第45話「静かな侵食、無能王子は“守る場所”で先手を取る」
朝の学園は、何事もなかったかのように動いていた。
石畳を踏む足音。
談笑。
教室へ急ぐ生徒たち。
だが――
レオンは門をくぐった瞬間、足を止めた。
「……」
ほんの一瞬。
誰にも気づかれない程度の、僅かな停滞。
空気が、違う。
『主』
ノワールの声が低くなる。
『昨日より増えてる』
「ああ」
視線を上げる。
見えるわけではない。
だが“いる”。
柱の影。
窓際。
人の流れに紛れた位置。
普通の生徒の動きではない“間”。
『四、じゃないね』
『六……いや、もっといる』
イグニスが補足する。
『分散配置だ。露骨に増やしてきた』
「……焦っているな」
短く呟く。
王城側の判断は速い。
塔での失敗を、学園で取り返す気だ。
なら――
こちらも、前提を変える。
「レイさん!」
声。
振り返る前に分かる。
リリアーナが駆け寄ってくる。
「おはようございます」
「おはよう」
短く返す。
だが視線は周囲のまま。
リリアーナが一歩近づく。
「……何かありました?」
「なぜだ」
「顔が違います」
即答だった。
迷いがない。
レオンは一瞬だけ彼女を見る。
観察している。
逃さない。
「……気のせいだ」
「違います」
少しだけ強い声。
「昨日の夜、何かありましたよね」
核心に触れる。
レオンは答えない。
沈黙。
その沈黙に、リリアーナは引かなかった。
「教えてほしい、とは言いません」
一歩、さらに近づく。
「でも」
小さく息を吸う。
「巻き込まれるなら、覚悟はしておきたいです」
真っ直ぐだった。
守られる側ではなく、立つ側の言葉。
レオンはわずかに目を細める。
「……なら一つだけ言う」
「はい」
「今日、何か起きる」
短い。
だが明確。
リリアーナの表情が固まる。
「規模は?」
「不明」
「場所は?」
「学園」
それだけで十分だった。
リリアーナは息を吐く。
逃げる選択肢は出てこない。
「分かりました」
頷く。
「じゃあ、逃げません」
「逃げろ」
即答。
リリアーナが少しだけ眉を寄せる。
「なんでですか」
「巻き込まれる」
「分かってます」
「なら――」
「それでも、です」
被せた。
強く。
レオンは一瞬だけ言葉を止める。
「……面倒だな」
「褒め言葉として受け取ります」
ほんの少しだけ、空気が緩む。
だが次の瞬間。
「随分と楽しそうですわね」
横から声。
エリシアだった。
腕を組み、こちらを見ている。
「朝から密談ですの?」
「違う」
「なら共有なさい」
「必要ない」
「あります」
間髪入れず。
レオンは目を細める。
エリシアは一歩近づく。
「“今日何か起きる”」
リリアーナが息を呑む。
エリシアは微笑んだ。
「それくらいの顔をしていますわ」
見抜いている。
レオンは一瞬だけ沈黙する。
「……厄介だな」
「褒め言葉として受け取りますわ」
同じことを返す。
だが声音が違う。
余裕がある。
「規模は?」
「不明」
「相手は?」
「王城」
その一言で、空気が変わった。
エリシアの瞳がわずかに細くなる。
「本気ですのね」
「ああ」
「……面白いですわね」
普通なら“危険”と出る場面。
だが彼女は違う。
「やっと退屈が終わる」
「そうか」
「ただし」
一歩近づく。
「負けるつもりはありませんわよ」
「好きにしろ」
アルベルトが割り込む。
「おい」
「何だ」
「昨日の続きだ」
腕を組んだまま、睨む。
「逃げるなよ」
「逃げていない」
「じゃあ今日やる」
「何を」
「証明だ」
一歩近づく。
「俺が、お前に負けっぱなしじゃないってな」
悔しさが滲んでいる。
だが目は折れていない。
レオンは数秒見てから言う。
「……タイミングが悪い」
「は?」
「今日はそれどころじゃない」
アルベルトが眉をひそめる。
「どういう意味だ」
沈黙。
レオンは答えない。
代わりに。
視線だけを、校舎の方へ向ける。
その瞬間。
空気が変わった。
『主』
ノワール。
『来た』
音はない。
だが“切り替わった”。
学園という日常が、一段階下へ落ちる。
「……始まったな」
レオンが呟く。
次の瞬間。
遠くで――
ガラスが割れる音。
悲鳴。
遅れて、衝撃。
地面がわずかに震える。
「なっ……!」
アルベルトが振り返る。
「どこだ!?」
「東校舎」
レオンは即答する。
「二階、中央廊下」
「なんで分かる!」
「分かる」
それだけ。
説明はない。
だが確信だけがある。
リリアーナが息を呑む。
「……行きます」
「待て」
レオンが止める。
短く。
だが強い。
「俺が行く」
「でも――」
「来るな」
即答。
だが。
次の言葉が出る前に。
エリシアが言った。
「行きますわ」
「やめろ」
「却下です」
噛み合わない。
だが目は真剣。
「貴方一人で抱える話ではありません」
「抱えていない」
「抱えています」
一歩も引かない。
沈黙。
数秒。
レオンは息を吐いた。
「……勝手にしろ」
完全な許可ではない。
だが拒絶でもない。
それだけで十分だった。
「行くぞ」
レオンが踏み出す。
その背中に、三人が続く。
学園は、もう日常ではない。
王の手が伸びた。
そして。
レオンはそれを、正面から受け止める。
守るために。
奪わせないために。
――ここからが、本当の戦いだった。




