第24話「学費取り消し騒動、無能王子は静かに牙を剥く」
王立アルディア学園、翌朝。
まだ朝露の残る中庭には、生徒たちのざわめきが早くから満ちていた。
普段なら授業前の雑談や、眠そうな挨拶が交わされる時間だ。
だが今日の話題は一つしかない。
「聞いたか?」
「ヴァイス家の補助金再審査だろ?」
「第二王子殿下が口を出したって……」
「第五席でも消されるのかよ」
「怖すぎるだろ、この学園」
噂は昨日の放課後には広がり始めていた。
図書館での一件を見ていた者。
それを聞いた者。
誇張して伝えた者。
様々な尾ひれをつけながら、話は学園中へ広がっている。
没落伯爵家の令嬢リリアーナ・ヴァイスの特待資格が取り消されるかもしれない。
その裏には第二王子アルベルトの意向がある。
そして、それに首席レイ・ノクトが激怒した――と。
最後だけ少し盛られていた。
東門近くの並木道。
レオンはいつも通り無表情で歩いていた。
隣にはリリアーナ。
だが今日は明らかに様子が違う。
顔色が悪い。
目の下に薄く隈がある。
昨夜、眠れなかったのだろう。
「寝ていないな」
「……え?」
「歩幅が乱れている」
「み、見てるところが細かいです……」
「否定しないのか」
「……眠れませんでした」
小さく俯く。
「もし本当に取り消されたら、って考えたら……」
声が震えていた。
家に帰れば、母と妹が待っている。
喜んでくれた。
泣いてくれた。
やっと希望が見えたと笑ってくれた。
その希望が、自分のせいで消えるかもしれない。
そう思えば、眠れるはずがなかった。
「……情けないですよね」
「何が」
「こんなことで弱ってるなんて」
「弱って当然だ」
即答だった。
リリアーナが目を見開く。
レオンは前を向いたまま続ける。
「大事なものを失うかもしれない時に平然としている方が異常だ」
「……レイさん」
「だが」
そこで少しだけ声が低くなる。
「まだ失っていない」
リリアーナの瞳が揺れる。
「だから勝手に終わらせるな」
その一言が、胸の奥へ真っ直ぐ入ってきた。
またこの人は、簡単そうに大事なことを言う。
「……はい」
小さく、けれど確かに頷いた。
『主、いいこと言った』
『珍しい』
『毎回言ってます!』
『自覚ないだけ』
神霊たちが騒ぐ。
レオンは無視した。
教室へ入ると、空気がさらに変わった。
一年A組の生徒たちが一斉にこちらを見る。
リリアーナはびくりと肩を揺らした。
だが次の瞬間。
「おはよう、ヴァイス嬢」
中列の平民男子が声をかけた。
「だ、大丈夫?」
別の女子生徒も心配そうに言う。
「第五席なんだから負けないで!」
「え……」
リリアーナは固まった。
昨日まで、ここまで直接話しかけてくる者は少なかった。
没落伯爵家。
関わると面倒。
そう思われていたからだ。
だが今は違う。
理不尽に狙われている側だと、多くが理解していた。
「……ありがとう、ございます」
小さく頭を下げる。
その様子を見て、レオンは少しだけ思う。
人間は案外、捨てたものでもない。
「レイ・ノクト」
冷たい声が響く。
前列中央。
アルベルトが睨んでいた。
「昨日は好き勝手やってくれたな」
「覚えていない」
「図書館だ!」
「静かにしろ」
「貴様ぁ!」
そこへ教室扉が開いた。
カティア教師だった。
「朝から元気ですね、殿下」
「こいつが!」
「減点一」
「まだ何もしていない!」
「騒いだので」
いつもの流れである。
カティアは教壇へ立つと、書類束を机へ置いた。
教室が静まる。
「本日は連絡事項があります」
生徒たちの空気が変わる。
誰もが察していた。
リリアーナの肩が強張る。
「ヴァイス家特待資格再審査について」
教室中が息を呑んだ。
リリアーナの指先が震える。
レオンはそれを横目で確認しつつ、表情は変えない。
カティアは淡々と続ける。
「昨夜、学院上層部より照会がありました」
アルベルトがわずかに口元を上げる。
「ですが」
その一言で空気が止まる。
「私が提出した成績資料、および実技評価、筆記記録、面接所見により――」
一拍置く。
「再審査の必要なしと決定されました」
静寂。
次の瞬間、教室が爆発した。
「おおお!?」
「マジか!」
「よかった……!」
「当然だろ第五席だぞ!」
リリアーナは言葉を失っていた。
「……え」
理解が追いつかない。
「え……?」
「特待資格は継続」
カティアが言い切る。
「加えて生活支援補助も追加承認されました」
「……えええ!?」
今度はリリアーナ本人が叫んだ。
教室が笑いに包まれる。
レオンは少しだけ口元を緩めた。
「騒がしい」
「レイさん!? え!? 増えてます!?」
「そうらしいな」
「そうらしいな、じゃありません!」
泣きそうな顔で笑っている。
忙しい少女だった。
一方、アルベルトの顔は信じられないほど歪んでいた。
「な、何故だ……!」
カティアが書類をめくる。
「理由ですか?」
「当然だ!」
「簡単です」
視線が鋭くなる。
「貴方の進言書が感情論で、資料価値ゼロだったからです」
教室が再び静まる。
強烈だった。
アルベルトの口がぱくぱく開閉する。
「か、感情論……?」
「“没落貴族は見苦しい”」
読み上げる。
「“平民と同等に扱うべき”」
また読む。
「“私が気に入らない”」
最後の一文で教室が吹き出した。
「書いてない! そんなふうには書いてない!」
「要約です」
「勝手にするな!」
「本質は同じです」
圧勝だった。
エリシアが扇子で口元を隠しながら肩を震わせている。
笑っていた。
「……殿下」
彼女が柔らかく言う。
「少し落ち着かれては?」
「エリシアまで……!」
アルベルトは完全に孤立していた。
その時、リリアーナが立ち上がった。
皆が驚く。
彼女はまだ緊張すると声が震える。
それでも、まっすぐ教壇を見た。
「……先生」
「何ですか」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
カティアは一瞬だけ目を細めた。
「礼は不要です」
「でも……」
「評価しただけです」
静かな声。
「努力した者へ、正しい評価を返しただけ」
リリアーナの瞳から涙が零れた。
慌てて拭う。
「泣くな」
後方からレオンの声。
「今日は嬉しい日だろ」
「……はい」
笑いながら涙を拭く。
教室の空気が少し柔らかくなった。
授業開始後。
ノートを取りながらも、リリアーナは何度も後ろを振り返りそうになる。
助けてくれた。
守ってくれた。
そして今日も、何も言わず隣にいてくれた。
レオンは前を見たまま、小さく言う。
「前向け」
「ひゃっ……」
「授業だ」
「……はい」
ばれていた。
恥ずかしい。
でも少し嬉しい。
放課後。
教室を出る直前、エリシアがレオンの前へ立った。
「レイ・ノクト様」
「何だ」
「少し見直しましたわ」
「そうか」
「それだけですの?」
「十分だろ」
エリシアはくすりと笑う。
「本当に、調子が狂いますわね」
そう言って去っていく。
香りだけが残る。
リリアーナが小声で言う。
「……強いですね、エリシア様」
「何が」
「心が、です」
「お前も弱くない」
「え?」
「今日、立って礼を言った」
リリアーナは目を丸くした。
「……見てたんですか」
「見える位置だった」
「そういうところです……」
「何がだ」
「いえ、秘密です」
少しだけ意地悪く笑う。
レオンは意味がわからず眉を寄せた。
神霊たちは大騒ぎだった。
『主、褒めたー!』
『無自覚好感度上げ』
『罪な男です!』
『面倒そうな顔してる』
今日も騒がしい。
だが、悪くない。
リリアーナの学費問題は片付いた。
けれどその代わり――
第二王子アルベルトの怒りは、確実に次の段階へ進んでいた。




