第29話「朝の教室、銀髪令嬢は知らない顔に気づき始める」
王都の朝は早い。
商人たちは日の出と共に荷車を引き、職人たちは炉へ火を入れ、貴族街では使用人たちが忙しなく屋敷を整えていく。
そして王立アルディア学園もまた、朝の喧騒へ包まれ始めていた。
校門前。
石畳の道には多くの生徒が行き交い、昨夜の出来事など誰一人知らない顔で笑っている。
裏社会勢力三十名壊滅。
王都南区画制圧維持。
暁の夜の威信再確認。
そんな情報は、表の世界へは一切漏れない。
それが秩序というものだった。
東門へ続く並木道。
レオンはいつも通り学園制服へ身を包み、静かに歩いていた。
昨夜ほとんど寝ていない。
だが疲労は見えない。
むしろ、普段より少しだけ機嫌が良い。
『主、顔が緩い』
『夜仕事がうまくいったからですね』
『暴れた翌日は機嫌いいよな!』
『違う』
神霊たちが朝からうるさい。
その時、前方から小走りの足音が聞こえた。
「レイさん!」
銀髪が朝日に揺れる。
リリアーナ・ヴァイスだった。
肩で息をしながら駆け寄ってくる。
「……走るな」
「は、はい……でも見つけたので……」
「意味がわからん」
「えっと……一緒に行けるかなって」
最後だけ声が小さくなる。
耳まで赤い。
レオンは少しだけ空を見た。
「……そうか」
「嫌でした?」
「別に」
「それ、許可って受け取っていいですか?」
「勝手にしろ」
「じゃあ勝手にします」
最近、返しが強い。
成長している。
二人で歩き出す。
朝の空気は涼しく、並木道には鳥の声が響いていた。
リリアーナはちらりと横顔を見る。
「……眠そうですね」
「そうか」
「少しだけ」
「気のせいだ」
「いえ、いつもより瞬きが遅いです」
観察眼まで育っていた。
レオンは少し黙る。
昨夜、塔へ戻ったのはかなり遅い。
その後も暁の夜から報告が入り、眠れた時間は短い。
「何かありました?」
「何もない」
「嘘です」
「なぜそう思う」
「わかります」
まっすぐだった。
以前の彼女なら、ここまで踏み込まない。
それだけ距離が縮んでいる証拠でもあった。
「……考え事だ」
「本当に?」
「本当だ」
半分だけ本当だった。
リリアーナは少しだけ納得していない顔をする。
「無理、しないでください」
「していない」
「それも嘘っぽいです」
「お前は最近うるさい」
「レイさん相手だけです」
「意味がわからん」
また同じ返しになる。
だが、悪くなかった。
教室へ入ると、空気が少しざわついた。
「来たぞ」
「首席と三位」
「朝から一緒かよ」
「付き合ってるの?」
リリアーナが真っ赤になる。
「ち、違います!」
即否定だった。
だがその声量が大きく、余計に目立つ。
レオンは席へ向かいながら呟く。
「騒がしい」
「レイさんが平然としすぎなんです!」
「事実ではないなら気にするな」
「……その通りですけど」
そういう問題ではない。
前列ではアルベルトが机へ突っ伏していた。
珍しい姿だった。
普段なら朝から威張っている。
「……何だあれ」
レオンが珍しく自分から言う。
エリシアが扇子越しに答えた。
「昨夜、王城で相当絞られたようですわ」
「何故」
「順位戦結果でしょうね」
さらりと言う。
「王家としては面白くないでしょう。平民に完敗、しかも六位」
アルベルトの肩がぴくりと動く。
聞こえているらしい。
「……笑うな」
「笑っておりませんわ」
「声が笑ってる!」
元気はあった。
少し安心した。
教室扉が開く。
カティア教師が入る。
「着席」
いつもの一言で全員整う。
「本日は通常授業の前に連絡があります」
書類を置く。
「順位戦結果を受け、一年A組の学級代表と副代表を決定します」
ざわめき。
「代表は総合一位」
全員の視線が最後列へ向く。
レオンは窓の外を見ていた。
「副代表は総合二位」
エリシアが微笑む。
「妥当ですわね」
「よって――」
カティアが読み上げる。
「学級代表、レイ・ノクト」
「断る」
即答だった。
教室がざわつく。
「理由は」
「面倒だ」
「却下します」
「……何?」
「拒否理由が浅い」
カティアは淡々としていた。
「副代表、エリシア・フォン・ローゼンベルク」
「承りましたわ」
「補佐役、リリアーナ・ヴァイス」
「えっ!?」
教室が爆発した。
「三位も役職!?」
「ヴァイス嬢すげぇ!」
「補佐って何するんだ!?」
リリアーナ本人が一番混乱していた。
「む、無理です!」
「却下します」
「えええ!?」
「拒否理由が感情論です」
カティアは容赦ない。
レオンは少しだけ感心した。
この教師、押し切るのが上手い。
エリシアは扇子越しに笑う。
「三人で仲良くやりましょう」
「嫌ですわ」
「まだ何も言ってませんわよ?」
「顔が言ってます」
リリアーナの返しも鋭くなっていた。
教室が少し和む。
「なお、代表の初仕事として」
カティアが次の紙をめくる。
「来週の校外実習にて、A組の指揮補助を行ってもらいます」
レオンの表情が初めて少し動いた。
「……それは聞いていない」
「今言いました」
「変更を要求する」
「却下します」
完全敗北だった。
神霊たちが大笑いする。
『主、教師に勝てない』
『天敵ですね』
『面白いです!』
『うるさい』
授業が始まる。
リリアーナは何度も後ろを振り返っていた。
「……レイさん」
「何だ」
「代表、おめでとうございます」
「嬉しくない」
「わたしは少し嬉しいです」
「何故」
「似合ってますから」
レオンは答えなかった。
だがその一言は、思った以上に胸へ残った。
昼休み。
リリアーナがいつものように弁当を持って最後列へ来る。
「今日も、よければ一緒に……」
「いいぞ」
即答だった。
「……早いですね」
「腹が減った」
「そういうことにしておきます」
笑いながら席へ座る。
その時、彼女はふと気づいた。
レオンの手の甲。
薄く、新しい擦り傷がある。
「……レイさん」
「何だ」
「その傷、どうしたんですか?」
空気が一瞬止まる。
神霊たちまで静かになった。
レオンは手を見て、数秒黙る。
昨夜、最後に抵抗した男の短剣がかすった痕だ。
完全に見落としていた。
「……転んだ」
「嘘です」
即答だった。
リリアーナの目は真剣だった。
「それ、剣か刃物の傷です」
レオンは少しだけ彼女を見る。
以前より強くなった目だった。
ただ守られる少女ではない。
気づき、踏み込み、知ろうとする目。
「……お前」
「はい」
「最近、本当にうるさいな」
「心配してるんです」
まっすぐだった。
逃げ場がない。
レオンは小さく息を吐く。
「……少し、夜に揉め事があった」
「夜に?」
「終わった話だ」
「危ないこと、してませんよね?」
「していない」
半分嘘だった。
リリアーナはじっと見る。
「……また嘘です」
だがそれ以上は追わなかった。
今はまだ、聞けない。
でも、いつか知りたいと思った。
この人の知らない顔を。
昼の静かな首席ではない、別の顔を。
その頃、王都南区画では。
暁の夜幹部たちが新たな報告書をまとめていた。
「主へ伝えろ」
「北区画にも外部勢力の気配あり」
「次はもっと大きいぞ」
無能王子の静かな日常は、また少しずつ揺れ始めていた。




