第92話「名前を取り戻した怪物、無能王子は“壊された少年”へ手を伸ばす」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
黒蒼雷と赤い崩壊術式が、空を真っ二つに裂いていた。
轟音。
衝撃波。
空気そのものが悲鳴を上げている。
学園中の窓ガラスが震え、生徒たちが耳を塞いだ。
「結界維持!!」
「絶対に切らすな!!」
教師陣が魔力を流し続ける。
王城騎士団側も防御展開。
白銀と学園結界。
それでもギリギリだ。
崩壊術式の規模が異常すぎる。
普通なら、もう全員吹き飛んでいる。
だが。
空を押し返している雷があった。
黒蒼天雷。
レオンの神霊共鳴。
黒と蒼が混ざり合った巨大な雷柱が、赤い空そのものを押し返している。
「……っ!」
リリアーナが歯を食いしばる。
レオンの背中。
黒蒼雷を纏い、空へ刀を向ける姿。
でも。
分かる。
限界だ。
右腕は既に焼けている。
皮膚が裂け、血が蒸発している。
それでも止めている。
「レイさん……!」
エリシアも表情を強張らせる。
「出力が危険域ですわ……!」
クラウスが空を見上げながら低く呟く。
「普通なら、自壊している」
「神霊側も限界のはずだ」
その時。
ヴァルガの笑い声が響いた。
『まだ行ける』
ノワールも静かに言う。
『主が止まらないから』
レオンは空を睨んでいた。
黒ローブ男。
あいつだけは逃がさない。
でも。
今、優先するのは。
後ろ。
学園。
そして。
目の前の怪物。
『……ア……レン……』
グラン=ゼグス。
いや。
アレン。
怪物の赤い瞳から、また涙が流れていた。
巨大な身体が震えている。
赤い術式と、黒蒼雷がぶつかり合っている。
苦しそうだった。
怖そうだった。
まるで。
檻の中から必死に出ようとしている子供みたいに。
「アレン」
レオンが呼ぶ。
怪物の身体が止まる。
『……ぁ……』
「戻ってこい」
『……こ、わ……い……』
「大丈夫だ」
『ぼ、く……』
「もう番号じゃない」
一拍。
「お前はアレンだ」
その瞬間。
怪物の胸部刻印。
【被験者No.08】
そこへ黒い亀裂が走った。
バキィッ――!!
赤い術式が崩れ始める。
ルカが目を見開く。
「人格侵食が……剥離してる!?」
「そんな……!」
エリシアも信じられない顔をする。
「本当に戻れるんですの……!?」
ルミアが涙を流しながら叫ぶ。
「アレン!!」
怪物が震える。
その名前。
覚えている。
地下で一緒だった。
実験室の奥。
いつも泣いていた少年。
でも優しかった。
ユノへパンを分けてくれた。
ミナが泣いた時、手を握ってくれた。
そんな子だった。
なのに。
怪物にされた。
『……ル、ミ……ア……?』
ルミアが泣き崩れる。
「うん……!」
「うん、そう……!」
「ルミアだよ……!」
怪物の赤い瞳が揺れる。
完全な暴走じゃない。
まだ。
ちゃんと中にいる。
黒ローブ男の表情が、初めて明確に歪んだ。
『……興醒めだ』
低い声。
さっきまでの余裕が消えている。
『人格維持など、失敗例のはずだった』
『何故残っている』
レオンが低く返す。
「名前があるからだ」
男の目が細くなる。
『くだらない』
「お前には分からない」
『感情論だ』
「そうか」
一拍。
「なら、お前負けるな」
黒ローブ男の周囲で、赤い魔力が膨れ上がった。
殺気。
今までとは違う。
明確な敵意。
『……やはり危険だ』
『君は』
『存在そのものが』
空間が歪む。
巨大魔導陣。
さらに上。
もっと大きい。
ルカの顔色が完全に変わる。
「駄目だ……!」
「今度は何!?」
アルベルトが叫ぶ。
ルカは震える声で言った。
「神霊強制降臨術式」
空気が止まる。
「は……?」
「赤眼最大禁術だ」
ルカが歯を食いしばる。
「暴走神霊を無理矢理呼び出す……!」
「成功率ゼロ!」
「発動すれば周囲ごと崩壊する!!」
エリシアの顔から血の気が引く。
「そんな術式、存在してはいけませんわ……!」
『存在する』
黒ローブ男が静かに笑った。
『世界は、もっと進化できる』
『人間は神霊を支配できる』
『そのためなら』
一拍。
『多少の犠牲は必要だ』
その言葉。
レオンの目が完全に冷えた。
「またそれか」
『事実だ』
「違う」
レオンは静かに言う。
「お前は」
一歩。
「人を見てないだけだ」
黒蒼雷がさらに膨れ上がる。
空気が震える。
その時。
アレンの巨大な腕が、ゆっくり動いた。
全員が警戒する。
だが。
アレンは。
レオンを守るように前へ出た。
『……や、だ……』
掠れた声。
苦しそうに。
でも。
ちゃんと自分の意思で。
『もう……』
『だれか……なくなるの……やだ……』
リリアーナが涙を浮かべる。
「っ……!」
ルミアも泣きながら頷く。
「うん……!」
「もう、終わりにしよう……!」
アレンの身体から、赤い術式がさらに剥がれる。
怪物の身体が少しずつ崩れ始めていた。
黒ローブ男が目を細める。
『……処分だな』
次の瞬間。
男の術式が、アレンへ向かって撃ち込まれた。
赤い槍。
完全破壊術式。
「っ!!」
リリアーナが叫ぶ。
だが。
レオンの方が速かった。
黒蒼雷加速。
空間を裂く。
レオンがアレンの前へ飛び込み、刀を振るう。
「消えろ」
黒蒼雷斬撃。
赤槍術式が空中で爆散した。
ドゴォォォォォンッ!!
衝撃波。
でも。
今度は、レオンが押し勝った。
黒ローブ男の笑みが完全に消える。
『……なるほど』
『そこまで来るか』
低い声。
冷たい目。
研究対象を見る目ではなくなっていた。
危険物を見る目。
「副団長!」
王城騎士団側が叫ぶ。
「空間反応増大!」
「結界が不安定化しています!」
クラウスが空を睨む。
赤い結界が揺れている。
レオンの黒蒼雷と衝突し続けたせいだ。
限界が近い。
「崩れるぞ……!」
エリシアが高速で術式解析する。
「いえ!」
「違いますわ!」
「内側から破壊されてる……!」
全員が空を見る。
赤い封鎖結界。
その中心部。
そこへ。
黒蒼の雷が、ゆっくり侵食していた。
バチィィィィッ!!
赤と黒蒼。
二つの術式が食い合っている。
そして。
押しているのは。
黒蒼雷だった。
ルカが呆然と呟く。
「封鎖術式を……侵食してる……」
「ありえない……」
レオンは静かに空を見る。
右腕はもう感覚が薄い。
でも。
止めない。
ここで折れたら。
また誰かが番号になる。
「……壊す」
低い声。
「全部」
黒ローブ男が目を細める。
『本当に危険だな』
『君は』
その時。
アレンの巨大な身体が、ゆっくり崩れ始めた。
黒い怪物の外殻が剥がれていく。
赤い術式が砕ける。
そして。
巨大な胸部の中から。
一人の少年が、ゆっくり現れた。
銀色の髪。
痩せた身体。
傷だらけ。
でも。
確かに、人間だった。
「……アレン」
ルミアが涙を流す。
少年は朦朧としながら、小さく笑った。
「……ルミア」
その瞬間。
学園中が静まり返った。
怪物じゃない。
番号じゃない。
ちゃんと。
人間が戻ってきた。
レオンは静かに息を吐く。
だが。
次の瞬間。
空の黒ローブ男が、初めて本気の殺気を放った。
『……回収不能』
『なら、排除する』
空気が変わる。
赤い魔力が、さらに膨れ上がる。
今までとは違う。
本気だ。
リリアーナが顔を青ざめさせる。
「レイさん……!」
だが。
レオンは静かに刀を握り直した。
黒蒼雷が、さらに深く唸り始める。
もう。
止まらない。
王城の闇。
赤眼。
そして。
目の前の男。
全部。
ここで叩き潰すために。




