第93話「赤眼幹部、“最適化”を名乗る男――無能王子は怒りの理由を知る」
赤い空が、軋んでいた。
黒蒼雷が封鎖結界を侵食し、赤い術式そのものを削り取っている。
バチィィィィィッ!!
空に走る黒蒼の稲妻。
崩れていく赤。
その中心で。
黒ローブの男だけが、静かに浮かんでいた。
赤い瞳。
歪な笑み。
だが今は、余裕が消えている。
代わりにあるのは。
明確な殺意。
『……想定外だ』
低い声。
レオンは刀を握ったまま空を見上げる。
右腕は限界だった。
焼ける。
裂ける。
神霊共鳴出力が高すぎる。
普通なら、とっくに崩壊している。
それでも立っている。
いや。
立つしかない。
アレンが戻った。
名前を取り戻した。
なら。
もう絶対に負けられない。
リリアーナが駆け寄る。
「レイさん!!」
レオンの右腕を見た瞬間、顔が青ざめた。
「酷い……!」
包帯は完全に消えている。
皮膚が裂け、黒蒼雷が直接肉体へ流れ込んでいる状態。
見ているだけで痛い。
「止血を――」
「後でいい」
「良くないです!!」
リリアーナが半泣きで怒鳴る。
「今すぐじゃないと……!」
「まだ終わってない」
レオンは短く言った。
視線は空。
黒ローブ男から逸れない。
エリシアも駆け寄る。
「リリアーナ様、一度下がって」
「でも!」
「今、無理に触れれば雷が逆流しますわ」
リリアーナが息を呑む。
確かに。
レオンの周囲の黒蒼雷は、もう暴風みたいに荒れている。
神霊輪もまだ消えていない。
それほど、今のレオンは危険域だった。
だが。
本人だけが静かだった。
アレンが、瓦礫の中で小さく息をしている。
ルミアとユノが駆け寄り、必死に支えていた。
「アレン……!」
「大丈夫……!?」
アレンは苦しそうに目を開ける。
まだ身体のあちこちに赤い術式痕が残っている。
だが。
もう怪物ではない。
「……ごめん」
掠れた声。
「みんな……」
「謝らなくていい!!」
ルミアが泣きながら叫ぶ。
「生きてるだけでいいから……!」
その光景を見て。
レオンの中の怒りが、さらに深く静かになっていく。
黒ローブ男が、その様子を見下ろしていた。
『感情は非効率だ』
低い声。
『その少年は暴走した』
『兵器化された』
『危険存在だった』
『処分が最適だった』
レオンが静かに返す。
「でも戻った」
『奇跡論だ』
「違う」
一拍。
「名前を呼んだからだ」
黒ローブ男の目が細くなる。
『くだらない』
その時。
クラウスが前へ出た。
「お前」
低い声。
「宰相府直属か」
男は笑った。
『そう呼ぶ者もいる』
「名前は」
『名など意味がない』
レオンが即答する。
「逃げる奴の台詞だな」
空気が少し止まる。
黒ローブ男の笑みが、ほんの僅かに消えた。
『……逃げる?』
「名前を捨ててる時点で逃げてる」
一拍。
「人を番号にしてる奴が、一番名前から逃げてる」
その言葉。
空気が変わる。
リリアーナが息を呑む。
エリシアも静かに目を見開いた。
黒ローブ男の赤い瞳が、ゆっくり細くなる。
『……なるほど』
『本当に危険だ』
『思想汚染型か』
「気持ち悪ぃ言い方だな」
アルベルトが吐き捨てる。
男は構わず続ける。
『人は弱い』
『感情で壊れる』
『名前に縋る』
『だから、最適化が必要だった』
その瞬間。
ルカの表情が変わった。
目を見開く。
呼吸が止まる。
「……まさか」
エリシアが振り返る。
「どうしましたの!?」
ルカは震える声で言った。
「お前……」
黒ローブ男を見る。
「……オルディス、なのか」
空気が凍った。
男の笑みが止まる。
初めて。
本当に初めて。
明確に反応した。
リリアーナが息を呑む。
「知り合い……?」
ルカは顔を歪める。
「元・王城中央研究局主任」
「神霊適合理論の第一人者」
ざわめき。
教師陣も顔色を変える。
「中央研究局……!?」
「あの王立機関か!?」
ルカが低く続ける。
「十年前、研究事故で死亡したはずだった」
男――オルディスが、小さく笑った。
『死亡扱いの方が都合が良かった』
赤い瞳が細くなる。
『表向きの研究では限界があったからな』
「だから赤眼を作ったのか」
クラウスが低く言う。
『作った?』
オルディスは首を傾げた。
『違う』
『進化させた』
その言葉。
ルカが歯を食いしばる。
「お前のせいで、何人死んだと思ってる……!」
『数えていない』
即答。
空気が凍る。
『必要だったから死んだ』
『それだけだ』
ルミアが震える。
ユノも顔を青ざめさせる。
アレンが小さく呟いた。
「……あいつ」
「ぼくたちのこと、笑ってた……」
レオンの黒蒼雷が弾けた。
バチィィィィィッ!!
地面が砕ける。
空気が震える。
オルディスは、そんなレオンを見て楽しそうに笑った。
『怒っているな』
「当たり前だ」
『何故?』
レオンの目が冷える。
「お前、人を見てない」
『またそれか』
「見てれば」
一歩。
「笑えない」
オルディスが少し黙る。
だが。
次の瞬間には、また笑った。
『やはり理解不能だ』
『だから人間は非効率なんだ』
空間が歪む。
赤い魔導陣が、さらに展開される。
クラウスが即座に構える。
「来るぞ!」
オルディスの周囲へ、無数の赤杭術式。
数が異常だった。
「うそ……」
リリアーナの顔が青ざめる。
「全部撃つ気ですの!?」
エリシアも術式を展開する。
「防ぎきれませんわ!」
だが。
レオンは動かなかった。
静かに。
空を見上げる。
ヴァルガが低く笑う。
『どうする、主』
ノワールも静かに問う。
『全部守る?』
レオンは短く答えた。
「ああ」
その瞬間。
黒蒼雷がさらに広がった。
神霊輪が回転。
空間が軋む。
オルディスが目を細める。
『……まだ出力を上げるか』
「お前を止める」
『不可能だ』
「やる」
オルディスが腕を振るった。
無数の赤杭術式が、学園へ降り注ぐ。
ドゴォォォォッ!!
空が真っ赤に染まる。
生徒たちの悲鳴。
教師陣の絶望。
だが。
次の瞬間。
黒蒼雷が空を駆けた。
一本。
二本。
三本。
いや。
無数。
「っ!?」
クラウスが目を見開く。
レオンが。
空を走っていた。
黒蒼雷の残光を何本も残しながら。
赤杭術式を、一つずつ斬り落としている。
速い。
ありえないほど。
しかも。
全部、学園へ落ちる前に。
ドゴォォォォッ!!
赤杭が空で爆散する。
黒蒼雷が、赤を喰い潰す。
リリアーナが涙を浮かべる。
「レイさん……!」
でも。
分かる。
無茶だ。
完全に。
身体が壊れる。
レオンの右腕から、黒い血が飛び散っている。
それでも止まらない。
アレンが、震える声で呟いた。
「……なんで」
「そこまで……」
レオンは空から、短く返した。
「決めたからだ」
「え……?」
「番号を」
一拍。
「終わらせるって」
その言葉。
ルミアが泣き崩れる。
ユノも涙を流す。
エリシアが静かに目を伏せた。
クラウスも、もう何も言えなかった。
空では。
黒蒼雷が、赤い空そのものを切り裂き始めていた。
そして。
オルディスの笑みが。
少しずつ消えていく。
初めて。
“想定外”を見る研究者の顔になっていた。




