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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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24/90

第24話「学費取り消し騒動、無能王子は静かに牙を剥く」



 王立アルディア学園、翌朝。


 まだ朝露の残る中庭には、生徒たちのざわめきが早くから満ちていた。


 普段なら授業前の雑談や、眠そうな挨拶が交わされる時間だ。


 だが今日の話題は一つしかない。


「聞いたか?」


「ヴァイス家の補助金再審査だろ?」


「第二王子殿下が口を出したって……」


「第五席でも消されるのかよ」


「怖すぎるだろ、この学園」


 噂は昨日の放課後には広がり始めていた。


 図書館での一件を見ていた者。


 それを聞いた者。


 誇張して伝えた者。


 様々な尾ひれをつけながら、話は学園中へ広がっている。


 没落伯爵家の令嬢リリアーナ・ヴァイスの特待資格が取り消されるかもしれない。


 その裏には第二王子アルベルトの意向がある。


 そして、それに首席レイ・ノクトが激怒した――と。


 最後だけ少し盛られていた。


 東門近くの並木道。


 レオンはいつも通り無表情で歩いていた。


 隣にはリリアーナ。


 だが今日は明らかに様子が違う。


 顔色が悪い。


 目の下に薄く隈がある。


 昨夜、眠れなかったのだろう。


「寝ていないな」


「……え?」


「歩幅が乱れている」


「み、見てるところが細かいです……」


「否定しないのか」


「……眠れませんでした」


 小さく俯く。


「もし本当に取り消されたら、って考えたら……」


 声が震えていた。


 家に帰れば、母と妹が待っている。


 喜んでくれた。


 泣いてくれた。


 やっと希望が見えたと笑ってくれた。


 その希望が、自分のせいで消えるかもしれない。


 そう思えば、眠れるはずがなかった。


「……情けないですよね」


「何が」


「こんなことで弱ってるなんて」


「弱って当然だ」


 即答だった。


 リリアーナが目を見開く。


 レオンは前を向いたまま続ける。


「大事なものを失うかもしれない時に平然としている方が異常だ」


「……レイさん」


「だが」


 そこで少しだけ声が低くなる。


「まだ失っていない」


 リリアーナの瞳が揺れる。


「だから勝手に終わらせるな」


 その一言が、胸の奥へ真っ直ぐ入ってきた。


 またこの人は、簡単そうに大事なことを言う。


「……はい」


 小さく、けれど確かに頷いた。


『主、いいこと言った』


『珍しい』


『毎回言ってます!』


『自覚ないだけ』


 神霊たちが騒ぐ。


 レオンは無視した。


 教室へ入ると、空気がさらに変わった。


 一年A組の生徒たちが一斉にこちらを見る。


 リリアーナはびくりと肩を揺らした。


 だが次の瞬間。


「おはよう、ヴァイス嬢」


 中列の平民男子が声をかけた。


「だ、大丈夫?」


 別の女子生徒も心配そうに言う。


「第五席なんだから負けないで!」


「え……」


 リリアーナは固まった。


 昨日まで、ここまで直接話しかけてくる者は少なかった。


 没落伯爵家。


 関わると面倒。


 そう思われていたからだ。


 だが今は違う。


 理不尽に狙われている側だと、多くが理解していた。


「……ありがとう、ございます」


 小さく頭を下げる。


 その様子を見て、レオンは少しだけ思う。


 人間は案外、捨てたものでもない。


「レイ・ノクト」


 冷たい声が響く。


 前列中央。


 アルベルトが睨んでいた。


「昨日は好き勝手やってくれたな」


「覚えていない」


「図書館だ!」


「静かにしろ」


「貴様ぁ!」


 そこへ教室扉が開いた。


 カティア教師だった。


「朝から元気ですね、殿下」


「こいつが!」


「減点一」


「まだ何もしていない!」


「騒いだので」


 いつもの流れである。


 カティアは教壇へ立つと、書類束を机へ置いた。


 教室が静まる。


「本日は連絡事項があります」


 生徒たちの空気が変わる。


 誰もが察していた。


 リリアーナの肩が強張る。


「ヴァイス家特待資格再審査について」


 教室中が息を呑んだ。


 リリアーナの指先が震える。


 レオンはそれを横目で確認しつつ、表情は変えない。


 カティアは淡々と続ける。


「昨夜、学院上層部より照会がありました」


 アルベルトがわずかに口元を上げる。


「ですが」


 その一言で空気が止まる。


「私が提出した成績資料、および実技評価、筆記記録、面接所見により――」


 一拍置く。


「再審査の必要なしと決定されました」


 静寂。


 次の瞬間、教室が爆発した。


「おおお!?」


「マジか!」


「よかった……!」


「当然だろ第五席だぞ!」


 リリアーナは言葉を失っていた。


「……え」


 理解が追いつかない。


「え……?」


「特待資格は継続」


 カティアが言い切る。


「加えて生活支援補助も追加承認されました」


「……えええ!?」


 今度はリリアーナ本人が叫んだ。


 教室が笑いに包まれる。


 レオンは少しだけ口元を緩めた。


「騒がしい」


「レイさん!? え!? 増えてます!?」


「そうらしいな」


「そうらしいな、じゃありません!」


 泣きそうな顔で笑っている。


 忙しい少女だった。


 一方、アルベルトの顔は信じられないほど歪んでいた。


「な、何故だ……!」


 カティアが書類をめくる。


「理由ですか?」


「当然だ!」


「簡単です」


 視線が鋭くなる。


「貴方の進言書が感情論で、資料価値ゼロだったからです」


 教室が再び静まる。


 強烈だった。


 アルベルトの口がぱくぱく開閉する。


「か、感情論……?」


「“没落貴族は見苦しい”」


 読み上げる。


「“平民と同等に扱うべき”」


 また読む。


「“私が気に入らない”」


 最後の一文で教室が吹き出した。


「書いてない! そんなふうには書いてない!」


「要約です」


「勝手にするな!」


「本質は同じです」


 圧勝だった。


 エリシアが扇子で口元を隠しながら肩を震わせている。


 笑っていた。


「……殿下」


 彼女が柔らかく言う。


「少し落ち着かれては?」


「エリシアまで……!」


 アルベルトは完全に孤立していた。


 その時、リリアーナが立ち上がった。


 皆が驚く。


 彼女はまだ緊張すると声が震える。


 それでも、まっすぐ教壇を見た。


「……先生」


「何ですか」


「ありがとうございます」


 深く頭を下げる。


 カティアは一瞬だけ目を細めた。


「礼は不要です」


「でも……」


「評価しただけです」


 静かな声。


「努力した者へ、正しい評価を返しただけ」


 リリアーナの瞳から涙が零れた。


 慌てて拭う。


「泣くな」


 後方からレオンの声。


「今日は嬉しい日だろ」


「……はい」


 笑いながら涙を拭く。


 教室の空気が少し柔らかくなった。


 授業開始後。


 ノートを取りながらも、リリアーナは何度も後ろを振り返りそうになる。


 助けてくれた。


 守ってくれた。


 そして今日も、何も言わず隣にいてくれた。


 レオンは前を見たまま、小さく言う。


「前向け」


「ひゃっ……」


「授業だ」


「……はい」


 ばれていた。


 恥ずかしい。


 でも少し嬉しい。


 放課後。


 教室を出る直前、エリシアがレオンの前へ立った。


「レイ・ノクト様」


「何だ」


「少し見直しましたわ」


「そうか」


「それだけですの?」


「十分だろ」


 エリシアはくすりと笑う。


「本当に、調子が狂いますわね」


 そう言って去っていく。


 香りだけが残る。


 リリアーナが小声で言う。


「……強いですね、エリシア様」


「何が」


「心が、です」


「お前も弱くない」


「え?」


「今日、立って礼を言った」


 リリアーナは目を丸くした。


「……見てたんですか」


「見える位置だった」


「そういうところです……」


「何がだ」


「いえ、秘密です」


 少しだけ意地悪く笑う。


 レオンは意味がわからず眉を寄せた。


 神霊たちは大騒ぎだった。


『主、褒めたー!』


『無自覚好感度上げ』


『罪な男です!』


『面倒そうな顔してる』


 今日も騒がしい。


 だが、悪くない。


 リリアーナの学費問題は片付いた。


 けれどその代わり――


 第二王子アルベルトの怒りは、確実に次の段階へ進んでいた。

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