第41話「揺れる日常、無能王子は嵐の前で静かに牙を研ぐ」
翌朝。
学園は、いつも通りの顔をしていた。
石畳を歩く生徒たち。
教室へ急ぐ足音。
談笑。
欠伸。
昨日の騒動など、まるでなかったかのような光景。
だが――
違う。
見えないだけで、確実に何かが変わっていた。
「ねえ、聞いた?」
「黒牙団が壊滅したって」
「え、それって本当なの?」
「王都南区画で戦闘があったらしいよ」
噂が流れている。
だが断片的だ。
真実は隠されている。
王都の混乱を避けるため。
そして――
“ある人物”を隠すため。
「おはようございます、レイさん」
教室へ入ると、リリアーナがすぐに立ち上がった。
少しだけ緊張している。
だが笑顔だった。
「おはよう」
レオンは短く返す。
そのまま席へ向かう。
視線が集まる。
いつもより多い。
理由は分かっている。
実習での活躍。
そして――
“何かあった”という空気。
エリシアが椅子に座ったまま言う。
「人気者ですわね」
「面倒だ」
「羨ましい限りですわ」
「そうか」
「全く思っていませんね」
軽口。
だがそのやり取りに、周囲の空気が少し緩む。
アルベルトは腕を組んだまま、レオンを見ていた。
「……」
言葉はない。
だが目は変わっている。
以前の見下しではない。
何かを測るような視線。
レオンは無視した。
気にする必要はない。
授業が始まる。
教師の声。
黒板に書かれる魔法理論。
普通の時間。
だが。
『主』
ノワールの声が割り込む。
『来てる』
「何が」
『視線』
レオンはペンを動かしながら、意識だけを外へ向ける。
いる。
学園の中に。
違和感。
学生でも教師でもない気配。
「……王城か」
『たぶん』
『動き早ぇな』
イグニスが低く言う。
昨日の今日。
調査が入るのは当然だ。
「好きにさせろ」
『いいのか?』
「今はな」
下手に動けば怪しまれる。
ここは“普通の学生”でいるべきだ。
授業が終わる。
休み時間。
リリアーナが近づいてくる。
「レイさん」
「何だ」
「昨日のこと……」
少しだけ声を落とす。
「大丈夫ですか」
「問題ない」
「……本当に?」
「本当だ」
短い。
だがリリアーナはそれ以上追及しなかった。
代わりに、少しだけ距離を詰める。
「何かあったら、言ってくださいね」
「なぜだ」
「その方が安心するからです」
レオンは少しだけ目を細める。
理由としては弱い。
だが。
拒む理由もない。
「……覚えておく」
それだけで、リリアーナの顔が少し明るくなった。
エリシアが横から言う。
「わたくしにも報告なさい」
「なぜだ」
「監督です」
「いつからだ」
「今からです」
「却下だ」
「却下は却下します」
「意味が分からない」
軽い口論。
だがその空気は、昨日までとは違う。
どこか柔らかい。
アルベルトが立ち上がる。
「レイ・ノクト」
「何だ」
「昼、付き合え」
「断る」
「断るな!」
「面倒だ」
「鍛錬だ!」
「一人でやれ」
「逃げるのか!」
「違う」
少しだけ間を置く。
「お前の鍛錬は、俺の時間を使う価値がない」
「くそっ……!」
悔しそうに歯を食いしばる。
だが引かない。
「なら価値を示す!」
「好きにしろ」
完全に変わり始めていた。
その様子を見て、エリシアが小さく笑う。
「いい傾向ですわね」
「そうか」
「ええ、ようやく王子らしくなってきました」
「以前は違ったのか」
「ただの厄介な子供でしたわ」
「今も変わらん」
「否定できませんわね」
昼休み。
中庭。
パンと軽食を持って座る。
リリアーナが隣に座る。
自然だった。
もう遠慮がない。
「これ、どうぞ」
差し出されたのは手作りの軽食。
「……作ったのか」
「はい」
「なぜだ」
「お礼です」
昨日の続き。
レオンは少しだけ見てから受け取る。
「毒は入っていないな」
「入れません!」
即答。
少し怒っている。
一口食べる。
「……普通だ」
「普通って何ですか!?」
「悪くないという意味だ」
「それなら最初からそう言ってください!」
声が少し大きくなる。
周囲が笑う。
レオンは無視して食べ続ける。
エリシアが反対側に座る。
「わたくしの分は?」
「ありません」
「差別ですわ」
「当然です」
「いい度胸ですわね」
だが本気ではない。
その時。
空気が、変わった。
『主』
ノワール。
『増えた』
「……ああ」
視線。
複数。
さっきより明確。
そして――敵意ではない。
監視。
王城の者。
「面倒だな」
呟く。
リリアーナが首を傾げる。
「どうかしましたか」
「何でもない」
だが。
もう“日常”ではない。
王は動いた。
東の塔。
暁の夜。
学園。
すべてに手が伸びる。
レオンはパンを食べ終え、立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
リリアーナ。
「散歩だ」
「授業ありますよ?」
「少しだけだ」
そのまま歩き出す。
人気の少ない校舎裏へ。
そして。
止まる。
「出てこい」
静かな声。
数秒の沈黙。
やがて、影から一人の男が現れる。
黒い服。
無駄のない動き。
明らかに学生ではない。
「……気づいていたか」
「気配が甘い」
「ほう」
男は少しだけ笑う。
「さすが、第一王子」
レオンの目が細くなる。
「その呼び方はやめろ」
「命令か」
「忠告だ」
男は肩をすくめる。
「王命で動いている」
「だろうな」
「東の塔について、話を聞きたい」
「知らないな」
「嘘をつくな」
「事実だ」
沈黙。
風が吹く。
木の葉が揺れる。
男は一歩近づく。
「なら――」
その瞬間。
影が動いた。
ノワール。
男の足元を絡め取る。
「なっ……!」
「次はない」
レオンの声が落ちる。
「学園で騒ぐな」
圧。
殺気ではない。
だが明確な“格”の差。
男は歯を食いしばる。
「……報告する」
「好きにしろ」
影が解ける。
男はすぐに離脱した。
レオンは空を見上げる。
「……始まったな」
王の監視。
王家の干渉。
もう隠れられない。
だが――
「関係ない」
短く呟く。
守るものは決まっている。
帰る場所もある。
なら。
やることは一つ。
牙を研ぐだけだ。
嵐はまだ、始まったばかりだった。




