第64話「割れる学園、無能王子は支持という名の火種を見る」
西門付近。
学園の空気は、明らかに変わっていた。
北棟襲撃。
王城審問。
レイ・ノクトの正体。
元第一王子、レオンハルト・フォン・アルディア。
その名は、すでに学園中へ広がり始めていた。
誰が最初に漏らしたのか。
教師か。
王城側か。
それとも、審問の場にいた誰かの不用意な言葉か。
今となっては、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、もう止まらないということだった。
「だから言ってるだろ! レイ代表がいなかったら北棟は終わってたんだ!」
「それは分かる! でも元王子だぞ!? しかも王城が危険視してる相手だ!」
「王城が正しいって誰が決めたんだよ!」
「お前、今の発言まずいぞ!」
西門前の広場には、生徒たちが集まっていた。
最初は数人だった。
北棟で助けられた生徒たちが、レオンを庇うように話し始めた。
そこへ、貴族生徒が反論した。
さらに、平民生徒が加わった。
そして今。
小さな口論は、学園内の立場を巻き込んだ対立へ変わりつつあった。
「元第一王子だろうが何だろうが、助けてくれた事実は変わらない!」
「だが王城に逆らうのか? この学園ごと睨まれるぞ!」
「もう襲われてるだろ! 先に手を出したのは王城側じゃないか!」
「証拠が完全に出たわけではない!」
「じゃあ北棟のあれは何だったんだよ!」
声が大きくなる。
感情が熱を持つ。
誰かが止めなければ、すぐに殴り合いへ発展しそうな空気だった。
その場に、まず駆けつけたのはカティアだった。
「全員、静かに」
よく通る声。
だが、今回はすぐには収まらなかった。
「先生! レイ代表を王城に渡すんですか!?」
「渡すわけないですよね!」
「でも危険人物扱いなんですよね!?」
「本当に元王子なんですか!?」
質問が飛ぶ。
怒り。
不安。
好奇心。
感謝。
恐怖。
全部が混ざっている。
カティアは一瞬だけ目を細めた。
これは単なる喧嘩ではない。
学園の中に、すでに火種が置かれている。
誰かが意図的に煽っている可能性が高い。
「質問は後です」
カティアは声を強める。
「今ここで感情的に言い争っても、誰のためにもなりません」
「でも先生!」
「先生たちは隠してるんじゃないんですか!?」
「レイ代表が元王子だって本当なら、ちゃんと説明してください!」
生徒の一人が叫ぶ。
それをきっかけに、またざわめきが膨らんだ。
その時。
「随分と騒がしいですわね」
凛とした声が、広場へ落ちた。
エリシアだった。
制服姿ではあるが、立ち姿だけで場の空気が変わる。
公爵令嬢。
学年上位者。
そして、レイ・ノクトの近くにいる人物。
その存在感は、こういう場では強い。
「エリシア様……」
「ちょうどいいですわ」
エリシアは扇子を開く。
だが表情は笑っていない。
「言いたいことがあるなら、順番に言いなさい」
一拍。
「ただし、根拠のない噂で誰かを侮辱するなら、わたくしが相手になります」
空気が少し冷えた。
貴族生徒たちが、さすがに言葉を飲む。
その隣で、アルベルトが舌打ち混じりに歩いてきた。
「お前ら、王城だの元王子だの、うるせぇんだよ」
その声に、生徒たちがさらに静まる。
第二王子。
王城側の人間。
その彼が、今この場に来た。
「アルベルト殿下……」
「殿下は、どうお考えなんですか」
「レイ代表は、本当に……」
「知るか」
即答だった。
生徒たちが固まる。
エリシアが横目で睨む。
「殿下」
「分かってる」
アルベルトは頭をかく。
「言い方が悪かった。……あいつが何者かなんて、俺が勝手に決めることじゃない」
珍しく、言葉を選んでいた。
「ただ一つ言えるのは」
アルベルトは広場を見渡す。
「北棟で俺たちを助けたのは、レイ・ノクトだ」
生徒たちが息を呑む。
「それは俺が見た」
「王族としてじゃない」
「同じ場所にいた生徒としてだ」
アルベルトの声は、不器用だった。
だが嘘はなかった。
「だから、勝手に危険だの何だの決めつけるな」
その言葉に、レオン支持派の生徒たちが少し表情を明るくする。
だが、危険視派の貴族生徒の一人が声を上げた。
「ですが殿下!」
「王城が動いている以上、何か問題があるのは確かではありませんか!」
「王城の判断を疑うのですか!」
アルベルトの顔が一瞬歪む。
王城。
父。
国王。
その言葉は、まだ彼にとって重い。
だが。
「疑う」
言った。
広場が完全に静まり返る。
アルベルト自身も、言った後で少しだけ目を見開いた。
けれど、引っ込めなかった。
「俺は疑う」
もう一度、言う。
「王城がいつも正しいなんて、誰が決めた」
その言葉は、第二王子としては危険すぎるものだった。
エリシアが目を細める。
カティアも黙っていた。
ここで止めれば、アルベルトの成長を折る。
だから止めない。
「少なくとも、学園を襲わせた連中は間違ってる」
アルベルトは拳を握る。
「俺は、あれを正しいとは思わない」
その瞬間。
リリアーナが広場へ駆け込んできた。
「皆さん!」
息が上がっている。
それでも、前へ出る。
「お願いします、争わないでください!」
声は大きくない。
だが、必死だった。
「レイさんを心配してくれるのも、怖いと思うのも、どちらも分かります」
リリアーナは胸に手を当てる。
「わたしも怖いです」
正直な言葉。
「王城も怖いです」
「レイさんが無茶をするのも怖いです」
「また誰かが傷つくかもしれないのも怖いです」
でも、と彼女は続けた。
「だからって、生徒同士で争うのは違います」
その声には、震えがあった。
でも、逃げていなかった。
「レイさんが守った場所を、わたしたちが壊したら駄目です」
その一言で、空気が揺れた。
北棟で助けられた生徒たちが、顔を伏せる。
貴族生徒たちも、すぐには反論できない。
エリシアが小さく息を吐いた。
「……本当に強くなりましたわね」
「え?」
「何でもありません」
その時だった。
広場の端で、一人の男子生徒が笑った。
小さい。
だが妙に耳に残る笑いだった。
「綺麗事だな」
空気が変わる。
全員の視線がそちらへ向く。
中級貴族の男子生徒。
名前はダリオ・メルグレン。
学園内ではそれなりに知られた存在だった。
成績は上位ではないが、家柄で人を従えるタイプ。
彼はわざとらしく肩をすくめる。
「助けられたから信じる?」
「怖いけど争わない?」
「まるで物語の主人公みたいな言い分だ」
リリアーナの顔が強張る。
ダリオはさらに続けた。
「でも忘れていないか?」
「あの男は、王城が危険視する存在だ」
「しかも元第一王子」
「魔力ゼロで追放されたはずの無能が、突然化け物みたいな力を持って戻ってきた」
一拍。
「それを普通だと思う方がおかしい」
ざわめきが戻る。
嫌な言葉だった。
人の不安を、正確に突いている。
カティアが口を開こうとする。
だが、その前に。
「……言いたいことはそれだけか」
低い声が響いた。
全員が振り返る。
レオンがいた。
いつの間に来たのか。
黒い外套は羽織っていない。
制服姿。
右腕には包帯。
それでも、その場の誰よりも静かで、誰よりも重い存在感を放っていた。
「レ、レイ代表……」
「代表……」
広場がざわつく。
レオンはその全てを無視して、ダリオだけを見る。
ダリオは一瞬怯んだ。
だが、周囲の目があるせいか、後には引かなかった。
「来たか、元王子様」
挑発。
エリシアの目が鋭くなる。
アルベルトが一歩出ようとする。
だがレオンが手で制した。
「続けろ」
「何?」
「言いたいんだろう」
レオンは静かに言う。
「無能」
「化け物」
「危険」
「王城に引き渡せ」
淡々と並べる。
ダリオの顔が少し歪む。
「……自覚はあるようだな」
「ああ」
レオンは否定しない。
「俺は魔力ゼロだった」
広場が静まる。
「王城に捨てられた」
「東の塔に幽閉された」
「無能王子と呼ばれた」
言葉は静かだった。
だが重い。
「それは事実だ」
リリアーナが胸を押さえる。
自分で言っているのに。
レオンの声は揺れない。
それが逆に痛かった。
「だが」
レオンは一歩前へ出る。
「北棟で生徒を傷つけたのは俺じゃない」
空気が変わる。
「結界炉を暴走させたのも俺じゃない」
「学園へ武装して入ったのも俺じゃない」
「お前たちを煽っているのも、俺じゃない」
ダリオの肩がわずかに跳ねた。
レオンの目が細くなる。
「誰に言われた」
広場が凍る。
ダリオの顔色が変わった。
「な、何の話だ」
「言葉が整いすぎている」
レオンは静かに言う。
「お前の頭で考えた言葉じゃない」
「っ……!」
周囲がざわつく。
エリシアが目を細めた。
アルベルトも気づく。
リリアーナも息を呑んだ。
レオンはもう一歩近づく。
「誰に吹き込まれた」
「し、知らない!」
「そうか」
レオンはそれ以上追い詰めなかった。
代わりに、広場全体を見る。
「勘違いするな」
静かな声。
「俺を庇うために争うな」
支持派の生徒たちが固まる。
「危険だと思うなら、そう思っていい」
「怖いなら怖がれ」
「無能王子と呼びたいなら呼べ」
リリアーナが顔を上げる。
レオンは続ける。
「だが」
一拍。
「この学園を壊すな」
短い言葉。
でも、それだけで十分だった。
「俺が守った場所を、お前たちが壊すな」
広場は完全に静まり返った。
怒鳴っていない。
威圧していない。
ただ、言葉だけ。
なのに、誰も逆らえない。
それは命令ではなく、願いに近かった。
リリアーナの目に、また涙が浮かぶ。
エリシアは扇子を静かに閉じた。
アルベルトは何も言わず、ただ拳を握った。
カティアが一歩前へ出る。
「全員、解散」
今度は誰も逆らわなかった。
「この件については、学園側で調査します」
「不用意な噂の拡散、扇動行為は処罰対象です」
生徒たちは少しずつ散っていく。
だが、全員の顔に何かが残っていた。
恐れ。
迷い。
そして、ほんの少しの納得。
ダリオだけは、青い顔のまま立ち尽くしていた。
レオンは彼へ近づく。
「安心しろ」
「……何が」
「今は何もしない」
ダリオが息を呑む。
「でも」
レオンの声が低くなる。
「次に誰かを煽れば、止める」
それだけ言って、背を向けた。
ダリオは膝から崩れ落ちそうになった。
その少し離れた塔の屋根。
黒い鳥が、じっとその光景を見ていた。
そして。
小さく嘴を開く。
『対象、支持拡大』
『内部扇動、一次失敗』
『次段階へ移行推奨』
誰にも聞こえない声。
その声は、遠く王都の闇へ消えていった。
学園の対立は、一度収まった。
だが。
王城の手は、すでに次の策へ移っていた。




