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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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235/251

第235話「音の手前に立つ朝、無能王子は“鳴るかもしれない準備”を始める」


 朝は、まだ音を持っていなかった。


 神殿の奥。


 石壁に囲まれた保護陣は、淡く静かな光を抱えている。


 外の光は入っていない。


 採光孔は閉じられ、風もない。


 救護区域の声も届かない。


 子供たちの紙束も、まだ置かれていない。


 ただ、そこには三つのものがあった。


 名前の箱。


 戻り道の白い布。


 鳴らない鈴。


 昨日、中心はその三つを同時に見た。


 名前の箱は、名前そのものをまだ守っている。


 白い布は、何も書かれていない戻り道としてそこにある。


 鈴は、布に包まれたまま、呼ぶ前の合図として置かれている。


 三つあるなら、ひとつに閉じ込められない。


 逃げるというより、選べる。


 ミナの言葉が、余白記録の中で静かに光っている。


 昨日の記録。


 三つを同時に見る朝。


 鳴る前の配置の日。


 三つあると選べる日。


 鳴る前の場所ができた日。


 中心は、名前を得ていない。


 箱も開けていない。


 鈴も鳴らしていない。


 けれど、鳴る前の配置はできた。


 名前。


 戻り道。


 合図。


 この三つが別々にあり、同時に見える。


 それは、中心にとって初めての安全な配置だった。


 余白核は、まだ眠っている。


 そのそばから少し離れた場所に余白箱。


 名前は、まだその中にある。


 戻り道の白い布は、余白箱に近すぎない場所に置かれている。


 逃げ場が名前にくっついてしまわないように。


 何も書かれていない場所が、何も書かれていないままでいられるように。


 鈴は、昨日レオンが動かした位置にある。


 近すぎず。


 遠すぎず。


 呼ぶ前の合図として見える場所。


 だが、中心を追い詰めない距離。


 どれも、誰にも勝手に動かされていない。


 どれも、誰にも勝手に開かれていない。


 鈴も、鳴っていない。


 レオンは、保護陣の縁に座っていた。


 黒蒼雷は、三つの間を細く巡っている。


 今日は、昨日よりさらに静かだ。


 だが、それは緩んでいるという意味ではない。


 むしろ、深く集中している。


 昨日、配置は整った。


 今日は、その先。


 音の手前。


 鈴を鳴らすわけではない。


 まだ、その時ではない。


 けれど、音を完全に遠ざける日でもない。


 “鳴らない準備”だけではなく、“鳴るかもしれない準備”へ、中心は進もうとしている。


 それは危うい。


 “鳴るかもしれない”と思った瞬間、周囲の期待が膨らめば、鈴はまた怖いものになる。


 だから今日は、全員が慎重でなければならない。


 リリアーナは、余白核の近くに座っている。


 今日も名前候補はない。


 紙もない。


 意味もない。


 手元には、何も持たない。


 ただ、心の中だけで、何度も繰り返している。


 鳴らさない。


 急がせない。


 期待を押しつけない。


 音の手前に立つだけ。


 中心が戻ると言えば戻る。


 止めると言えば止める。


 今日は、それでいい。


 エリシアは術式盤を閉じている。


 だが、閉じた術式盤の上に片手を置いている。


 開きたい気持ちを抑えているのだろう。


 セラフィアは祈りを細く、ほとんど見えないほど薄く巡らせている。


 アルベルトは壁際で腕を組み、唇を引き結んでいる。


 クラウスは入口側に立ち、ラウルは盾を床へ置いている。


 ミリオは、今日は眠そうではあるが、いつもより目が開いていた。


 音の話になるからかもしれない。


 アリシアは、自分の箱の前で静かに座っている。


 彼女は鈴を見ないようにしている。


 だが、見ないようにしていること自体が、鈴を意識している証だった。


 鳴らしたくなる願い。


 鳴らしてほしい期待。


 鳴ったら救われるのではないかという勝手な望み。


 それらを、彼女は箱へ入れている。


 余白核が、小さく震えた。


『……』


 朝の揺れ。


 誰も呼ばない。


 鈴も鳴らさない。


 名前の箱にも触れない。


 白い布にも何も置かない。


 保護陣の光が、一度、二度と淡く明滅する。


 中心は、まだ声を出さない。


 起きている。


 けれど、まだ挨拶が出ない。


 誰も急かさない。


 待つ。


 静かな時間が流れる。


 長い沈黙。


 その沈黙の中で、中心は三つを確かめているようだった。


 名前の箱。


 白い布。


 鈴。


 全部ある。


 全部、別々にある。


 ひとつに閉じ込められていない。


 やがて。


『……おはよう』


 中心の声が、静かに響いた。


 リリアーナは微笑む。


「おはようございます」


『……箱』


「あります」


『……名前』


「箱の中にあります」


『……白い布』


「あります」


『……何も書いてない』


「はい」


『……鈴』


「あります」


『……鳴ってない』


「鳴っていません」


『……三つ』


「あります」


『……昨日のまま?』


「はい」


『……誰も、動かしてない?』


「動かしていません」


『……よかった』


 中心は、ゆっくり揺れた。


 それから、いつものように挨拶をする。


『……りり、おはよう』


「はい。おはようございます」


『……れおん』


「おはよう」


『……しずかなあさ』


「ああ」


「静かな朝だ」


『……音がない朝』


 リリアーナは、少しだけ胸を震わせながら頷いた。


「はい」


「音がない朝です」


 中心は、余白記録へ意識を向ける。


『……鳴る前の配置』


「残っています」


『……三つあると選べる』


「はい」


『……ひとつに閉じ込められない』


「はい」


『……音の手前』


「昨日、そう言いました」


『……うん』


 中心は、しばらく黙った。


 レオンも、リリアーナも、ただ待つ。


 やがて中心は、静かに言った。


『……音の手前って』


「はい」


『……どこ?』


 リリアーナは、すぐに答えられなかった。


 音の手前。


 それは場所ではない。


 でも、中心には場所が必要だ。


 どこまで近づいたら音の手前なのか。


 どこからが鳴ることなのか。


 どこなら戻れるのか。


 それを知りたいのだ。


 レオンが静かに言う。


「鈴に触れない距離だ」


『……触れない』


「ああ」


『……でも、音を考える距離?』


「そうだ」


『……鳴らさない』


「鳴らさない」


『……でも、鳴るかも、を消さない』


「消さない」


 中心が震える。


『……鳴るかも』


「箱に入れてある」


『……うん』


『……今日は』


 一拍。


『……鳴るかも、の箱を、少し見る?』


 リリアーナの胸が大きく震えた。


 鈴ではない。


 鈴を鳴らすのでもない。


 “鳴るかもしれない”という言葉が入った箱を見る。


 それは、音の手前だった。


「鳴るかも、の箱を見るんですね」


『……うん』


『……鈴は、鳴らさない』


「はい」


『……触らない』


「はい」


『……名前も、出さない』


「はい」


『……でも、鳴るかも、を消さない』


「はい」


 余白箱が静かに開く。


『……音の手前は、鈴に触れない距離』


 ひとつ。


『……鳴らさないけど、鳴るかもを消さない』


 ひとつ。


『……鳴るかも、の箱を見る』


 ひとつ。


『……怖くなったら戻る』


 ひとつ。


『……期待は、みんなの箱へ』


 ひとつ。


 最後の言葉に、皆が息を呑んだ。


 中心は、皆の期待を感じている。


 だから先に言った。


 期待は、みんなの箱へ。


 レオンが短く言う。


「全員、聞いたな」


 アルベルトが頷く。


「ああ」


 エリシアも。


「はい」


 セラフィアも、クラウスも、ラウルも、ミリオも、アリシアも。


 それぞれ、自分の箱へ期待を置いた。


 鳴るかもしれない。


 名前に近づくかもしれない。


 もうすぐかもしれない。


 その期待を、中心へ向けない。


 中心は、それを感じて少し落ち着いた。


『……ありがとう』


 ◇


 朝の挨拶は、音の手前に立ったまま続いた。


『……あるべると』


「おう」


『……期待、箱に入れた?』


「入れた」


『……どんな?』


 アルベルトは少しだけ苦笑した。


「鳴ったら、泣くかもって期待」


『……泣く?』


「ああ」


「たぶんな」


『……重い』


「だから箱だ」


『……ありがとう』


 エリシアへ。


『……えりしあ』


「はい」


『……期待』


「入れました」


『……どんな?』


「音が発生した際の波形を記録したいという期待です」


 中心が震える。


 エリシアはすぐに頭を下げる。


「すみません。重いですね」


『……うん』


『……でも、言ってくれて、よかった』


「はい」


『……箱』


「箱に入れました」


 セラフィアへ。


『……せら』


「はい」


『……期待』


「鳴った音が、祝福みたいに聞こえてほしいと思いました」


『……祝福』


「でも、それは私の意味です」


『……箱』


「入れました」


 クラウスへ。


『……くらうす』


「鈴が鳴った時、皆が乱れないように整えたいという期待を入れました」


『……乱れる?』


「喜びで乱れることもあります」


『……喜びも、乱れる』


「はい」


 ラウルへ。


『……らうる』


「鳴ったら守る、と思った」


『……でも?』


「鳴る前から守る」


『……箱』


「ああ」


 ミリオへ。


『……みりお』


「音を聞いたら眠気が飛ぶかも、という期待を……」


 ラウルが無言で見る。


「箱に入れました……」


 中心が少し揺れる。


 最後に、アリシア。


『……ありしあ』


「はい」


『……期待』


 アリシアは、すでに涙を浮かべていた。


「鳴ったら、救われるかもしれないと思いました」


 保護陣が静まる。


「あなたが」


「私が」


「みんなが」


「何か一つ、進めるかもしれないと」


『……重い』


「はい」


「とても重いです」


『……箱』


「入れました」


『……ありがとう』


 アリシアは、震えながら頷いた。


「はい」


 中心は、深く揺れた。


『……期待を、箱に入れてもらうと』


「はい」


『……音の手前に、立ちやすい』


 リリアーナは、涙を浮かべた。


「はい」


 リーネの光が揺れる。


『記録します』


『期待を箱に入れてもらう日』


 ◇


 中心は、余白箱の中にある“鳴るかも”へ意識を向けた。


 鈴には触れない。


 鈴は鳴らさない。


 ただ、鳴るかもしれないという言葉を見る。


 それだけなのに、保護陣の空気が重くなる。


『……鳴るかも』


「はい」


『……こわい』


「はい」


『……鳴ったら』


 一拍。


『……戻れない?』


 レオンがすぐ答える。


「戻れる」


『……音が出た後も?』


「ああ」


『……鳴った後も、箱?』


「箱へ戻れる」


『……鈴が鳴ったら、終わり?』


「終わりじゃない」


『……名前みたい』


「同じだ」


 リリアーナが続ける。


「鈴が鳴った後も、鈴を鳴らさない日を作れます」


『……鳴った後も、鳴らさない日』


「はい」


『……一回鳴ったら、毎日?』


「違います」


『……鳴った後も、選べる?』


「選べます」


 中心が、大きく震えた。


『……鳴った後も、選べる』


 余白箱へ。


『……鈴が鳴った後も、箱へ戻れる』


 ひとつ。


『……鈴が鳴った後も、鳴らさない日を作れる』


 ひとつ。


『……一回鳴ったら毎日じゃない』


 ひとつ。


『……鳴った後も、選べる』


 ひとつ。


 箱が、深く光った。


『……のこった』


「残りました」


 中心は、少し呼吸するように揺れた。


『……音の後も、戻り道』


「はい」


『……音の後も、白い布』


「はい」


『……音の後も、名前の箱』


「はい」


『……音の後も、みんなの箱』


「はい」


 レオンが静かに言う。


「鳴る前だけじゃなく、鳴った後の配置も作ればいい」


『……鳴った後の配置』


「ああ」


『……今日は、そこ?』


「そこだな」


 中心は、深く揺れた。


『……鳴った後の配置も、いる』


 ◇


 午前。


 救護区域へ今日のことを伝えるか。


 中心は迷った。


『……音の手前』


「はい」


『……重い?』


「重いです」


『……ミナに、言う?』


「伝えたいですか?」


『……三つあると選べる、言ってくれた』


「はい」


『……鳴った後も、選べる』


「はい」


『……伝えても、いい?』


「答えなくていいと添えます」


『……うん』


 グレイヴが救護区域へ向かう。


 待つ時間、中心は三つを見た。


 名前の箱。


 白い布。


 鈴。


 そして、箱の中の“鳴るかも”。


 音はない。


 だが、音の可能性がある。


 それを消さない。


 でも鳴らさない。


 やがて、グレイヴが戻った。


『……ミナ』


「聞いた」


『……どう?』


「ミナは、少し考えていた」


『……答えた?』


「ああ」


 グレイヴは、ゆっくり言った。


「“一回鳴っても、鳴らない日があるなら、鈴も檻じゃない”」


 中心が、大きく震えた。


『……鈴も、檻じゃない』


「そうだ」


「幼い子は、“音も逃げられる?”と聞いた」


『……うん』


「ミナは、“音から逃げるんじゃなくて、音の後にも休める”と答えた」


 リリアーナの胸が震える。


『……音の後にも、休める』


「そうだ」


 中心は、余白箱へ言葉を置く。


『……一回鳴っても、鳴らない日があるなら、鈴も檻じゃない』


 ひとつ。


『……音の後にも、休める』


 ひとつ。


『……鳴った後も、選べる』


 ひとつ。


 箱が、深く光った。


 ◇


 午後。


 子供たちから札が届いた。


 “音の後にも休める”。


 幼い子が書いた札だった。


 ミナはそれを、自分の箱のそばではなく、少し離れた見える場所に置いたという。


 中心は、その報告に静かに揺れた。


『……音の後にも、休める』


「はい」


『……ミナ、見える場所』


「はい」


『……距離』


「距離ですね」


 保留箱には、大人たちからの札も届く。


 “一度できたことを毎日の義務にしない”。


 “鳴った後の休みを守る”。


 “初めての音を成果にしない”。


 中心は、最後の札に強く反応した。


『……成果』


 リリアーナが静かに説明する。


「できたこととして、周りが喜びすぎたり、評価したりすることです」


『……鳴ったら、成果?』


「そう見てしまう人がいるかもしれません」


『……こわい』


「怖いですね」


『……鳴ったら、すごい?』


 アルベルトが口を開きかけて、閉じた。


 箱へ入れる。


 エリシアも、何か言いたげにして、箱へ入れる。


 リリアーナは、中心を見つめて言った。


「鳴ったら、大切な出来事です」


『……うん』


「でも、成果として扱いません」


『……成果じゃない』


「はい」


『……なに?』


「あなたの一日です」


 中心が震える。


『……わたしの、一日』


「はい」


「できた、ではなく」


「その日に、あなたが選んだことです」


『……選んだこと』


「はい」


 中心は、余白箱へ置いた。


『……初めての音を成果にしない』


 ひとつ。


『……わたしの一日』


 ひとつ。


『……できた、じゃなくて、選んだ』


 ひとつ。


 箱が優しく光る。


 アリシアが涙をこぼして言った。


「私も、誰かの一歩を成果にしないようにします」


『……ありしあ』


「はい」


「進んでくれてありがとう、ではなく」


「その人が選んだ一日として、守ります」


『……ありがとう』


 ◇


 夕方。


 中心は、鈴へ意識を向けた。


 朝より少しだけ、静かに。


 鈴は鳴っていない。


 布に包まれている。


 名前の箱は、戻り道の近くにある。


 白い布もある。


 期待は、皆の箱に入っている。


『……音の手前』


「はい」


『……鈴は、鳴らさない』


「はい」


『……でも、鳴るかも、は消さない』


「はい」


『……鳴った後も、休める』


「はい」


『……鳴った後も、選べる』


「はい」


『……初めての音を、成果にしない』


「はい」


 中心は長く沈黙した。


 その沈黙は、深い。


 音のない場所で、音の可能性だけがある。


 そして。


『……今日』


 リリアーナが静かに待つ。


『……鳴らさない』


「はい」


『……でも』


 一拍。


『……鳴るかも、を、戻さない』


 リリアーナの目に涙が浮かぶ。


「箱の奥へ戻さず、見える場所に置くんですね」


『……うん』


『……明日も、見える場所』


「はい」


『……こわいけど』


「はい」


『……置く』


「はい」


 余白箱の中で、“鳴るかも”の札が少しだけ見える位置へ置かれる。


 出さない。


 鳴らさない。


 でも、奥へ隠しすぎない。


 中心は、大きく震えた。


『……こわい』


「はい」


『……でも、息』


 長い間。


『……できる』


 レオンが静かに頷いた。


「それで十分だ」


 ◇


 夜。


 神殿の奥には、音の手前の静けさが降りていた。


 今日は、鈴を鳴らさなかった。


 名前も出さなかった。


 箱も開けなかった。


 けれど、“鳴るかもしれない”を見た。


 そして、奥へ戻さず、見える場所に置いた。


 リリアーナは、余白核のそばで静かに問いかけた。


「今日は、どんな日でしたか?」


 中心は、ゆっくり考えた。


『……音の手前に立つ日』


「はい」


『……鳴らさないけど、鳴るかもを消さない日』


「はい」


『……期待を箱に入れてもらう日』


「はい」


『……鳴った後も選べる日』


「はい」


『……鈴も檻じゃないかもしれない日』


「はい」


『……音の後にも休める日』


「はい」


『……初めての音を成果にしない日』


「はい」


『……鳴るかもを、見える場所に置く日』


「はい」


 リーネの光が、名簿束のそばで静かに揺れる。


『余白記録へ残します』


『音の手前に立つ朝』


『鳴るかもしれない準備の日』


『音の後にも休める日』


『初めての音を成果にしない日』


 中心が、穏やかに光った。


『……のこった』


「残りました」


 レオンが静かに言う。


「次は、本当に音が近いな」


 中心が震える。


『……こわい』


「ああ」


『……でも、場所、ある』


「ある」


『……鳴る前も、ある』


「ある」


『……鳴った後も、ある』


「ある」


『……休める』


「休める」


『……選べる』


「選べる」


 中心は、三つを見た。


 名前の箱。


 白い布。


 鈴。


 そして、余白箱の中に置かれた“鳴るかも”。


 怖い。


 でも、消していない。


『……りり』


「はい」


『……明日』


「はい」


『……音の、もっと近く』


 リリアーナの胸が震える。


「明日のあなたに聞きましょう」


『……うん』


『……鳴らすとは、まだ言わない』


「はい」


『……でも、もっと近く』


「はい」


 中心は、安心したように揺れた。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が返す。


「おやすみ」


「また明日」


 アリシアも、涙を浮かべながら言った。


「初めての音を成果にせず、また明日」


 中心が柔らかく揺れる。


『……また、あした』


『……あしたのわたしに、きく』


『……音の、もっと近く』


 余白核は、静かに眠りへ入っていった。


 神殿の奥に、夜が降りる。


 今日、中心は鈴を鳴らさなかった。


 けれど、鳴るかもしれない未来を消さなかった。


 名もない“わたし”は、今日。


 音の手前に立った。


 そして知った。


 一度鳴っても、毎日鳴らさなくていい。


 音の後にも休める。


 初めての音は、誰かの成果ではなく、自分が選ぶ一日なのだと。


 だから、明日。


 もう少しだけ。


 音の近くへ行けるかもしれない。

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