第61話「暴かれた王子、無能王子は“もう逃げない”と前を向く」
大会議室。
空気は、完全に凍りついていた。
「……レオンハルト殿下」
王城審問官クロード・ヴェルナーは、穏やかな笑みを浮かべたままそう言った。
柔らかい声。
丁寧な口調。
だが。
その一言だけで、会議室全体を支配するには十分だった。
リリアーナの顔色が変わる。
「れ、レオン……ハルト……?」
小さな声。
隣ではエリシアが静かに目を細めていた。
驚いていない。
だが警戒が一気に強まっている。
アルベルトは椅子の肘掛けを強く掴んでいた。
「てめぇ……」
低い声。
怒気が混じる。
だがクロードは全く動じない。
「おや」
微笑んだまま視線を向ける。
「第二王子殿下、本日は随分とお元気そうで」
「質問に答えろ」
「何についてでしょう?」
「わざと今言ったな」
アルベルトの視線が鋭くなる。
「この場で、“レオンハルト”って名前を出した理由だ」
クロードは小さく肩をすくめた。
「事実確認ですよ」
「ふざけるな」
「ふざけておりません」
笑顔のまま。
だが目だけが冷たい。
「重要参考人の身元確認は当然でしょう?」
その言葉に、会議室の空気がさらに重くなる。
王城側護衛たちは完全武装。
教師陣も緊張している。
そして、生徒側。
リリアーナだけが、まだ混乱していた。
彼女はレオンを見る。
黒い外套。
静かな金の瞳。
変わらない。
でも。
今、審問官は確かに言った。
レオンハルト殿下。
王子。
王城。
頭の中で、点が繋がり始める。
「……レイさん」
小さく呼ぶ。
「本当、なんですか」
レオンはすぐには答えなかった。
クロードはそれを見て、ゆっくりと席へ腰掛ける。
「否定されませんか」
「必要ない」
レオンが静かに答える。
「事実だ」
会議室が止まる。
リリアーナの呼吸が止まりそうになる。
「……え」
「俺はレオンハルト・フォン・アルディア」
短く。
淡々と。
「元第一王子だ」
その瞬間。
リリアーナの中で、色々なものが繋がった。
圧倒的な力。
王城からの異常な執着。
アルベルトとの妙な距離感。
エリシアが最初から知っていたこと。
全部。
全部。
でも。
リリアーナが最初に思ったのは。
「……だから、一人だったんですね」
だった。
会議室が静まる。
クロードですら、一瞬だけ表情を止める。
レオンがリリアーナを見る。
彼女は泣きそうな顔をしていた。
「王子だから」
「失敗できなくて」
「弱いって言われて」
「追い出されて」
声が震える。
「だから、誰も頼れなかったんですね」
レオンは何も言わない。
否定もしない。
それが答えだった。
リリアーナは唇を噛む。
胸が痛い。
この人は、ずっと一人だった。
自分なんかより、ずっと。
クロードが小さく咳払いした。
「感動的なお話の途中申し訳ありませんが」
空気が変わる。
穏やかな笑み。
だが。
完全に流れを断ち切りに来ている。
「本日は過去を懐かしむ場ではありません」
「では何だ」
レオンが問う。
クロードは書類を机へ置く。
「北棟襲撃事件に関する審問です」
「まず確認しましょう」
一枚目を開く。
「学園北棟地下にて、異常高濃度魔力反応を確認」
「同時に、複数の証言により“レイ・ノクト”が現場中心に存在したことが確認されています」
クロードが顔を上げる。
「間違いありませんね?」
「ああ」
レオンは即答した。
カティアが少し眉を寄せる。
普通ならもう少し言葉を選ぶ。
だがレオンはそういう男ではない。
クロードは笑みを深くした。
「さらに」
「地下結界炉の異常停止」
「王城特務局員リヒト・ヴァルディアの制圧」
「多数の武装者の戦闘不能化」
「これらも貴方が行った?」
「ああ」
「つまり」
クロードが指を組む。
「貴方一人が、学園内で極めて大規模な戦闘行為を行ったと」
誘導。
言葉の罠。
エリシアがすぐ口を開く。
「前提がおかしいですわね」
クロードが視線を向ける。
「ほう?」
「“襲撃された側”と、“襲撃した側”を混同していますわ」
エリシアは静かだった。
だが声に迷いはない。
「王城特務局員が学園内へ侵入した事実は既に確認済み」
「武装、破壊行為、結界炉干渉も証拠があります」
クロードは微笑む。
「証拠、ですか」
「ええ」
「ですが、それらが“王城正式命令”であった証明は?」
エリシアの目が細くなる。
「何を仰りたいんですの?」
「簡単です」
クロードは穏やかに続ける。
「暴走した特務局員が独断行動を行った可能性」
「もしくは」
一拍。
「レイ・ノクト本人が、事件を拡大させた可能性です」
空気が冷えた。
リリアーナが立ち上がる。
「違います!」
会議室中の視線が集まる。
だが彼女は止まらない。
「レイさんは、助けてくれました!」
「北棟で、生徒を守って!」
「結界炉も止めて!」
「もしレイさんがいなかったら、もっと酷いことになってました!」
クロードは静かに彼女を見る。
「お名前を」
「……リリアーナ・ヴァイスです」
「なるほど」
クロードは書類へ何かを書き込む。
「レイ・ノクトと親しい関係性」
「擁護証言に強い私情混入あり、と」
リリアーナの顔が強張る。
「ち、違っ……!」
「感情論は結構です」
穏やかな声。
なのに、冷たい。
「証拠をお願いします」
リリアーナが言葉を失う。
怖い。
目の前の男は怒鳴らない。
笑っている。
なのに、会話が通じない。
レオンの目が少し細くなる。
クロードはそれを見逃さなかった。
「おや」
「怒っていますか?」
「別に」
「そうですか」
クロードが笑う。
「ですが、元第一王子殿下ともあろう方が、随分と短気になられた」
挑発。
完全に。
アルベルトが立ち上がりかける。
「てめぇ――」
「座れ」
レオンが止めた。
アルベルトが歯を食いしばる。
「でも……!」
「乗るな」
短い言葉。
だが、それでアルベルトは止まった。
クロードが目を細める。
「流石ですね」
「何がだ」
「周囲の扱いが上手い」
「興味ない」
「本当に?」
クロードが笑う。
「昔の貴方は、もっと“王子らしかった”と聞いていますが」
その瞬間。
レオンの空気が少しだけ変わった。
ほんの僅か。
だが。
リリアーナは気づいた。
今の言葉。
多分、“昔”をわざと触った。
東の塔へ送られる前。
王子だった頃。
そこを。
「……昔の話だ」
レオンの声が少し低くなる。
クロードは頷いた。
「ええ」
「ですが王城は、“昔の貴方”をよく知っています」
一枚の書類を取り出す。
「十歳、魔力測定」
「結果、“魔力値ゼロ”」
会議室が静まり返る。
リリアーナが息を呑む。
アルベルトが顔を歪める。
エリシアは静かに目を閉じた。
「その日から、貴方は“無能王子”になった」
クロードの声だけが響く。
「そして東の塔へ幽閉」
「王位継承権剥奪」
「婚約破棄」
「存在価値なし」
一つずつ。
傷を抉るみたいに並べる。
レオンは動かない。
表情も変わらない。
だが。
リリアーナの胸が痛かった。
こんな風に。
過去を。
傷を。
人前で並べるなんて。
「酷い……」
小さく漏れる。
クロードが視線を向ける。
「事実確認ですよ」
「違います!」
リリアーナが叫ぶ。
「そんな言い方……!」
「感情的ですね」
「っ……!」
リリアーナが詰まる。
怖い。
でも。
引きたくない。
その時。
レオンが静かに口を開いた。
「……もういい」
会議室が止まる。
レオンはクロードを見る。
「続けろ」
クロードが目を細める。
「平気ですか?」
「今更だ」
静かな声。
だが。
その目は、以前と違った。
「昔は痛かった」
一拍。
「でも今は違う」
リリアーナが顔を上げる。
レオンは前を向いていた。
「俺には、もう関係ない」
クロードの笑みが、ほんの少しだけ消えた。
初めてだった。
過去で揺さぶれない。
それはつまり。
この男が、“今”を手に入れているということだから。




