第55話「崩落する北棟、無能王子は“戻る場所”へ駆け上がる」
北棟地下区画。
轟音が、地下全体を揺らしていた。
ゴゴゴゴゴ――ッ!!
石壁が軋む。
天井から砂塵が降り注ぐ。
崩落。
しかも一部ではない。
通路そのものを潰す規模だった。
『主!』
イグニスの声が響く。
『完全に埋める気だ!!』
「ああ」
レオンは即座に状況を把握する。
地下封鎖。
そして上層との分断。
つまり――
「時間稼ぎか」
リヒトが壁際で息を呑む。
「……最後まで徹底していますね」
「お前たちのやり方だ」
「私はもうお前たち扱いですか」
「違うのか」
リヒトは返せなかった。
返す資格が、自分にあるとは思えなかった。
レオンはすぐに視線を切る。
今はこいつに構っている時間はない。
上だ。
リリアーナ。
エリシア。
アルベルト。
そして学園。
上でまだ戦っている。
その時。
地下通路の奥から、爆発音がもう一度響いた。
ドォンッ!!
空気が震える。
床に亀裂が走る。
リヒトの顔色が変わる。
「……まずい」
「何だ」
「北棟の柱構造です」
リヒトが苦い顔で言う。
「地下区画の崩落が連鎖すると、上階まで巻き込みます」
レオンの目が細くなる。
「どの程度だ」
「最悪、北棟半壊」
空気が止まる。
学園結界炉。
暴走核。
そして今の崩落。
王城は最初から、“壊す前提”で動いていた。
「……ふざけるな」
レオンの声が低くなる。
地下の温度が少し下がった。
怒っている。
静かに。
だが確実に。
『主』
ノワールが小さく笑う。
『かなり怒ってるね』
「当然だ」
レオンは崩落を見上げる。
瓦礫。
粉塵。
通路は半分以上埋まり始めている。
普通なら脱出不能。
だが。
「イグニス」
『おう』
「吹き飛ばすな」
『難易度高い注文だな!?』
「通路だけ開ける」
『はいはい』
レオンの右手へ、淡い炎が集まる。
赤金色。
だが以前のような暴力的な炎ではない。
収束。
圧縮。
極限まで制御された熱。
レオンが瓦礫へ手を向ける。
「開け」
次の瞬間。
炎が走った。
爆発ではない。
熱線。
一直線。
崩落した瓦礫だけを正確に焼き切る。
赤熱。
溶断。
巨大な岩塊が滑るように崩れ落ち、通路に道が生まれる。
リヒトの目が見開かれた。
「……そんな制御」
「行くぞ」
レオンは即座に踏み込む。
リヒトが反射的に声を上げる。
「待ってください!」
レオンが止まる。
「何だ」
「……私を置いていく気ですか」
「当然だ」
「酷いな……」
リヒトは苦笑した。
だが、立ち上がる。
ふらつきながら。
「一応、降参したんですが」
「知っている」
「なら捕縛してください」
「面倒だ」
「そこですか」
レオンは少しだけ考える。
今ここに放置すれば、崩落に巻き込まれる可能性が高い。
だが連れていけば邪魔になる。
合理的に考えれば切り捨てるべき。
以前の王城なら、迷わずそうしただろう。
だが。
「……歩けるか」
リヒトが少し目を見開く。
「助けるんですか」
「質問に答えろ」
「歩けます」
「なら来い」
「お人好しですね」
「違う」
レオンは通路へ視線を向ける。
「後味が悪いだけだ」
リヒトは少しだけ笑った。
どこか、寂しそうな笑いだった。
レオンは崩れかけた地下通路を駆ける。
速い。
だが焦りだけではない。
常に周囲を見ている。
崩落方向。
亀裂。
魔力流。
全部を把握している。
その背後を、リヒトが必死に追う。
「はっ……!」
「速すぎる……!」
「死にたくないなら走れ」
「その励まし方どうなんですか……!」
その瞬間。
天井が崩れた。
巨大な岩塊。
真正面。
リヒトの顔から血の気が引く。
「っ――!!」
反応できない。
だが。
レオンが踏み込む。
拳。
一撃。
轟音。
岩塊が砕け散る。
破片が周囲へ飛び散る。
リヒトが呆然と立ち尽くす。
「……素手」
「走れ」
「いや今のは流石に――」
「黙れ」
レオンは止まらない。
地下階段が見える。
だが。
『主』
セレネの声が少し強張る。
『上、かなり荒れてる』
「分かるのか」
『うん』
一瞬。
レオンの脳裏へ映像が流れる。
北棟上階。
炎。
破壊された廊下。
そして。
複数の敵に囲まれるリリアーナたち。
レオンの目が変わる。
「……っ」
速度が上がる。
リヒトが息を呑む。
「まだ速くなるんですか!?」
「黙ってついてこい」
地下階段を駆け上がる。
一段飛ばし。
いや、三段飛ばしに近い。
人間離れした速度。
だが。
上へ近づくほど、空気が悪くなる。
煙。
焦げ臭さ。
魔力の乱流。
戦闘が続いている。
階段途中で、教師の一人が倒れていた。
血を流している。
「先生!」
リヒトが反射的に駆け寄る。
レオンも止まる。
教師はまだ生きている。
だが傷が深い。
「……北棟三階……」
教師が苦しそうに言う。
「生徒たちが……まだ……」
「敵は」
「黒衣……十以上……」
レオンの空気が変わる。
まだいる。
しかも複数。
リヒトが顔をしかめる。
「……そこまで投入していたんですか」
「知らなかったのか」
「私は地下担当です」
完全分業。
つまり。
王城は最初から同時多発で潰す気だった。
レオンは教師を抱き上げる。
リヒトが驚く。
「え」
「運べ」
「私が?」
「他に誰がいる」
「いや、捕虜ですよ私」
「歩けるんだろ」
「……無茶苦茶だな」
それでもリヒトは教師を支える。
完全に戦意は消えていた。
いや。
心そのものが揺れている。
レオンは上を見る。
三階。
魔力反応。
リリアーナ。
エリシア。
アルベルト。
全員まだ戦っている。
『主』
ノワールが静かに言う。
『かなり押されてる』
レオンの目が細くなる。
怒り。
焦り。
そして。
わずかな恐怖。
失うかもしれないという感覚。
それが胸を掠める。
東の塔では、何もなかった。
だから失うものもなかった。
でも今は違う。
待っている奴がいる。
戻る場所がある。
だから。
「……間に合わせる」
低い声。
次の瞬間。
レオンが階段を蹴った。
爆発的な加速。
風が巻く。
リヒトが目を見開く。
「速――」
最後まで言えなかった。
もうレオンの姿が消えていたから。
三階。
北棟上層。
そこでは。
「っ……!」
リリアーナが結界を維持していた。
額から汗が落ちる。
結界にはヒビ。
その向こうでは黒衣の兵たちが術式を叩き込み続けている。
「まだですの!?」
エリシアが風刃を放つ。
だが敵の数が多い。
さらに後方では、巨大な術式陣が展開されていた。
アルベルトが炎剣で押し返す。
「くそっ……!」
押されている。
敵の狙いは明確だった。
リリアーナ。
結界担当を潰そうとしている。
「壊せ!」
「結界を破れ!」
黒衣たちが一斉に魔力を叩き込む。
結界が軋む。
リリアーナの足が震える。
「っ……!」
限界が近い。
その瞬間。
敵の一人が結界の死角へ回り込んだ。
短剣。
一直線。
リリアーナの背後へ。
「リリアーナ!!」
アルベルトが叫ぶ。
間に合わない。
エリシアの顔色が変わる。
だが。
次の瞬間。
轟音が北棟を揺らした。
壁が吹き飛ぶ。
風圧。
砂煙。
そして。
黒衣の兵が、一瞬で廊下の端まで吹き飛ばされた。
「なっ――」
全員の動きが止まる。
煙の中。
そこに立っていた。
黒い外套。
金の瞳。
静かな怒気。
レオンだった。
「……待たせた」
低い声。
その一言だけで。
リリアーナの肩から、力が抜けそうになった。




