第102話 元・天下人
「……信繁おじちゃん。流石にあの扱いは、ないんじゃない? 戦場を共にしてきた相棒でしょ? なのに、あれは……」
苦笑いを浮かべながら、桃花はなんとも言えない視線を向けた。
その視線の先。
この宿「六文銭」の裏手に広がる、大きいのどかな庭。
そこには、信繁の代名詞ともいえる名槍——
「大千鳥十文字槍」が鎮座している。
しかし、その姿はあまりにも無残……もとい、あまりにも生活感に溢れていた。
槍に対する扱いが、あまりにも「雑」すぎたのである。
「いくらなんでも、十文字槍を『物干し竿』として使うのは……雑すぎでは?」
なんと、立派な作りをした十文字槍が、ただ洗濯物を干すためだけの棒、「物干し竿」へと成り果てていたのである。
風に揺れるシーツ。
パタパタとはためくタオル。
そして、その中心で堂々と横たわり、柄に洗濯物を掛けられている槍。
あまりにもシュールな光景に、これには桃花もツッコミを入れずにはいられない。
だが、その槍の持ち主である信繁はというと——
「うんうん。いい安定感じゃねぇか! 意外といけるもんだな!」
そう言って腕を組みながら、どこか満足げに頷いていた。
まるで自慢の設備でも眺めているかのような顔である。
そして信繁は、風に揺られている洗濯物をぼんやりと眺めながら口を開く。
「実は俺、あの槍ほとんど使ったことないんだわ」
「は?」
あまりにも衝撃的な言葉に、桃花の口から素っ頓狂な声が漏れた。
「使ったことない……? あれれ? そうだったっけ!?」
「ああ。正確に言うなら使ったことはあるぜ! けど、ほとんど使ってはなかったんだよ。だってあれさ、なんか使いづらい感じするじゃん? 実際使いづらかったし」
あっけらかんと言い放つ信繁。
対して桃花は、困惑したように目をぱちぱちと瞬かせた。
名槍。
愛槍。
そう聞くと、てっきり長年使い込んだ相棒のような存在だと思ってしまっていた。
しかし現実は、物干し竿扱いなうえに「使いづらいからほぼ使ってない」である。
あまりにも現実的で、身も蓋もない理由。
情報量が多すぎて、また頭が追いつかない桃花。
「で、でも! 私、信繁おじちゃんが、その十文字槍を持って振ってるところ、昔に何度か見たことあるよ!」
「ん? ああ、あれはだな。その十文字槍を持って、バッティングフォームの確認で軽く素振りしてた時に、たまたま桃花ちゃんが見かけただと思うぞ」
「……野球!? 槍をバットみたいに振ってただけ!?」
まさかの新事実。
戦場で磨き鍛え上げられた槍術の鍛錬——
そんな重々しいものを想像していた桃花だったが、返ってきた答えは、ただの「野球の自主練」である。
しかも、バットではなく槍で。
驚きを通り越した桃花の表情から感情が抜け落ちていき、「無」へと回帰していく。
「……」
もはや何からツッコんでいいのかわからない。
そんな空気が漂う中、ふと桃花の中に新たな疑問が浮かび上がる。
「……信繁おじちゃんって言ったら、その槍のイメージが強かったのに……。ならさ! その十文字槍は、一体どこで手に入れたの? 使わないのに、どうして持ってるの?」
それを聞いた信繁は、「あー」と声を漏らす。
「それな。実は俺が昔に仕えていた、あのエロ猿……あ、いや、『秀吉』さんっていう総大将だった人から、戦果の褒美として貰った槍でな」
「ひでよし? そうだいしょう?」
聞き慣れない名前に、桃花は首を傾げる。
「ああ。昔、この国を『天下統一』した人だよ。まぁ、今で言う、会社のか社長とか上司みたいな。そんな感じだと思ってくれればいいよ 」
桃花は「なるほど〜」と、なんとなく頷いた。
その時だった。
それまで静かに話を聞いていた佐助の雰囲気が一変。
不意に口を開いたのである。
「……その『秀吉』様に関してですが……。いえ、ここでは、このように呼びましょうか……」
静かな声だった。
だが、その場の空気が変わる。
瞳の奥に宿る冷徹な光。
これまで冷静沈着な表情が、瞬く間に険しくなっていく。
真面目というよりは無愛想と言うべきか。
いや、明確に「不機嫌」な顔という表現が正しいかもしれない。
先程までの気の抜けた空気が、ゆっくりと薄れていった。
そして——
その秀吉について佐助は、この場でとんでもない「裏話」を大暴露しようとしていたのである。




