第60話「王城審問官、無能王子は“居場所”を奪わせない」
翌日。
正午前。
学園全体に、妙な緊張が漂っていた。
授業は一部中止。
北棟周辺は封鎖継続。
警備は通常の三倍。
教師たちも、明らかに空気が違う。
理由は一つ。
王城審問官。
その到着が近いからだ。
「……重いですわね」
中央塔三階、応接会議室。
窓の外を見ながら、エリシアが静かに呟く。
今日はいつもの制服ではない。
公爵令嬢としての正装。
淡い蒼を基調とした上質なドレス。
髪も綺麗に整えられている。
完全に、“公の場”仕様だった。
「お前も変わるんだな」
窓際に立つレオンが言う。
エリシアは扇子を閉じる。
「当然ですわ」
一歩、歩く。
「今日は遊びではありませんもの」
その横では、アルベルトがネクタイを引っ張っていた。
「くそ……息苦しい」
「正装くらい我慢してくださいませ」
「お前は平気そうだな」
「慣れていますので」
アルベルトは舌打ちする。
彼も今日は王族用正装だった。
黒を基調とした礼装。
普段よりずっと“大人”に見える。
だが。
本人は落ち着かないらしい。
「王城の連中、ほんと嫌いだ」
「同感ですわ」
「お前が言うと重みあるな」
「褒め言葉として受け取ります」
リリアーナは少し離れた席に座っていた。
両手を膝の上で握っている。
緊張していた。
無理もない。
相手は王城。
しかも、“言葉で人を潰す”専門家。
「……大丈夫です」
小さく呟く。
自分に言い聞かせるように。
「わたし、ちゃんと話せます」
レオンが振り返る。
「無理するな」
「無理してません」
即答だった。
だが声は少し硬い。
レオンは少しだけ黙る。
「……怖いか」
会議室が静まる。
リリアーナは驚いたように目を瞬かせた。
レオンが、そんなことを聞くとは思っていなかったのだろう。
「……はい」
小さく頷く。
「怖いです」
正直だった。
「でも」
ゆっくり顔を上げる。
「レイさんが、もっと怖い思いをしてきたって知ってるから」
真っ直ぐな目。
「だから逃げません」
レオンは少しだけ目を細める。
何かを言いかけて。
結局、小さく息を吐いた。
「……そうか」
短い返事。
だが。
リリアーナはそれだけで、少しだけ安心した。
その時。
コン、と扉が鳴る。
全員の空気が切り替わった。
「入ります」
カティアだった。
後ろには学園長。
さらに数名の教師。
完全に“迎える側”の空気だ。
「到着しました」
カティアが短く言う。
重い沈黙。
アルベルトが小さく舌打ちした。
「早ぇな」
「予定通りですわ」
エリシアは冷静だった。
だが、扇子を持つ手にはわずかに力が入っている。
レオンだけは変わらない。
窓際から動かず、静かに外を見ていた。
「代表」
「何だ」
「逃げますか?」
カティアの確認。
半分冗談。
半分本気。
「逃げない」
即答だった。
リリアーナの肩から少しだけ力が抜ける。
カティアも頷いた。
「では行きます」
中央塔一階、大会議室。
そこが審問の場だった。
廊下を歩く。
静かだ。
だが、途中途中で生徒たちの視線を感じる。
「……代表だ」
「本当に行くのか……」
「大丈夫かな……」
不安。
心配。
色んな感情が混じっている。
レオンは歩きながら、それを聞いていた。
以前なら、気にも留めなかった。
だが今は違う。
“自分が連れていかれること”を、心配する声がある。
その事実が、妙に胸へ残る。
『主』
ノワールが静かに笑う。
『人気者だねぇ』
「面倒だ」
『でも嫌じゃない』
レオンは返事をしなかった。
大会議室前。
重厚な扉の前で、カティアが一度全員を見る。
「確認します」
静かな声。
「今日の相手は、“怒らせること”が仕事の人間です」
エリシアが頷く。
「挑発して、失言を引き出す」
「感情を揺らし、矛盾を探す」
アルベルトが顔をしかめる。
「めんどくせぇな」
「ええ」
カティアは即答した。
「ですので、冷静に」
「特に殿下」
「なんで俺だけ名指しなんだよ!?」
「自覚がおありで?」
「……否定できねぇ」
少しだけ空気が緩む。
リリアーナも小さく笑った。
その時。
レオンがぽつりと言う。
「……悪かったな」
全員が止まる。
「何がですの?」
エリシアが問う。
レオンは少しだけ視線を逸らした。
「巻き込んだ」
短い言葉。
だが。
それは、彼なりの本音だった。
自分が狙われている。
だから皆も危険へ巻き込まれた。
そう思っている。
リリアーナは目を見開き。
次の瞬間、少し怒った顔になった。
「またそういうこと言う」
「事実だ」
「違います」
強い声。
「わたしたち、自分でここにいます」
エリシアも続く。
「勝手に巻き込まれたつもりはありませんわ」
アルベルトが鼻を鳴らす。
「俺は俺で来てる」
カティアまで頷いた。
「教師の仕事です」
学園長が穏やかに笑う。
「学園とは、そういう場所ですよ」
レオンは少しだけ黙る。
返事ができない。
胸の奥が、妙に重い。
温かくて。
落ち着かなくて。
でも嫌じゃない。
「……そうか」
小さく答える。
学園長が扉へ手をかける。
「では、行きましょう」
重い扉が開いた。
大会議室。
長い机。
並ぶ教師陣。
王城側の護衛。
そして。
中央席。
そこに、一人の男が座っていた。
銀髪。
細い眼鏡。
黒を基調とした王城正装。
年齢は三十代後半ほど。
穏やかそうに笑っている。
だが。
空気が冷たい。
笑っているのに、温度がない。
「お待ちしておりました」
男が立ち上がる。
優雅に一礼。
「王城審問局、第一審問官――クロード・ヴェルナーです」
その瞬間。
会議室の空気が、完全に張り詰めた。
クロードは穏やかに笑ったまま、レオンを見る。
「初めまして」
一拍。
「レオンハルト殿下」
空気が凍った。
リリアーナの目が見開く。
エリシアの扇子が止まる。
アルベルトが椅子を鳴らした。
カティアの目が鋭くなる。
そして。
レオンだけが、静かだった。
クロードは微笑む。
「いえ、失礼」
「今は“レイ・ノクト”でしたね」
最初から来ている。
完全に。
王城は。
最初から、正体を隠す気などなかった。




