第58話「王城からの出頭命令、無能王子は学園の中心で選ばれる」
中庭に降り立った魔導伝令鳥は、冷たい声で同じ言葉を繰り返していた。
『王城より通達』
『本日の学園襲撃事件に関し、重要参考人“レイ・ノクト”の王城出頭を要求する』
『拒否権は認められない』
風が止まったようだった。
つい先ほどまで、レオンへ感謝を伝えようとしていた生徒たちの声も消えた。
誰も動かない。
誰も笑わない。
中庭の中心で、魔導伝令鳥だけが無機質に翼を震わせている。
王城。
その言葉は、この国に生きる者にとって絶対に近い。
命令。
通達。
拒否権なし。
ただそれだけで、多くの者は膝を折る。
だが。
レオンは座ったまま、魔導伝令鳥を見ていた。
右腕には包帯。
制服はところどころ破れ、肩にも煤がついている。
つい先ほどまで北棟で戦っていた姿のまま。
それでも、表情は変わらなかった。
「……面倒だな」
静かに呟く。
それが第一声だった。
周囲の生徒たちが、別の意味で息を呑む。
「め、面倒って……」
「王城からの命令だぞ……?」
「代表、怖くないのか……?」
ざわめきが戻りかける。
だが、カティアが一歩前へ出ただけで空気は締まった。
「静粛に」
短い声。
教師としての声ではない。
学園を守る者としての声だった。
生徒たちは一斉に口を閉じる。
学園長は魔導伝令鳥を見つめたまま、穏やかな表情を崩さなかった。
だが、その目だけは鋭い。
「王城からの正式通達ですか」
『肯定』
魔導伝令鳥が答える。
『重要参考人レイ・ノクトを王城へ移送せよ』
『繰り返す』
『拒否権は認められない』
その言葉に、リリアーナの顔色が変わった。
「そんな……」
小さな声。
だが、怒りが混じっていた。
「レイさんは、学園を守ったんです」
誰に向けた言葉でもない。
でも、確かに中庭へ落ちた。
「北棟で戦って、地下の結界炉を止めて、生徒たちを助けて……なのに、どうして」
震える声。
悔しさが滲む。
「どうして、連れていかれなきゃいけないんですか」
誰もすぐには答えられなかった。
王城の命令に疑問を呈すること自体、普通なら危険だ。
だが、リリアーナは止まらなかった。
彼女はもう、ただ俯いているだけの少女ではない。
「おかしいです」
はっきりと言った。
「これは、おかしいです」
エリシアが静かに扇子を閉じる。
「同感ですわ」
その声は、リリアーナよりずっと落ち着いていた。
だが、冷たい怒りが含まれている。
「王城側の人間が学園内へ侵入し、生徒を傷つけ、設備を破壊し、結界炉まで暴走させようとした」
一つずつ並べる。
公爵令嬢としての言葉。
感情ではなく、論理で刺す言葉だった。
「その被害者であり、解決者でもあるレイ様を“重要参考人”として出頭させる?」
エリシアの声が低くなる。
「随分と都合の良い命令ですこと」
周囲がざわつく。
だが、今度のざわめきは恐怖だけではない。
納得。
不満。
疑問。
そういう感情が混じっていた。
アルベルトは拳を握っていた。
王城からの通達。
父の命令。
王族として従うべきもの。
そう教えられてきた。
けれど。
今日、彼は見た。
王城の影が学園を襲った。
生徒を傷つけた。
レオンを捕らえるために、関係ない者を巻き込んだ。
それでも従うのか。
王族だから。
命令だから。
それだけで。
「……ふざけるな」
低い声が漏れた。
隣にいた生徒が驚いてアルベルトを見る。
「殿下……?」
アルベルトは顔を上げた。
迷いはまだある。
怖さもある。
父へ逆らうことへの本能的な恐れは消えていない。
だが、それ以上に。
今は、腹が立っていた。
「こいつを連れていく前に」
アルベルトは魔導伝令鳥を睨む。
「まず王城が説明しろ」
中庭が静まる。
第二王子が、王城の通達へ異を唱えた。
それは、ただの生徒の反発とは重さが違う。
『発言権限確認不能』
魔導伝令鳥が無機質に答える。
『命令遂行を優先』
「俺はアルベルト・フォン・アルディアだ」
アルベルトの声が強くなる。
「王子として聞いている」
『本件は陛下直属命令』
『第二王子殿下への詳細開示権限なし』
その言葉に、アルベルトの顔が歪んだ。
詳細開示権限なし。
つまり、蚊帳の外。
王子でありながら。
王城の動きに、何も知らされていない。
その事実は、彼の未熟な誇りを深く抉った。
だが、今回は違った。
屈辱に怒るだけでは終わらない。
アルベルトは唇を噛み、レオンを見た。
「……お前、知ってたのか」
「何を」
「王城がこう来るって」
「予想はしていた」
「なんで黙ってた」
「言ってどうする」
「一人で抱え込むなって何度言わせる気だ!」
叫んだのは、アルベルトだった。
リリアーナもエリシアも驚いた顔をする。
レオンも少しだけ目を細めた。
アルベルト自身も、言ってから驚いていた。
自分がそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
だが言葉は止まらなかった。
「お前が強いのは分かってる」
「俺より強い」
「むかつくくらい強い」
「でもな」
拳を握る。
「だからって、一人で全部決めるな」
中庭に沈黙が落ちた。
その声は、怒りだけではない。
悔しさ。
未熟さ。
それでも追いつきたいという意思。
そして、ほんの少しの心配。
それらが混ざっていた。
レオンはしばらくアルベルトを見た。
「……面倒な弟だな」
ぽつりと呟く。
その瞬間。
アルベルトの顔が真っ赤になった。
「誰が弟だ!」
「違うのか」
「いや、違うというか……お前が認めたみたいに言うな!」
「うるさい」
「お前が言わせたんだろうが!」
緊迫した場面のはずなのに、少しだけ空気が緩む。
周囲の生徒たちは困惑していた。
だが、そのやり取りに救われた者もいた。
レオンはまだ、ここにいる。
王城の命令ひとつで、すぐ連れていかれるわけではない。
そう思えたからだ。
学園長がゆっくりと前へ出た。
「魔導伝令へ返答します」
その声で、場は再び静まる。
『返答を受理』
魔導伝令鳥が翼を広げる。
学園長は穏やかに微笑んでいた。
だが、その声には一切の揺れがない。
「学園は、レイ・ノクト君の即時出頭を認めません」
中庭の空気が震えた。
教師たちも、生徒たちも、息を呑む。
『命令拒否と判断』
「違います」
学園長は静かに言う。
「正式手続きを要求します」
エリシアが目を細める。
カティアも小さく頷いた。
「本学園内で王城関係者による武装侵入が発生しました。生徒負傷、施設破壊、結界炉妨害、捕獲行動の疑いも確認されています」
学園長は、一つずつ事実を積み重ねる。
「この状況において、当該事件解決に尽力した本学園生徒を、証拠も説明もなく“重要参考人”として引き渡すことはできません」
『拒否権は認められない』
「繰り返します」
学園長の声が少し低くなった。
「正式手続きを要求します」
重い沈黙。
魔導伝令鳥は数秒間、沈黙した。
内部の術式が判断しているのだろう。
『王城へ返答を送信』
『追加命令待機』
その言葉に、中庭へわずかな安堵が広がる。
だが、完全には緩まない。
王城がこのまま引くとは思えないからだ。
カティアがレオンを見る。
「代表」
「何だ」
「今のうちに医務室へ戻ります」
「断る」
「却下です」
「さっき行った」
「腕から血が滲んでいます」
リリアーナが即座に反応する。
「えっ!?」
レオンは視線を逸らす。
「問題ない」
「あります!」
リリアーナが慌てて近づく。
包帯に、うっすら赤が滲んでいた。
暴走核を抑えた時の火傷が開いたのだ。
「どうして言わないんですか!」
「聞かれていない」
「そういう問題じゃありません!」
リリアーナは涙目になっていた。
怒っている。
でも、それ以上に心配している。
「レイさんは、すぐそうやって隠します」
「隠していない」
「隠してます」
「隠していない」
「隠してます!」
押し切る勢い。
レオンが珍しく沈黙する。
エリシアが横からため息をついた。
「観念なさいませ。今のリリアーナ様は強いですわよ」
「お前も止めろ」
「嫌ですわ」
アルベルトが腕を組む。
「俺も医務室送りに一票だ」
「お前は黙れ」
「黙らねぇよ。さっき一人で抱えるなって言ったばかりだろうが」
全員から包囲される。
レオンは逃げ道を探すように周囲を見た。
だが、学園長もカティアも、生徒たちも、誰一人として逃がす気がなかった。
「……面倒だ」
「面倒で済ませないでください」
リリアーナが包帯の端を押さえる。
その手は震えていた。
「守ってくれたのは嬉しいです」
声が小さくなる。
「でも、守った人が傷ついてるのを見るのは、嫌です」
その言葉は、レオンの胸に静かに刺さった。
守る側。
守られる側。
何度も言われているはずなのに、まだ慣れない。
自分の傷で誰かが痛むという感覚に。
「……分かった」
短く言う。
「医務室へ行く」
リリアーナの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか?」
「嘘は言っていない」
「今のは信用します」
「今のは?」
「普段は信用できないので」
エリシアが小さく笑う。
「完全に見抜かれていますわね」
「うるさい」
その時、魔導伝令鳥が再び翼を震わせた。
『追加命令受信』
空気が再び張り詰める。
リリアーナの手が止まる。
アルベルトが剣の柄へ手をかける。
カティアが一歩前へ出る。
学園長は目を細める。
『王城より再通達』
『明日正午』
『王城審問官を学園へ派遣』
『レイ・ノクト本人、関係者、学園責任者の事情聴取を行う』
中庭に緊張が広がる。
出頭要求は一時停止。
だが、代わりに王城側が学園へ来る。
つまり、戦場が変わる。
『なお』
魔導伝令鳥の声が、さらに冷たくなる。
『対象が逃亡、証言拒否、または非協力姿勢を示した場合』
『王命に基づき、強制連行へ移行する』
沈黙。
今度こそ、誰もすぐには言葉を出せなかった。
レオンは静かに伝令鳥を見ていた。
「……そう来るか」
短く呟く。
エリシアが扇子を閉じる。
「審問官……厄介ですわね」
アルベルトが眉をひそめる。
「王城審問官って、あの?」
「ええ」
エリシアの声は重い。
「言葉で人を縛る連中ですわ」
リリアーナが不安そうに問う。
「どういうことですか……?」
カティアが答える。
「相手の証言の矛盾を突き、立場を崩し、必要とあらば罪状を作る専門家です」
リリアーナの顔色が変わる。
「罪を……作る?」
「ええ」
エリシアが静かに頷く。
「王城が本気で誰かを潰す時に使う人間です」
全員の視線が、自然とレオンへ向く。
レオンは変わらない。
だが、その目は静かに冷えていた。
「面倒だな」
また、それだけ。
だが今度は、誰もそれを軽く聞かなかった。
その一言の裏にある怒りを、もう皆が知っている。
学園長が口を開く。
「明日正午まで時間があります」
「準備しましょう」
エリシアが即座に言う。
「証言整理、事件経過、負傷者記録、侵入者の身柄、破壊された設備の確認」
カティアも頷く。
「こちらの証拠を固めます」
アルベルトが言う。
「俺も証言する」
全員が見る。
「何だよ」
「いや」
レオンが言う。
「逃げると思った」
「逃げねぇよ!」
声を荒げる。
だが、すぐに少しだけ静かになる。
「今回は、逃げねぇ」
その言葉は、本気だった。
リリアーナも前へ出る。
「わたしも証言します」
「危険だ」
レオンが即座に言う。
「でも見ていました」
「だから危険だ」
「それでもです」
リリアーナは真っ直ぐ見返す。
「レイさんだけを悪者にさせません」
その言葉に、レオンは黙った。
エリシアが微笑む。
「当然、わたくしも」
「お前は言うと思った」
「あら、信頼ですの?」
「諦めだ」
「似たようなものですわ」
「違う」
少しだけ、空気が緩む。
だが。
次に来るものは、戦闘ではない。
言葉の戦い。
政治の戦い。
レオンが最も嫌う、王城の土俵。
それでも。
彼はもう一人ではない。
学園長が静かに言った。
「レイ君」
「何だ」
「明日は、君を守るための戦いになります」
レオンは少しだけ目を細める。
「俺を?」
「ええ」
学園長は穏やかに笑う。
「たまには守られてください」
レオンはすぐには返せなかった。
リリアーナが頷く。
「そうです」
エリシアも続ける。
「いつも貴方ばかり前に出るのは不公平ですわ」
アルベルトが鼻を鳴らす。
「少しは後ろで見てろ」
「……」
レオンは全員を見る。
面倒だ。
本当に面倒だ。
だが。
胸の奥が、少しだけ温かい。
「……努力する」
それだけ答えた。
中庭に、ようやく小さな笑いが戻った。
だが空の上。
王城の方角には、重い雲がかかり始めていた。
明日正午。
王城審問官が来る。
学園を舞台にした、言葉の戦いが始まろうとしていた。




