第112話 天獄の底
「ウッヒョ〜イ! 今日も超絶キャワウィ〜フィオンちゃ〜ん! 見〜つっけた! 今日こそワシと結婚しよ〜よ〜ん! ほぉ〜ら! ここに婚姻届もあ〜るよ〜ん♡」
陽気な声と共に駆け寄ってきたのは、かつて天下を統一した「元・天下人」。
そして現在は、この十文字村の村長を務める男「豊臣秀吉」。
彼はイケオジを目指し、最近伸ばし始めたという、サラッサラな長い髪を無駄になびかせながら近づいてくる。
見た目は五十代を越えた「おっさん」。
服装は高級なビジネススーツと時計、そして黒光りした革靴などを仕立てており、身だしなみは整えてはいる。
片手には紙切れ「婚姻届」をヒラヒラと振り、ルンルン♪気分で陽気なスキップを踏み、満面の笑みで一直線にフィオンの元へと駆け寄ってくる。
おそらく、婚姻届へフィオンの名前を書いたら、速攻提出する腹積もりだろう。
この男は、本当に天下を取ったのか?と、疑いたくなる程の落ち着きの無さである。
「……」
彼の姿を見たフィオンは絶句。
顔色は見る見るうちに悪くなっていく。
その可憐な表情はこれ以上ないほど、心底嫌そうに歪んでいる。
彼女が十文字村へ身を寄せてから一ヶ月。
彼女の怯えきった様子から察するに、ほぼ毎日このようなプロポーズを受け続けているのだろう。
秀吉の姿を視界に捉えた瞬間から、フィオンの身体は小刻みに震えていた。
もはや条件反射と言ってもいい。
相当なストレスになっていることは誰の目にも明らかだった。
「おいおい秀吉さん……。また来やがったか。毎日毎日、あの人も懲りねぇ男だな」
それを見た信繁は額を押さえ、もはや呆れ果てている。
そんな中、秀吉の声を聞き、その姿を確認した佐助はピタリと動きを止めた。
そして、氷点下まで冷え切った声で、たった一言だけ呟く。
「キモ」
あまりにも短く、冷酷で辛辣な言葉。
その端正な顔は、まるでキモい害虫を見るかのように歪んでいる。
情け容赦の欠片もない。
すると佐助は、着物の袖から音もなく、サッとスマホを取り出した。
そしてすぐに、慣れた手つきで素早く謎のアプリを起動する。
そこには、画面に赤々と表示された物騒なボタンが一つ。
『地獄へ落ちろ』
それを一切の躊躇もなく、無表情で即タップした。
その瞬間——
ガコン!
鈍く重い金属音が鳴り響く。
秀吉が、ちょうどスキップを踏み込もうとしていた道のド真ん中。
そこへ、何の前触れもなく、突然地面が左右に割れた。
それは鉄で出来た巨大な観音扉。
その扉が勢いよく開き、その下から漆黒の巨大な穴が姿を現す。
「……ぅおおん!?」
異変に気付いた秀吉だったが、時すでに遅し。
絶好調でスキップしていた勢いは止められない止まらない。
次の瞬間。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁーーーーー!!」
見事なまでのタイミング。
そして綺麗な軌道。
完全に足が宙に浮いていた秀吉は、その巨大な穴の中へと、そのまま吸い込まれるように落ちていった。
穴の大きさは縦横三メートルほど。
しかも、ご丁寧に砂や砂利を上から被せ、細工が誰にも気づかれないよう巧妙に偽装までされていた。
完全な落とし穴の「罠」。
まんまと佐助の策略に引っかかった秀吉は、そのままドッキリ番組のような流れで暗闇の中へと消えていく。
あまりにも突然の出来事。
あまりにも衝撃的な光景。
一瞬、その場にいる全員が状況を理解できずにフリーズしていた。
だが、その沈黙を真っ先に破ったのは信繁。
「ひ、秀吉さーーーーん!!」
真っ先に我に返った信繁は、血相を変えて穴へと駆け寄る。
落ちていった秀吉に向けて、慌ててその名を叫ぶ。
「おい佐助! お前、秀吉さんになんてことしやがる! なんだよこの穴! いつの間に作りやがった!? 俺聞いてねぇぞ!」
信繁は佐助へと激しく問い詰めた。
「ノブには言っていなかったからな。これは私が極秘で作ったスケベザル専用の落とし穴。名付けて『月とスッポン』だ」
佐助は悪びれる様子もなく、淡々と恐ろしい事実を口にした。
「こんな穴作ってるのなんて全然気づかなかったぞ! いや、そんなことよりも秀吉さんは!? 死んじまったんじゃねぇのか!?」
「心配無用。奈落の底には、クッションとなる超超超強度のトランポリンを設置してある。今頃はピョンピョンと飛び跳ね、バカみたいに遊んでいることだろう」
「心配するっつーの! というか、下が真っ暗で全っ然見えねぇぞ! 底まで一体何メートルあるんだよ!?」
「100メートル以上ある」
「100メートル以上だと!? それ確実にトランポリンを突き破って地面に激突する高さだろ!」
「問題ない。拙者も五回落ちて確認した」
「お前、落ちたのかよ……」
あの豪快な信繁が、これほどまでに動揺している。
それに対し、仕掛けた張本人である佐助は、変わらず淡々とした態度を崩さない。
まるで「ただやかましい猿を、落とし穴という檻の中へ閉じ込めただけ」といった、冷酷な飼育員のような顔をしている。
「奈落の底には、天の恵みとも言えるクソ不味い非常食を一週間分ほど用意してある。それに地上へ出られるようハシゴも設置してあるから、何ら問題はない」
「問題大アリだろうが。そういうことじゃなくてよ。いくらなんでも、これはやりすぎだろうって……。死んでないにしても、ケガしてたらどうすんだよ」
「ヤツには、これくらいの制裁が必要だったというだけのこと。以前、ノブもそのようなことを常々言っていただろう」
「そうだけどよ……」
「むしろ拙者からしたら、これでも全然足りないくらいだ。それに、用意している仕掛けは、まだまだたっくさんあるぞ」
佐助の瞳の奥に、得体の知れない暗い炎が揺らめいた。
日頃の行い。
その一言で説明がついてしまう辺りが、秀吉の恐ろしいところでもある。
結果として、信繁はこれ以上何も庇うことができず、言葉を濁すしかなかった。
そんなやり取りの最中。
この異次元の光景を目の当たりにしてしまった桃花とケルベロス。
二人は、その巨大な穴へと恐る恐る近づき、底の見えない闇を覗き見た。
すると――
その深い穴の底から、なにやら声らしき音が反響し、微かに聞こえてきた。
………ゴクラクチョウガ……メズラシク……ハナシカケタ………。
「……ねぇ、ケルちゃん。下から声みたいの聞こえてこない?」
桃花が耳をすませて眉をひそめる。
「……ええ、確かに聞こえるわね……これは、何かしら?」
ケルベロスも怪訝な顔で頷き、更に二人で耳を澄ませた。
すると……。
…………ピンク…………! イキタイナ−! ………スパイダー!…………。
暗闇の底から、妙に楽しそうな歌声らしきものが聞こえてきた。
「……ケルちゃん。なんか歌っぽいの聞こえてくるんだけど」
「ええ。アタシも歌に聞こえるわ。今、スパイダーって言ってたわね」
さらに耳を傾ける。
すると再び——
……ツバサガホシイ−! ……
「あ! 今、“翼が欲しい!” って聞こえた!」
「アタシにも聞こえたわ。まぁ、こんなところに落ちたら、そりゃ翼の一つや二つ三つは欲しくもなるわよね」
「それにしても、こんな落とし穴に落とされた状況で、よく歌とか歌えるよね……」
「天下を取るくらいの男だから、思考回路が常人とは違って、激しくぶっ飛んでるのかもしれないわ」
理解が追いつかない。
普通なら絶望していてもおかしくない状況。
それなのに、当の秀吉はなぜか楽しそうに歌っている。
桃花とケルベロスは、そんな彼の精神構造に本気で困惑していた。
やがて二人の様子に釣られ、フィオンと六郎も引き寄せられるように穴へ近づき、そっと中を覗き込み、耳を澄ます。
「……た、確かに聞こえます。これは秀吉さんの声です。歌ってます……」
フィオンの声は震えている。
「……僕も歌は聞こえますが、これは何の曲でしょうか? 僕にはわかりませんけど……」
六郎は、その曲に対して首を傾げているようだ。
気付けば、その場に五人揃って、地面にポッカリと開いた巨大な穴を覗き込んでいるという、なんともシュールな光景になっていた。
すると、少し離れていた佐助が静かに、無表情のまま歩み寄っていく。
そして穴の中を見下ろした。
その目は冷たい。
実に冷たい。
「……翼が欲しいのなら、この『翼を授けるエナジードリンク』を差し上げましょう。ですが、生えてくる翼は天使の翼でも悪魔の翼でもなく、況してや蝶の羽でもない、ただの汚い害虫の羽でしょうけどね!」
佐助は、そう吐き捨てるように毒づいた後、足元に転がる石ころを、二〜三個ほど穴の中へと蹴り落とす。
そして、袖から取り出した『翼を授けるエナジードリンク』も一緒に、すぐにポイっと穴へと投げ落とした。
ガラッ。
コロッ。
石ころとエナジードリンクの落ちる音が暗闇へ吸い込まれていった。
(ホントに……秀吉さんから一体何されたの……この人)
佐助の容赦ない追撃と冷徹な横顔を見てしまった桃花は、再度そう強く、そして恐怖を覚えてしまった。
ここまでくると、もはや怨念の域である。
ここで、顔を盛大に引き攣らせたケルベロスが、桃花の着物の袖を軽く引っ張り、声をかけた。
「……ねぇ、桃花ちゃん。そろそろ出発しない? これ以上ここにいたら、更なる大騒動が発生して、更に巻き込まれていく気がするわ。下手したら、もう一泊コースだってあり得るわよ?」
ケルベロスの言葉には妙な説得力があった。
旅立つなら今しかないと、真剣な顔で桃花に告げてきたのである。
ここまでの流れを見てしまえば……誰でもそう思うだろう。
十文字村に来てからというもの、次から次へと予想外な出来事ばかりが起きている。
そして今もなお、その中心人物の一人は穴の底で熱唱中だ。
このまま留まれば、本当に何かが起きる気しかしない。
桃花は思わず、暗闇の広がる穴の底へ視線を落とす。
その奈落の底からは、未だに陽気な歌声が聞こえてきていた……。




