表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/251

第31話「校外実習開始、無能王子は森の異変を聞く」


 校外実習当日の朝。


 東の塔は、いつもより少し早く灯りが点いていた。


 まだ王都の空が薄暗い時間。


 窓の外は藍色で、遠くに見える王城の尖塔だけが朝靄の中にぼんやり浮かんでいる。


 かつては冷たく、暗く、誰にも顧みられなかった塔。


 今は違う。


 小さな食卓には温かなスープ。


 焼きたてのパン。


 携帯用に包まれた干し肉と果実。


 水筒。


 救急用の布と薬草。


 ミーアが夜明け前から整えた実習用の荷物が、机の上に几帳面に並べられていた。


「レオン様、起きてください」


 柔らかい声。


 しかし、容赦はない。


 寝台の上で毛布に包まっていたレオンは、薄く目を開けた。


「……まだ暗い」


「実習の日です」


「集合は七時だ」


「準備があります」


「寝る準備なら終わっている」


「起きる準備をしてください」


 ミーアは微笑んだまま、毛布を掴む。


 レオンは反射的に端を押さえた。


「寒い」


「春です」


「塔は寒い」


「温かいスープを用意しております」


「なら、あと少し寝る」


「駄目です」


 毛布が剥がされた。


「……侍女が強い」


「主が弱い朝だけです」


 ルミアが枕元で跳ねる。


『実習です! 遠足です! お弁当です!』


 ノワールが影の中から半分だけ姿を出す。


『任務』


『楽しく言った方が気分上がります!』


『危険もある』


『レオン様がいれば大丈夫です!』


『その油断が一番危険』


 ヴァルガが寝台の下から欠伸をしながら出てきた。


『まあ、森だろ? 魔獣だろ? 久々に外で走れるな!』


 セレネは水球に浮かびながら、静かに茶器を温めている。


『楽しむだけでは駄目よ。昨日の報告があるでしょう』


 イグニスは窓辺で翼を畳み、朝靄の向こうを見ていた。


『外部勢力。数は五十前後。南区画へ動く可能性あり』


 その言葉で、レオンの眠気は消えた。


 上体を起こす。


 表情は変わらない。


 だが空気だけが、ほんの少し鋭くなる。


「暁の夜から続報は」


 ミーアがすぐに表情を切り替えた。


 侍女ではなく、塔の管理者として。


「夜明け前にクロード様より報告が届いております。外部勢力の一部が、王都外縁南区画の旧採石場跡へ移動。学園実習区域とは隣接しています」


「目的は」


「まだ不明です。ただ、荷馬車二台分の武装品と、魔封じ縄、捕縛用の枷を運び込んでいるとのことです」


「捕縛か」


 レオンの瞳が冷える。


 学園実習。


 学生。


 外部勢力。


 捕縛用装備。


 偶然と考えるには、あまりにも嫌な組み合わせだった。


「学生を狙うか、教師を狙うか、暁の夜を誘き出すか」


 ノワールが淡々と言う。


『全部かもしれない』


 ヴァルガが牙を見せた。


『やる気満々だな。じゃあ潰すか?』


「まだだ」


 レオンは寝台から降りる。


「今日の俺は、学園の生徒で学級代表だ」


 ルミアが首を傾げる。


『つまり?』


「表を守る」


 イグニスが低く続ける。


『裏は暁の夜に張らせる』


「そうだ」


 ミーアがすぐに頷く。


「すでに暁の夜の監視部隊を配置しております。学園関係者には接触させず、あくまで外部勢力のみを監視。異変があれば、即座に私へ連絡が入ります」


「俺へ直接でいい」


「レオン様は実習中です」


「関係ない」


「あります」


 ミーアの声が少し強くなる。


 レオンは目を細めた。


「ミーア」


「今回は、表の立場も重要です」


 彼女は怯まなかった。


「レイ・ノクト様は学級代表です。最初から裏の主として動けば、周囲に違和感を与えます。必要になるまで、連絡は私が受け、整理してお伝えします」


「……」


「お怒りなら、あとで叱ってください」


「怒ってはいない」


「では、採用ですね」


「勝手に決めるな」


「勝手ではありません。ご判断を補佐しました」


 堂々としている。


 レオンは少しだけ息を吐いた。


「……任せる」


 ミーアの顔が明るくなった。


「はい!」


『ミーア、強い』


『主を押し切れる貴重な存在』


『侍女最強説!』


 レオンは神霊たちを無視して着替え始めた。


 学園制服。


 その上に実習用の外套。


 動きやすい革手袋。


 腰には学園指定の短剣。


 当然、本命ではない。


 神具は神力の中に秘めている。


 表向きはただの生徒。


 裏では王都の夜を統べる者。


 その二つの顔を、今日は同時に使い分けなければならない。


 食卓につくと、ミーアがスープを差し出した。


「必ず召し上がってください」


「時間がない」


「あります」


「集合に遅れる」


「まだ十分余裕があります」


「……」


「食べてください」


「わかった」


 根負けだった。


 スープを口に運ぶ。


 温かい。


 朝の冷えた身体へ、じんわり染みていく。


「……うまい」


 ミーアが嬉しそうに微笑む。


「光栄です」


「弁当は」


「こちらに」


 包みが差し出される。


「多いな」


「レオン様の分と、予備です」


「予備?」


「リリアーナ様が緊張で食事を忘れた時用です」


「何故そこでリリアーナが出る」


「必要そうですので」


 ミーアは平然と言った。


 レオンは返事に困った。


『完全に把握されてるな!』


『ミーア、有能』


『リリアーナさんにも食べさせたいです!』


『距離が近づく』


「黙れ」


 口に出ていた。


 ミーアはくすっと笑う。


「神霊様方ですか?」


「騒がしいだけだ」


「楽しそうで何よりです」


「楽しくはない」


「そういうことにしておきます」


 最近、周囲に言い負けることが増えている。


 レオンは少しだけ不本意だった。


 転移陣へ立つ。


 ミーアが深く一礼した。


「いってらっしゃいませ、レオン様」


 レオンは少しだけ足を止める。


「……行ってくる」


 それだけ言う。


 ミーアの瞳が柔らかく細められた。


 光が弾ける。


 次の瞬間、レオンは王都学園近くの人気のない裏路地へ出ていた。


 まだ朝の空気は冷たい。


 表通りへ出ると、学園へ向かう生徒たちの姿がちらほら見えた。


 馬車。


 徒歩。


 護衛付き。


 平民の制服。


 貴族の外套。


 その中に、見慣れた銀髪が揺れていた。


「レイさん!」


 リリアーナが小走りで駆け寄ってくる。


 今日は実習用の外套を羽織り、腰には小さな短杖。


 肩掛け鞄には薬草採集用の道具が入っているらしい。


 だが、顔は少し緊張していた。


「走るな」


「す、すみません」


「眠れたか」


「……少しだけ」


「またか」


「実習が不安で……」


 リリアーナは鞄の紐を握る。


「森外縁部、初めてなんです。領地にも森はありましたけど、魔獣が出る場所には近づかないように言われていて……」


「怖いか」


「怖いです」


 正直だった。


 けれど、すぐに顔を上げる。


「でも、逃げたくはありません」


 レオンは少しだけ目を細めた。


 出会った頃の彼女なら、怖いと言うだけで俯いていただろう。


 今は違う。


 怖いと認めて、その上で逃げないと言える。


「なら問題ない」


「そう、ですか?」


「怖さを知らない者よりマシだ」


「レイさんも怖いこと、ありますか?」


 不意の問い。


 レオンはほんの少しだけ黙った。


 怖いもの。


 東の塔の暗闇。


 閉じる扉の音。


 誰にも名前を呼ばれない日々。


 父の冷たい目。


 母の拒絶。


 エリシアの後ずさり。


 いくら力を得ても、消えないものはある。


「……ある」


 短い答え。


 リリアーナは目を見開いた。


 この人にも怖いものがある。


 当たり前なのに、少し意外だった。


 そして少しだけ、近く感じた。


「何かは聞きません」


「そうしろ」


「でも、もし怖い時があったら……」


 リリアーナは少し迷いながら、勇気を出す。


「わたしも、隣にいます」


 レオンは足を止めた。


 朝の並木道。


 人の声。


 馬車の音。


 その中で、彼女の言葉だけがやけに静かに届いた。


「……お前が?」


「はい」


「震えているのに」


「震えながらでも、います」


 弱い声ではなかった。


 レオンは数秒だけ彼女を見た。


 サファイアブルーの瞳。


 まだ怯えはある。


 けれど、芯がある。


 折れない光がある。


「……そうか」


 それだけ返し、歩き出す。


 リリアーナは隣に並ぶ。


 少しだけ嬉しそうだった。


『いいこと言う……!』


 ルミアが感動している。


『主、心拍が少し上がった』


『上がってない』


『上がった』


『ノワール、そういうの測れるのか?』


『影で脈を見る』


『怖ぇよ』


 レオンは無言で神霊たちを黙殺した。


 学園正門前。


 すでに生徒たちは集合していた。


 A組の生徒たちも班ごとに固まっている。


 エリシアは治安補助班をまとめ、手際よく点呼を取っていた。


 姿勢は美しく、声はよく通る。


 流石としか言いようがない。


「遅くはありませんけれど、もう少し早くてもよろしいのでは?」


 エリシアが扇子を開きながら言う。


「集合時間前だ」


「正論ですわね」


「何故不満そうなんだ」


「貴方が正論ばかりだと面白くありませんの」


「面倒な人間だな」


「お互い様ですわ」


 リリアーナが小さく笑った。


 その様子を、エリシアがちらりと見る。


「リリアーナ様、今日は薬草採集班ですわね」


「は、はい!」


「緊張されています?」


「少し……」


「貴女なら問題ありませんわ。三位の実力を信じなさい」


 リリアーナは驚いたように目を見開いた。


「エリシア様……」


「勘違いなさらないで。A組の評価が下がると困るだけですわ」


 そう言いながらも、声は以前より柔らかい。


 リリアーナは小さく笑う。


「ありがとうございます」


「……素直すぎますわね」


 エリシアは少しだけ困ったように扇子で口元を隠した。


 その少し離れた場所。


 アルベルトは巡回班の一員として立っていた。


 本来なら代表をやりたかったのだろう。


 しかし順位戦の結果と普段の問題行動により、当然任されていない。


 不満はある。


 だが以前ほど騒いではいなかった。


 レオンが近づくと、彼は低く言った。


「今日こそ俺が結果を出す」


「そうか」


「貴様に負け続けるつもりはない」


「なら周りを見ろ」


「何?」


「結果を出したいなら、一人で突っ込むな」


 アルベルトは眉を吊り上げる。


「説教か」


「忠告だ」


「平民風情が」


 口癖のように出た言葉。


 だが言った直後、アルベルトは少しだけ顔を歪めた。


 自分でも、以前ほどその言葉に力がないと感じたのだろう。


 レオンはそれに気づいたが、何も言わなかった。


 カティアが全員の前へ立つ。


「全員、整列」


 生徒たちが並ぶ。


「本日の実習区域は王都外縁南区画。学園管理下の森、および周辺集落です」


 魔導地図が空中に投影される。


 森。


 小川。


 旧街道。


 廃倉庫群。


 そして、少し離れた旧採石場跡。


 レオンの視線が一瞬だけそこで止まる。


 カティアは説明を続ける。


「薬草採集班は森外縁部。治安補助班は周辺集落。巡回班は旧街道と森の境界を確認します」


 巡回班。


 つまりレオンの班は、最も広範囲を動く。


 旧採石場跡に近づく可能性もある。


「実習中、無断行動は禁止。班長は状況判断を行い、危険があれば即時撤退」


 カティアの視線がレオンへ向いた。


「特に代表」


「何だ」


「勝手に単独行動しないように」


「……」


「返事は」


「状況による」


「駄目です」


「善処する」


「信用できません」


 教員と生徒の会話とは思えない。


 A組の生徒たちが苦笑する。


 カティアはため息をついた。


「貴方の実力は認めています。ですが、実習は個人競技ではありません」


 その声は真剣だった。


「守るべきものは点数ではなく、班員です」


 レオンは少しだけ黙った。


 守るべきもの。


 その言葉は、今の自分には重い。


「……わかった」


 短い返事。


 だがカティアはそれで十分だと判断した。


「では出発」


 学園の門が開く。


 生徒たちは班ごとに動き出した。


 王都の石造りの道を抜け、南区画へ向かう。


 街の中心部を離れるにつれ、景色は変わっていく。


 貴族街の美しい建物が消え、商人街の賑わいも遠ざかり、やがて外縁部特有の雑多な空気が漂い始める。


 古い倉庫。


 修繕途中の家。


 荷を運ぶ労働者たち。


 そして遠くに広がる森。


 巡回班は十名。


 レオンが班長。


 アルベルトも同班。


 他には平民出身の男子二名、下級貴族の女子二名、中級貴族の男子数名。


 班員たちは緊張していた。


 理由は魔獣だけではない。


 首席と王子が同じ班にいる。


 それだけで胃が痛くなる。


「班長」


 平民男子の一人が遠慮がちに声をかける。


「何だ」


「その……指示は」


「隊列を崩すな。森側へ近づきすぎるな。異音がしたら止まれ。勝手に英雄になるな」


「は、はい!」


 明確だった。


 アルベルトが鼻を鳴らす。


「随分慎重だな」


「慎重と臆病は違う」


「俺は臆病ではない」


「知っている」


 意外な返答に、アルベルトは少しだけ詰まった。


「なら何だ」


「無謀だ」


「貴様……!」


「言い換えただけだ」


 班員たちが必死に笑いを堪える。


 その時だった。


 風が止まった。


 森の奥から、鳥が一斉に飛び立つ。


 レオンの足が止まる。


 同時にイグニスが声を低くした。


『気配が変わった』


 ノワールも続く。


『影が揺れている。人間の気配、複数』


 ヴァルガが耳を立てる。


『森じゃねえ。旧採石場側だ』


 レオンは地図を思い出す。


 薬草採集班の移動ルート。


 森外縁部。


 そのさらに奥。


 旧採石場跡へ続く細い道。


 リリアーナの班が、近い。


「……」


 レオンの瞳が冷えた。


「全員止まれ」


 短い命令。


 班員たちは即座に止まった。


 アルベルトだけが眉をひそめる。


「何だ」


「異常だ」


「何も見えんぞ」


「見えてからでは遅い」


 その瞬間。


 遠くの森から、微かな悲鳴が聞こえた。


 リリアーナの声ではない。


 だが学生の声。


 次いで、魔獣の咆哮ではない怒号。


 人間の声。


「……外部勢力か」


 レオンの声が、静かに沈む。


 班員たちの顔が青ざめる。


 アルベルトも息を呑んだ。


「まさか、実習中に……」


 レオンはすぐに判断した。


「この場で待機。森へ入るな。二人は教師へ伝令。残りは防御陣形」


「お前はどうする」


 アルベルトが問う。


 レオンは森の奥を見る。


 冷たい金の瞳が、朝の光の中で淡く輝いた。


「迎えに行く」


「単独行動は禁止だぞ」


「状況によると言った」


 レオンは一歩踏み出す。


 その背中から、いつもの面倒くさがりの気配は消えていた。


 そこにいるのは、学級代表でも、首席学生でもない。


 弱者を踏みにじる闇へ牙を剥く、東の塔の主だった。


「……待て」


 アルベルトが声をかけた。


 レオンが振り返る。


 弟王子は拳を握っていた。


 恐れもある。


 焦りもある。


 だが、逃げる顔ではなかった。


「俺も行く」


 班員たちが驚く。


 レオンはしばらく弟を見た。


「足手まといなら置いていく」


「ならない」


「命令に従えるか」


「……状況による」


「真似るな」


 少しだけ、空気が変わった。


 レオンは短く言う。


「来い」


 そして二人は森へ駆け出した。


 校外実習は、開始早々に崩れた。


 学生の実習は終わり。


 ここから先は――実戦だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ