刺激されたケルベロスは、必死の形相で激しく拒絶の悲鳴を上げた。
反応速度が異様に速い。
本能的な危機感だった。
「……ところでおば様。おじ様はどうされていますか? 少しお話をすることはできますか?」
『ん〜? おじいさんはね〜、今は信繁ちゃんと電話中よ〜。あの二人も久しぶりだったから、随分と盛り上がってる感じみたいね〜。もう少し時間がかかりそうかも〜☆』
「そうでしたか。それは残念です。ではまた別の機会といたします」
『うふふ〜、今度みんなで遊びにいらっしゃいな〜☆ その時にでも、一緒にお話ししましょうね〜♪』
「はい。その際は、改めてお伺いさせていただきます。お二人にお会いできることを楽しみにしております」
佐助はスマホに向かって深々と一礼するように声を出した。
『待ってるわ〜☆ それじゃ、桃花とケルちゃ〜ん、佐助ちゃ〜ん。またね〜チャオ〜♪』
「え、え? もう終わり? うん。またね、おばあちゃん……」
ツーツーツー……。
通話は一方的に切れた。
あまりにもあっさりと終わってしまったことに、桃花は拍子抜けしてスマホを見つめた。
「な、なんだったんだろう? もしかして空気を読んだとか? 珍しいこともあるね……」
「アタシ達が出発したばかりだから気を遣ったってこと? マジ? あの鬼ババが……? 意外すぎるんですけど」
桃花とケルベロスは顔を見合わせた。
どこか不思議そうである。
「とにかく、今は先へ進むことを考えましょう。話は歩きながらでも」
そう言って佐助がくるりと前を向き、再び二人の一歩前を歩き出した。
再び旅が動き出す。
山道の先には町。
その先には雪山。
そして武神街。
まだまだ先は長い。
そんな中。
桃花は十文字村を出てからずっと胸の奥に引っかかっていた、ある疑問を口にすることにした。
「あの……二人に少しお願いがあるんですけど……」
佐助が歩みを緩め、振り向く。
「何か気になることでも?」
「どうしたの桃花ちゃん?」
ケルベロスも桃花を見上げ、首を傾げた。
桃花は少し申し訳なさそうに視線を落としながらも、ずっと胸につかえていたことを話し始めた。
「うん。その……昨日の『クマさん』に関してのことなんだけど……」




