第116話 ライダーキック
美少女フィオンに嫌われている。
信繁からそう言われた秀吉は、顔を真っ赤にしながら激怒していた。
現実逃避のように。
「このワシがフィオンちゃんに嫌われてるワケあるか! 信繁! いくらお前でも許さんぞ! ぶっ飛ばすぞ!」
怒鳴り散らしながら興奮している。
その時だった。
ふと秀吉の視線が移動し、フィオンの傍にいた桃花の姿を捉える。
「……わぁぁぁおぅっ!!?」
「?」
不意に秀吉とガッツリ目が合ってしまった桃花。
次の瞬間。
秀吉の目の色が変わった。
まるで宝物でも見つけたかのような顔。
「おい信繁! この若い女の子は誰だ!? 可愛いじゃねぇか! ワシに紹介しろよ!」
「え?」
桃花は素っ頓狂な声を上げてしまった。
たった今までフィオンに夢中だった男とは思えない。
驚くほど鮮やかなシフトチェンジだった。
あまりにも軽薄すぎるこの事態に、桃花はキョトンとするしかなかった。
信繁も呆れ果てたように額へ手を当てた。
「……秀吉さんよ。そんなんだから女性に嫌われるんだよ。なんでわかんねぇかな」
どうやら、このスケベザルに桃花を紹介する気はないらしい。
信繁は心の底から呆れ返り、深いため息をついた。
その言葉に、ケルベロスも深く「うんうん」と何度も首を縦に振っている。
「ダンディの言う通りだわ。アンタと桃花ちゃんなんて親子くらい歳が離れてるじゃないのよ。全然似合わないわ。見た目的にフィオンちゃんとも不釣り合いよ。おっさんが調子に乗るんじゃないわよ。なんか、ちょっとでもアンタのこと凄いって思ったアタシがバカみたい」
容赦無し。
遠慮無し。
ケルベロスは平常運転で、いつも通りの毒を吐き捨てる。
当然、それを聞いた秀吉も黙ってはいない。
「ああ!? なんだと! このクソ犬コロが! 人様に向かって偉そうに話しかけてくるんじゃねぇよ! ったく、どこぞの徳川の誰かが『お犬様』とか言って可愛がってたみたいだがよ! ワシはそんなことねぇからな! 本来は犬よりも、人間様の方が偉いんだっつーの! 調子に乗ってんじゃねぇよ! お前みたいなバカ犬はな! 家の前でキャンキャン吠えて番犬してる方がお似合いだ! 言葉喋んなや!」
「なんですってぇ! 言わせておけばこの野郎! ルパンみたいな顔しやがってぇ! アンタ本当は人間に変身した野生の猿なんじゃないの!? 猿要素満点じゃないの! 全然人間に変身しきれてないわ! 変身に失敗したバカザルじゃない! というか、その無駄に長いサラサラの髪キモいのよ! 全然似合ってないのよ! 超絶ダサいのよ!キモいのよ! 燃やしてチリチリのアフロヘアーにしてやろうか!」
「この髪が似合ってねぇだとぉ!? このイカした魅力がわかんねぇのかよ! バカじゃん! ま、犬程度には理解すらできねぇか! つーか、ワシをアフロにできるもんならやってみろやバカ犬が!」
「上等だ! やってやるわよ! 頭出せぇぇ!」
秀吉とケルベロスの間で、子供のような激しい喧嘩が勃発。
ブチギレたケルベロスの背後には、凄まじい黒炎が立ち昇り始めている。
「ちょっ! ケルちゃん! やめっ……!」
桃花は慌てて止めに入ろうとするが、二人の勢いが凄まじく、間に割って入れない。
下手に入れば、とばっちりを受けそうな勢いすらある。
信繁も「どうしてこうなった……」と額を押さえ、深く眉間に皺を寄せている。
旅立ち前の空気は完全に消し飛んでいた。
このドタバタ劇を、少し離れた場所から冷ややかに見ていた佐助。
そして突如——ニヤリ。
邪悪な笑みを浮かべた。
何やら、最高に悪いことを思いついたようだ。
秀吉とケルベロスの喧嘩に全員の意識が向いている。
その隙を狙い、佐助は音もなくフィオンの背後にシュッと移動した。
そして彼女の耳元へ、そっと小声で囁いた。
「……フィオンさん。ノブの後へ隠れるように移動してください」
「え? な、なんですか佐助さん……?」
「大丈夫です。拙者の言う通りに……」
佐助の謎の要求に、フィオンは激しく困惑した。
流れるような佐助の誘導により、意味もわからぬまま、体の大きい信繁の背後へ回されてしまった。
信繁の巨体に対し、小柄なフィオンはその背後へ綺麗に収まってしまう。
太陽からの影もあり、見事なまでに隠れおおせていた。
「少しの間、声を出さず動かず、ここに隠れていてください」
「?……???」
佐助の意図が全く読めず、フィオンの頭上には大量の疑問符が浮かんでいた。
ここまで一瞬の出来事であった。
喧嘩に夢中の秀吉はおろか、壁役にされている信繁すら気づいていない。
悪巧みの準備完了。
佐助の目が怪しく光り、動く。
——作戦開始。
「……秀吉様! 大変でございまする!」
佐助は突如として、急に焦った「演技」を披露した。
その只事ではない悲痛な叫びに、その場の全員が何事かと驚き、動きを止めた。
「ああん!? 何じゃい佐助! ワシはこのバカ犬の躾で忙しいんだよ! 見てわかんねぇのかよ! 空気読めや! へっぽこ忍者が!」
佐助に対し、あからさまに不機嫌な態度を取る秀吉。
しかし、信繁は違った。
佐助の逼迫した様子を見た彼は表情を引き締める。
「……どうした? 何があった?」
佐助は悲壮感たっぷりに叫んだ。
「フィオンさんが! この穴へ身投げした!」
!!!?
全員が驚愕した。
空気が一変する。
……もちろん、それは信繁の後ろに隠れているフィオン本人も例外ではない。
一番意味が分からずに驚いているのは、間違いなく彼女である。
「お前、一体何を……って、おいマジか! フィオンちゃんがいねぇぞ!」
信繁は慌てて周囲を見渡し、フィオンの姿がないことを確認し、慌てていた。
だが、彼は全く気付いていなかった。
自分の真後ろに、フィオンがこっそりと隠れていることに。
一方で……。
「……」
「……」
「……」
少し離れた位置にいた桃花、ケルベロス、六郎の三人は、信繁の背中からチラチラと見え隠れするフィオンの姿をバッチリと見つけてしまった。
「……」
三人の視線に気づいたのか、フィオンは非常に気まずそうに身を縮めながらも、佐助の指示通り大人しく隠れ続けている。
そんな外野の空気などお構いなしに、佐助は迫真の演技を続けた。
「秀吉様が、あの子(桃花さん)へ浮気したと思ったのかもしれません。そのショックで……」
「なんだとぉぉぉぉぉ!!!?」
秀吉、完全に信じる。
佐助の適当な嘘を、秀吉は真に受けた。
一切疑っていない様子。
「秀吉様! お早くフィオンさんを “あの闇の底” からお助けくださいませ! 彼女を救えるのは貴方様しかおりませぬ! 今なら結婚できます(無理)!」
そう言って佐助は悲痛な表情で穴へと指差した。
完璧な視線誘導。
「マジか!!!」
今この場で、フィオンの英雄になれると確信した秀吉。
もちろん彼も、信繁の後ろでオロオロしているフィオンの姿に全く気づいていない。
「秀吉様! フィオンさんを頼みまする! さぁ! こちらです!」
「おうよ!!! 任せろや!!! 待ってろフィオンちゅわぁぁぁーーーん!!!」
秀吉は愛しの(?)フィオンを救うべく、穴のある方向へと一直線に急いで向かう。
そしてハシゴを降りるため、穴の縁で無防備に身を屈めた。
この瞬間——
佐助の目の色が、獲物を仕留める暗殺者のそれへと変わった。
鋭い眼光。
隠す気のない殺気。
絶好の好機。
佐助は屈んで尻を突き出している秀吉の背後へ、素早く回り込んだ。
そして勢いよく腰を捻り、全身のバネを解放し、体重を乗せる。
愛と怒りと悲しみと……恨み。
その全ての力と感情を乗せた最高の一撃。
それを屈んだ秀吉の無防備な尻へと容赦無く叩き込んだ。
「死んでくれやぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!」
負の感情を込めた叫びと共に、強烈な蹴りがクリティカルヒットした。
ドゴリュッ!!!
とても人間を蹴ったとは思えない程の鈍い音。
聞いただけでお尻が爆発しそうな、恐ろしい音が周囲に響き渡った。
先程、桃花と信繁の手合わせで披露した、二人の蹴りよりも威力があるのでは? と思ってしまう程である。
「キモチイッタァァァァーーーーイィィッ!!! ッァァアアアーーーー!!!?」
秀吉は、しばかれた自分の尻を押さえながら断末魔の悲鳴を上げ、そのまま穴の中へ蹴り落とされていった。
本日二度目。
再び奈落の底へ。
再び暗闇の世界へ。
落下していく秀吉を見下ろしながら、佐助は満面の邪悪な笑みを浮かべる。
まさに「計画通り」……そんな顔だった。
佐助の異常行動を見た信繁は、慌てて穴の縁へ駆け寄る。
「秀吉さーーーーーん!!」
暗闇へ吸い込まれていった秀吉に向かって叫ぶ。
「お前! 一度ならず二度までも! 一体何してくれてんの!?」
当然、この事態に信繁は佐助を問い詰める。
だが、当の本人である佐助は、大仕事を完璧にやり遂げた職人のような、実に爽やかで清々しい笑顔を浮かべていた。
「ん? 何って……あのバカザルを穴の中へ蹴り落としただけだが?」
「そういうことじゃねぇって! 下にいるフィオンちゃんに当たったら、どうする…………ん?」
ここで信繁は後ろを振り返り、周りを見渡した。
そして、見つけてしまった。
穴へ落ちたと思い込んでいた……フィオンの姿を。
「……」
沈黙。
「……」
信繁に見つかったフィオンは、申し訳なさそうに深く俯き、モジモジとしている。
「……」
「……」
「……」
桃花とケルベロスと六郎も、この空気を読んだかのように黙っている。
まるで世界から音が消え、時間が止まってしまったかのように。
地獄のような気まずい空間が、その場を支配した。
そんな中。
やらかした張本人の佐助だけが平然としていた。
「さーてと……」
嬉しそうに軽快な声を上げ、最後の仕上げと言わんばかりに、懐から自分のスマホをササっと取り出した。
そして、画面をパパっと素早く操作し始める。
すると……。
開いていた大穴の巨大な鉄扉が重々しい機械音を立て、ゆっくりと自動で閉まり始めた。
ズズズ……ガコン!!!
完全に閉じた。
更に——
ガチャ、ガチャガチャン!!!
何重もの頑丈な電子ロックが、物理的に作動する音が響いた。
逃げ道完全封鎖である。
「……これでよし!」
「何がだよ」
心底嬉しそうな明るい声の佐助。
対して信繁の声は恐ろしく平坦。
「……はぁ、まったくよ……。いきなり騒ぎ出すから何事かと思えば……そういうことか。秀吉さんを陥れるためだけに、こんな茶番劇を繰り広げて、フィオンちゃんまで巻き込みやがって……。心配したんだぞ」
信繁は額を押さえ、佐助のえげつない企てを理解し、脱力した。
「フィオンさんには申し訳ないと思っている。だが、ヤツを確実に落とすには、他に方法がなかったんだ……!」
フィオンへ向ける表情には申し訳なさがあった。
だが、奈落へ突き落とした秀吉に対してだけは、欠片も反省していない。
信繁は、色んな意味でどうしようもなくなり、長い溜め息をついた。
「……もういいよ。どうせ秀吉さんは生きてるだろうし、トランポリンで遊びながら歌でも歌ってるだろうよ。しばらく閉じ込めれば、あの人も大人しくなるだろうしな。……というわけでだ……!」
微妙な空気を振り払うため、信繁は無理やり明るい雰囲気へと切り返した。
「ほれ! もう行きな! かなりバタバタしちまったからな! これ以上のイベントは不要だろ! だから早く出発しろ! またな!」
信繁はそう言って、急いで三人を強引に出発させようとする。
急かしていても、そこには優しさも感じられた。
「あ、う、うん……! ありがと信繁おじちゃん! じゃ、またね!」
桃花もこの流れに乗り、半ば強引に別れを告げた。
しかし……。
「はぁ!? ちょっと待ってよ! アタシはあのバカザルをアフロにしないと気が済まないわよ! 出発するのはアイツの頭をチリチリにした後! 異論は認めないわ!」
空気を読まない犬。
未だ怒り心頭で吠えまくるケルベロス。
「もうほら! 行くよケルちゃん!」
全く納得していないケルベロスを、桃花は強引に抱き上げた。
「ちょっ! 何するのよ桃花ちゃん! 離しなさいよ! アイツをアフロに! チリチリのアフロにしてやるわー!」
手足をバタつかせて暴れているが、桃花はお構いなしにガッチリとホールドする。
「……ではノブ、行ってくる。業務でわからないことがあったら連絡してくれ」
「おう、気をつけてな。二人を無事に送り届けろよ」
信繁と佐助が、短いながらも信頼の籠もった言葉を交わす。
その横で、フィオンは胸の前でそっと手を組む。
「……皆さんに、聖母神『アリスレイ・マリア』様のご加護がありますように……」
誰にも聞こえないほど小さな声で、旅立つ三人の無事を心から祈っていた。
「また寄ってくださいね! 次もたくさん、おもてなししますので!」
六郎も大きく手を振り、笑顔で見送る。
「フィオンさんと六郎君も、スマホ買ったら連絡してね!」
桃花は抱えたケルベロスに暴れられながらも、信繁とフィオン、六郎(と、才蔵)に向かって満面の笑顔で手を振り返し、足早に歩き出した。
朝から続いた大騒動。
次から次へと起こるトラブル。
あまりにも長く感じた時間。
それらをようやく乗り越え、突破することに成功した。
桃花、ケルベロス、佐助の三人は、騒がしくも温かい十文字村を後にした。
だが、その背後では……。
完全封鎖された穴の底から、またも大熱唱している歌声が、今も微妙に響いていた。




