第65話「王城の影、無能王子は“奪われる側”を終わらせる」
夜。
学園中央塔、最上階。
窓の外では、雨が降り始めていた。
静かな雨だった。
だが、その音が逆に学園の不穏さを際立たせている。
部屋の中では、明かりだけが揺れていた。
「……つまり」
エリシアが机へ資料を置く。
「完全に“学園内部崩し”へ移行した可能性が高いですわね」
机には複数の紙が並んでいた。
生徒間対立記録。
匿名の中傷文。
王城寄り貴族家系一覧。
そして。
今日、西門で騒ぎを起こしたダリオ・メルグレンに関する調査資料。
カティアが腕を組む。
「本人は“知らない”の一点張りです」
「ですが、数日前から接触していた人物がいます」
「誰だ」
アルベルトが問う。
カティアは資料を一枚抜き出した。
「学園外部商人」
「ただし身元が曖昧です」
エリシアが小さく息を吐く。
「十中八九、王城側の工作員ですわね」
「やっぱそうなるか……」
アルベルトが眉をしかめる。
レオンは窓際に立ったまま、外を見ていた。
黒い夜空。
雨。
遠くで雷が鳴っている。
「代表」
カティアが呼ぶ。
「何だ」
「今日の件、どう思いますか」
レオンは少しだけ黙った。
「……早い」
「何がだ」
「動きが」
振り返る。
「クロードが帰った直後に、学園内対立が始まった」
「偶然にしては出来すぎている」
カティアが頷く。
「同意です」
「しかも、狙いがかなり悪質ですわ」
エリシアが続ける。
「レイ様を直接攻撃するのではなく、“周囲”を壊そうとしている」
重い空気。
リリアーナが不安そうに俯く。
「……わたしたちのせいで、皆が喧嘩するの嫌です」
「お前たちのせいじゃない」
レオンが即答する。
リリアーナが顔を上げる。
「でも……」
「悪いのは仕掛けた側だ」
短い。
だが迷いがない。
その言葉に、リリアーナは少しだけ肩の力を抜いた。
エリシアが扇子を揺らしながら言う。
「ですが、問題はここからですわね」
「今後、“レイ様支持派”はさらに増えるでしょう」
「逆に、“危険視派”も強くなる」
「学園が割れる可能性がありますわ」
アルベルトが舌打ちした。
「めんどくせぇ……」
「実際面倒です」
カティアが即答した。
「しかも、生徒だけでは終わりません」
「保護者、貴族家、王都議会まで波及する可能性があります」
アルベルトが頭を抱える。
「うわぁ……」
「逃げたくなりました?」
「ちょっとだけ」
「殿下」
「冗談だって!」
だが。
半分本音だった。
剣で戦う方がまだ楽だ。
政治は面倒すぎる。
その時だった。
コン、と窓が鳴る。
全員の空気が変わる。
レオンだけが小さく息を吐いた。
「……入れ」
窓が静かに開く。
雨風と共に、黒い影が滑り込んできた。
ミーアだった。
全身が少し濡れている。
かなり急いで来たのだろう。
「ミーアさん!」
リリアーナが立ち上がる。
ミーアは軽く一礼し、そのままレオンを見る。
「……来ました」
「何がだ」
「暁の夜の情報網に引っかかりました」
部屋の空気が、一気に冷える。
ミーアは濡れた髪を払う。
「王城側、次の手を準備しています」
エリシアが目を細める。
「内容は」
「学園外での“事故”です」
沈黙。
アルベルトが顔をしかめる。
「事故?」
「ええ」
ミーアの声が低くなる。
「レオン様支持派生徒への襲撃計画」
リリアーナの顔色が変わった。
「なっ……!」
「表向きは“ただの揉め事”として処理するつもりでしょう」
エリシアの目が鋭くなる。
「最悪ですわね」
「目的は二つ」
ミーアは続ける。
「支持派へ恐怖を与えること」
「そして」
一拍。
「“レイ・ノクトと関わると危険”という空気を作ることです」
レオンの空気が変わった。
静かだった。
だが。
部屋の温度が少し下がった気がした。
「……どこだ」
短い声。
ミーアはすぐ答える。
「東区画、旧訓練路地」
「明日の放課後」
アルベルトが立ち上がる。
「待てよ、それ完全に罠だろ」
「ええ」
エリシアも頷く。
「ですが放置はできませんわ」
リリアーナが不安そうにレオンを見る。
「レイさん……」
レオンは黙ったまま、窓の外を見る。
雨が強くなっていた。
昔なら。
東の塔にいた頃なら。
きっと切り捨てていた。
関わるな。
近づくな。
危険なら離れろ。
そう考えていた。
でも今は違う。
「……嫌なんだ」
ぽつりと呟く。
全員が見る。
レオンは静かに続けた。
「俺のせいで、誰かが傷つくの」
リリアーナの胸が締め付けられる。
エリシアは目を伏せた。
アルベルトは黙る。
ミーアだけが、静かにレオンを見ている。
「昔は、諦めてた」
レオンの声は低い。
「どうせ奪われるって」
「どうせ壊れるって」
「だから何も持たなかった」
雨音だけが響く。
「でも今は違う」
ゆっくり振り返る。
その金の瞳には、静かな怒りが宿っていた。
「ようやく手に入れた」
一拍。
「だからもう、奪わせない」
部屋の空気が変わる。
リリアーナが息を呑む。
エリシアの鼓動が少し早くなる。
アルベルトは、悔しそうに笑った。
「……ほんと、主人公みてぇなこと言うな」
「意味が分からん」
「そこまで含めてだよ!」
少しだけ空気が緩む。
だが。
ミーアだけは、真剣だった。
「レオン様」
「何だ」
「今回は、“止めるだけ”では済まないかもしれません」
その言葉に、部屋が静まる。
ミーアは続ける。
「相手は恐らく、王城直属ではありません」
「裏側です」
エリシアの顔が険しくなる。
「……粛清部隊系統」
「可能性が高いです」
アルベルトが眉を寄せた。
「なんだそれ」
レオンが静かに答える。
「王城の汚れ仕事専門」
アルベルトの顔色が変わる。
「おい待て、それって……」
「ああ」
レオンの目が冷える。
「本気で潰しに来てる」
沈黙。
リリアーナが小さく震える。
怖い。
でも。
逃げたくなかった。
「わ、わたしも行きます」
レオンが即座に見る。
「駄目だ」
「でも!」
「危険だ」
「レイさんだけ危険なのは嫌です!」
強い声。
以前なら言えなかった。
レオンが少し黙る。
エリシアが扇子を閉じた。
「わたくしも同行しますわ」
「お前も危険だ」
「今更です」
アルベルトも笑う。
「当然俺も行く」
「お前は止めても来るな」
「分かってるなら聞くな」
ミーアが小さく息を吐いた。
「……本当に変わりましたね」
「何がだ」
「昔のレオン様なら、“来るな”だけでした」
レオンは答えない。
否定もしない。
それが答えだった。
ミーアは少しだけ微笑む。
「ですが」
その目が鋭くなる。
「今回は油断しないでください」
「相手は、“事故”に見せることに慣れています」
雨が窓を叩く。
夜は深い。
そして。
王城の闇もまた、静かに動き始めていた。
翌日。
旧訓練路地。
そこで、“次の襲撃”が始まろうとしている。




