第59話「審問前夜、無能王子は初めて“守られる怖さ”を知る」
夜。
学園は静かだった。
北棟襲撃の混乱はまだ完全には収まっていない。
だが、生徒たちは寮へ戻され、教師たちは警備配置を再編し、崩落区域の封鎖も進んでいる。
昼間の騒がしさが嘘みたいに、今の学園は静かだった。
その静寂の中。
学園中央塔、会議室。
灯りだけが残る部屋で、数人の生徒と教師が机を囲んでいた。
「……つまり」
エリシアが資料を閉じる。
「明日の審問官は、“事情聴取”という名目で来ますが、実質はレイ様を王城側へ引き込むための圧力ですわね」
机の上には大量の資料。
北棟襲撃記録。
負傷者一覧。
結界炉異常記録。
侵入者装備分析。
捕縛したリヒトの証言。
全てが並べられている。
カティアが頷いた。
「王城側は“レイ・ノクトが暴走した”という形へ持ち込みたいのでしょう」
リリアーナの顔が曇る。
「そんなの、違うのに……」
「ええ」
カティアは即答する。
「ですが、事実と結論は別です」
「……どういう意味ですか?」
「王城は“望む結論”へ話を誘導します」
淡々とした声だった。
「真実だけで勝てるほど、政治は綺麗ではありません」
重い空気。
リリアーナは唇を噛む。
怖い。
戦う相手が、剣を持った敵ではないから。
言葉。
立場。
空気。
そういう“見えない圧力”だ。
アルベルトが椅子へ深く座りながら言う。
「審問官って、そんなに厄介なのか」
エリシアがため息をつく。
「貴方、本当に王族ですの?」
「うるせぇな」
「王城審問官は、“陛下が汚れ仕事をする時の口”ですわ」
「口?」
「ええ」
エリシアの目が細くなる。
「直接剣を抜けば反発される。だから先に、“相手が悪い”という空気を作るんですの」
リリアーナが小さく息を呑む。
「……怖い」
「怖いですわよ」
エリシアは即答した。
「実際、何人もの貴族や騎士が“証言だけ”で失脚していますもの」
「証言だけで……」
「だからこそ、明日は非常に重要です」
カティアが資料を机へ置く。
「こちらも、感情論ではなく事実で固める必要があります」
アルベルトが腕を組む。
「で、具体的には?」
「まず、王城側侵入者の存在証明」
カティアが指を立てる。
「次に、北棟被害状況」
「そして、結界炉暴走記録」
エリシアが続ける。
「最後に、“レイ様が暴走ではなく制圧行動を行った”証言ですわね」
リリアーナが小さく手を上げる。
「わ、わたし、それ話します」
レオンが即座に言った。
「駄目だ」
「なんでですか!?」
「狙われる」
「でも!」
「駄目だ」
即答。
リリアーナは悔しそうにレオンを見る。
会議室の端。
窓際。
レオンは腕を組んだまま、壁へ寄りかかっていた。
包帯はまだ巻かれている。
傷は完全には塞がっていない。
それでも本人は“問題ない”の一点張りだ。
リリアーナは立ち上がる。
「レイさんだけに戦わせるのは嫌です」
「戦わせていない」
「そういうことじゃありません!」
珍しく声が強かった。
レオンが少し目を細める。
「……お前は」
一拍。
「優しいな」
会議室が止まる。
リリアーナの顔が一瞬で赤くなった。
「えっ」
エリシアが固まる。
アルベルトが「は?」みたいな顔をした。
カティアは額を押さえる。
「代表」
「何だ」
「その発言は危険です」
「なぜだ」
「自覚がないからです」
「意味が分からん」
リリアーナは完全に混乱していた。
「や、やさっ……えっ……」
「落ち着きなさいませ」
エリシアが珍しく真顔で言う。
「今、一番落ち着いていないのは貴女ですわ」
「お嬢様も動揺してますよね!?」
「していません」
「扇子逆です!」
エリシアが固まった。
本当に逆だった。
アルベルトが吹き出す。
「ははっ、お前ら面白ぇな」
「殿下は黙ってなさい!」
「なんで俺だけ怒られるんだ!?」
少しだけ、空気が軽くなる。
だが。
レオンだけは変わらない。
本当に無自覚だった。
ただ、思ったことを言っただけ。
だから余計に厄介だった。
カティアが咳払いする。
「話を戻します」
全員が姿勢を正す。
「明日ですが、恐らく王城側はレイ・ノクト個人へ圧力を集中させます」
「当然ですわね」
エリシアが頷く。
「周囲を切り離し、“一人”へ持ち込もうとするはずですわ」
レオンが小さく息を吐く。
「好きにさせればいい」
「駄目です」
今度はリリアーナが即答した。
レオンが見る。
「一人で行かないでください」
「……」
「また、“大丈夫”って言って全部抱えるつもりですよね」
図星だった。
レオンは視線を逸らす。
リリアーナはもう止まらない。
「嫌です」
小さな声。
でも強い。
「一人で苦しむの、もう見たくありません」
会議室が静まる。
レオンは返事をしなかった。
東の塔。
ずっと一人だった。
だから、“誰かと一緒に抱える”という感覚が、まだ分からない。
だが。
今、目の前にいる少女は本気で怒っている。
心配している。
その事実が、妙に胸へ残った。
アルベルトが椅子へ肘を乗せながら言う。
「俺も行くぞ」
「必要ない」
「ある」
アルベルトは真っ直ぐレオンを見る。
「王城の連中、俺がいた方が好き勝手やりにくい」
それは事実だった。
第二王子同席。
それだけで審問の空気は変わる。
「あと」
アルベルトが少しだけ視線を逸らす。
「……借りもある」
「借り?」
「北棟」
一拍。
「助けられたまま終わるの、嫌なんだよ」
その言葉は、以前の彼なら絶対に言わなかった。
プライドが邪魔していたから。
だが今は違う。
悔しさも、弱さも、ちゃんと口にしている。
エリシアが少しだけ目を細める。
「成長しましたわね」
「うるせぇ」
「ですが良いと思いますわ」
そして。
エリシアもレオンを見る。
「もちろん、わたくしも同席します」
「お前は来ると思った」
「光栄ですわ」
「褒めていない」
「分かっています」
軽口。
だが。
その裏にある意思は重い。
誰も、レオンを一人にする気がない。
それを、レオン自身も理解し始めていた。
その時。
会議室の窓が、コン、と小さく鳴った。
全員が反応する。
アルベルトが剣へ手をかける。
だが。
レオンは少しだけ目を細めた。
「……ミーアか」
窓が静かに開く。
夜風。
そして。
黒い外套姿の少女が、音もなく部屋へ入ってきた。
「お久しぶりです、皆様」
ミーアだった。
リリアーナの顔が明るくなる。
「ミーアさん!」
「こんばんは、リリアーナ様」
優雅に一礼。
だが、その目はすぐレオンを見る。
「……また無茶をなさいましたね、レオン様」
「別に」
「別に、ではありません」
珍しく声が低い。
本気で怒っている。
「暴走核を素手で抑えたと聞きました」
「情報が早いな」
「当然です」
ミーアが静かに近づく。
そして。
包帯の巻かれた右腕へ触れた。
「……熱が残っています」
「問題ない」
「あります」
リリアーナと完全に同じ返しだった。
エリシアが小さく笑う。
「やはり似ていますわね」
「はい?」
ミーアが首を傾げる。
「レオン様へ怒るところですわ」
「当然です」
ミーアは即答した。
「この方、放っておくと本当に死にかけますので」
「そこまでではない」
「あります」
全員一致だった。
レオンが黙る。
完全包囲。
逃げ道なし。
ミーアは小さく息を吐く。
「……ですが」
少しだけ、表情を緩めた。
「無事でよかったです」
その声は、本当に安心した声だった。
レオンは返事をしない。
ただ。
少しだけ目を伏せる。
昔。
東の塔では。
こんな風に帰りを待たれることなんてなかった。
でも今は違う。
ミーアがいる。
リリアーナがいる。
エリシアがいる。
アルベルトもいる。
学園がある。
だから。
王城の“出頭命令”が、妙に腹立たしかった。
また奪おうとしている。
そう感じてしまうから。
「レオン様」
ミーアが小さく呼ぶ。
「何だ」
「一人で抱えないでください」
また同じ言葉。
でも。
今度は少し違った。
「昔とは違います」
静かな声。
「今は、皆おります」
会議室が静かになる。
レオンはすぐには答えなかった。
代わりに。
小さく息を吐く。
「……努力する」
それだけ。
それだけなのに。
リリアーナが少し笑った。
エリシアも目を細める。
アルベルトが「やっとか」みたいな顔をする。
ミーアだけは、少しだけ困ったように笑った。
「“努力する”は、レオン様の場合かなり前向きですね」
「そうなのか?」
「はい」
全員一致だった。
その時。
中央塔の外で鐘が鳴った。
深夜の時刻を知らせる鐘。
明日。
王城審問官が来る。
戦いはまだ終わらない。
だが。
今のレオンは、一人ではなかった。




