第56話「帰ってきた無能王子、学園を踏みにじる者を一人残らず叩き潰す」
北棟三階。
崩れた壁から、風が吹き込んでいた。
粉塵が舞う。
砕けた石片が床へ転がる。
そして、その中心。
レオンが立っていた。
黒い外套が風に揺れる。
静かな金の瞳。
だが、その奥にははっきりと怒りが宿っていた。
「……待たせた」
低い声。
それだけで、空気が変わる。
「レイさん……!」
リリアーナの声が震える。
結界を維持したまま、今にも崩れ落ちそうだった。
額には汗。
呼吸も乱れている。
かなり無理をしていた。
レオンの視線が、まずそこへ向く。
「怪我は」
「……だ、大丈夫です」
「嘘ですわね」
エリシアが即座に言った。
「魔力消費が限界近いですわ」
「ちょ、お嬢様……!」
「事実ですもの」
アルベルトが炎剣を構え直しながら叫ぶ。
「おい! 今はそっちじゃねぇだろ!」
「落ち着きなさいな」
「落ち着いてる場合か!」
「貴方が一番うるさいですわよ」
レオンは短く息を吐く。
そのやり取りだけで、状況を理解した。
かなり押されていた。
だが、まだ崩れていない。
持ちこたえていた。
「……よく守った」
小さく呟く。
リリアーナが目を見開く。
エリシアも一瞬だけ止まる。
アルベルトが「え?」みたいな顔をした。
レオンが誰かを直接褒める。
珍しいどころではない。
「な、なんですの急に」
「事実だ」
「そ、そうですけれど……」
エリシアが少しだけ視線を逸らす。
耳が赤い。
リリアーナはもっと分かりやすかった。
「え、あ、えっと……」
完全に混乱している。
アルベルトだけが不満そうだった。
「俺は!?」
「うるさい」
「なんでだよ!?」
「集中切らすな」
「ぐっ……!」
だが。
その返しに、少しだけ口元が緩む。
以前みたいな一方的な拒絶じゃない。
アルベルト自身、それに気づいていた。
その時。
「……随分余裕ですね」
黒衣の男が前へ出る。
他の兵たちより装備が重い。
隊長格。
短槍を構え、レオンを睨む。
「地下は失敗したようですが」
「ああ」
レオンが即答する。
「全部潰した」
隊長格の目が細くなる。
「リヒトまで負けたか」
「弱かった」
「言いますね」
「事実だ」
空気が張る。
黒衣の兵たちも構え直す。
数はまだ多い。
十以上。
しかも、この階は戦いでかなり破壊されていた。
下手に暴れれば、本当に崩落する。
「どうします?」
隊長格が笑う。
「ここで大技は使えませんよ」
「そうか」
「北棟を潰したくないのでしょう?」
「当然だ」
「なら、貴方は全力を出せない」
一理ある。
実際、地下でもレオンはかなり抑えていた。
だが。
「勘違いしている」
レオンが一歩前へ出る。
「何を」
「全力じゃなくても、お前たちは潰せる」
空気が変わった。
隊長格の笑みが消える。
その瞬間。
「全員、一斉に――」
命令が飛ぶ。
黒衣の兵たちが同時に動いた。
速い。
完全連携。
三方向包囲。
さらに後衛術式。
レオン一人へ火力集中。
「レオン様!」
エリシアが叫ぶ。
だが。
レオンは動かなかった。
ただ。
静かに目を閉じる。
『主』
ノワールが笑う。
『いく?』
「ああ」
次の瞬間。
影が爆発的に広がった。
「っ!?」
黒衣の兵たちの足元から、影が噴き出す。
拘束。
いや。
沈み込む。
「な、なんだこれは!?」
「足が――!」
兵たちの動きが止まる。
そこへ。
レオンが踏み込んだ。
速い。
いや、速すぎる。
目で追えない。
一人目。
腹へ拳。
沈む。
二人目。
首筋へ手刀。
崩れる。
三人目。
蹴り。
吹き飛ぶ。
衝撃音が連続する。
「なっ……!」
隊長格の顔色が変わる。
レオンは止まらない。
最小限。
だが圧倒的。
無駄な破壊を一切しない。
校舎を傷つけず、敵だけを沈めていく。
それが逆に異常だった。
「化け物か……!」
「うるさい」
レオンが背後へ回り込む。
隊長格が反応する。
槍。
突き。
だが。
レオンは半歩ずらすだけで避けた。
「遅い」
肘。
隊長格の脇腹へ。
「がっ……!」
吹き飛ぶ。
壁へ叩きつけられる。
その瞬間。
後衛術者が術式を完成させた。
「今です!」
魔力砲撃。
高密度。
しかも広範囲。
避ければ背後のリリアーナたちへ直撃する。
リリアーナの顔が青ざめる。
「っ――!」
だが。
レオンは避けなかった。
右手を前へ出す。
『ヴァルガ』
『やっと俺か!』
雷が走る。
青白い閃光。
次の瞬間。
魔力砲撃そのものが、空中で弾け飛んだ。
「は……?」
術者が固まる。
雷が、術式構造そのものを破壊していた。
レオンが踏み込む。
一瞬。
もう術者の目の前。
「え――」
最後まで言えなかった。
掌底。
沈む。
残り。
三。
兵たちの顔から、完全に戦意が消え始めていた。
「ば、馬鹿な……」
「数で押せ!」
「怯むな!」
隊長格が叫ぶ。
だが、その声にも焦りが混じっている。
レオンは静かに歩く。
一歩。
また一歩。
黒衣たちが後退る。
完全に逆転していた。
「お前たちは」
レオンが低く言う。
「学園を壊した」
静かな声。
だが重い。
「生徒を巻き込んだ」
「教師を傷つけた」
「……だから」
空気が沈む。
「一人残らず叩き潰す」
次の瞬間。
レオンが消えた。
残像。
いや、速度。
黒衣たちが反応できない。
衝撃。
連続。
一人。
二人。
三人。
廊下へ叩き伏せられていく。
完全制圧。
数秒だった。
静寂。
最後に立っていた隊長格だけが、息を荒げてレオンを見る。
「……あり得ない」
「そうか」
「なんなんだお前は……!」
レオンは少しだけ黙る。
そして。
後ろを見た。
リリアーナ。
エリシア。
アルベルト。
そして、怯えながらも耐えていた生徒たち。
「……ただの学生だ」
短い言葉。
だが。
その答えに、隊長格は苦笑した。
「王城が聞いたら卒倒しますよ」
「興味ない」
隊長格がゆっくり槍を落とす。
完全敗北。
理解したのだ。
この男は、もう“捕獲対象”ではない。
王城の想定を超えている。
その時。
リリアーナの結界が、ようやく消えた。
「……ぁ」
限界だった。
膝が崩れる。
倒れそうになる。
だが。
レオンが支えた。
「っ……!」
リリアーナの身体が止まる。
近い。
かなり。
「……無理しすぎだ」
低い声。
怒っているわけではない。
呆れている。
でも。
少しだけ、優しい。
リリアーナは顔を赤くする。
「だ、だって……!」
「守るって決めたので……!」
「だから倒れるのか」
「うっ……」
反論できない。
エリシアが歩み寄る。
「貴方も人のこと言えませんわよ」
「俺は倒れていない」
「時間の問題ですわね」
「否定できねぇな」
アルベルトが苦笑する。
レオンがそちらを見る。
「お前もだ」
「俺!?」
「突っ込みすぎだ」
「お前に言われると腹立つな!?」
だが。
そのやり取りの空気が。
張り詰めていた北棟を、少しだけ元へ戻していた。
リリアーナが小さく息を吐く。
怖かった。
本当に。
でも。
戻ってきた。
ちゃんと。
助けに来てくれた。
「……おかえりなさい」
小さな声だった。
だが。
レオンの動きが、一瞬だけ止まる。
「……ああ」
短い返事。
それだけ。
それだけなのに。
リリアーナの胸が、少しだけ熱くなった。
東の塔には、帰る場所なんてなかった。
でも今は違う。
この人には、もう。
“戻る場所”ができている。
その時。
北棟全体へ、鐘の音が響いた。
警報解除。
教師たちの声が聞こえる。
「制圧完了!」
「負傷者搬送急げ!」
「北棟封鎖開始!」
戦いは、ようやく終わった。
だが。
レオンは窓の外を見る。
王城。
あの場所は、まだ動いている。
今回で終わるわけがない。
むしろ。
ここからが本番だ。
『主』
イグニスが低く笑う。
『派手になってきたな』
「ああ」
『どうする?』
レオンは静かに目を細めた。
「……次は、こっちから行く」
守るだけでは終わらない。
無能王子は。
もう、奪われる側ではないのだから。




