第69話「旧貴族倉庫街、無能王子は王城の“腐った底”へ踏み込む」
翌日。
空はまだ曇っていた。
朝から重い雲が王都を覆っている。
雨こそ降っていない。
だが、空気が湿っていた。
嫌な静けさだった。
学園中央塔、会議室。
「では確認します」
カティアが机へ地図を広げる。
「今回の調査対象は、王都東区画――旧貴族倉庫街」
古い石造りの街区。
かつて王城直属貴族が物流管理に使っていた場所。
だが現在は衰退。
正式管理者も曖昧。
表向きには半廃棄区域。
しかし実際には、裏組織や闇商人が潜る温床になっている。
「赤眼の中継拠点候補は三箇所」
カティアが地図へ印をつける。
「第一倉庫区画」
「地下水路跡」
「旧税管理塔」
エリシアが腕を組む。
「地下水路が怪しいですわね」
「同感です」
ミーアも頷いた。
「転移痕の魔力残滓が、一番濃く残っていたのはこの周辺です」
レオンは地図を見下ろす。
静かだった。
だが目は鋭い。
アルベルトが椅子へだらしなく座りながら言う。
「で、どう動く?」
「三班に分けます」
カティアが即答した。
「まず私と警備教師二名が表側から調査」
「エリシアさんは貴族街側の情報整理」
「ミーアさんは裏経路監視」
「そして」
一拍。
「代表たちは地下水路へ」
リリアーナが小さく息を呑む。
地下水路。
完全に危険区域だ。
レオンは短く頷く。
「分かった」
「いや待て」
アルベルトが顔を上げる。
「なんで普通に決まってんだよ」
「危険だからです」
カティアが淡々と言う。
「最も戦力が必要な場所でしょう?」
「まぁそうだけど……」
「それに」
カティアの目が細くなる。
「代表が別行動すると、勝手に突っ込みそうですので」
沈黙。
レオンが視線を逸らす。
エリシアが小さく笑った。
「否定できませんわね」
「できる」
「無理です」
「代表」
「何だ」
「実績があります」
アルベルトが吹き出した。
「ははっ、完全に信用ゼロじゃねぇか」
「うるさい」
リリアーナも少しだけ笑う。
緊張している。
でも、そのやり取りで少しだけ肩の力が抜けた。
その時だった。
コン、と扉が鳴る。
「入れ」
学園長だった。
穏やかな顔。
だが、その目はかなり真剣だ。
「皆さん、少しよろしいですか」
空気が締まる。
学園長はゆっくり会議室へ入り、机へ一通の封筒を置いた。
黒い封蝋。
王城紋章。
嫌な予感しかしない。
「今朝、王城から届きました」
アルベルトが顔をしかめる。
「うわ……」
エリシアが封蝋を見る。
「……正式書簡ですわね」
「内容は?」
レオンが問う。
学園長は少しだけ間を置いた。
「レオンハルト・フォン・アルディアの身柄引き渡し要請です」
会議室の空気が凍った。
リリアーナの顔色が変わる。
「なっ……!?」
アルベルトが机を叩く。
「ふざけんな!!」
「落ち着きなさい」
エリシアが即座に止める。
だが、彼女自身も目が冷えていた。
「理由は?」
カティアが問う。
学園長は静かに答える。
「“危険戦力認定による保護管理”」
「……最低ですわね」
エリシアが吐き捨てる。
「完全に拘束名目です」
「王城らしいな」
レオンは静かだった。
だが。
リリアーナはその横顔を見ていた。
昔を思い出している。
東の塔。
閉じ込められた日々。
また奪われる。
また閉じ込められる。
きっと、その記憶が少し蘇っている。
「もちろん拒否しました」
学園長が続ける。
「現時点で、学園側に引き渡す理由はないと」
アルベルトが少し息を吐く。
「……だよな」
「ですが」
学園長の声が低くなる。
「向こうも、これで終わる気はありません」
沈黙。
重い空気。
その時。
レオンがぽつりと呟いた。
「……来るな」
「え?」
リリアーナが顔を上げる。
「地下水路だ」
レオンは短く言う。
「今回は来るな」
空気が止まる。
リリアーナの顔が固まった。
「な、なんでですか」
「危険だ」
「それは前からです!」
「今回は違う」
レオンの声が少し低くなる。
「赤眼が本気で動いてる」
「だからです!」
リリアーナが思わず叫ぶ。
全員が見る。
彼女は震えていた。
怖い。
でも、それ以上に。
置いていかれる方が嫌だった。
「また一人で抱えるつもりですか!?」
「抱えない」
「嘘です!」
「……」
「レイさん、危ない時ほど一人で行こうとするじゃないですか!」
レオンが言葉を詰まらせる。
図星だった。
エリシアが静かにため息を吐く。
「レイ様」
「何だ」
「わたくしたち、そこまで信用ありませんの?」
「そういう話じゃない」
「ではどういう話です?」
レオンは少し黙る。
答えがまとまらない。
危険だから。
巻き込みたくないから。
傷ついてほしくないから。
でも。
それを言えば、また同じ顔をされる気がした。
リリアーナが静かに言う。
「わたし、怖いです」
小さな声。
「でも」
顔を上げる。
「レイさんが一人で行く方が、もっと怖い」
その言葉が、胸へ刺さる。
レオンは返事ができなかった。
アルベルトが頭をかく。
「……まぁ、俺も気持ちは分かる」
「お前もか」
「だってお前、絶対無茶するだろ」
「しない」
「昨日の路地見てから言え」
反論できなかった。
エリシアが扇子を閉じる。
「結論ですわ」
一拍。
「全員で行きます」
「却下」
「却下を却下します」
「意味が分からん」
「分からなくて結構ですわ」
リリアーナも頷く。
「行きます」
「危険だ」
「知ってます」
「死ぬかもしれない」
「レイさんもです」
「……」
「だから、一緒に行きます」
真っ直ぐな目だった。
逃げない目。
レオンはしばらく黙っていた。
会議室も静かだった。
誰も急かさない。
その沈黙の後。
レオンは小さく息を吐く。
「……分かった」
リリアーナの表情が少し明るくなる。
エリシアも小さく笑う。
アルベルトは「やっとか」みたいな顔をした。
レオンは続ける。
「でも条件がある」
「何ですの?」
「無理はするな」
「それは貴方ですわ」
「代表ですね」
「お前だな」
三方向から即座に返ってきた。
レオンが黙る。
アルベルトが吹き出した。
「完全包囲で草」
「意味が分からん」
「最近そればっかだな」
少しだけ空気が軽くなる。
だが。
ミーアだけは真剣だった。
「レオン様」
「何だ」
「地下水路ですが」
「恐らく、かなり深いです」
「深い?」
「ええ」
ミーアは地図の下層部分を指差す。
「旧王都地下道へ繋がっている可能性があります」
エリシアの顔が変わる。
「……旧地下道」
「知ってるのか?」
アルベルトが問う。
「王都建国初期の避難兼搬送経路ですわ」
エリシアが低く言う。
「ですが百年以上前に封鎖されたはず」
「表向きは、です」
ミーアが続ける。
「裏側では、今も密輸や闇取引に使われています」
「そして」
一拍。
「王城裏部隊も」
会議室が静まり返る。
レオンは静かに地図を見る。
王都の地下。
王城の闇。
そして赤眼。
ようやく繋がり始めている。
「……面倒だな」
小さく呟く。
だが。
その目はもう逸れていなかった。
学園を出る準備が始まる。
剣。
術式。
通信具。
結界札。
そして。
それぞれの覚悟。
誰も口には出さない。
でも皆、分かっていた。
ここから先は。
もう学園内の小競り合いでは終わらない。
王城の闇へ。
直接踏み込む戦いになる。
そして同時に。
王城側もまた、動いていた。
王都中央。
地下深層。
薄暗い石造りの空間。
そこでは、一人の男が静かに目を閉じていた。
黒衣。
長い銀髪。
片目には赤い刻印。
彼の前には、黒い鳥が止まっている。
『対象、警告確認』
『対象、“こちらから行く”と発言』
男は静かに笑った。
「……面白い」
低い声。
「東の塔の壊れた王子が」
一拍。
「ようやく牙を向けてきたか」
その赤い目が、ゆっくり開く。
「なら試そう」
冷たい笑み。
「どこまで壊れずにいられるのかを」
地下空間に、不気味な笑い声が響いた。




