第22話「実技授業、首席平民は木剣で常識を折る」
昼休みの一件は、その日の午後には学園中へ広がっていた。
没落伯爵家の令嬢を侮辱した侯爵子息が、首席レイ・ノクトに黙らされた。
しかも弁当に謝罪させられた。
その妙な噂は、笑い話のように語られながらも、確実に一つの事実を残した。
レイ・ノクトに下手な喧嘩は売るな。
そして。
リリアーナ・ヴァイスに手を出すな。
王立アルディア学園・第一訓練場。
午後の授業は、実技基礎訓練だった。
広い石造りの訓練場には、模擬戦用の円形舞台がいくつも並び、魔導結界が張られている。
教師たちが各クラスを受け持ち、生徒たちは武器を手に整列していた。
一年A組の担当は、もちろんカティアだった。
「整列」
短い一言で全員が背筋を伸ばす。
「本日の内容は、基礎武術確認と模擬戦」
ざわめきが走る。
貴族子弟たちは嬉しそうに剣を握り、平民組は緊張した表情になる。
アルベルトはすでにやる気満々だった。
「ようやく本業か」
「授業です」
「俺の見せ場だ」
「減点一」
「まだ何もしていないだろう!?」
もはや反射だった。
レオンは木剣を一本受け取り、重さを確かめる。
「……軽いな」
「木剣ですから」
いつの間にか近くへ来ていたリリアーナが小声で言った。
「本物の剣の方が良かったですか?」
「別に」
「でも、似合いそうです」
「木剣でも同じだ」
「それ、強者の台詞です……」
少し笑うリリアーナ。
昼休みより表情が柔らかい。
それだけで周囲の男子生徒たちは複雑な顔をしていた。
「ヴァイス嬢、あんなに笑う子だったか?」
「首席相手だと違うんだろ」
「なんか腹立つ」
ヴァルガが笑い転げる。
『嫉妬されてるぞ主!』
『知らん』
『青春ですね!』
『その単語は禁止だ』
カティアが名簿を見る。
「まずは力量確認。順に前へ」
数組の模擬戦が始まる。
剣筋は粗いが勢いだけある者。
魔力強化に頼りすぎて足元が甘い者。
型だけ綺麗で実戦感覚のない者。
カティアは淡々と評価していく。
「重心が高い」
「振る前に顔へ出ています」
「剣を飾りにしない」
「次」
容赦がない。
だが的確だった。
やがてアルベルトの番が来る。
「アルベルト・フォン・アルディア」
「待っていた」
胸を張って前へ出る。
相手は伯爵家の男子生徒だった。
開始の合図と同時、アルベルトが魔力を脚へ流し、一気に距離を詰める。
速い。
才能は本物だった。
連撃。
突き。
薙ぎ払い。
相手は防戦一方となり、最後は木剣を弾かれて尻餅をついた。
「勝者、アルベルト」
周囲がどよめく。
「さすが殿下!」
「強い……!」
アルベルトは鼻を鳴らし、レオンを見る。
「これが実力だ」
「そうか」
「……反応が薄いな」
「授業だからな」
煽りにもならない返しだった。
アルベルトの額に青筋が浮かぶ。
「次、レイ・ノクト」
空気が変わった。
皆が見たかった。
首席。
王子を倒した平民。
噂の男。
レオンは木剣を肩へ担ぎ、舞台へ上がる。
相手に選ばれたのは、午前中に実技評価が高かった侯爵家の生徒だった。
「……よろしく」
相手は緊張している。
まともな者らしい。
「始め」
相手が正面から踏み込む。
綺麗な剣筋。
迷いも少ない。
だがレオンは半歩ずれてかわす。
風が髪を揺らすだけ。
二撃目。
三撃目。
全て紙一重で外れる。
「なっ……!」
「遅い」
レオンは木剣の腹で、相手の手首を軽く打った。
「っ!」
痺れて剣が落ちる。
続けて足払い。
相手は転ぶ寸前で踏ん張るが、その喉元へ木剣が止まっていた。
「終了」
静寂。
一瞬だった。
「……勝者、レイ・ノクト」
ざわめきが爆発する。
「見えなかった!」
「何した!?」
「手首だけ打ったぞ……!」
カティアの口元がわずかに上がる。
「無駄がない。良い」
アルベルトが歯ぎしりする。
「小技だ」
「そうか」
レオンは舞台を降りた。
「なら次はお前が受ければいい」
「……言ったな?」
「事実だ」
火花が散る。
カティアが深く息を吐いた。
「では次。アルベルト対レイ・ノクト」
教室中――いや訓練場全体が沸いた。
「きたぁぁ!」
「再戦だ!」
「午後から激熱!」
リリアーナの顔が青くなる。
「だ、大丈夫でしょうか……」
『主が?』
『弟が?』
『どっちでしょう』
ルミアたちが騒ぐ。
レオンは静かに舞台へ戻った。
アルベルトは笑っている。
「今度は木剣。言い訳はできんぞ」
「必要ない」
「泣くなよ」
「お前がか」
「……っ!」
「始め!」
アルベルトが咆哮と共に突っ込む。
午前より速い。
怒りで魔力出力も上がっている。
だが直線的だった。
レオンは正面から半歩踏み込む。
すれ違いざま、木剣で相手の柄頭を叩く。
アルベルトの手首が跳ね、剣筋が逸れる。
そのまま背後へ回り込み、背中へ軽く一撃。
「終わりだ」
アルベルトが前のめりに転んだ。
再び静寂。
数秒後、訓練場全体がどよめきに包まれる。
「また一瞬!?」
「殿下、何もできてない!」
「やばすぎるだろ!」
アルベルトは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「ま、まだだ!」
「終了です」
カティアが冷たく告げる。
「二撃で決着。完敗です」
「くっ……!」
レオンは舞台を降りる。
視線が集まる。
羨望。
畏怖。
嫉妬。
それでも本人は無表情だった。
「……木剣でも同じだ」
リリアーナがぽつりと呟く。
「本当にそうでした……」
午後の授業は、その一戦で完全に支配された。
首席平民。
レイ・ノクト。
その名は、さらに重く学園へ刻まれていく。
第23話「放課後の図書室、銀髪令嬢は距離を知りたくない」
実技授業の熱気が冷めぬまま、放課後を迎えた。
教室では生徒たちが興奮気味に話している。
「見たか!? 二撃だぞ!」
「殿下また負けてた!」
「レイ・ノクト、本当に何者なんだ……」
アルベルトは怒りのまま取り巻きを連れて去っていった。
エリシアは静かな笑みを浮かべながらも、最後列窓際を何度も見ていた。
その最後列では、レオンが机に肘をつき、窓の外を見ている。
「……帰るか」
「レイさん!」
リリアーナが駆け寄ってきた。
少し息が上がっている。
「何だ」
「その……図書室へ行かれませんか?」
「なぜ」
「授業で出た理論書を借りたくて……でも、一人だと場所がわからなくて……」
「迷うのか」
「はい……」
「そうか」
数秒沈黙。
リリアーナがしょんぼりしかけた時。
「行くぞ」
「……え?」
「案内してやる」
「わ、わたしがお願いしたんですけど……」
「細かいな」
少し笑ってしまうリリアーナ。
教室の外へ出る二人を、エリシアがじっと見送っていた。
「……図書室」
小さく呟く。
「次はそこですわね」
何が次なのか、本人にも少しわかっていなかった。
学園図書館は本校舎北棟にあった。
三階建ての巨大施設。
天井まで届く本棚。
魔導灯の柔らかな明かり。
紙と革装丁の香り。
静寂の聖域だった。
リリアーナは目を輝かせる。
「す、すごい……」
「初めてか」
「ここまで大きい図書室は……」
田舎の領地では見られない規模だろう。
レオンは迷いなく奥へ進む。
「れ、レイさん詳しいんですか?」
「本はよく読んだ」
「そうなんですね」
東の塔で。
時間だけはあった。
置かれていた古い書物を読み尽くし、足りなければ神霊たちの知識を聞き、考え続けた。
読書は逃避であり、武器でもあった。
「……何を読まれるんですか?」
「歴史、戦術、政治、魔術理論」
「難しいです……」
「お前は」
「料理本と薬草図鑑です」
「……らしいな」
少しだけ笑ったように見えた。
リリアーナの心臓が跳ねる。
この人は滅多に表情が動かない。
だからこそ、小さな変化が眩しい。
二人は並んで棚を見る。
肩が近い。
歩幅も自然と揃う。
静かな時間だった。
『いい空気です』
『青春』
『まだ言うか』
『主、顔が少し柔らかい』
『気のせいだ』
その時。
「……あら」
聞き覚えのある声がした。
二人が振り向く。
エリシア・フォン・ローゼンベルクが、三冊ほど本を抱えて立っていた。
完璧な姿勢。
完璧な笑み。
だが目だけは少し楽しそうだった。
「奇遇ですわね」
「そうか」
「図書室はよく来られますの?」
「今来た」
「……会話が難しい方ですわ」
リリアーナが緊張で固まる。
「え、エリシア様……」
「ごきげんよう、リリアーナ様」
笑顔は美しい。
だが牽制の気配もある。
図書室の静寂の中、三人の間だけ別の空気が流れていた。
「レイ・ノクト様」
エリシアが一歩近づく。
「もしよろしければ、おすすめの本を一冊教えていただけません?」
「断る」
「早いですわね」
「面倒だ」
「本当に面倒が口癖ですの?」
「今決めた」
リリアーナが思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押さえる。
エリシアは扇子もなく、それでも優雅に笑った。
「では、わたくしが選んだ本を評価していただくのは?」
「しない」
「徹底していますのね」
「当然だ」
だが彼女は退かない。
むしろ楽しんでいるようだった。
リリアーナは胸の奥が少しざわつく。
綺麗で、堂々として、言葉にも強い。
自分にはないものばかり持っている。
その人が、レオンへ興味を持っている。
「……」
気づけば、手元の本を強く握っていた。
レオンが視線を向ける。
「どうした」
「え?」
「顔色が悪い」
「だ、大丈夫です!」
「無理をするな」
その一言で、リリアーナのざわつきが少し消えた。
エリシアはそれを見逃さない。
胸の奥に、小さな苛立ちが灯る。
自分と話している最中に、彼は自然にリリアーナを気にかけた。
それが妙に気に入らなかった。
「……面白いですわね」
エリシアは微笑む。
「学園生活、退屈しなさそうです」
そう言って去っていく。
香りだけが残る。
静寂が戻った後、リリアーナが小さく息を吐いた。
「つ、疲れました……」
「戦ったのか」
「別の意味でです……」
レオンは棚から一冊の本を抜き取り、彼女へ渡した。
「これ」
「え?」
「薬草基礎辞典。初心者向けだ」
「……覚えていてくれたんですか?」
「さっき言っていた」
「そ、それでも……嬉しいです」
リリアーナは本を胸に抱えた。
放課後の図書室。
静かな空間で、距離は少しずつ縮んでいく。
そしてその様子を、二階回廊から見下ろす影が一つ。
アルベルト・フォン・アルディア。
「……気に入らん」
弟王子の怒りは、まだ終わっていなかった。




