第113話 超危険魔運天
佐助の冷酷な策略により、巨大な落とし穴へと叩き落とされた秀吉。
普通ならば悲鳴の一つでも聞こえてきそうなものだが……。
………モエアガレ−!!…モエアガレ−!!…………ダンガム−!!………
穴の底から聞こえてくるのは、なぜか妙に楽しそうな歌声だった。
しかもかなりの大音量。
不遇な扱いを受けたにもかかわらず、本人はまったく堪えていないようだ。
むしろ絶好調である。
この底抜けで狂ったようなポジティブさ。
もはや恐怖すら覚える意味不明な生命力を前に、桃花はなんとも言えない表情を浮かべる。
そして、ケルベロスが口にした言葉。
—— “これ以上ここにいると、更なるイベントが発生して巻き込まれる” ——
そんな予感が、今となっては嫌というほど理解できてしまう。
「う、うん。そうだね……。ケルちゃんの言う通り、私もそんな気がしてきたよ」
そう言って桃花は、素早く立ち上がった。
先程、信繁との手合わせ前に外していた刀と籠手具足を急いで身に付け、最後にリュックサックを背負い直す。
出発する準備は万端。
すると、複雑な顔で大穴を眺めていた信繁が、桃花とケルベロスの慌ただしい動きに気づき、彼女らへと顔を向けた。
「……あ、おお! 出発するのか? すまないな! 時間取らせちまって。ところでよ、これから二人はどこに向かうんだ? こっから先だと、雪山くらいしかないと思うが?」
信繁はいつもの快活な調子で尋ねた。
「あ、うん。私たち、その雪山を越えた先の『武神街』って場所を目指してるんだ」
「武神街? おいおいウソだろ、マジか……。二人とも、そこに行く気か」
「ん? 信繁おじちゃん。どうかしたの?」
信繁の反応に、桃花が首を傾げる。
その『武神街』という言葉を聞いた瞬間、豪快な笑顔が消え、眉間に皺が寄った。
場の空気が少しだけ重くなる。
その不穏な気配を、桃花とケルベロスは見逃さなかった。
信繁は腕を組み、何かを考えるように深く黙り込む。
しばらく沈黙した後、意を決したように口を開く。
「……今の武神街はな、あの『闘技大会』の開催前で、かなり物騒な街になってるんだよ。世界中、様々な国から腕っぷしに自信のある冒険者が次々と集まってる状況でな。治安が悪い」
「うん。賑やかだけど、かなり物騒な街だってことは聞いてるよ。私は行ったことはないけどね」
「……その武神街もそうだが、ここからそこまで行くには、まず雪山を越える必要がある」
「それも聞いたよ。その雪山へ入る前に、麓の街で準備をするつもりだけど?」
「その雪山越えも厄介でな。これも聞いてるだろうが、そこには妖怪の『雪女』が住んでるんだよ。そいつに出会ったら山から出られないとか言われててよ。実際、俺の知り合いも一年前に山へ入ったきり、今も戻ってきてない」
信繁の声は重かった。
その目には、友を想う深い悲哀の念が浮かんでいた。
その言葉の重みに、桃花は息を呑む。
いつもの冗談混じりの口調ではない。
本気で心配している人間の声だった。
「そんなに危険なところだなんて……」
「ああ。ただでさえ、雪山を越えるだけでも至難の業だってのに、それに加えて妖怪の雪女だからな。あまりにも危険だからということで、街に申請して許可をもらえないと山に入れないぜ」
「そ、そうだったんだ……」
「俺も昔、何度も雪山に入ったことはあるが、その雪女には未だに出会ったことはない。だから、遭遇する確率は低いだろう。だが、危険なことに変わりはない」
次々と明かされる危険な情報。
武神街の殺伐とした状況。
行く手を阻む雪山の絶望的な現状。
それを聞かされた桃花は、情報の重圧に圧し潰されそうになり、それ以上何も言えなくなってしまった。
不安が胸の奥で渦を巻き始め、じわじわと広がっていく。
するとここで、重苦しい空気を吹き飛ばすように、ケルベロスが二本足でスッと立ち上がり、「フフン♪」と自信満々に鼻を鳴らしながら胸を張った。
「大丈夫よ♪ それは “人間の場合” の話でしょ? ここには魔族である、このアタシがいるのよ? 心配ないわ♡ それに、山なんてどっからでも入れるわ♪ 任せなさいな!」
頼もしい言葉を放つケルベロスだったが、信繁の険しい表情は崩れない。
「いや、雪山を甘く考えないほうがいいぜ。体力や天候はもちろん、進む方向や装備も重要だ。それに凶暴な『モンスター』の襲撃も警戒しないといけない」
「モンスター!? え、魔物ってこと!? 山には妖怪の雪女だけじゃなく、他にも得体の知れない化け物たちが住みついてるの!? それは聞いてない!」
容赦無く不意に言い放たれた「モンスター」という単語に、桃花は激しく動揺する。
完全に想定外、そして致命的な新事実であった。
「お? それは知らなかったのか? この地域にはほとんどいないが、雪山から先には、ウジャウジャとキモいヤツらが大量にいるぞ」
「……」
絶望的な追撃に、桃花の顔から血の気が引いていく。
不安が爆発である。
ここでケルベロスは、急に思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「ゴメ〜ンネ桃花ちゃん♪ モンスターのこと、アタシ知ってたんだけどぉ、うっかり言い忘れちゃってたみたいだワ♡」
テヘッと舌を出しながら、可愛らしくウインクする。
「……あ、ううん。大丈夫……だよ。うん」
引き攣った笑みを浮かべてそう言いつつも、隠しきれない巨大な不安が思い切り顔に出てしまっていた。
絞り出した声も微かに震えている。
「大丈夫よ♪ アタシにかかれば、その辺のモンスターなんて雑魚同然だから♡」
「……そ、そうだよね。ケルちゃんがいれば……」
ケルベロスは明るく励ます。
だが、魔族と人間とでは前提が違いすぎるため、桃花の心から不安が拭い切れることはない。
そんな、今にも泣き出しそうな桃花の様子を見た信繁は、ふと何かを思いついたように、傍らに立つ佐助へ視線を送る。
「なぁ、佐助。桃花ちゃんとケルちゃんをさ、武神街まで送ってってくれよ」
「え?」
予想外の言葉に、冷静沈着な佐助が珍しく間の抜けた声を漏らした。




