第52話「北棟急襲、無能王子は“今守るべきもの”を見失わない」
医務室を飛び出した瞬間。
空気が変わった。
学園中に広がっていた日常の気配が、ざわつきへ変わっている。
廊下を走る生徒たち。
教師の怒鳴り声。
遠くで鳴る警報鐘。
「全生徒、教室へ戻れ!」
「北棟へ近づくな!」
「落ち着いて移動しろ!」
混乱。
完全に。
だが、まだ崩壊していない。
ギリギリで抑え込んでいる。
「……始まったな」
レオンが低く呟く。
隣を走るリリアーナが息を飲む。
「魔力反応、かなり強いです……」
「分かるのか」
「はい」
彼女の顔が強張る。
「嫌な感じがします」
エリシアが前方を睨む。
「自然な暴走ではありませんわね」
「ああ」
レオンは即答する。
「作られている」
王城側。
間違いない。
学園内部で意図的に混乱を起こしている。
アルベルトが前へ出る。
「北棟は実習設備が多い」
「知っている」
「魔導具庫もあるぞ」
レオンの目が細くなる。
「……狙いはそこか」
魔導具。
もし暴走させれば、校舎ごと吹き飛ぶ。
そして混乱の中で本命を動かす。
実に王城らしいやり方だった。
「急ぐぞ」
レオンが速度を上げる。
廊下を曲がる。
階段を蹴る。
北棟へ近づくほど、空気が重くなっていく。
『主』
ノワールの声。
『魔力の流れがおかしい』
「どこだ」
『地下』
レオンの足が止まる。
「地下?」
「どうしました!?」
リリアーナが振り返る。
「上じゃない」
レオンは北棟を見る。
窓から煙が上がっている。
悲鳴も聞こえる。
だが。
「本命は地下だ」
「……陽動?」
エリシアがすぐ理解した。
「ああ」
レオンは舌打ちする。
「派手に騒いで、目を上へ向けている」
アルベルトが眉を寄せる。
「地下に何がある」
「古い魔力制御炉ですわ」
エリシアが即答する。
「現在は補助設備扱いですが、学園全域の結界補助も担っています」
空気が変わる。
リリアーナの顔色が青くなる。
「それ、壊されたら……」
「学園全体の防衛結界が落ちる」
レオンが言う。
「……まずいな」
王城の狙いが見えた。
結界を壊す。
混乱を広げる。
その上で、レオンを捕獲。
学園を人質にする気だ。
「役割変更だ」
レオンが即座に言う。
「リリアーナとエリシアは上を抑えろ」
「レイさんは!?」
「地下へ行く」
即答。
「一人で!?」
「人数が多いと遅い」
リリアーナが反射的に腕を掴む。
「駄目です!」
珍しく強い声だった。
全員が一瞬止まる。
リリアーナ自身も驚いている。
だが、離さない。
「危険すぎます!」
「分かっている」
「だったら――」
「だからだ」
レオンが静かに言う。
「今、一番危険な場所へ行けるのは俺だ」
リリアーナが言葉を失う。
正しい。
分かっている。
でも。
「……また、一人で行くんですか」
小さな声。
苦しそうな声だった。
レオンは少しだけ目を伏せる。
「違う」
「え……?」
「お前たちが上を守る」
短く言う。
「俺は下を潰す」
一拍。
「役割分担だ」
リリアーナの手が少し震える。
それでも、ゆっくり離した。
彼は最初から全部一人で抱えようとしていた。
でも今は違う。
ちゃんと任せようとしている。
それが分かる。
「……分かりました」
悔しそうに。
でも、しっかり頷いた。
「絶対、戻ってきてください」
「努力する」
「今は絶対です!」
「……善処する」
「変わってません!」
少しだけ空気が緩む。
だが次の瞬間。
北棟上階で爆発音。
窓ガラスが吹き飛ぶ。
「来ましたわね」
エリシアが扇子を開く。
風が巻く。
「殿下」
「分かってる!」
アルベルトが剣を抜く。
炎が走る。
「上は任せろ!」
レオンは短く頷く。
「死ぬな」
「お前にだけは言われたくない!」
その返しに、レオンの口元がほんの少しだけ動いた。
笑った。
ほんの僅か。
だが確かに。
アルベルトが目を見開く。
「……今笑ったか?」
「気のせいだ」
「絶対笑っただろ!」
「行け」
「誤魔化した!?」
レオンはそれ以上返さず、北棟地下への通路へ走り出した。
暗い階段。
人気はない。
空気が冷たい。
そして。
魔力が濃い。
『主』
イグニス。
『いるな』
「ああ」
階段の下。
複数。
しかも。
「……強い」
ヴァイスナー級ではない。
だが。
数がいる。
統率もある。
完全に“準備された部隊”だ。
地下通路へ降り切った瞬間。
拍手が響いた。
「お見事」
男の声。
奥から、一人の青年が現れる。
白銀の髪。
細い目。
学園教師の制服。
だが、纏う空気が違う。
「地下に気づくとは思いませんでした」
レオンは立ち止まる。
「教師に化けていたか」
「ええ」
男は穏やかに笑う。
「王城特務局所属、リヒトと申します」
「興味ない」
「冷たいですね」
「用件を言え」
リヒトは肩をすくめる。
「単純ですよ」
その瞬間。
地下空間の奥で巨大な魔力が脈打った。
ドクン、と。
心臓みたいに。
「学園結界炉、暴走準備完了です」
空気が変わる。
「あと五分で臨界」
リヒトが笑う。
「止められますか?」
挑発。
だが。
レオンは静かだった。
「止める」
即答。
「へぇ」
「ついでに」
一歩、前へ出る。
地下空間の空気が沈む。
「お前も潰す」
リヒトの笑みが深くなる。
「それは困る」
次の瞬間。
地下通路の左右から、黒衣の兵たちが一斉に現れた。
十。
いや、十二。
完全包囲。
さらに奥では、暴走寸前の結界炉が脈打っている。
時間制限。
多勢。
しかも結界を守りながら戦う必要がある。
普通なら詰みだった。
だが。
レオンの目は冷えたままだった。
『主』
ノワールが笑う。
『面白くなってきた』
「……ああ」
静かな声。
「全部まとめて片付ける」
無能王子は。
もう、守るために迷わない。
だから。
踏み込む。




