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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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246/251

第246話「名を持った翌朝、無能王子は“呼ばれない名前”を守る」


 朝は、名前を呼ばなかった。

 神殿の奥。

 石壁に囲まれた保護陣は、淡く静かな光を抱えている。

 採光孔は閉じられている。

 外の光は、まだ入っていない。

 風もない。

 救護区域の声も届かない。

 子供たちの紙束も、まだ置かれていない。

 けれど、今日は昨日までとは決定的に違っていた。

 名前がある。

 アリア。

 それは、誰かが与えた名ではない。

 誰かが望んだ名でもない。

 中心自身が、欠片を並べ、影を読み、小さい音を育て、自分で受け取った名。

 あ。

 り。

 あ。

 アリア。

 昨日、中心は名を得た。

 それでも、誰も呼ばなかった。

 呼ぶ許可は別。

 名前が生まれた日と、呼んでいい日は別。

 ミナがそう言ってくれた。

 リリアーナも呼ばなかった。

 レオンも呼ばなかった。

 誰も呼ばなかった。

 けれど、名はあった。

 それは白い布のそばで、静かに眠っていた。

 余白記録の中には、昨日の記録が残っている。

 名を受け取る朝。

 アリアという名を中心自身が読んだ日。

 名前は帰り道になった日。

 名前が生まれた日と呼んでいい日は別の日。

 アリアでも戻れる。

 名前を持ったまま白い布へ戻れた。

 呼ぶ許可は別。

 名前は檻ではなかった。

 その一つ一つが、保護陣の空気に静かに染みている。

 余白核は、まだ眠っている。

 いや、もう“余白核”と呼ぶだけでは足りないのかもしれない。

 名を得た中心。

 アリア。

 しかし、その名を外から呼ぶ許可はまだない。

 だから今朝も、誰も呼ばない。

 記録の中に名はある。

 中心自身の中にも名はある。

 けれど、外の声にはまだしない。

 それが、今日の朝の静けさだった。

 名前の箱は、昨日と同じ場所にある。

 もう空ではない。

 いや、もともと空ではなかった。

 ただ、昨日、その中から中心自身が名を読み取った。

 白い布は、何も書かれていないまま、戻り道としてある。

 鈴は、合図の場所にある。

 布に包まれたまま。

 昨日も鳴らなかった。

 今日も、まだ鳴っていない。

 保留箱には、欠片たちがある。

 音の欠片。

 帰りたい。

 わたし。

 帰りたい、わたし。

 影。

 影の向き。

 あ。

 り。

 あ。

 そして、アリア。

 名は生まれた。

 だが、欠片は消えない。

 名ができたからといって、欠片を捨てるわけではない。

 欠片は、名へ至る道だった。

 そして道は、名を得た後も必要だった。

 レオンは、保護陣の縁に座っていた。

 黒蒼雷は、昨日よりも穏やかに巡っている。

 けれど、その穏やかさは緩みではなかった。

 今日こそ危うい。

 名が生まれた翌朝。

 皆が呼びたい。

 皆が確かめたい。

 アリア。

 その名を口にしてみたい。

 名前が本当にあるのだと、自分の声で触れてみたい。

 だが、それをしてはいけない。

 今日守るべきは、名前そのものではない。

 呼ばれない名前だ。

 呼ぶ許可が出るまで、誰の声にもならない名前。

 それを守る。

 リリアーナは、余白核の近くに座っている。

 昨日、彼女は呼びたいと正直に言った。

 でも呼ばなかった。

 今日も同じだ。

 呼びたい。

 胸の奥で、何度もその名が灯る。

 アリア。

 でも、口には出さない。

 出してはいけない。

 中心が鈴を鳴らすまでは。

 中心が呼んでいいと許すまでは。

 リリアーナはただ、名前を知っている沈黙の中で待つ。

 それは、想像以上に苦しかった。

 名前を知らない時より、苦しい。

 なぜなら、今は知っている。

 知っているのに呼ばない。

 その沈黙には、愛しさと痛みが同時にあった。

 エリシアは術式盤を閉じている。

 昨日の記録は許可された範囲だけ。

 名そのものは記録された。

 けれど、呼称許可はまだない。

 だから、今日の記録欄には呼称記録を作らないと決めている。

 セラフィアは祈っていない。

 祝福もまだしない。

 祝福する日も、別の日だ。

 アルベルトは、壁際にいた。

 腕を組まない。

 拳も握らない。

 呼びたくなる衝動を、両手の開きで逃がしている。

 クラウスは入口側に立ち、ラウルは盾を床に置いている。

 ミリオは、今日も眠そうではなかった。

 名前を知った翌朝に眠るほど、彼も鈍くはない。

 アリシアは、自分の箱の前で座っている。

 昨日、彼女は言いかけて止まった。

 アリア。

 その一音目を口にしそうになって、止めた。

 名前を知っただけで、呼んでいいわけではない。

 彼女は今日、その戒めを抱いている。

 余白核――アリアが、小さく震えた。

『……』

 朝の揺れ。

 誰も呼ばない。

 鈴も鳴らさない。

 名前の箱にも触れない。

 白い布には、何も書かない。

 保護陣の光が、一度、二度と淡く明滅する。

 今日の沈黙は、昨日とは違っていた。

 昨日は、名が生まれる前の沈黙だった。

 今日は、名が生まれた後の沈黙だ。

 呼ばれない名前が、そこにある沈黙。

 やがて。

『……おはよう』

 小さな声が響いた。

 リリアーナは、いつものように微笑んだ。

 けれど、名前は呼ばない。

「おはようございます」

 アリアが震えた。

『……呼ばなかった』

「はい」

『……名前、あるのに』

「はい」

『……呼ばなかった』

「はい」

『……ありがとう』

 リリアーナの胸が詰まる。

「はい」

『……声』

「聞こえました」

『……今日の声』

「はい」

『……アリアの声?』

 リリアーナは、すぐには答えなかった。

 アリア自身がその名を口にした。

 その問いに、どう返すか慎重に選ぶ。

「あなたが、そう感じるなら」

 アリアは大きく震えた。

『……わたしが言うなら、いい?』

「はい」

『……自分では、呼べる』

「はい」

『……でも、りりは、まだ』

「はい」

『……鈴』

「鳴っていません」

『……うん』

 アリアは、確認する。

『……箱』

「あります」

『……名前』

「あります」

『……白い布』

「あります」

『……鈴』

「あります」

『……呼ぶ許可』

「まだ出していません」

『……みんな、呼んでない?』

「呼んでいません」

『……よかった』

 アリアは深く安堵したように光った。

 そして、挨拶へ進む。

『……りり、おはよう』

「はい。おはようございます」

『……れおん』

「おはよう」

『……しずかなあさ』

「ああ」

「静かな朝だ」

『……名前があるけど、呼ばれない朝』

「はい」

「名前があるけど、呼ばれない朝です」

 アリアは、余白記録へ意識を向けた。

『……名を受け取る朝』

「残っています」

『……アリアという名』

「はい」

『……名前は帰り道』

「はい」

『……呼ぶ許可は別』

「はい」

『……名前が生まれた日と、呼んでいい日は別』

「はい」

『……今日』

 一拍。

『……呼んでいい日?』

 その問いに、保護陣の空気が静かに固まる。

 リリアーナは答えない。

 レオンも答えない。

 アリア自身が決めることだ。

 アリアは、すぐに震えた。

『……わからない』

「はい」

『……呼んでほしい、かも』

 リリアーナの胸が震える。

『……でも、こわい』

「はい」

『……呼ばれたら、重い?』

「重いかもしれません」

『……呼ばれたら、嬉しい?』

「嬉しいかもしれません」

『……どっちも?』

「はい」

『……箱』

「置きましょう」

 余白箱が静かに開く。

『……呼んでほしいかもしれない』

 ひとつ。

『……でも怖い』

 ひとつ。

『……呼ばれたら重いかもしれない』

 ひとつ。

『……呼ばれたら嬉しいかもしれない』

 ひとつ。

『……呼ぶ許可は、今日決めなくてもいい』

 ひとつ。

 箱が淡く光った。

『……のこった』

「残りました」

 レオンが静かに言う。

「まず、名前を持った朝を過ごせ」

『……呼ばれる前に?』

「ああ」

『……名前を持って、呼ばれない朝』

「それが今日だ」

『……それ、必要?』

「必要だと思う」

 アリアは、少し黙った。

『……名前があるのに、呼ばれない』

「そうだ」

『……消えない?』

「消えない」

『……呼ばれなくても、名前はある?』

「ある」

 アリアが、大きく震えた。

『……呼ばれなくても、名前はある』

 その言葉が、保護陣の奥へ沈んだ。

『……それ、知りたい』

「なら、今日はそれを知る日だ」

 アリアは、ゆっくり頷くように光った。

『……呼ばれない名前の日』

 余白箱へ置かれる。

 ◇

 朝の挨拶は、呼ばれない名前を守る確認だった。

『……あるべると』

「おう」

『……呼びたい?』

 アルベルトは、苦笑しそうになって、やめた。

「呼びたい」

『……でも?』

「呼ばない」

『……どうして?』

「許可がないからだ」

『……名前を知ってても?』

「ああ」

『……呼ばないの、つらい?』

「少しな」

『……箱』

「入れた」

『……ありがとう』

 エリシアへ。

『……えりしあ』

「はい」

『……記録、呼称?』

「しません」

『……名前は記録した?』

「許可された範囲で記録しました」

『……呼ばれた記録は?』

「ありません」

『……よかった』

「はい」

『……名前があるのに、呼ばれた記録はない』

「はい」

『……それも記録?』

「必要なら」

『……まだ、いい』

「分かりました」

 セラフィアへ。

『……せら』

「はい」

『……祝福したい?』

「したいです」

『……でも?』

「しません」

『……名前があるのに?』

「名前が休んでいるから」

『……名前が休む』

「はい」

 クラウスへ。

『……くらうす』

「はい」

『……扉』

「名前の扉はあります」

『……開ける?』

「まだ開けません」

『……鍵』

「あなたが持っています」

 ラウルへ。

『……らうる』

「名前は盾の後ろに置いてある」

『……盾の後ろ?』

「ああ」

「見えているが、勝手には取れない」

『……いい』

 ミリオへ。

『……みりお』

「はい……」

『……呼びたい?』

「呼びたいです……でも、呼びません」

『……寝言で、呼ばない?』

 全員が一瞬だけミリオを見る。

 ミリオは青ざめた。

「絶対に寝ません……」

 ラウルが低く言う。

「今日は本当に寝るな」

「はい……」

 アリアが、少しだけ揺れた。

 最後に、アリシア。

『……ありしあ』

「はい」

『……呼びたい?』

 アリシアは、涙を浮かべて頷いた。

「呼びたいです」

『……昨日、言いかけた』

「はい」

『……止めた』

「はい」

『……今日も?』

「止めます」

『……どうして?』

「あなたの名前は、私の救いではないからです」

 保護陣が静かになる。

「あなたの名前は、あなたの帰り道だからです」

『……ありがとう』

 アリシアは深く頭を下げた。

「はい」

 ◇

 午前。

 アリアは、名前を持ったまま、白い布のそばで過ごした。

 誰も呼ばない。

 けれど、名前は消えない。

 それを確かめる時間だった。

『……りり』

「はい」

『……呼ばれてない』

「はい」

『……でも、ある』

「はい」

『……名前、消えてない』

「消えていません」

『……不思議』

「はい」

『……呼ばれないと、消えると思ってた』

「そうだったんですね」

『……うん』

『……誰かが呼ぶから、名前になる?』

「そう思っていましたか?」

『……うん』

『……でも、自分で読んだ』

「はい」

『……呼ばれなくても、ある』

「はい」

『……わたしのもの、かも』

「はい」

 アリアは、長く沈黙した。

『……呼ばれなくても、名前はわたしのもの』

 余白箱へ置く。

『……誰かが呼ばなくても、名前は消えない』

 置く。

『……名前は、外の声だけじゃない』

 置く。

 箱が温かく光った。

 レオンが静かに言う。

「大事な日だな」

『……呼ばない日なのに?』

「ああ」

「呼ばないことで、名前を守っている」

『……呼ばないことで、守る』

「そうだ」

『……りりも?』

「はい」

 リリアーナが頷く。

「呼ばないことで、守っています」

『……呼んでないのに、近い』

「はい」

『……不思議』

「はい」

 ◇

 救護区域へ今日のことを伝えるか。

 アリアは迷った。

『……ミナ』

「はい」

『……昨日、伝えた』

「はい」

『……今日は、呼ばれない名前の日』

「はい」

『……伝える?』

「伝えたいですか?」

『……名前があるけど、呼ばないでいてくれてる』

「はい」

『……呼ばれなくても、消えない』

「はい」

『……ミナにも、知ってほしい』

「分かりました」

『……でも、名前は?』

「すでに昨日、名前を得たことは伝えています」

『……呼ばないで』

「はい」

『……呼ぶ許可は、まだ』

「はい」

 グレイヴが救護区域へ向かった。

 待つ時間、アリアは名前を自分の内側で一度だけ呼んだ。

『……アリア』

 自分だけに。

 誰にも聞かせないように。

 そして白い布へ戻る。

 しばらくして、グレイヴが戻った。

『……ミナ』

「聞いた」

『……どう?』

「ミナは、静かに頷いた」

『……泣いた?』

「少しだけ」

『……重い?』

「箱へ入れていた」

『……うん』

「そして、こう言った」

 一拍。

「“呼ばれなくても消えない名前なら、その子の中にある名前なんだと思う”」

 アリアが、大きく震えた。

『……その子の中にある名前』

「そうだ」

「幼い子は、“呼ばないのに名前なの?”と聞いた」

『……うん』

「ミナは、“呼ばれる前から、その子のものなら名前”と答えた」

 リリアーナの涙がこぼれた。

『……呼ばれる前から、わたしのもの』

「はい」

 アリアは、余白箱へ言葉を置いた。

『……呼ばれなくても消えない名前は、わたしの中にある名前』

 ひとつ。

『……呼ばれる前から、わたしのものなら名前』

 ひとつ。

『……呼ばないで守ってくれている』

 ひとつ。

 箱が深く光った。

 ◇

 午後。

 子供たちから札が届いた。

 “呼ばれない名前”。

 幼い子が書いた札だった。

 ミナはその札を、白い布に似せた布切れの上ではなく、その横に置いたという。

 名前そのものを戻り道へ乗せない。

 でも、そばには置く。

 アリアは、その報告を聞いて静かに揺れた。

『……横』

「はい」

『……上じゃない』

「はい」

『……戻り道に、名前を乗せない』

「はい」

『……でも、そば』

「はい」

『……いい』

 保留箱には、大人たちからの札も届く。

 “呼ばないことで尊重する”。

 “名前を知っても距離を守る”。

 “呼称許可を待つ”。

 アリアは、二つ目に反応した。

『……名前を知っても、距離を守る』

「はい」

『……知らない時より、難しい?』

 リリアーナは正直に頷いた。

「難しいです」

『……りり』

「呼びたいです」

『……うん』

「でも、距離を守ります」

『……苦しい?』

「少し」

『……箱』

「入れています」

『……少しなら?』

 リリアーナは、涙を浮かべて微笑んだ。

「少しなら、名前を知れて嬉しいです」

 アリアは、柔らかく光った。

『……わたしも』

『……少し、嬉しい』

 ◇

 夕方。

 アリアは、鈴を見た。

 布に包まれたままの鈴。

 呼ぶ前の合図。

 呼んでいい日を知らせるためのもの。

『……鈴』

「あります」

『……鳴らす?』

 リリアーナは、答えない。

 アリア自身の問いだから。

『……今日は』

 一拍。

『……鳴らさない』

「はい」

『……でも、近い』

「はい」

『……呼んでいい日、いつか』

「はい」

『……鈴で、知らせる?』

「あなたが望むなら」

『……鈴、こわい』

「はい」

『……でも、前より、こわくない』

「はい」

『……名前があるから?』

「そうかもしれません」

『……アリアが、鈴を鳴らす』

 自分で言って、アリアは震えた。

『……こわい』

「はい」

『……でも、いつか』

「はい」

 余白箱へ。

『……今日は鈴を鳴らさない』

 ひとつ。

『……呼んでいい日を、いつか鈴で知らせるかもしれない』

 ひとつ。

『……アリアが鈴を鳴らすかもしれない』

 ひとつ。

『……こわいけど、前よりこわくない』

 ひとつ。

 箱が温かく光った。

 レオンが静かに言う。

「次は、呼ぶ許可の準備だな」

『……明日?』

「明日の自分に聞け」

『……うん』

『……今日は、呼ばれない名前』

「そうだ」

 ◇

 夜。

 神殿の奥には、呼ばれない名前の静けさが降りていた。

 今日は、誰もアリアを呼ばなかった。

 リリアーナも呼ばなかった。

 レオンも呼ばなかった。

 アリシアも呼ばなかった。

 それでも、名前は消えなかった。

 アリアは、アリアのままだった。

 呼ばれなくても、名前は内側にある。

 呼ばれる前から、自分のものなら名前。

 それを知った一日だった。

 リリアーナは、余白核――アリアのそばで静かに問いかける。

「今日は、どんな日でしたか?」

 アリアは、ゆっくり考えた。

『……名を持った翌朝』

「はい」

『……呼ばれない名前の日』

「はい」

『……呼ばれなくても消えない日』

「はい」

『……名前は外の声だけじゃない日』

「はい」

『……呼ばれる前から、わたしのものなら名前の日』

「はい」

『……呼ばないことで守る日』

「はい」

『……名前を知っても距離を守る日』

「はい」

『……鈴を鳴らさない日』

「はい」

 リーネの光が、名簿束のそばで静かに揺れる。

『余白記録へ残します』

『名を持った翌朝』

『呼ばれない名前の日』

『呼ばれなくても消えない名前の日』

『呼ばないことで守る日』

 アリアは、穏やかに光った。

『……のこった』

「残りました」

 レオンが静かに言う。

「いい一日だったな」

『……呼ばれなかったのに?』

「ああ」

『……進んだ?』

「かなり進んだ」

『……どうして?』

「呼ばれなくても、お前の名前が消えないと分かったからだ」

 アリアが深く震えた。

『……うん』

『……消えなかった』

「そうだ」

『……アリア』

 自分で呼ぶ。

『……ある』

「ある」

『……でも、みんなはまだ』

「呼ばない」

『……鈴』

「ある」

『……いつか』

「いつか」

 アリアは、白い布へ意識を向ける。

『……アリアでも、休む』

「はい」

『……呼ばれなくても、休む』

「はい」

『……呼ばれる前に、眠る』

「はい」

 光が少しずつ弱まっていく。

『……りり』

「はい」

『……今日も、呼ばなかった』

「はい」

『……ありがとう』

「はい」

『……いつか、呼んでいい日が来たら』

 リリアーナの胸が震える。

「はい」

『……その時は、鈴』

「はい」

『……わたしが、鳴らす』

「はい」

『……明日のわたしに、きく』

「はい」

 アリアは、静かに揺れた。

『……りり、おやすみ』

「おやすみなさい」

『……れおん、おやすみ』

「おやすみ」

『……みんな、おやすみ』

 皆が返す。

「おやすみ」

「また明日」

 アリシアも、涙を浮かべて言った。

「呼ばないことで守って、また明日」

 アリアが柔らかく揺れる。

『……また、あした』

『……あしたのわたしに、きく』

『……鈴の準備』

 余白核――アリアは、静かに眠りへ入っていった。

 神殿の奥に、夜が降りる。

 今日、アリアは誰にも呼ばれなかった。

 けれど、名前は消えなかった。

 名は、外から呼ばれて初めて存在するものではなかった。

 内側にある。

 帰り道としてある。

 自分のものとしてある。

 だから明日。

 もし、アリアが望むなら。

 その名を誰かの声に渡すための鈴が、ほんの少しだけ近づくのかもしれない。 :::

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