第35話「王都襲撃、無能王子は夜の王として動き出す」
森外縁部に、まだ戦いの余韻が残っていた。
折れた木。
裂けた地面。
砕け散った土壁。
氷の欠片。
倒れ伏す黒牙団の賊たち。
そして、教師と学生たちの荒い呼吸。
副頭領ガラムは完全に気を失い、大斧を手放したまま地面に沈んでいる。
その巨体を見下ろしながら、誰もが同じことを思っていた。
勝った。
助かった。
だが――終わっていない。
「黒牙団の頭領は、もう王都に入ってる……」
拘束された賊の言葉が、森の空気を凍らせた。
「今頃、王都の中で……もっとデカい獲物を狙ってる……!」
その一言に、教師たちの顔色が変わる。
学生たちは何を意味しているのか理解できず、ただ不安そうに周囲を見る。
アルベルトは剣を握ったまま、唇を噛んだ。
「王都だと……?」
リリアーナはレオンの腕に支えられたまま、息を呑む。
「王都に……まだ敵が……?」
レオンは答えなかった。
瞳だけが冷たく細められている。
思考が一気に走る。
黒牙団は学園実習を襲った。
目的は学生の拉致。
高位貴族や王族、特待生を人質に取るため。
だが、それが陽動だとしたら。
学生と教師を外へ出す。
王都の警備と学園関係者の目を外縁へ向ける。
その隙に、本命を叩く。
狙いはどこだ。
王城か。
学園本校舎か。
暁の夜か。
それとも――東の塔か。
『レオン』
イグニスの声が響いた。
『ミーアから連絡だ』
同時に、レオンの胸元に仕込まれた小さな黒羽の飾りが、微かに震えた。
ノワールが影を伸ばし、レオンだけへ声を繋ぐ。
『ミーア。繋げる』
次の瞬間、ミーアの声が直接届いた。
『レオン様』
いつもの落ち着いた声。
だがその奥に、緊張があった。
『暁の夜、本部付近で襲撃発生。黒牙団頭領と思われる男が現れました』
レオンの瞳が、さらに冷える。
『規模は』
『本部周辺に二十。別働隊が東の塔方面へ向かった可能性があります』
リリアーナが、レオンの腕に触れたまま小さく震えた。
何かを感じ取ったのだろう。
「レイさん……?」
レオンはすぐには答えない。
『ミーア、塔は』
『結界起動済みです。ですが、塔への直接接近を許せば王城側に気づかれる恐れがあります』
『暁の夜は』
『幹部が対応中。ただし頭領の戦力が想定以上です。ガルドン様が負傷。クロード様が足止め中』
ガルドンが負傷。
クロードが足止め。
あの連中が簡単にやられる相手ではない。
なら、頭領は副頭領ガラムより上。
当然だ。
黒牙団を率いる者なら、それくらいはある。
「……面倒だな」
静かな一言。
だが、その声に含まれた温度は低かった。
アルベルトが鋭く反応する。
「何が起きた」
レオンは視線だけ向ける。
「王都が襲われている」
「何だと!?」
周囲の学生たちがざわつく。
「王都!?」
「まさか、本当に……」
「先生、どうするんですか!?」
教師の一人が慌てて通信魔道具を取り出す。
「学園本部へ連絡を――」
「もう遅い」
レオンが言った。
全員が彼を見る。
「ここは陽動だ。本命は王都内に入っている」
「では、我々はすぐに戻らなければ……!」
教師が焦る。
だがカティア不在の現場教師たちは、学生を連れて即座に戻る判断を下せない。
戻る道にも敵が潜んでいる可能性がある。
負傷者もいる。
捕縛した賊もいる。
動けば危険。
動かなければ王都が危険。
判断が鈍る。
その空白を、レオンは見逃さなかった。
「教師は学生を守れ」
「レイ・ノクト君?」
「ここに残って拘束した賊を管理。負傷者の治療。学園本部へ連絡。帰還経路の安全確認まで動くな」
「しかし王都が……!」
「俺が行く」
短い言葉だった。
だが、その場の全員が息を止めた。
「お前一人でか?」
アルベルトが問う。
その声には、以前のような嘲りはない。
本気で危険を案じている声だった。
「俺一人ではない」
レオンは周囲を見た。
見えない場所に神霊たちがいる。
そして、王都には暁の夜がいる。
裏の顔を知らない者には、その意味はわからない。
それでも、レオンの声には確信があった。
「レイさん……!」
リリアーナが立ち上がろうとする。
しかし魔力切れで足元がふらついた。
レオンが支える。
「無理をするな」
「でも……!」
「お前はここで皆を守れ」
リリアーナの瞳が揺れる。
「わたしが……?」
「さっき守っただろ」
その一言で、彼女の胸が震えた。
自分はもう、守られるだけではない。
そう言ってもらえた気がした。
「……はい」
小さく頷く。
だがその声には、確かな芯があった。
「ここは、守ります」
「頼む」
頼む。
その言葉に、リリアーナは息を呑んだ。
レオンが、自分を頼った。
それだけで、震える足に力が戻る。
アルベルトが剣を握る。
「俺も行く」
「駄目だ」
「何故だ!」
「ここに王族が残る意味がある」
アルベルトは言葉を詰まらせた。
「学生たちは不安定だ。王族が残れば、多少は落ち着く」
「……俺に残れと?」
「そうだ」
「逃げるみたいで気に入らない」
「逃げるな。守れ」
レオンの言葉が、まっすぐ刺さる。
アルベルトは拳を握った。
守れ。
その言葉は、昨日までの彼なら笑い飛ばしただろう。
王族は守られるもの。
命じるもの。
そう信じていた。
だが今は違う。
目の前で、レオンが人を守った。
リリアーナが震えながら皆を守った。
なら、自分だけが何もしないわけにはいかない。
「……わかった」
低く答えた。
「ここは俺が見る」
「できるな」
「できる」
今度は即答だった。
レオンは短く頷く。
「なら任せる」
アルベルトは目を見開いた。
任せる。
その言葉が、予想以上に重かった。
「……ああ」
初めて、アルベルトは正面から返事をした。
レオンは振り返らず、森の奥へ向かう。
その途中、リリアーナが声をかけた。
「レイさん!」
レオンが足を止める。
「……必ず、戻ってきてください」
震える声。
だが、逃げていない。
レオンは数秒だけ黙り、短く答えた。
「戻る」
それだけ。
でも、それで十分だった。
次の瞬間、レオンの姿が森の奥へ消えた。
彼が走り出した瞬間、周囲の空気が変わる。
もう学生の速度ではない。
風が巻き、木々の間を黒い影が抜けていく。
『ヴァルガ』
『おうよ!』
足元に風雷が宿る。
地面を蹴るたびに、雷が小さく弾ける。
森が後ろへ流れていく。
レオンは最短距離で王都へ向かっていた。
『ミーア、状況』
『暁の夜本部、防衛中。頭領の名はゼノン。黒牙団首領。大剣使い。魔力強化型。身体強化の水準が異常です』
『幹部は』
『クロード様が交戦継続。シェラ様が負傷者退避。ボルグ様は北側防衛。ガルドン様は……』
少し間が空く。
『倒れながらも門を押さえています』
レオンの表情がわずかに変わった。
ガルドン。
元黒蛇の牙の頭領。
情けなく、騒がしく、よく土下座する男。
だが今、暁の夜のために倒れず立っている。
「……そうか」
『レオン様?』
「保たせろ」
『はい』
「俺が行く」
王都南区画。
暁の夜本部。
巨大な石造りの旧商館は、すでに戦場になっていた。
入り口の扉は半壊。
庭の石畳には武器が散乱し、黒服の男たちが負傷者を運んでいる。
その中央で、ガルドンが膝をついていた。
額から血を流し、片腕は垂れ下がっている。
それでも、彼は門の前から動かなかった。
「……ここから先は、通さん……!」
目の前に立つのは、巨大な男だった。
黒牙団頭領ゼノン。
背はガラムほどではないが、全身が鍛え抜かれている。
背には黒鉄の大剣。
目は冷たく、無駄な笑みはない。
副頭領ガラムとは違う。
この男は、荒くれではなく戦士だった。
「忠誠心だけは褒めてやる」
ゼノンが言う。
「だが、邪魔だ」
大剣が振られる。
ガルドンは避けられない。
その瞬間、影が走った。
クロードの短剣が大剣の軌道を逸らす。
火花が散る。
「まだ、終わっていませんよ」
夜哭き梟の元長。
今は暁の夜幹部。
クロードも全身傷だらけだった。
ゼノンは目を細める。
「しぶといな」
「主の帰還まで、時間を稼ぐのが役目ですので」
「主?」
ゼノンが鼻で笑う。
「この程度の組織の頭が、俺に勝てると?」
クロードは静かに笑った。
「勝てます」
「根拠は」
「私たちが勝てない相手を、あの方は簡単に潰します」
ゼノンの目がわずかに細くなる。
「面白い」
彼が大剣を構え直した瞬間だった。
風が吹いた。
夜ではない。
昼の王都。
それなのに、空気が一瞬で冷える。
黒い外套が、壊れた門の前へ舞い降りた。
静かに。
音もなく。
だが、その場にいた全員の視線を奪う存在感で。
「誰が勝てない相手だ」
低い声。
暁の夜の者たちが一斉に膝をつく。
「主……!」
「お頭……!」
ガルドンが血だらけの顔で笑った。
「お、遅いですぜ……」
「生きているな」
「へへ……門番くらいは、できました……」
「十分だ」
その一言で、ガルドンの目が潤んだ。
「褒められた……」
「泣くな。傷に響く」
「はい……!」
ミーアがすぐに駆け寄る。
「レオン様」
「状況は把握した」
「塔方面の別働隊はノワール様の影で足止め中です」
「よくやった」
ミーアは小さく頭を下げた。
ゼノンはその光景を眺め、静かに言う。
「お前が暁の夜の頭か」
レオンは振り向く。
学園制服の上に黒い外套。
森から直行したため、裾には土がついている。
だが、その瞳だけは冷たい金色に光っていた。
「そうだ」
「学生か」
「今日はな」
「面白い冗談だ」
「冗談ではない」
ゼノンは大剣を肩に担ぐ。
「俺は黒牙団頭領ゼノン。王都の裏をもらいに来た」
「遅い」
「何?」
「王都の夜は、もう俺のものだ」
暁の夜の者たちが息を呑む。
その言葉は静かだった。
だが、絶対だった。
ゼノンの口元が、初めて笑みに歪む。
「なら奪う」
「できるならな」
レオンの右手に、黒い光が集まる。
ノワールの影が足元から広がり、ルミアの光が淡く混じる。
光と闇の二丁銃――第二解放の気配。
まだ完全には顕現させない。
だが、その片鱗だけで、周囲の空気が震えた。
ミーアが息を呑む。
「レオン様……」
ゼノンも感じ取った。
これは魔力ではない。
自分が知るどの戦場にもなかった力。
「……いい」
ゼノンが大剣を構える。
「ようやく、まともな獲物が出てきた」
「獲物?」
レオンの声が、低く沈む。
「誰を獲物と呼んでいる」
その瞬間、空気が裂けた。
王都南区画。
暁の夜本部前。
裏社会の覇権を賭けた戦いが、始まろうとしていた。
校外実習の表舞台で学生を守り。
王都の裏舞台で組織を守る。
二つの顔を持つ少年は今――夜の王として、牙を剥く。




