第8話「暁の夜、最初の粛清」
東の塔の夜は静かだった。
王城から切り離され、忘れ去られた孤独の塔。
だが今、その最上階だけは別世界のように灯りがある。
机の上には温かな食事。
磨かれた床。
新しく整えられた寝具。
窓辺には花まで置かれていた。
昨日まで牢獄だった場所とは思えない。
「……何をした」
レオンが部屋へ戻るなり言った。
ミーアは胸を張る。
「掃除と整理整頓と生活改善です」
「数時間で?」
「侍女を舐めてはいけません」
「舐めてはいない」
「では褒めてください」
「調子に乗るだろう」
「もう乗っています」
「自覚あるのか」
ヴァルガが腹を抱えて笑う。
『この侍女つえぇ!』
ルミアは花の横でくるくる回っていた。
『お部屋かわいいです!』
ノワールは壁際で腕を組む。
『以前より人が住む場所になった』
セレネはティーカップを揺らした。
『良いことね』
イグニスだけが机の上で目を閉じている。
『騒がしい』
ミーアは慣れた様子で神霊たちへ一礼した。
「皆様の分の軽食もあります」
『あるの!?』
ルミアが跳ねる。
『侍女、最高です!』
レオンは額へ手を当てた。
「……馴染むのが早いな」
「昔から順応力には自信があります」
「自慢するな」
「はい」
返事だけは完璧だった。
その時。
転移陣が淡く光る。
現れたのは、黒服姿の巨漢。
暁の夜の頭領代行――ガルドンだった。
入った瞬間、彼は床へ額を擦りつける。
「お頭! 本日もご健勝で何よりです!」
「朝だぞ」
「時刻は関係ありません!」
「うるさい」
「失礼しました!」
ミーアが小声で囁く。
「……この人、元黒蛇の牙の頭領ですよね?」
「今は使い走りだ」
「出世と降格が同時ですね……」
ガルドンは地図を広げた。
「ご命令通り、王都裏社会の勢力図をまとめました!」
赤い印が六つ。
「この辺りを牛耳る組織は主に六つ。その中でも最悪なのが――」
太い指が一つを叩く。
「“血爪団”です」
空気が少し変わった。
「人攫い、違法賭博、みかじめ料、孤児売買……なんでもやります」
ミーアの顔色が変わる。
「孤児売買……」
レオンの瞳が冷えた。
「拠点は」
「旧倉庫街の地下闘技場。表向きは荷物保管庫です」
「人数」
「構成員四十。戦闘員二十。幹部三人」
「強いのか」
ガルドンが微妙な顔になる。
「普通の相手には……」
「なるほど」
つまり自分には雑魚ということだ。
レオンは椅子から立ち上がった。
「行くぞ」
「えっ、今からですか!?」
ガルドンが叫ぶ。
「奇襲は夜だろう」
「今は朝です!」
「なら昼襲だ」
「言葉遊びでは!?」
ヴァルガが爆笑する。
『好きだぜそのノリ!』
ミーアが慌てて前へ出る。
「お、お待ちください! 朝食は!?」
「帰ってから食う」
「駄目です」
「何故だ」
「主が空腹で戦うなど侍女が許しません」
「敵が待っている」
「待たせてください」
沈黙。
神霊たちが一斉にミーア側へついた。
『朝食大事』
『大事です!』
『空腹は判断を鈍らせる』
『飯だな』
『……多数決で負けたぞ』
五分後。
レオンはパンとスープを食べさせられていた。
「……納得いかん」
「顔色が良くなりました」
「気のせいだ」
「二杯目どうぞ」
「まだあるのか」
「あります」
ガルドンは正座で待機していた。
「お頭の生活、なんか良いですね……」
「羨ましいか」
「少し」
「黙れ」
朝食後。
全員で旧倉庫街へ向かう。
王都の華やかな中心部から離れた場所。
荷車が行き交い、埃っぽく、労働者たちが忙しく動いている。
その一角に、巨大な倉庫があった。
入口には武装した男が二人。
睨むように近づいてくる。
「止まれ。関係者以外――」
ドゴォッ!!
二人まとめて吹き飛んだ。
「ノックだ」
レオンが手を下ろす。
「雑すぎません!?」
ミーアが叫ぶ。
中へ入る。
暗い倉庫。
木箱が積まれ、奥には地下へ続く階段。
嫌な臭いがした。
血。
汗。
酒。
恐怖。
地下へ降りる。
そこには円形闘技場があった。
観客席。
賭け札。
鉄格子の檻。
そして中央では、痩せた少年が大男と戦わされていた。
観客が笑い、金を投げる。
「立てぇ!」
「死ぬまでやれ!」
「次は女を出せ!」
ミーアが口元を押さえた。
「ひどい……」
レオンの中で何かが切れた。
「イグニス」
『了解』
炎が走る。
観客席の賭け札だけが一瞬で燃え尽きた。
「なっ!?」
「火事だ!」
「違う」
レオンが中央へ降り立つ。
「粛清だ」
闘技場が静まり返る。
奥の豪華席から、赤髪の大男が立ち上がった。
血爪団団長、バルザック。
両腕に鉤爪を装着し、獣のように笑う。
「誰だ、坊や」
「暁の夜だ」
「聞いたことねぇな」
「今から覚えろ」
バルザックが笑いながら飛び降りる。
着地だけで床が揺れた。
「面白ぇ。俺に勝ったら覚えてやるよ!」
鉤爪が振り下ろされる。
速い。
普通の相手なら首が飛ぶ速度。
だがレオンは半歩ずれてかわした。
「遅い」
「は?」
「ヴァルガ」
雷鳴。
次の瞬間、バルザックの巨体が天井へ突き上げられた。
「ごばぁっ!?」
落下。
床へ叩きつけられる。
観客席が騒然となる。
「セレネ」
水流が走る。
逃げようとした構成員たちの足元が凍り、全員転倒した。
「ノワール」
影が広がる。
武器だけを奪い取り、天井へ吊るす。
「ルミア」
『はいっ!』
白い光が檻を砕いた。
中にいた子どもたちが呆然と外を見る。
「……自由だ」
レオンが告げる。
「出ろ」
誰も動けなかった。
信じられないのだ。
こんな地獄が、本当に終わるのか。
ミーアが駆け寄った。
「大丈夫! もう終わりました!」
その声で、子どもたちが泣き出した。
バルザックが血を吐きながら起き上がる。
「てめぇ……!」
レオンは歩み寄る。
静かに。
一歩ずつ。
「選べ」
「……あ?」
「牢に入るか」
左眼の金が光る。
「暁の夜で働くか」
「誰がてめぇなんかに――」
次の瞬間。
鉤爪だけが綺麗に切断されていた。
イグニスの炎刀だった。
気づけばバルザックの喉元には炎の刃。
「もう一度聞く」
沈黙。
数秒後。
巨漢は泣きながら土下座した。
「働かせてください!!」
『早ぇな』
ヴァルガが呆れる。
レオンはため息をついた。
「人攫い禁止」
「はい!」
「賭博縮小」
「はい!」
「孤児保護施設へ金を回せ」
「はい!?」
「返事」
「はい!!」
観客席の悪党たちも次々と土下座していく。
ミーアはその光景を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……レオン様、王様より向いてません?」
「聞こえている」
「失礼しました」
「あとで詳しく話を聞く」
「怒られます?」
「少し」
「少しなら大丈夫です」
レオンは呆れたように息を吐く。
だが口元は、わずかに緩んでいた。
こうして暁の夜は、最初の敵対組織を吸収した。
王都の闇は、静かに塗り替えられていく。
誰にも知られぬまま。
東の塔の主によって。




