第4話「光と闇の双子妖精は、君を一人にしない」
白と黒の扉が、静かに脈打っていた。
炎の赤。
水氷の青。
風雷の緑紫。
それらとはまったく違う気配だった。
この扉から漏れてくる力は、相反しているはずなのに、妙に調和している。
温かいのに冷たい。
優しいのに鋭い。
包み込むようで、突き放すようでもある。
光と闇。
普通なら交わらぬ二つが、ここでは一つの呼吸のように揺れていた。
扉の表面には、二体の小さな妖精が描かれている。
一体は白い羽を広げ、花の上に座る少女。
一体は黒い羽を畳み、月影に佇む少女。
背中合わせ。
けれど、手だけは繋がれていた。
レオンはその紋様を見つめた。
「……双子か」
セレネが静かに頷く。
「ええ。いつも一緒。昔から、ずっと」
ヴァルガは子虎姿のまま、レオンの足元で尻尾をぱたぱた振っている。
「でも気をつけろよ!」
「何にだ」
「距離感!」
「意味がわからない」
「すぐわかる!」
イグニスは肩の上で小さく羽を整えた。
「覚悟しておけ」
「だから何にだ」
三体とも、妙に含みのある言い方をする。
レオンは嫌な予感しかしなかった。
だが、ここまで来て引き返すつもりはない。
四体目。
最後の神霊。
契約すれば、自分の中の神力は完成するのだろう。
レオンは扉に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間。
扉の向こうから、声が響いた。
「来たっ!」
高く、明るく、鈴のような声。
続いてもう一つ。
「……遅い」
低く、静かで、夜に溶けるような声。
次の瞬間。
扉が、内側から爆発するように開いた。
「レオン様ぁぁぁぁっ!!」
「っ!?」
白い何かが飛んできた。
小さい。
速い。
眩しい。
レオンの顔面へ一直線。
反射的に避けようとしたが、間に合わなかった。
柔らかい衝撃。
そのまま胸元へ飛び込まれ、ぎゅうっと抱きつかれる。
「会いたかったですぅぅぅ!」
「……何だこれは」
レオンは無表情のまま固まった。
腕の中にいたのは、小さな少女だった。
手のひら二つ分ほどの大きさ。
ふわふわと空中に浮いている。
雪のように白い髪。
金色の瞳。
背中には半透明の羽。
白いワンピースのような衣装を纏い、全身が淡く光っていた。
妖精。
それ以外に言いようがない。
しかも、ものすごく抱きついてくる。
「レオン様レオン様レオン様! 本物! 本当に来た! わぁぁぁ!」
「離れろ」
「やです!」
「即答するな」
「千年待ったんですよ!?」
「重い」
「愛がですか!?」
「全部だ」
白い妖精はきゃーっと嬉しそうに笑った。
レオンは頭痛を覚え始めた。
その時。
背後の影が、すっと伸びた。
「……触れすぎ」
黒い声。
次の瞬間、白妖精の首根っこが影に掴まれ、すぽんと引き剥がされた。
「きゃあっ!」
レオンの前に、もう一体の妖精が現れる。
こちらも同じくらい小さい。
だが雰囲気は真逆だった。
夜のように黒い髪。
深紫の瞳。
黒い羽。
黒いドレス。
表情は静かで、感情をあまり出さない。
だが、その瞳だけは異様に鋭かった。
彼女は白妖精を影で吊り下げたまま、レオンへ向き直る。
「初めまして、レオン」
声は落ち着いている。
「うるさい姉の代わりに謝る」
「誰が姉ですか! 同時誕生です!」
「黙って」
「横暴!」
影がぎゅっと締まり、白妖精がじたばた暴れた。
レオンはしばらく沈黙した後、言った。
「……面倒なのが増えたな」
「増えたぞ!」
ヴァルガが嬉しそうに言う。
「黙れ」
「はい」
なぜか即座に従った。
黒妖精は白妖精を床へぽいっと放り投げる。
白妖精は空中でくるんと回転し、何事もなかったようにレオンの肩へ着地した。
「ふふん!」
「何を誇っている」
「レオン様の肩です!」
「降りろ」
「やです!」
「二回目だな」
黒妖精がこめかみに手を当てる。
「……頭痛い」
「妖精も頭痛くなるのか」
「この子といると、よくなる」
レオンは少しだけ同情した。
黒妖精は静かに一礼する。
「私はノワール。闇を司る妖精」
肩の白妖精もぴょんと跳ねる。
「私はルミア! 光を司る妖精です! よろしくお願いします、未来永劫!」
「重い」
「運命です!」
「話を聞け」
セレネがくすりと笑う。
「相変わらずね、二人とも」
「セレネぇぇぇ!」
ルミアが飛びつこうとした瞬間、ノワールの影が掴んだ。
「順番」
「細かい!」
「大事」
イグニスが低く言う。
「レオン、疲れる前に本題へ入れ」
「そうする」
レオンは双子妖精を見る。
「お前たちも、契約者が名を与えることで存在が定着するのか」
ルミアがきょとんとした。
「え?」
ノワールも珍しく瞬いた。
「……もう決まってる」
「何?」
ルミアが胸を張る。
「私たち、ずっと前から名前あります!」
レオンは数秒黙った。
「……じゃあ今までの流れは何だった」
「他の三人と同じかなって!」
「合わせるな」
「ノリって大事です!」
「大事じゃない」
ヴァルガが大笑いする。
「いいぞルミア!」
「やったー!」
ノワールが影を伸ばし、二体まとめて黙らせた。
レオンは深く息を吐く。
「つまり、お前たちは最初からルミアとノワールなのか」
「はい!」
「そう」
「なら契約はどうする」
ルミアとノワールが同時に、すっと真顔になった。
空気が変わる。
ふざけた気配が消えた。
光と闇が静かに広がる。
レオンの周囲に、白い羽と黒い羽が舞い落ちる。
「契約は」
ルミアが言う。
「名前じゃなくて、選択です」
「選択?」
ノワールが続ける。
「光だけ選ぶか」
「闇だけ選ぶか」
「両方を選ぶか」
「どちらも拒むか」
レオンは目を細める。
「どう違う」
ルミアがふわりと前へ出る。
その体から柔らかな光が広がった。
胸の奥まで温まるような光。
優しい朝日のような力だった。
「光だけを選べば、癒やし、祝福、浄化、守護」
次にノワールが進み出る。
彼女の周囲に静かな闇が満ちる。
恐怖の闇ではない。
傷を隠し、涙を見せなくて済む夜の闇。
「闇だけなら、隠密、拘束、侵食、恐怖、沈黙」
二人が並ぶ。
白と黒。
真逆の色。
だが、不思議と喧嘩しない。
「両方を選べば」
ルミアが笑う。
「救うことも」
ノワールが目を細める。
「裁くこともできる」
レオンの胸がわずかに揺れた。
救う。
裁く。
それは、今の自分が最も揺れている言葉だった。
弱者を救いたい気持ちは残っている。
だが、王家を許したくない怒りもある。
どちらか片方だけでは、たぶん嘘になる。
「拒めば?」
レオンが問う。
ノワールが静かに答えた。
「私たちは眠る」
「でも、ずっと待ちます!」
ルミアが元気よく言う。
「何年でも何千年でも!」
「重い」
「愛です!」
レオンはまたため息をついた。
だが、そのやり取りに少しだけ肩の力が抜ける。
「……選べと言われてもな」
レオンは呟いた。
「俺はまだ、自分が何をしたいのか決まりきっていない」
父を許せない。
母を許せない。
王家が嫌いだ。
でも、全部を壊したいわけではない。
守りたいものも、きっとこの先できる。
なら、自分は光か。
闇か。
答えは出ない。
「決まってなくていいですよ!」
ルミアが即答した。
「え?」
「決まってないから選ぶんです!」
ノワールも頷く。
「迷いがある者ほど、両方が必要」
レオンは二人を見る。
「迷っている俺でも?」
「あなたは迷ってるんじゃない」
ノワールが静かに言った。
「ちゃんと考えているだけ」
その言葉に、レオンの呼吸が止まりかけた。
今まで周囲は、答えだけを求めた。
魔力があるかないか。
使えるか使えないか。
価値があるかないか。
迷いも葛藤も、そこに意味はなかった。
だが、この妖精は違う。
迷いを否定しなかった。
考えているだけだと、言った。
ルミアがレオンの鼻先まで飛んでくる。
「レオン様!」
「近い」
「私たちを選んでください!」
「近い」
「二回言われた!」
「離れろ」
「やです!」
「三回目だな」
ノワールが無言でルミアを引きずった。
レオンは口元を押さえる。
笑ったわけではない。
だが、何かが込み上げた。
うるさい。
面倒。
距離が近い。
なのに。
嫌ではない。
「……両方だ」
レオンは静かに言った。
空気が止まる。
ルミアの瞳が大きく開く。
ノワールもわずかに目を見開いた。
「俺はまだ、優しいだけではいられない」
父の顔が浮かぶ。
母の声が響く。
神殿の嘲笑が蘇る。
「でも、憎しみだけにもなりたくない」
ミーナの笑顔が浮かぶ。
塔の外の子どもたち。
いつか会うかもしれない誰か。
守りたいものが、きっとある。
「だから」
レオンは二人を見た。
「光も、闇も、両方必要だ」
次の瞬間。
ルミアが泣いた。
「うわぁぁぁん! 選ばれたぁぁぁ!」
「泣くな、うるさい」
「嬉し泣きですぅぅぅ!」
ノワールは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……よかった」
その声だけは、誰よりも安堵していた。
光が満ちる。
闇が広がる。
白と黒の羽が嵐のように舞い上がる。
双子妖精の体が光と影に包まれ、神紋が浮かび上がる。
「契約成立!」
ルミアが高らかに叫ぶ。
「我ら、光闇の双子妖精!」
ノワールが続ける。
「ルミア、ノワール」
「契約者レオンに、永劫の忠誠を!」
「重い」
「愛です!」
レオンの胸の奥で、最後の神力が目覚めた。
光。
暖かく、包み、癒やす力。
闇。
静かに潜み、断ち、裁く力。
四つの神力が体内で巡る。
炎。
水氷。
風雷。
光闇。
すべてが繋がり、一つの大きな流れになる。
レオンの瞳に、一瞬だけ金と黒の光が宿った。
空間全体が震える。
東の塔の奥深くで、何かが目覚めたように。
イグニスが低く呟く。
「完成したか」
セレネが微笑む。
「ええ」
ヴァルガが尻尾を振る。
「こっからだな!」
ルミアはレオンの頭に着地した。
「定位置です!」
「違う」
ノワールは肩に座った。
「ここにする」
「勝手に決めるな」
「拒否権は?」
レオンは少し考えた。
「……ある」
「使う?」
ノワールが問う。
レオンは沈黙した。
ルミアは頭の上で鼻歌を歌っている。
ノワールは肩で静かに羽を畳んでいる。
重い。
近い。
うるさい。
だが。
「……今は使わない」
ルミアが歓声を上げた。
「きゃー!」
ノワールは小さく口元を緩めた。
「そう」
レオンは顔を背ける。
耳が少し赤い。
ヴァルガがにやにやしている。
「おい、照れて――」
「黙れ」
「はい」
即答だった。
イグニスが静かに言う。
「レオン」
「何だ」
「これで四体揃った」
「……ああ」
「次は外だ」
その言葉に、レオンの胸が鳴る。
外。
塔の外。
王都。
学園。
平民としての生活。
そして、自分を捨てた世界。
まだ怖い。
まだ怒りもある。
まだ何も終わっていない。
だが。
もう、一人ではない。
レオンはゆっくりと前を向いた。
肩にはイグニスとノワール。
頭にはルミア。
隣にはセレネ。
足元にはヴァルガ。
騒がしい。
信じられないほど騒がしい。
けれど、東の塔の沈黙よりずっといい。
「行くか」
レオンが言う。
五つの声が重なった。
「はい!」
「当然」
「待ってました!」
「ええ」
「進め」
東の塔で捨てられた少年は、今日。
本当の家族を得た。




