第79話「崩落の先へ、無能王子は“帰る場所”を選び続ける」
地下通路が崩れていく。
轟音。
悲鳴みたいな軋み。
石壁が裂け、床が沈み、赤眼の地下施設そのものが崩壊していた。
「急げぇぇぇ!!」
アルベルトの怒鳴り声が響く。
彼は肩へルカを担ぎながら、必死に走っていた。
「重っ……! こいつほんと監察官か!?」
「……聞こえてるぞ」
「意識あんのかよ!?」
「うるさい王子だな……」
「敵に言われたくねぇ!」
そんなやり取りをしながらも、アルベルトはルカを落とさない。
敵だった。
間違いなく敵だった。
人を壊してきた男。
でも。
最後に見た顔が、どうしても“ただの怪物”に見えなかった。
だから、見捨てきれない。
「ったく……」
アルベルトは舌打ちする。
「レオンのせいで調子狂うわ」
前方では、ノワールの影が道を作っていた。
崩れた通路の隙間。
瓦礫の下。
普通なら通れない場所へ、黒い影が橋のように伸びている。
『急いで』
ノワールが振り返る。
『地下、もう限界』
その声と同時に、後方で爆音。
地下深層が完全に潰れ始めていた。
リリアーナが息を呑む。
「っ……!」
結界を張りながら走る。
だが、もう限界が近い。
魔力消費が激しい。
足も重い。
呼吸も苦しい。
それでも止まれない。
レオンが隣を走っているから。
彼が前へ進いているから。
「レイさん!」
リリアーナが叫ぶ。
レオンの右腕から、まだ血が落ちていた。
赤眼の刻印へ直接触れた代償。
火傷。
侵食。
傷は深い。
「本当に大丈夫なんですか!?」
「問題ない」
「だから問題ありますって!」
リリアーナの声は半泣きだった。
レオンは少しだけ眉を寄せる。
「……うるさいな」
「うるさく言います!」
「なんでだ」
「心配だからです!」
即答。
地下通路に、その声が妙に大きく響いた。
レオンの足が、ほんの少しだけ止まりかける。
リリアーナも気づいて、顔が赤くなる。
「っ……い、今のは!」
「分かってる」
「何がですか!?」
「お前がうるさい」
「違います!!」
エリシアが思わず吹き出した。
「ふふっ……」
「エリシア様!?」
「いえ、あまりにもいつも通りでしたので」
彼女も疲れている。
服は裂け、髪も乱れていた。
それでも笑う余裕を失っていない。
それが今の彼女たちの強さだった。
「……でも」
エリシアが静かに言う。
「本当に、戻ってきてくださってよかったですわ」
その言葉。
レオンは少しだけ視線を逸らした。
「約束した」
「ええ」
エリシアは微笑む。
「ちゃんと守りましたわね」
その時だった。
ルミアの身体が、小さく震えた。
「……っ」
エリシアがすぐ支える。
「ルミアさん?」
ルミアは苦しそうに胸を押さえていた。
銀色の光が、また薄く漏れている。
赤黒い翼は消えかけていた。
だが。
代わりに、銀色の光が不安定に揺れている。
『主』
ノワールの声が低くなる。
『この子、まだ安定してない』
「侵食か」
『違う』
『もっと奥』
ルミアが震える。
「……みんな」
掠れた声。
「まだ、下に……」
全員の足が止まりかける。
レオンの目が細くなる。
「何だ」
「まだ、いる……」
ルミアの瞳に涙が浮かぶ。
「閉じ込められてる……」
地下が揺れる。
崩壊が進む。
時間はない。
でも。
ルミアの顔は、助けを求めていた。
リリアーナが息を呑む。
「まだ、生きてる人が……?」
ルミアは弱く頷く。
「……たぶん」
アルベルトが舌打ちする。
「最悪だな……」
「戻りますの?」
エリシアが静かに問う。
誰も答えない。
だが。
全員の視線は、自然とレオンへ向いていた。
レオンは数秒黙る。
崩壊。
負傷。
脱出。
ルカ。
ルミア。
地下の生存者。
全部を同時に抱えている。
普通なら、切り捨てる。
それが合理的だ。
だが。
「……行く」
短い一言。
アルベルトが頭を抱えた。
「だと思ったよ!!」
「反対か」
「するに決まってんだろ!」
「でも行くだろ」
「っ……!」
アルベルトが言葉を詰まらせる。
悔しそうに顔を歪め、それから乱暴に吐き捨てた。
「……行くよ!」
エリシアが小さく笑う。
「もう慣れましたわ」
「慣れたくねぇよ!」
リリアーナはレオンを見る。
その横顔。
無茶ばかりする。
危険な方へ行く。
でも。
それでも助けようとする。
だから怖い。
でも。
だから目を離せない。
「……わたしも行きます」
「分かってる」
「止めないんですか?」
「止めても来るだろ」
リリアーナが少しだけ笑った。
「はい」
レオンは短く息を吐く。
そして、ルカを見る。
「動けるか」
ルカは壁にもたれながら、苦く笑った。
「……私は重傷患者だぞ」
「そうか」
「もっと労れ」
「立てるか」
「話を聞け」
アルベルトが呆れる。
「お前ら会話雑すぎるだろ……」
ルカはゆっくり立ち上がる。
足元はふらついている。
刻印を砕かれた影響か、魔力もかなり不安定だ。
それでも、目だけは少し変わっていた。
監察官の冷たさが、少し剥がれている。
「……案内する」
全員がルカを見る。
「地下第三隔離層」
彼は低く言った。
「そこに、まだ被験者がいる」
ルミアの瞳が揺れる。
「……っ」
ルカは彼女を見た。
少しだけ目を伏せる。
「……すまなかった」
地下通路が静まる。
ルミアは震えていた。
怖い。
苦しい。
思い出したくない。
でも。
ルカの顔を見て、小さく首を振った。
「……わたしも」
掠れた声。
「助けられなかったから……」
ルカの表情が歪む。
彼は視線を逸らした。
その空気を見て、リリアーナは胸が締めつけられる。
誰も完全には救えなかった。
皆、何かを失っている。
でも。
それでも進こうとしている。
レオンは短く言った。
「行くぞ」
誰も反対しなかった。
◇
地下第三隔離層へ続く通路は、さらに酷かった。
崩落。
血痕。
壊れた術式装置。
そして。
壁に残る、爪痕。
リリアーナが顔を青くする。
「これ……」
「暴走体だ」
ルカが答える。
「閉じ込められた被験者は、定期的に暴走する」
淡々とした声。
だが、途中で少し詰まった。
「……処理も、私たちの仕事だった」
アルベルトが奥歯を噛む。
「クソみてぇな仕事だな」
「否定はしない」
「よく平然としてられるな」
「平然じゃない」
ルカは小さく笑った。
「壊れていただけだ」
その答えに、アルベルトは何も言えなくなった。
前を走るレオンは黙っている。
だが、その背中から漂う空気は冷たかった。
王城への怒り。
赤眼への怒り。
名前を奪う連中への怒り。
全部が静かに燃えている。
その時。
地下奥から、小さな音が聞こえた。
カタン。
全員が止まる。
レオンの目が細くなる。
「いるな」
ルカが頷く。
「隔離房だ」
ルミアの身体が震えた。
「……いや」
彼女はレオンの服を掴む。
「こわい……」
レオンは短く答える。
「大丈夫だ」
「……ほんと?」
「ああ」
即答。
その声に、ルミアは少しだけ落ち着いた。
レオンは崩れた扉へ手をかける。
鉄扉。
赤い術式錠。
だが既に半壊している。
ヴァルガが低く言う。
『主』
「何だ」
『中、かなりヤバいぞ』
「分かってる」
レオンは扉を押し開けた。
ギギギ、と嫌な音。
暗闇。
冷気。
血の匂い。
そして。
小さな影が、部屋の隅で震えていた。
子供だった。
十歳前後。
銀髪。
痩せ細った身体。
首輪みたいな術式具。
その瞳は、完全に怯えている。
「っ……!」
子供が後退る。
「くるな……!」
その瞬間。
レオンの後ろで、ルミアが息を呑んだ。
「……ユノ」
小さな声。
子供の目が見開かれる。
「……ルミ、姉?」
地下の空気が止まった。
リリアーナが目を見開く。
「お姉さん……?」
ルミアは震えながら前へ出る。
「ユノ……」
ユノと呼ばれた子供は、怯えたままだった。
だが。
ルミアを見た瞬間、涙が溢れる。
「ルミ姉……!」
その声は。
絶望しかなかった地下の中で、初めて響いた“家族の声”だった。




