第44話「王の手と夜の牙、無能王子は静かに盤面を返す」
東の塔、最上階。
夜は静かだった。
さっきまでの戦闘が嘘みたいに。
風が、ゆっくりと石の隙間を抜けていく。
焦げた匂いが、まだ少しだけ残っていた。
レオンは窓辺に立っていた。
王都の灯りを見下ろしている。
遠い。
だが、確実に繋がっている場所。
「……来るな」
ぽつりと落ちる。
誰に向けた言葉でもない。
『主』
イグニスの声が低い。
『完全に目をつけられた』
「ああ」
短い返事。
だが、その声はさっきよりわずかに重い。
『次は規模が上がる』
「だろうな」
『楽しそうじゃないな』
「当然だ」
ヴァルガが割り込む。
『えー、俺は楽しいぞ?』
「黙れ」
『冷たい!』
ノワールが小さく笑う。
『でも主、分かってるでしょ』
「何を」
『もう“隠れる側”じゃない』
沈黙。
レオンは答えない。
ただ、視線を王都へ向けたまま。
「……ミーア」
「はい」
すぐ後ろに立っていた。
気配がない。
だが、ずっといた。
「報告」
「暁の夜より連絡が入っています」
水晶を差し出す。
レオンはそれを受け取る。
「クロードか」
『はい、主』
落ち着いた声。
だが奥に緊張がある。
『王城が本格的に動きました』
「内容は」
短い問い。
『三点あります』
一拍。
『東の塔への監視強化』
「想定内だ」
『はい』
『学園内部への人員投入』
ここで、ほんの一瞬だけ。
レオンの視線が揺れた。
ミーアは見逃さない。
『教師にも偽装しています』
カティアの顔が浮かぶ。
あの人間は違う。
だが。
他は違う。
「……数は」
『確認できているだけで四』
『潜伏型がいるため、実数は不明』
少しだけ間。
『三つ目』
クロードの声が低くなる。
『捕獲命令です』
空気が止まる。
「誰の」
分かっている。
それでも聞く。
『レイ・ノクト』
静かに落ちる名前。
『生け捕り優先』
『場合によっては強制拘束』
沈黙。
長い。
誰も言葉を出さない。
レオンは水晶を見たまま動かない。
やがて。
「……そうか」
それだけ。
驚きはない。
怒りもない。
ただ、確定した。
“狙われている”という事実が。
『どうされますか』
クロードの声。
試すようなものではない。
純粋な確認。
レオンの判断を待っている。
暁の夜は動ける。
王都の裏は抑えている。
だが。
王城と正面からぶつかれば、戦争になる。
普通なら、引く。
隠れる。
消える。
だが――
「変わらん」
短く言う。
ミーアの肩がわずかに揺れる。
『守る、ですか』
「ああ」
静か。
だが揺れない。
「ただし」
一歩、窓から離れる。
「相手の手も折る」
クロードが小さく息を吐く。
『……主らしい』
「暁の夜は動くな」
ミーアが顔を上げる。
「レオン様、それは――」
遮る。
「今動けば繋がる」
短い。
だが理屈は明確。
『了解しました』
クロードもそれ以上言わない。
通信が切れる。
静寂が戻る。
ミーアが一歩近づく。
「……本当に、よろしいのですか」
声が少しだけ低い。
珍しい。
「何が」
「単独で動くことです」
数秒の沈黙。
レオンは答えない。
代わりに、ゆっくりと振り返る。
「違う」
「……え?」
「単独じゃない」
短く言う。
ミーアの目がわずかに開く。
「舞台は学園だ」
理解した。
ミーアの呼吸が一瞬止まる。
「……危険です」
「分かっている」
「それでも?」
レオンは一瞬だけ目を細める。
「向こうが選んだ場所だ」
一歩。
「なら、使う」
ミーアは言葉を失う。
これは防御ではない。
完全に。
攻めだ。
「……誘うのですね」
「ああ」
静かに肯定する。
その時。
場面は切り替わる。
王城。
重厚な石壁の中。
会議室。
「東の塔、侵入失敗」
黒衣の男が報告する。
空気が冷える。
「失敗だと?」
「精鋭を送ったはずだ」
「隊長含め、全員無力化」
沈黙。
重臣たちの顔が歪む。
「あり得ぬ……」
「魔力ゼロだぞ」
その言葉に。
国王が初めて口を開く。
「だからだ」
静かな声。
全員が止まる。
「魔力ゼロでそれなら、尚更面白い」
王妃が冷たく言う。
「危険です」
「分かっている」
即答。
だが否定しない。
「だからこそ使える」
その一言。
部屋の温度が下がる。
「捕獲は継続」
「ですが――」
「舞台を変える」
重臣が顔を上げる。
「学園だ」
王の目が細くなる。
「周囲を使え」
短い。
だが意味は重い。
「守る者がいる」
一拍。
「なら、それを使えばいい」
東の塔。
レオンは空を見上げていた。
星がある。
変わらない。
だが。
状況は変わった。
『主』
ノワール。
『完全に来るね、これ』
「ああ」
『しかも学園で』
「だろうな」
短い会話。
だが、その裏にあるものは大きい。
レオンは目を閉じる。
浮かぶ顔。
リリアーナ。
エリシア。
アルベルト。
ミーア。
暁の夜。
全部。
守ると決めた。
なら。
「……来い」
低く呟く。
誰にでもない。
だが確実に届く言葉。
「全部、叩き潰す」
その声は静かだった。
だが。
逃げる気は、もう一切なかった。




