第73話「第二の神霊、無能王子は“守るための闇”を解き放つ」
地下深層。
赤い灯火が揺れる。
巨大術式が脈打つ。
天井を埋め尽くす無数の赤杭。
地下そのものが、生き物みたいに唸っていた。
「対象固定」
「崩落術式、起動まで七十秒」
無機質な声。
地下空間全体へ響き渡る。
ゼルヴァは笑っていた。
楽しそうに。
まるで劇場の最前列で、これから始まる悲劇を待っている観客みたいに。
「さぁ見せろ」
「レオンハルト」
「お前は何を選ぶ?」
「仲間か?」
「力か?」
「それとも、また何も守れない絶望か?」
レオンは答えない。
静かに立っていた。
黒雷が足元を走る。
ヴァルガが低く唸る。
『主』
「ああ」
『もう抑えきれねぇぞ』
「分かってる」
『なら』
ヴァルガの巨大な瞳が細くなる。
『解放しろ』
その瞬間。
地下深層の温度が変わった。
冷えた。
いや。
光そのものが薄くなった。
ゼルヴァの笑みが、初めて僅かに揺れる。
「……何だ?」
レオンの背後。
黒い影が広がっていく。
水みたいに。
霧みたいに。
地面を這い、壁を登り、空間そのものを侵食するように。
そして。
闇の中から、二つの光が浮かんだ。
紫銀の瞳。
双子。
少女の姿。
一人は長い黒髪。
一人は白銀の髪。
どちらも人間離れした美しさだった。
だが。
その瞳には感情が薄い。
夜そのものみたいな静けさがあった。
『呼んだ?』
『主』
ノワール。
闇と影を司る神霊。
地下深層が静まり返る。
赤眼の黒装束たちですら、完全に動きを止めていた。
「……二柱目」
ゼルヴァが小さく呟く。
その声に、初めて明確な驚きが混ざる。
「まさか」
「本当に複数契約だと?」
レオンは静かに前を見る。
「お前が望んだんだろ」
低い声。
「見せろって」
ノワールがくすりと笑う。
『ねぇ主』
『壊していい?』
「殺すな」
『えー』
『加減めんどくさい』
ヴァルガが笑った。
『お前はいつも雑なんだよ』
『うるさい筋肉雷虎』
『誰が筋肉だコラ』
ゼルヴァの目が細くなる。
神霊が、会話している。
しかも完全な自我。
ただの召喚ではない。
共存。
対等契約。
あり得ない。
王城の記録にも存在しない。
「……本当に化け物だな」
ゼルヴァが小さく笑う。
だが。
その笑みの奥に、初めて焦りが混ざった。
レオンは一歩前へ出る。
黒雷。
黒影。
風。
闇。
複数の力が混ざり合う。
空間が軋む。
「術式起動まで六十秒」
地下の赤光がさらに強くなる。
ゼルヴァがすぐ後退した。
「止めろ!」
赤眼たちが一斉に動く。
今度は明確だった。
レオンを恐れている。
「対象危険度更新!」
「最上位指定!」
「全戦力集中!」
無数の黒鎖が飛ぶ。
赤杭が射出される。
黒装束たちが同時突撃。
完全制圧。
殺意の奔流。
だが。
『遅い』
ノワールの声が響いた。
次の瞬間。
地下深層の灯火が、一斉に消えた。
「なっ――」
闇。
完全な暗闇。
赤眼たちが一瞬混乱する。
「視界喪失!」
「魔導灯消失!」
「感知術式――」
最後まで言えなかった。
影が動いたから。
ノワールの影。
それは人の形をしていなかった。
獣みたいに。
霧みたいに。
空間そのものを滑る。
そして。
黒装束の背後へ現れる。
『捕まえた』
小さな声。
次の瞬間。
黒装束の身体が影へ沈んだ。
「っ!?!?」
悲鳴。
だが死んではいない。
影拘束。
完全封印。
「うわぁ……」
アルベルトがいれば絶対引いていた。
だが今ここにはいない。
レオンは静かに前へ出る。
ゼルヴァが距離を取る。
その顔から、余裕が少しずつ消えていた。
「面白い」
それでも笑う。
「だが、それで終わりか?」
ゼルヴァが指を鳴らす。
地下空間の壁が開いた。
ゴゴゴゴゴ……。
奥。
暗闇。
そこから現れたのは、人ではなかった。
巨大。
黒い皮膚。
赤い瞳。
無数の術式杭が身体へ突き刺さっている。
まるで、生きた実験体。
「……何だあれ」
レオンの目が細くなる。
ゼルヴァが笑う。
「失敗作だ」
一拍。
「神霊適合実験のな」
空気が止まる。
ヴァルガの目が変わった。
『……は?』
ノワールも笑みを消す。
『主』
「ああ」
レオンの声が低くなる。
「今、何て言った」
ゼルヴァは楽しそうだった。
「王城は研究している」
「神霊」
「契約」
「適合」
「人への移植」
「お前みたいな存在を量産できないかをな」
その瞬間。
レオンの黒雷が爆ぜた。
地下全体が揺れる。
空気が裂ける。
ゼルヴァの頬から、笑みが少し消えた。
「……怒ったか?」
「当然だろ」
レオンの声は低かった。
「人を何だと思ってる」
「器だよ」
ゼルヴァは即答した。
「王城にとって、人間は駒だ」
「使えるか」
「使えないか」
「壊れるか」
「壊れないか」
「それだけだ」
レオンの拳が鳴る。
東の塔。
思い出す。
期待されなくなった瞬間。
視線が変わった。
不要品を見る目。
あの感覚。
そして今。
王城はさらに先へ進んでいる。
人を実験材料にして。
神霊を利用しようとしている。
『主』
ヴァルガが低く言う。
『俺、あいつ嫌い』
『私も』
ノワールの声も冷たい。
レオンは静かに息を吐いた。
「……そうか」
そして。
一歩前へ出る。
その瞬間。
地下深層の空気が変わった。
圧。
重力みたいな威圧。
赤眼たちが思わず後退る。
ゼルヴァの目が細くなる。
「来るか」
「行く」
レオンは短く答えた。
次の瞬間。
黒雷と黒影が、同時に地下深層を駆け抜けた。
轟音。
石床崩壊。
黒装束が吹き飛ぶ。
ノワールの影が空間を裂き。
ヴァルガの雷が敵を薙ぎ払う。
レオン自身も、一直線にゼルヴァへ踏み込んだ。
ゼルヴァが笑う。
「良い!」
「その怒りだ!」
黒い術式鎧が展開される。
だが。
レオンは止まらない。
「お前」
拳。
「本当に」
蹴り。
「気に入らない」
黒雷が爆ぜた。
ゼルヴァの術式鎧へ、初めて亀裂が走る。
その瞬間。
地下深層全体へ、再び機械音声が響いた。
「術式起動まで三十秒」
赤い杭が、さらに強く光り始めた。
ヴァルガが舌打ちする。
『主!』
「分かってる!」
時間がない。
ゼルヴァを倒す。
術式を止める。
仲間を探す。
全部やらなければならない。
だが。
ゼルヴァは笑っていた。
「間に合うと思うか?」
「お前一人で」
レオンの目が冷える。
その時だった。
通信具から、ノイズ混じりの声が響く。
『……聞こえますか』
リリアーナだった。
地下のどこか。
別区画。
息が乱れている。
『レイさん……!』
その声を聞いた瞬間。
レオンの空気が変わった。
ゼルヴァが笑う。
「ほら来た」
「守りたい声だ」
「どうする?」
レオンは静かに通信具へ触れる。
「無事か」
『はい……!』
『でも、こっちにも敵が……!』
後ろで戦闘音。
エリシアの風。
アルベルトの怒鳴り声。
リリアーナの結界音。
皆、別区画で戦っている。
だが。
生きている。
レオンは小さく息を吐いた。
その瞬間。
ほんの少しだけ。
張り詰めていたものが緩む。
ゼルヴァはそれを見逃さない。
「安心したか?」
「良かったな」
「まだ壊れてなくて」
その言葉。
その瞬間。
レオンの黒雷が、さらに濃くなった。
金の瞳が、完全にゼルヴァを捉える。
「……訂正する」
低い声。
「お前」
一拍。
「かなり嫌いだ」
地下深層を、黒雷が埋め尽くした。




