第82話「揺れる王都、無能王子は“守る側”として会議室へ立つ」
翌朝。
学園は、異様な静けさに包まれていた。
いつもなら聞こえるはずの朝練の掛け声も、食堂の騒がしさも、今日はどこか遠い。
空気が張っている。
教師たちが慌ただしく動き、生徒たちも何かを察している。
昨夜、王都東区画で大規模崩落が起きた。
その噂は、もう学園全体へ広がっていた。
「地下施設が崩れたらしい」
「違法研究だって」
「王城が関わってるとか……」
「赤眼って聞いたぞ」
廊下のあちこちで、小さな声が飛び交う。
だが。
真実を知っている者は、まだ少ない。
そして、その真実はあまりにも重かった。
◇
医務棟特別病室。
窓から差し込む朝日が、白いシーツを照らしている。
レオンはベッドへ座っていた。
右腕には新しい包帯。
術式侵食は止まった。
だが、完全回復には時間がかかるらしい。
医務教師からも「絶対安静」と何度も言われている。
もちろん、守る気はあまりない。
「駄目です」
即座に声が飛んだ。
レオンは扉の方を見る。
リリアーナだった。
朝から来ている。
手には紙袋。
食堂から持ってきた朝食らしい。
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてあります」
「何がだ」
「“動けそうだから抜け出すか”って」
レオンは少し黙った。
「……書いてたか?」
「はい」
「そうか」
「そうです」
リリアーナは呆れたようにため息を吐く。
でも、その顔は少し安心していた。
昨夜より顔色がいい。
ちゃんと眠れたわけではないだろう。
それでも、レオンがここにいる。
ちゃんと生きている。
それだけで違った。
「朝ご飯、食べてください」
リリアーナが机へ並べる。
パン。
スープ。
果物。
そして、妙に量が多い。
「多いな」
「栄養が必要です」
「誰のだ」
「レイさんのです」
「多い」
「食べてください」
真顔だった。
レオンは少し考える。
「……食べきれなかったら」
「食べきってください」
「話を聞け」
リリアーナが頬を膨らませる。
その時、扉が開いた。
「おはようございますわ」
エリシアだった。
いつも通り綺麗な姿。
だが、目の下には薄く疲労が残っている。
彼女もほとんど眠れていないのだろう。
その後ろからアルベルトも入ってくる。
「おう、生きてるか」
「死んでない」
「知ってる」
アルベルトは椅子へ乱暴に座った。
そのまま机のパンを一個取る。
リリアーナが即座に睨む。
「それレイさんのです」
「一個くらいいいだろ!」
「駄目です」
「なんでだよ!」
「栄養が必要なので」
「じゃあ俺にも必要だわ!」
エリシアが小さく笑う。
「朝から賑やかですわね」
「殿下が騒がしいだけです」
「おい」
レオンはスープを口へ運ぶ。
温かい。
昨夜からまともに食べていなかったせいか、思った以上に身体へ染みた。
リリアーナがじっと見ている。
「……なんだ」
「ちゃんと食べてるなって」
「食べる」
「よかったです」
レオンは少しだけ視線を逸らした。
こういう顔をされるのが、まだ慣れない。
その時、ノック。
ミーアが入ってくる。
「皆様、おはようございます」
「おはよう」
エリシアが返す。
ミーアの手には書類の束。
その表情はかなり硬い。
空気が少し変わった。
「解析結果が出始めました」
全員の表情が引き締まる。
ミーアは机へ書類を広げた。
「記録結晶の中には、複数の機密記録が存在していました」
「被験者名簿」
「実験経過」
「適合率」
「処分記録」
一枚ずつ置かれていく紙。
リリアーナの顔色が青くなる。
エリシアも唇を噛んだ。
アルベルトが拳を握る。
「処分記録って……」
ミーアは静かに答える。
「死亡、暴走、廃棄」
「その分類です」
空気が凍った。
人間に使う言葉ではない。
廃棄。
まるで物だ。
レオンの目が静かに冷える。
「人数は」
ミーアが一瞬黙る。
「現時点で確認できるだけでも、百二十七名」
リリアーナが息を呑む。
「そんなに……」
「はい」
ミーアの声も僅かに震えていた。
「しかもこれは、一施設分だけです」
アルベルトが立ち上がる。
「待てよ」
「一施設ってなんだ」
「他にもあるのか?」
ミーアは答えない。
代わりに、扉の外から声がした。
「ある」
学園長だった。
その後ろにはカティアもいる。
学園長は部屋へ入ると、静かに言った。
「地下施設は、東区画だけではない」
「少なくとも、王都内に三箇所」
「地方を含めれば、それ以上存在する可能性があります」
リリアーナの顔から血の気が引く。
「そんな……」
エリシアが低く呟く。
「……狂っていますわ」
「ええ」
学園長は頷く。
「そして、問題はここからです」
彼は一枚の紙を机へ置いた。
そこには、赤い紋章。
王印に近い認証。
そして。
見覚えのある名前。
アルベルトの目が見開かれる。
「……父上」
震える声。
そこには、国王直属会議の承認記録があった。
「正式署名ではありません」
学園長が言う。
「ですが、国王側近機関の認証が含まれています」
「つまり」
一拍。
「王城上層部が、この実験を把握していた可能性は極めて高い」
アルベルトが机を殴った。
ガンッ!!
「クソが……!!」
怒り。
悔しさ。
混乱。
全部が混ざっている。
「なんでだよ……!」
「なんでこんなことを!」
学園長は答えない。
答えられない。
代わりに、レオンが静かに言った。
「力だ」
全員が見る。
レオンは淡々と続ける。
「神霊」
「適合」
「制御」
「全部、戦力になる」
「だから作った」
その声には感情が少ない。
だが逆に、それが怒りの深さを示していた。
アルベルトが歯を食いしばる。
「そんなの、王族じゃねぇ……」
「いや」
ルカの声が後ろから響いた。
全員が振り返る。
拘束具付きのまま、ルカが扉の前に立っていた。
まだ顔色は悪い。
だが、歩ける程度には回復しているらしい。
「王族だからこそ、やった」
その一言で空気が重くなる。
アルベルトが睨む。
「どういう意味だ」
ルカは静かに答える。
「王族は国を守る」
「そのためなら、多少の犠牲は必要」
「そう教えられる」
「少数を切り捨て、多数を守る」
「赤眼は、その思想を極端にした組織だ」
リリアーナが震える声で言う。
「子供を犠牲にしていい理由になんて……」
「ならない」
ルカは即答した。
少し驚くほど早かった。
「だから私は壊れた」
その言葉に、誰もすぐ返せなかった。
ルカは窓の外を見る。
「最初は、正義だと思っていた」
「王国を守るため」
「外敵に対抗するため」
「神霊暴走を制御するため」
「必要な犠牲だと」
一拍。
「思い込もうとした」
その声は、静かに掠れていた。
「でも、名前を呼ばれるたびに駄目だった」
リリアーナが目を伏せる。
ユノたちの顔が浮かぶ。
ミナ。
テオ。
サーシャ。
ニル。
名前。
人間。
それを“器”と呼び続ければ、どこかで壊れる。
ルカはそれを壊して、感じないようにした。
でも完全には消せなかった。
だから最後に、自分の名前を思い出した。
レオンは静かに聞いていた。
「……王城は止まらない」
ルカが言う。
「施設が一つ潰れても、別の場所へ移る」
「証拠が出れば、消しに来る」
「学園も狙われる」
空気が張る。
カティアが頷く。
「既に学園周辺の警備を増やしています」
「ですが、相手は王城直属組織」
「真正面から対立すれば、こちらも無事では済みません」
アルベルトが顔を上げる。
「じゃあどうすんだよ」
学園長が答える。
「味方を増やす」
「貴族」
「軍部」
「地方領主」
「そして、王城内部にも」
エリシアが目を細める。
「内部協力者、ですわね」
「ええ」
学園長は頷く。
「全員が赤眼を容認しているわけではない」
「むしろ、知らされていない者も多いでしょう」
アルベルトが低く言う。
「兄上たちは……」
学園長は少しだけ黙る。
「現時点では不明です」
「ですが、警戒は必要です」
レオンは静かに聞いていた。
政治。
権力。
王城。
正直、好きではない。
面倒だ。
でも、もう無関係ではいられない。
ルミアたちを見た。
ユノたちを見た。
あれを見て、何もしない選択肢は消えた。
「……会議はいつだ」
学園長が答える。
「一時間後」
「学園側幹部、協力教師、一部貴族代表を集めます」
「レイ君」
「何だ」
「君にも、地下で見たことを話してもらいます」
レオンは少しだけ眉を寄せた。
「苦手だ」
「知っています」
「ならなぜ俺だ」
「実際に見たからです」
一拍。
「そして」
学園長は静かに言った。
「君が救ってきたからです」
レオンは黙る。
その時。
扉が小さく開いた。
ユノだった。
まだ毛布を抱えている。
眠そうな顔。
でも、不安そうだった。
「……ルミ姉が」
小さな声。
「うなされてる」
空気が変わる。
リリアーナがすぐ立ち上がる。
「ルミアさんが?」
ユノは頷く。
「怖い夢、見てるみたい……」
レオンは無言で立ち上がろうとした。
「駄目です」
リリアーナが即座に止める。
「安静です」
「様子を見るだけだ」
「座ってください」
「……」
レオンは少し黙る。
ユノが不安そうに見ている。
「……行く」
レオンが言う。
リリアーナが睨む。
「五分だけ」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「信用ならないです!」
アルベルトが笑う。
「でも行くだろ、こいつ」
エリシアも苦笑する。
「ええ。止まりませんわ」
学園長が静かに言った。
「行ってきなさい」
レオンは頷き、病室を出る。
ユノがその後ろを小走りで追う。
リリアーナも当然ついていく。
「わたしも行きます」
「お前は来ると思った」
「はい」
廊下を歩きながら、ユノが小さく呟く。
「……レオン」
「なんだ」
「ルミ姉、最近、怖い夢ばっかり見るんだ」
「実験の夢」
「赤い部屋の夢」
レオンは黙って聞く。
「でも」
ユノは少しだけ顔を上げた。
「昨日、ルミ姉、寝る前に言ってた」
一拍。
「“もう一人じゃない”って」
レオンの足が、ほんの少しだけ止まりかけた。
リリアーナが横を見る。
ユノは続ける。
「だから、たぶん大丈夫」
「でも、まだ怖いから」
「……そばにいてあげて」
その言葉に、レオンは返事をしなかった。
ただ、静かに病室の扉を開ける。
中では。
ルミアが苦しそうに眠っていた。
「やだ……」
小さな声。
「ごめんなさい……」
「いたい……」
夢の中で、まだ地下にいる。
赤眼に囚われたまま。
レオンはベッドの横へ立った。
ルミアの手が震えている。
無意識に何かを掴もうとしていた。
レオンは少しだけ迷い。
それから、その手を軽く握る。
「……っ」
ルミアの震えが少し止まった。
呼吸が、ほんの少しだけ落ち着く。
リリアーナはその光景を見て、静かに目を細めた。
レオンは言葉が少ない。
不器用だ。
でも。
ちゃんと、守ろうとしている。
それが分かる。
ユノが小さく笑った。
「……やっぱり、大丈夫」
窓の外。
朝日はもう高くなり始めていた。
だが。
王都の闇は、まだ深い。
そして。
その闇へ踏み込むための会議が、もうすぐ始まろうとしていた。




