第115話 超騒動
佐助の姿が消え去ってから、わずか一分後。
一分程しか経っていないにもかかわらず、再び同じ場所へと一瞬で姿を現した。
その手には、35リットル程の小ぶりな旅行用スーツケースが握られている。
「みなさん、お待たせしました。それでは、早速出発いたしましょう」
「ホァッ!?」
息一つ切らしていない佐助を見た桃花は、驚愕のあまり、奇声を上げてしまう。
「ちょっ! い、いくらなんでも戻ってくるの早過ぎませんか!? ホントに準備したんですか!? 旅慣れてるってレベルじゃないですよ!」
捲し立てる桃花に対し、佐助は微塵も表情を崩すことなく首を傾げた。
「そうでしょうか? これでも、いつもより準備に時間がかかっていますが」
「……そ、そうですか」
桃花はもう、ツッコむ気力がなくなっていた。
意味もわからなくなっていた。
言葉も出てこなかった。
まだ朝だというのに、既に色々なことが起こり過ぎている。
イタズラ忍者の悪趣味心霊現象。
信繁との一騎打ち。
お姫様抱っこ。
村人のクレーム。
そして、佐助の超速旅支度。
もはや頭が追いつかない。
疲労感だけが、じわじわと蓄積していく。
(もう一泊しようかな……)
そんな考えが頭をよぎり始めていたその時、腕を組んで笑っていた信繁が旅立つ三人に向けて声をかける。
「相変わらず早い支度だな。そんじゃ佐助よ。桃花ちゃんとケルちゃんをよろしく頼むぞ! 気をつけてな!」
「心配するな。拙者に任せておけ」
佐助が頼もしく頷き、三人が一歩を踏み出そうとした。
すると——
巨大な穴の底から、またしても陽気な歌声が聞こえてきた。
しかも、先程よりも確実に音量が上がっている。
穴から少し離れた場所にいる一同の耳にまで、はっきりとその歌声が届くほど。
「?」
それに気付いてしまった桃花。
そして彼女は、特に意識することなく、何気なく穴へと近付いて覗き込んだ。
…………エガオサクー……フーターリー……シーアワセノーソラ…………
底から反響して聞こえてくるのは、音量の増した声。
桃花は引き攣った顔でケルベロスを振り返った。
「……ケルちゃん。秀吉さん、まだ歌ってるよ。しかも笑顔とか幸せとか言ってる」
「……え? マジ? あんな暗闇の中で、よくバカみたいに熱唱できるわね。もしかして、この状況に耐えられず、気でも触れちゃったのかしら? そもそも、こんな底の見えない穴に落ちて、あんだけ歌ってて酸欠にならないの? 酸素足りてるの?」
ケルベロスは眉根を寄せ、本気で不気味なものを見るような目でドン引きしている。
至極もっともな疑問。
呆れながらも気になったのか、その場にいた全員が誘われるように、再び穴の近くへ集まった。
すると、今度は歌ではなく、何かに感動したかのような叫び声が聞こえてきた。
…………ウマイ!!……ウマイ!!……ウマイ!!…………
「……あ、今度は “うまい!”って叫んでるね」
「自分の歌唱力に、自画自賛的な感じかしら。別にそこまで上手くもないんだけどさ。というか、この状況を楽しめる秀吉ってアホなの? この穴と同じで、底が見えないくらいアホなの?」
どこまでも広がる漆黒の暗闇を見つめながら、秀吉の底知れないアホさ加減を痛烈に例えるケルベロス。
その真横で、佐助は一切の感情を排した無表情のまま、冷たい目で穴の奥を見つめていた。
「……このまま、無事にくたばってくれればいいのですがねっ!!」
佐助は憎しみを込めて強くそう吐き捨てるや否や、足元に転がっていた大きい石ころと大量の砂利を、暴力的に容赦無く、穴の中へと一気に蹴り落とした。
パラパラ〜どころではない。
ガラガラゴロッ!! ドカッ!! バキッ!!
……と、激しい音が穴の壁面に反響する。
明確な殺意を感じる勢いだった。
凄まじい勢いで闇へと消えていく大量の石と砂利の弾丸。
それを見ていたケルベロスは、頬をひくつかせながら堪らず言葉を漏らした。
「レディさ。アンタ怖いわよ。すんごい殺気が漏れ出してて怖いわよ。恨みが半端ないってば……」
信繁は「やれやれ」といった様子で額を押さえる。
フィオンと六郎も、ただ苦笑いを浮かべるしかない。
すると直後——
まさに佐助のお望み通りの悲鳴(?)が、時間差で穴の底から響き渡ってきた。
…………ウマイ!!……ウマイ!!……ウマッ…イターイ!!………
「……石が当たった!?」
「どうやらクリティカルヒットのようね。この高さだから、相当痛いわよ……」
完全に桃花とケルベロスによる、秀吉の安否実況中継のようになっていた。
次はどんな奇声が上がるかと身を構えていると、再び底から声が上がった。
…………アッー‼︎……メガー‼︎……メガー‼︎…………
「ん? 今度は……メガ? って言ってるね。メガフレア的な?」
「メガ? ……はぁ、全く……本っ当にやかましい男ね! 少しは静かにしてられないのかしら」
そこへ、ずっと砂利の軌道を見ていたフィオンが、恐る恐る自分の見解を口にする。
「……あの、おそらく、秀吉さんの目に砂が入ったんじゃないでしょうか……? 勢いよく砂も蹴り入れていたみたいでしたし……」
「あ、メガじゃなくて、“目がー!!” って叫んでたってこと?」
「そういうことね。てっきり、頭イカれて魔法でも唱えてるのかと思ったわ」
桃花とケルベロスは、フィオンの極めて精度の高い推測に妙に納得した。
穴の底では、今でも相変わらず元気そうな声が響いている。
「……なぁ、秀吉さんの方は俺が何とかしとくからよ、お前らは早く出発しな。この調子だとマジで日が暮れて、もう一泊することになっちまうぞ」
このグダグダな状況に、信繁も本気で旅の進行を心配し始めたようだった。
三人へ向け、急かすように出発を促す。
「あ、うん。そうだよね……。そうするよ……」
穴を眺めていた桃花は視線を離し、信繁を見て頷いた。
…………ユーメージャナイー!……アレモコレモー!…………
「……」
またしても、穴の底から歌声が聞こえ始めてきた。
しかし、桃花は無視した。
無視したのだが、当然ながら歌声が消えてくれるわけではない。
容赦なく耳へ届いてくる。
勝手に聞こえてきてしまう。
早くこの場から離れよう。
そう思いながら踵を返そうとした……のだが……。
…………ソシテー! カーガヤーク! …………ウルトラ
「マンソウル!!!」
「!!?」
突如、穴の中から一人の男の影が躍り出た。
天に向かって拳を突き上げ、大音量で叫ぶ。
しかも、異常なまでに狂ったバカテンション。
あまりにも予期せぬタイミングと超展開に、桃花は驚愕のあまり完全に声が出せなかった。
場の空気が一瞬でひっくり返る。
この急な事態に、信繁は額に手を添えて「遅かったか……」と嘆く。
心底が残念そうな声である。
一方、その張本人「秀吉」はと言うと……。
「イヤッホォォーーイ!! 楽しかったわーー!! 一人カラオケ暗闇トランポリンごっこも、案外悪くないもんだな!! 」
奈落に落とされたはずの秀吉が、衣服の汚れをパッパと払いながら立っていた。
心なしか、落とされる前より元気になっているようにすら見える。
ムカつくほど晴れやか。
そのふざけた顔を視界に捉えた瞬間、佐助の顔が屈辱で歪んだ。
「……くっ! 拙者としたことが油断した! 猿なのは顔や頭だけでなく、運動能力も猿であったのを見落としていた!」
本気で悔しがっている。
どうやら秀吉は、佐助が親切(?)に設置していたハシゴを使い、地上へ戻ってきたらしい。
しかも、その登り方も野生の猿並みだったということだ。
まるで木登りでもするかのように軽々と、難なく危機を突破してしまったのである。
秀吉はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、佐助を見下すように首を傾げた。
「なぁ〜あ〜佐助よぉ〜。お前の計画、まだまだ隙間だらけで拙いんじゃね? こんなんでワシを陥れて暗殺しようとするとか、115年経っても無理じゃん? まるでガキの遊びじゃん? 昔、信長様を暗殺しようとした光秀の方が115倍上手くやってたぜ〜。お前さ、またイチから修行して出直してきた方がいいんじゃね〜?」
「っ!!」
秀吉の露骨な挑発。
なんとか冷静を保っていた佐助も、この露骨で侮蔑的な嫌味には感情を大きく揺さぶられた。
そして秀吉の口ぶりから察するに、彼は佐助が日頃から自分を本気で暗殺しようと企てていたことを、最初からすべて見抜いていた様子だった。
先程、信繁が初めて知ったことを、彼はすでに知っていたのだ。
その事実に、ケルベロスは目を細める。
正直、ここまでふざけた態度を取る男が本当に天下人だったのか、半信半疑な部分もあった。
だが、今は違う。
「……なるほど。伊達に天下を取ってはいなかったということね。これには、アタシも納得せざるを得ない感じするかも……」
底知れない実力を見せつけた秀吉に対し、ここでケルベロスは明確に印象を改めた。
おちゃらけた態度の裏からヒタヒタと伝わってくる圧倒的な雰囲気。
理屈では説明できない。
覇気。
存在感。
秀吉は良くも悪くも、その場の空気そのものを一瞬で変えてしまう力を持っていた。
なのにもかかわらず、本人は全く締まらない顔で調子に乗り続ける。
「しかもご丁寧に、穴の底に大量の非常食まで置いてあるんだからな。ワシ朝飯食ってなかったからちょうどよかったわ! 上から飲み物のエナジードリンクまで降ってきたしよ!旨かったよ〜ん! ウマイ!っつって『炎の呼吸』を使うヤツの真似までしちゃったもんね〜。ご馳走さ〜ん! 元気モリモリ〜! な〜んちゃってぇ〜www」
「…………………………」
これ以上ない程に、人を小馬鹿にした話し方と舐めきった態度。
神経を逆撫でする態度。
佐助の表情は限界を超え、逆に「無」に帰していた。
だが、額にははっきりとした青筋が浮かび上がっている。
内心では完全にブチギレていた。
隠す気のない殺気が周囲へ漏れ出している。
立ち姿は微動だにしない。
次の瞬間には飛び掛かりそうな危うさすらあった。
その空気を察した信繁が、冷静に間へ割って入る。
「……秀吉さんよ、もういいだろ。あんたも人のこと言えねぇって。いい歳こいたおっさんが、毎日毎日フィオンちゃんを追っかけ回して迷惑かけてるんだからよ。また警察に捕まるぞ」
これ以上の静観は、本当に惨劇の幕が上がりかねない。
そう判断したのだろう。
もしここで止めなければ、この場で血の雨を降らせる佐助による殺戮劇場の幕が上がっていた可能性が高い。
だが——
「何ぃぃ!? このワシがフィオンちゃんの迷惑だとぉぉ! そんなワケあるかい! 嘘ついてんじゃねぇぞコラァァ! おい信繁! 言っていいことと悪いことがあるだろうがよ! いくらお前でも許さんぞ! ぶっ飛ばすぞ! ムキー!」
信繁の言葉に対し、秀吉は凄まじいキレっぷりを披露した。
顔は怒りで真っ赤になり、キーキーと喚き散らす猿みたいになっている。
そして何より。
自分がフィオンに嫌われているという冷酷な現実を、一ミリも信じていないようだった。
「おいおい秀吉さん止めときな。今のあんたじゃ俺には勝てねぇって。それに、今の話に嘘はない。事実だ。ちゃんと現実を受け入れろ」
信繁は冷めた目で、淡々と事実を突きつける。
「うるっせぇ黙れや!! 誰が信じるかボケ!! ワシはフィオンちゃんと結婚すんだよ!! 子供は10人!! いや、11人欲しいと思ってるんだからな!! 舐めてんじゃねぇ!!」
秀吉は自分の妻、『寧々』がいるにもかかわらず、その場で地団駄を踏みながら、己の妄想を大声でぶちまけた。
「」
それを目の前で聞いてしまったフィオンは絶句。
狂気に満ちた秀吉の叫びを聞いた佐助は、冷酷で感情のない声で呟く。
「キモ、死ねばいいのに」
まさに最悪の事態。
先程のケルベロスが「更なる騒動に巻き込まれる」と予想していたことが、ものの見事に大当たりしてしまった。
旅立ちの朝。
本来ならば清々しい空気が流れるはずだった場所には、今日もまた騒がし過ぎる空気だけが広がっていた。




