第6話「黒蛇の牙、闇は今日から俺のものだ」
裏路地に、静寂が落ちていた。
さっきまでミーアへ怒鳴り散らしていた男たちは、壁際で震えている。
一人は風に吹き飛ばされ、まだ尻を押さえてうずくまり。
一人は影に縛られ、地面へ転がされ。
一人は腰を抜かし、顔色を失っていた。
そしてその前に立つ黒衣の少年。
レイ・ノクト。
――いや。
ミーアにとっては、どう見てもレオンだった。
「……人違いだ」
先ほどそう言われた。
けれど、その誤魔化し方まで昔のままだ。
困ると少しだけ視線を逸らす癖。
怒っているのに、弱い者へは決して声を荒げないところ。
何より、助ける時だけ迷いが消えるところ。
忘れるはずがない。
「レオン様……」
「今はレイ・ノクトだ」
短く訂正される。
ミーアは涙を拭い、何度も頷いた。
「……はい。では、レイ様」
「様はいらない」
「無理です」
「即答するな」
「十年以上の習慣です」
レオンは少しだけ黙った。
その間に、壁際の男が震える声で叫ぶ。
「お、おい! こんなことしてただで済むと思うなよ!」
レオンが視線だけ向ける。
男は口を閉じた。
「続けろ」
「ひっ……!」
「ただで済まない、の続きだ」
「い、いや……その……」
「言え」
「黒蛇の牙が黙っちゃいねぇ!」
叫ぶように言い切った。
その瞬間、ヴァルガが頭の中で笑い転げた。
『出た出た! 小物の常套句!』
『静かに』
ノワールの冷えた声。
『でもテンプレです!』
ルミアまで混ざる。
レオンは額を押さえたくなった。
頭の中がうるさい。
「黒蛇の牙、か」
静かに呟く。
男はそれを強気と勘違いしたのか、少しだけ顔を上げた。
「そ、そうだ! 王都裏通りじゃ名の知れた組織だ! 借金取り立て、人探し、護衛、なんでもやる!」
「人身売買も?」
男の顔が強張る。
「そ、それは……」
「女を脅して身体で払わせるのも“なんでも”か?」
男が黙る。
レオンの中で、温度が下がった。
怒りで熱くなるのではない。
逆に、芯から冷えていく怒りだった。
ミーアがこんな連中に追い詰められていた。
母の病を救いたくて借りた金を、餌にされていた。
そして王都は、そんなものを放置している。
「ミーア」
「は、はい」
「借金の総額は」
ミーアは俯いた。
「……最初は金貨三枚でした」
「今は」
「利子と違約金で、金貨二十七枚……」
ヴァルガが絶句した。
『はぁ!?』
セレネの声も冷える。
『外道ね』
イグニスは淡々と言った。
『燃やすか』
『燃やしましょう!』
『骨も残さない』
『待て』
神霊たちの物騒な会議を止め、レオンは静かに息を吐いた。
「なるほど」
その声に感情はない。
だからこそ、怖かった。
男たちがじりじり後退る。
「レイ様……」
ミーアが不安げに呼ぶ。
「危険です。黒蛇の牙には大勢います。戦える人も……」
「そうか」
「今日は、助けていただいただけで十分です。私はまた働いて――」
「また?」
レオンが振り向く。
「また搾られ、また殴られ、また脅されるのか」
「……っ」
「母親の薬代を削ってか」
ミーアの肩が震えた。
「でも……他に方法が……」
「ある」
即答だった。
レオンの金の瞳が、冷たく光る。
「奪う側から奪えばいい」
男たちが青ざめる。
「ま、待て! お前まさか……!」
「案内しろ」
「え?」
「黒蛇の牙の巣だ」
「い、嫌だ! 言ったら殺される!」
「言わなくても今から半殺しだが」
「横暴!?」
ヴァルガが爆笑する。
『いいぞレオン!』
ミーアは目を見開いたまま、少年を見つめていた。
優しかったレオン様。
誰より穏やかだった主。
その面影は確かにある。
だが今の彼には、それだけではない何かがあった。
踏みにじられ、折られ、それでも立ち上がった者の強さ。
「……行く」
レオンが歩き出す。
「え、今からですか!?」
「今だからだ」
「昼ですよ!?」
「営業時間だろう」
「闇ギルドに営業時間あるんですか!?」
「知らん」
レオンは本当に知らなかった。
ミーアは思わず涙目で笑った。
変わってしまったのに。
変わっていないところもある。
それが嬉しかった。
黒蛇の牙・表向きの拠点は、酒場だった。
裏通りでも一際騒がしい建物。
昼間から酒臭く、柄の悪い男たちが出入りしている。
入口の用心棒二人が、レオンたちを見るなり鼻で笑った。
「なんだガキ。迷子か?」
「借金の相談なら裏口だ」
「そうか」
レオンは頷く。
「なら、表から入る」
「は?」
次の瞬間。
風が爆ぜた。
用心棒二人が同時に宙を舞い、酒場の扉ごと店内へ吹き飛ぶ。
轟音。
悲鳴。
机がひっくり返り、酒瓶が割れた。
店内にいた荒くれ者たちが一斉に立ち上がる。
「なんだぁ!?」
「敵襲だ!」
「ガキ一人だぞ!?」
レオンは黒い外套を翻し、ゆっくり中へ入った。
ミーアは入口で固まっている。
「れ、レイ様……!?」
「そこで見ていろ」
振り返らず告げる。
「すぐ終わる」
その一言に、妙な確信があった。
荒くれ者の一人が斧を振り上げ突っ込む。
レオンは片手を上げた。
「セレネ」
床を水が走る。
男の足元が一瞬で凍りつき、派手に転倒。
斧が天井へ刺さった。
「ぎゃっ!?」
「次」
短剣持ち三人が左右から迫る。
「ノワール」
影が伸びる。
三人まとめて逆さ吊りになった。
「な、なんだこれぇぇ!?」
「次」
奥から弓矢が飛ぶ。
「ルミア」
白い光弾がぱんっと弾け、矢だけ綺麗に消し飛んだ。
「すごいです私!」
「自画自賛するな」
「でも事実です!」
「次」
巨漢の男が鉄棒を振り上げる。
「ヴァルガ」
風雷が唸る。
男は鉄棒ごと壁へめり込んだ。
「ごふぁっ!?」
『軽い軽い! 次持ってこい!』
「次」
奥の階段から火炎瓶が飛ぶ。
「イグニス」
小さな火の鳥が紋章から飛び出し、火炎瓶だけを空中で焼き尽くした。
燃えカス一つ落ちない。
「精密制御だ」
「説明いらん」
数分後。
酒場は壊滅していた。
荒くれ者たちは床に転がり、呻き、泣き、気絶している。
まともに立っている者は一人だけ。
奥の席にいた禿頭の巨漢。
黒蛇の牙の頭領、ガルドン。
「ば、馬鹿な……」
汗だくで椅子にしがみついていた。
「お前、何者だ……!」
レオンはゆっくり歩み寄る。
足音だけが響く。
「借金の回収人だ」
「は?」
「お前が奪った分、今日返してもらう」
ガルドンが叫ぶ。
「衛兵を呼ぶぞ!」
「呼べ」
「え?」
「こんな商売をしている店に衛兵が来て困るのはどっちだ」
「……っ」
図星だった。
レオンはその前に立つ。
「選べ」
「な、何を……」
「この組織を潰すか」
左眼の金が光る。
「俺のものになるか」
ガルドンの喉が鳴った。
周囲の部下たちは、誰一人立ち上がれない。
目の前の少年は、得体が知れない。
だがわかることが一つだけある。
逆らってはいけない。
「……な、なる……」
「聞こえん」
「なります!!」
土下座だった。
額を床へ擦りつける勢いの、完璧な土下座。
ヴァルガが腹を抱えて笑う。
『情けねぇぇぇ!』
ルミアも拍手する。
『綺麗な土下座です!』
ノワールは冷静だった。
『角度は評価できる』
レオンはため息をついた。
「条件を言う」
ガルドンが震えながら顔を上げる。
「人身売買禁止」
「はい!」
「病人相手の高利貸し禁止」
「はい!」
「女を脅すな。子どもに手を出すな。弱い者から搾るな」
「は、はい!」
「情報収集、護衛、裏取引の仲介だけで食え」
「で、できるかなぁ……」
「できなければ潰す」
「できます!!」
即答だった。
レオンは最後に告げる。
「今日から黒蛇の牙は、俺のものだ」
静寂。
そしてガルドンが叫ぶ。
「お頭ぁぁぁ!!」
部下たちも半泣きで続いた。
「お頭ぁぁ!!」
「助けてぇぇ!!」
「給料上がりますかぁ!?」
「知らん」
レオンは即答した。
入口で見ていたミーアは、口を開けたまま固まっていた。
借金取りに追われていたはずが。
気づけば借金元が主の部下になっている。
意味がわからない。
でも――
「……すごい」
ぽつりと漏れる。
レオンが振り向く。
「何がだ」
「レオン様が、すごく格好いいです」
数秒、沈黙。
そしてレオンは視線を逸らした。
「……今はレイ・ノクトだ」
「ふふ」
「笑うな」
「昔と同じ反応でしたので」
「違う」
「違いません」
ミーアは泣きながら笑った。
生きていた。
しかも、誰より強くなって帰ってきた。
その事実だけで、今日までの苦労が少し報われた気がした。
「帰るぞ」
「どこへ?」
レオンは少しだけ口元を緩めた。
「俺の家だ」
その言葉に、ミーアの涙がまた溢れた。
東の塔へ捨てられた少年は。
今日、王都の闇を手に入れた。




