第88話「赤い封鎖空間、無能王子は“学園を戦場にさせない”ため前へ出る」
赤い結界が、空を覆っていた。
王立アルディア学園。
その全域を包み込むように展開された巨大封鎖術式。
空気が重い。
呼吸しづらい。
魔力の流れそのものが歪められている。
「……最悪ですわね」
エリシアが空を睨む。
赤い光が、薄く彼女の金髪を染めていた。
「転移完全阻害」
「通信術式妨害」
「外部遮断結界」
「しかも、複数層……」
彼女の顔が険しくなる。
「相当大規模です」
カティアも術式陣を展開しながら頷く。
「普通の国家級封鎖術式ですら、ここまでの精度はありません」
「王城側、最初から長期封鎖前提です」
アルベルトが顔を歪める。
「学園丸ごと監禁する気かよ……!」
ルカが低く呟いた。
「赤眼は証拠を逃がさない」
「生き証人も」
「だから封じる」
一拍。
「いつものやり方だ」
その言葉に、周囲の空気がさらに冷える。
いつもの。
つまり。
これを何度もやってきたということだ。
レオンは空を見上げていた。
赤い結界。
地下施設と同じ色。
嫌な記憶を思い出させる色。
だが。
今は違う。
東の塔ではない。
地下施設でもない。
背後には学園がある。
リリアーナたちがいる。
「……レイさん」
リリアーナが小さく呼ぶ。
彼女はレオンの横へ立っていた。
不安はある。
怖い。
でも逃げない。
レオンは少しだけ視線を向けた。
「何だ」
「大丈夫です」
「何がだ」
「一人じゃありません」
レオンは少しだけ黙る。
その言葉。
最近、何度も聞いている。
そのたびに、自分の中の何かが変わっていく。
昔の自分なら。
一人の方が楽だった。
期待しなくて済む。
失わなくて済む。
でも今は。
一人じゃないと言われると、少し安心してしまう。
それが不思議だった。
「……そうだな」
小さく返す。
リリアーナが少しだけ目を見開く。
「えっ」
「何だ」
「否定しないんだなって」
「面倒だからな」
「絶対違いますよね?」
エリシアが横で小さく笑う。
「素直じゃありませんわね」
「うるさい」
だが、そのやり取りが少しだけ空気を軽くした。
その時だった。
ゴォォォォォッ――!!
学園結界の外側。
赤い封鎖結界の向こう側で、新たな魔力反応が発生した。
教師たちがざわつく。
「追加部隊!?」
「まだ来るのか!?」
空の向こう。
赤い結界越しに、黒い影が近づいてくる。
飛行魔導騎。
複数。
しかも。
「……黒鎧?」
アルベルトが眉を寄せる。
白銀ではない。
黒。
嫌な色だった。
ルカの顔色が変わる。
「っ……!」
「どうした!?」
リリアーナが問う。
ルカは歯を食いしばる。
「赤眼直属処理班」
空気が凍る。
「処理班……?」
エリシアが低く呟く。
「つまり」
「証拠隠滅専門部隊です」
ルカが答える。
「封鎖後、生存者を消すための部隊」
学園側の空気が一気に張る。
クラウスの目も鋭くなる。
「……宰相府め」
「本当に暴走しているな」
王城騎士団側もざわついていた。
「聞いてないぞ……!」
「処理班まで来るなんて……!」
「副団長!」
クラウスは短く命じる。
「騎士団は学園前線維持」
「処理班を学園内部へ入れるな」
騎士たちが驚く。
「ですが!」
「命令だ」
低い声。
逆らわせない圧。
騎士団は動揺しながらも頷いた。
「……了解!」
リリアーナが少し驚いた顔をする。
「本当に、止めるんですね」
クラウスは前を見たまま答える。
「言っただろう」
「子供を狩る側には立たん」
その言葉。
ルミアが遠くから小さくクラウスを見ていた。
まだ怖い。
王城の人間は怖い。
でも。
全部が同じじゃない。
それを少しずつ理解し始めていた。
「来るぞ」
バルドが戦斧を構える。
次の瞬間。
赤い結界の空が裂けた。
ドゴォォォォンッ!!
巨大な爆音。
黒い飛行騎が急降下してくる。
全部で十。
黒鎧。
赤い紋章。
そして。
異様な仮面。
「気持ち悪っ……」
アルベルトが顔をしかめる。
仮面騎たちは一切喋らない。
ただ。
機械みたいに、真っ直ぐ学園を見ていた。
ルカが低く言う。
「感情抑制処理済みだ」
「処理班は、長期洗脳されてる」
「人間じゃねぇのかよ……」
アルベルトが吐き捨てる。
「人間だ」
レオンが短く言った。
全員が見る。
「だから余計に終わってる」
その声には、静かな怒りがあった。
処理班。
つまり。
王城は、人間を壊して人形にしている。
地下施設だけじゃない。
騎士まで。
「……ほんと腐ってんな」
アルベルトが低く呟く。
その時。
仮面騎の一人が剣を掲げた。
赤い術式展開。
空に巨大魔導陣。
「っ!」
エリシアの顔色が変わる。
「広域殲滅術式!」
「学園内部を巻き込む気ですの!?」
教師陣が叫ぶ。
「結界強化!」
「生徒避難急げ!!」
リリアーナも即座に魔力を流す。
銀色の結界が広がる。
だが。
数が多い。
広域すぎる。
「止めきれません……!」
レオンの黒雷が静かに広がった。
「レイさん!?」
「俺が行く」
「駄目です!」
「届くのは俺だけだ」
確かに。
仮面騎は上空。
しかも高速移動。
今この場で即応できるのは、黒雷加速を持つレオンしかいない。
「でも右腕が――!」
「動く」
「だから!」
リリアーナが止めようとした、その瞬間。
レオンの背後で、黒い影が揺れた。
『主』
ノワールだった。
『一人で行くな』
ヴァルガも笑う。
『たまには俺ら使え』
黒雷がさらに膨れ上がる。
レオンの周囲に、黒い稲妻と影が絡み合う。
空気が震える。
リリアーナが息を呑む。
「……神霊二重展開」
エリシアも目を見開く。
「同時制御……!」
クラウスですら僅かに目を細めた。
「そこまで扱えるのか……」
レオンは空を見上げる。
仮面騎。
赤い術式。
学園を巻き込む殲滅魔法。
なら。
ここで止める。
「ヴァルガ」
『おう』
「ノワール」
『ん』
「上取る」
次の瞬間。
ドンッ――!!
黒雷が爆発した。
レオンの身体が、一瞬で空へ消える。
「速っ――!?」
アルベルトが目を見開く。
今までで最速。
黒雷と影が混ざり、空中へ一直線に駆け上がる。
仮面騎たちが反応する。
「対象接近」
「迎撃開始」
機械みたいな声。
赤い魔力弾が一斉に放たれる。
だが。
ノワールの影が空中で広がった。
『遅い』
影が弾を飲み込む。
同時。
レオンが最前列の仮面騎へ到達。
黒雷刀が閃いた。
「断て」
静かな声。
次の瞬間。
黒雷斬撃が、仮面騎の術式核ごと空を裂いた。
ドゴォォォォンッ!!
爆発。
仮面騎が墜落する。
だが。
残り九騎。
一斉展開。
赤い魔導陣が空を埋め尽くした。
「多っ!?」
アルベルトが叫ぶ。
「レオン一人じゃ――」
「違いますわ」
エリシアが前を見る。
「見てください」
空。
そこには。
黒雷の軌跡が、いくつも走っていた。
速すぎる。
残像。
影。
雷。
レオンが空中を駆けている。
避ける。
斬る。
影で消す。
雷で撃ち抜く。
しかも。
学園側へ一切流れ弾を落としていない。
クラウスが小さく呟く。
「……守りながら、あそこまで」
以前のレオンなら。
もっと荒かった。
敵ごと全部吹き飛ばしていた。
でも今は違う。
学園を守っている。
リリアーナが胸を押さえる。
「レイさん……」
怖い。
でも。
目を離せない。
空で戦うレオンは、まるで黒い雷そのものだった。
その時。
最後尾の仮面騎が、静かに術式を変えた。
ルカの顔色が変わる。
「まずい!」
「何ですの!?」
「あれは自爆術式だ!」
空気が凍る。
「処理班は、失敗時に周囲ごと消す!」
仮面騎の胸部が赤く光る。
暴走。
膨張。
巨大魔力反応。
レオンの目が細くなる。
下には学園。
この高度で爆発すれば。
被害は止まらない。
リリアーナが叫ぶ。
「レイさん!!」
瞬間。
レオンが動いた。
黒雷加速。
一直線。
自爆寸前の仮面騎へ突っ込む。
「おい待て!!」
アルベルトが叫ぶ。
だが止まらない。
レオンは、爆発寸前の仮面騎を掴み――
さらに上空へ加速した。
ゴォォォォォッ!!
空を裂く黒雷。
その直後。
空の遥か上で。
巨大な赤黒い爆発が起きた。
ドゴォォォォォォォンッ!!!!
轟音。
衝撃波。
空が揺れる。
学園中が震えた。
「レオン!!」
リリアーナが顔を真っ青にする。
煙。
爆炎。
赤黒い空。
誰も息をできない。
その中。
黒い雷が、ゆっくり落ちてくるのが見えた。
レオンだった。
だが。
右腕の包帯は完全に焼け落ち。
血が空中へ散っている。
「っ……!」
リリアーナが駆け出す。
レオンは着地した。
ドォンッ!!
石畳が砕ける。
膝が少し沈む。
でも倒れない。
その姿を見て、全員が息を呑んだ。
レオンは静かに空を見上げる。
残る仮面騎は、もう動いていない。
だが。
赤い封鎖結界は、まだ空を覆っていた。
そして。
その結界のさらに向こう。
誰かが、こちらを見ていた。
黒いローブ。
赤い瞳。
不気味な笑み。
レオンの目が細くなる。
あれは。
地下施設で感じた気配と同じだった。
宰相府のさらに奥。
赤眼の“中枢”。
そいつは、ゆっくり笑った。
「――見つけた」
嫌な声が、赤い空の向こうから響いた。




