第38話「王城召喚、無能王子は帰りたくなかった場所へ向かう」
夕暮れの王都は、やけに静かだった。
ついさっきまで、中央門前には笑い声があった。
実習から帰還した生徒たちの安堵。
怪我はあっても命はある。
それだけで十分だと、誰もが思っていた。
――思っていたのに。
「王城からの命令だ」
その一言で、すべてが止まった。
空気が、変わる。
音が消える。
視線が一点に集まる。
鎧の軋む音を立てながら現れた伝令兵は、周囲など見ていない。
ただ一人だけを見ていた。
「学園一年A組代表、レイ・ノクト」
名前を呼ばれる。
それだけで、空気が重くなる。
「至急、王城へ出頭せよ」
短い。
だが拒否という選択肢が存在しない命令。
沈黙。
誰も動かない。
理解している。
王城とは何かを。
リリアーナの手が、わずかに震えた。
「……なんで」
小さな声。
だが、レオンにははっきり聞こえた。
エリシアが扇子を閉じる。
その動作がやけに大きく響く。
「理由は簡単ですわ」
いつものように冷静な声。
だが少しだけ鋭い。
「首席、実習での功績、王子との接触」
一つずつ並べる。
「そして――」
視線がレオンへ刺さる。
「異常な実力」
周囲が息を呑む。
「目をつけられない方がおかしい」
アルベルトは何も言わない。
ただ、歯を食いしばっている。
「……父上か」
低い声。
怒りと、苛立ちと、わずかな焦り。
レオンは淡々と問う。
「拒否は」
「不可能です」
即答だった。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で何かが、軋んだ。
――王城。
――玉座。
――冷たい視線。
記憶が、勝手に引きずり出される。
幼い頃の記憶。
まだ、すべてが壊れる前。
父が笑っていた。
母が頭を撫でてくれた。
暖かかった。
それが。
たった一日で終わった。
魔力ゼロ。
その一言で。
父の目が変わった。
母は何も言わなかった。
周囲は距離を取った。
婚約者は視線を逸らした。
――価値がない。
言葉にされなくても、理解できた。
そして。
東の塔へ。
閉じられた扉。
光の届かない部屋。
孤独。
静寂。
絶望。
『主』
セレネの声が優しく響く。
『大丈夫?』
「問題ない」
反射的に答える。
『嘘ですね』
ノワールが即答。
『心拍上昇、呼吸乱れ』
『主、めっちゃ嫌がってるな』
「黙れ」
リリアーナが一歩前へ出た。
「レイさん」
声が震えている。
だが逃げない。
「……一人で行くんですか」
「普通はそうだ」
「普通じゃありません」
はっきり言い切る。
「嫌な予感がします」
その言葉は、直感だった。
そして正しい。
王城は安全な場所ではない。
あそこは――
人の価値を切り捨てる場所だ。
レオンは少しだけ彼女を見る。
かつて守られるだけだった少女。
今は、こちらを心配している。
「……そうか」
「そうかじゃなくて」
袖を掴む。
小さく。
でも、離さない。
「気をつけてください」
数秒の沈黙。
そして。
「ああ」
それだけ。
だがリリアーナの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
エリシアが口を挟む。
「王城では言葉を選びなさい」
「面倒だ」
「死にますわよ」
「そうか」
「軽いですわね!?」
アルベルトが近づく。
一瞬、迷う。
そして言う。
「……父上はな」
目を逸らしたまま。
「気に入らない奴ほど試す」
沈黙。
「気をつけろ」
レオンは一瞬だけ弟を見る。
「お前が言うか」
「今だから言う」
短い。
だが本気だった。
ミーアが静かに近づく。
「レオン様」
いつも通り。
それが逆に救いだった。
「私も同行を――」
「不要だ」
「却下です」
「……」
「カティア先生を」
逃げ道はなかった。
馬車が動く。
王城へ。
窓の外。
王都。
守った街。
だが。
その中心にある場所だけは。
どうしても好きになれない。
「緊張していますか」
カティア。
「していない」
「嘘ですね」
「なぜだ」
「目が死んでいます」
鋭い。
少し黙る。
「……王城は嫌いだ」
初めての本音。
カティアはそれ以上聞かない。
「なら私がいます」
「頼もしい」
王城到着。
一歩踏み入れた瞬間。
冷たい。
あの日と同じ。
大扉。
開く。
赤い絨毯。
並ぶ重臣。
玉座。
そして。
国王。
視線が合う。
止まる。
呼吸が、一瞬だけ止まる。
そして。
「……似ているな」
静寂。
次の言葉で。
すべてが壊れた。
「レオンハルト・フォン・アルディア」
――過去が、引きずり出された。




