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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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206/251

第206話「一回で待てる朝、無能王子は“もっと”を箱へ置く」



 朝は、昨日の光を覚えていた。


 神殿の奥。


 石壁に囲まれた保護陣は、いつものように淡く光っている。


 余白核は、まだ眠っている。


 そのそばには余白箱。


 少し離れて、保留箱。


 そして、アリシアの箱。


 三つの箱は、夜を越えても静かにそこにあった。


 余白記録には、昨日の言葉が残っている。


 声ではない返事の日。


 いるよの光の日。


 揺れるだけでも届いた日。


 中心は昨日、声を届けなかった。


 おはようも言わなかった。


 紙も読まなかった。


 光の時間もなかった。


 風も入れなかった。


 ただ、保護陣の光を一度だけ揺らした。


 いるよ。


 その声は、外へ出さなかった。


 でも、光が一度揺れた。


 子供たちは、それを受け取った。


 ミナは言った。


 “いた”


 その一言が、余白核に深く残っている。


 声ではなくても届く。


 言葉でなくても返せる。


 揺れるだけでも、世界と繋がれる。


 その安心は大きかった。


 けれど、安心が大きい時ほど、次の怖さも生まれる。


 レオンは、保護陣の縁に座っていた。


 黒蒼雷は、今日は少しだけ濃い。


 中心が昨日の成功を覚えているからだ。


 成功したものは、またやりたくなる。


 そして、外もまた求めたくなる。


 その“もっと”が来た時に、誰がどう止めるか。


 それを守るための線が、今日は必要だった。


 リリアーナは、余白核の近くに座っている。


 手元には何もない。


 紙束も、白い布も、透明な器もない。


 今日も、朝の最初に何かを差し出さない。


 中心が、まず自分で何を望むのか。


 それを聞く。


 エリシアは術式盤を膝に置いている。


 昨日の“いるよの光”の記録を何度も確認したのだろう。


 だが、今は閉じている。


 セラフィアは祈りを静かに巡らせている。


 アルベルトは、壁際で腕を組んでいた。


 今日は、少し難しい顔をしている。


 昨日の“もっとと言わない練習”という大人たちの札が、彼にも残っているのかもしれない。


 クラウスは入口側に立ち、ラウルは盾を横に置いている。


 ミリオは眠そうにしているが、精神線はまだ外へ伸ばしていない。


 アリシアは、自分の箱のそばに座っている。


 彼女の箱には、赤のおやすみ。


 逃げない私。


 守りたい子供の顔。


 いくつかの札と候補が、焦らず置かれている。


 余白核が、小さく震えた。


『……』


 朝の揺れ。


 リリアーナは、静かに待った。


 保護陣の光が、一度、二度、淡く明滅する。


 そして。


『……おはよう』


 中心の声が、そっと響いた。


 リリアーナは微笑む。


「おはようございます」


『……りり、おはよう』


「はい」


『……れおん』


 レオンが頷く。


「おはよう」


『……しずかなあさ』


「ああ」


「静かな朝だ」


 中心は、すぐに余白記録へ意識を向ける。


『……いるよの光』


「残っています」


『……きえない』


「消えていません」


『……こども、いた、って』


「はい」


『……とどいた』


「届きました」


 余白核が、淡く明るくなる。


『……よかった』


 その声には、深い安心があった。


 だが、すぐに揺れが混ざる。


『……きょう』


 リリアーナが静かに待つ。


『……また、したい』


 その言葉は、予想していたものだった。


 中心は、また“いるよの光”をしたい。


 昨日できた。


 届いた。


 子供たちは怖がらなかった。


 なら、今日も。


 そう思うのは自然なことだった。


 リリアーナは、優しく聞く。


「今日も、光を揺らしたいんですね」


『……うん』


『……こえ、つかれない』


「はい」


『……ひかり、ひとつ』


「はい」


『……こども、わかる』


「はい」


『……また、したい』


 レオンが低く言う。


「それは、“今日のわたし”がしたいことか」


 中心が揺れる。


『……きょうの、わたし』


「ああ」


「それとも、昨日できたから、またしたいのか」


 余白核が、少し大きく揺れた。


『……わからない』


「なら、そこからだ」


 リリアーナが頷く。


「昨日の安心が、今日も続いているからしたいのか」


「今日のあなたが、本当にしたいのか」


「一緒に見ましょう」


『……いっしょに、みる』


 中心は、少し落ち着く。


『……したい』


「はい」


『……でも』


 一拍。


『……もっと、って、なる?』


 レオンが答える。


「なるかもしれない」


『……こどもも?』


「なるかもしれない」


『……わたしも?』


「なる」


 中心が震える。


『……こわい』


「ああ」


 エリシアが術式盤を開く。


「昨日の光は、負荷自体は軽微でした」


「ただし、反復によって期待反応が生まれます」


 アルベルトが顔をしかめる。


「簡単に言うと?」


 エリシアは、少し息を吐いてから言う。


「一回できると、もう一回欲しくなります」


 中心が揺れる。


『……もういっかい』


「はい」


「中心も、子供たちも、大人たちも」


『……おとなも』


「はい」


 セラフィアが静かに続ける。


「だから今日は、“もっと”をどうするか考える日かもしれないわ」


『……もっと』


「ええ」


『……もっと、はこ?』


 リリアーナが、ゆっくり微笑んだ。


「はい」


「もっと、を箱に置く日」


 中心は、その言葉に反応した。


『……もっとを、はこに、おく』


 レオンが頷く。


「いい」


『……きょう、ひかり、する?』


 リリアーナは、すぐに決めない。


「それも、今日のあなたに聞きましょう」


『……したい』


「はい」


『……でも、もっと、こわい』


「はい」


『……じゃあ』


 長い沈黙。


『……ひかり、しない』


 保護陣の中が、静かになる。


『……きょうは』


 一拍。


『……もっとを、はこに、おく』


 リリアーナの胸が、熱くなる。


「はい」


「今日は、光を揺らさずに、もっとを箱に置く日ですね」


『……うん』


『……いるよの光、すきかも』


「はい」


『……だから、やすませる』


「はい」


『……もっと、はこ』


 レオンが静かに言った。


「いい線だ」


『……いい、せん』


 中心は、少し寂しそうに、でも確かに落ち着いた光で揺れた。


 ◇


 朝の挨拶は、いつもより少し考えながら進んだ。


『……あるべると、おはよう』


「おう、おはよう」


『……あるべると、もっと、ある?』


 アルベルトは、少し苦笑した。


「あるな」


『……なに?』


「もっと食いたい」


 エリシアが即座に目を向ける。


「真面目に答えてください」


「いや、真面目だって」


 アルベルトは頭を掻く。


「あと、もっと守りたい、もある」


 中心が揺れる。


『……もっと、まもりたい』


「ああ」


「でも、それで前に出すぎると、逆に邪魔になることもある」


 レオンが静かにアルベルトを見る。


 アルベルトは、少し照れくさそうに肩をすくめた。


「分かってるよ」


『……もっと、はこ?』


「そうだな」


「今日は、もっと守りたい、を少し箱に置く」


 中心が嬉しそうに揺れる。


『……あるべると、もっとのはこ』


「新しい箱増やすなよ」


 リリアーナが笑う。


「心の箱ですね」


『……こころのはこ』


 中心は次にエリシアへ。


『……えりしあ』


「おはようございます」


『……もっと、ある?』


 エリシアは、少し考えた。


「もっと正確に知りたい、があります」


『……せいかく』


「間違えず、きちんと理解したいということです」


『……いいこと?』


「良いことでもあります」


「でも、全部をすぐ正確にしようとすると、疲れます」


『……もっと、せいかく、はこ』


「はい」


「今日は少し置きます」


 中心が満足そうに揺れる。


『……せら』


「おはよう」


『……もっと、ある?』


 セラフィアは微笑む。


「もっと祈りたい、かしら」


『……いのり』


「でも、祈りすぎて相手を包み込みすぎることもある」


『……つつみすぎ』


「ええ」


「だから、今日は少し余白を残すわ」


『……せら、よはく』


「そう」


 クラウスも、問われて答えた。


「もっと先に危険を見つけたい、があります」


 ラウルは。


「もっと盾を構えていたい、だ」


 ミリオは。


「もっと寝たい、です」


 ラウルが即座に言う。


「それは箱に置け」


「置きます……」


 中心が小さく笑うように揺れる。


『……みんな、もっと、ある』


 リリアーナが頷く。


「あります」


『……もっと、わるくない』


「悪くありません」


『……でも、ぶつけない』


「はい」


『……はこに、おける』


「はい」


 アリシアも、静かに言った。


「私には、もっと謝りたい、があります」


 中心が彼女へ向く。


『……ありしあ』


「はい」


「でも、それは相手が受け取れる時まで、箱に置きます」


『……もっと、あやまりたい、はこ』


「はい」


『……ありしあ、えらい?』


 アリシアは驚いた。


 リリアーナも少し目を見開く。


 中心は慌てるように揺れる。


『……えらい、こわい?』


 アリシアは、涙を浮かべながら微笑んだ。


「少し、怖いです」


『……じゃあ、はこ?』


「はい」


「えらい、も箱に置きます」


 中心は安心したように光る。


『……ほめことばも、はこ』


 アルベルトが小さく笑う。


「前にも言ったな」


『……うん』


『……おぼえてる』


 ◇


 午前。


 外へ伝える内容は、慎重に決められた。


 今日は“いるよの光”をしない。


 代わりに、“もっとを箱に置く日”だと伝える。


 子供たちには、昨日の光が届いたからこそ、今日はもう一度求めすぎない練習をする日だと説明する。


 グレイヴとリリアーナが救護区域へ向かった。


 セラフィアも同行する。


 神殿の外は、少しだけざわついていた。


 子供たちは、昨日の“いるよの光”を覚えている。


 今日も見られるかもしれないと思っている子がいる。


 声より負担が少ないなら、毎日できるのではないかと期待している大人もいる。


 その気配が、入口側に溜まっていた。


 グレイヴが先に言った。


「今日は、光の返事はない」


 ざわめきが起きる。


「どうして?」


「昨日できたのに」


「声じゃないから疲れないんじゃないの?」


 大人の声も混ざる。


「一瞬だけなら負担は少ないのでは」


「子供が安心するなら、続けてもらえないのか」


 グレイヴの目が鋭くなる。


 しかし、リリアーナが一歩前へ出た。


「昨日できたからこそ、今日はお休みです」


 子供たちも大人たちも、静かになる。


「できたことを、すぐ毎日にしない」


「嬉しかったことを、すぐ増やさない」


「もっと見たい気持ちは、大切です」


「でも、その“もっと”をそのまま求めると、中心さんが苦しくなってしまいます」


 ミナが、小さく呟いた。


「もっとを、箱に入れる日?」


 リリアーナの目が柔らかくなる。


「はい」


「今日は、もっとを箱に入れる日です」


 幼い子が、泣きそうな顔で言う。


「ぴか、見たい」


 リリアーナは膝を折り、その子の目線に近づいた。


「見たいですね」


「見たい気持ちは、悪くありません」


「でも今日は、その気持ちを箱に入れて」


「またいつか、にします」


 幼い子は唇を震わせた。


「また、いつか?」


「はい」


「また、いつか」


 ミナが自分の箱を抱えた。


「私は、“ぴか見たい”って書く」


 別の子が頷く。


「僕も」


「もっと見たい、って書いて箱に入れる」


「でも、今日は出さない」


 大人たちの中にも、沈黙が広がっていた。


 一人の母親が、胸元を押さえる。


「……私も、もっと安心させてほしいって思ってしまいました」


 グレイヴが、その母親を見る。


 母親は目を伏せた。


「でも、それを子供の前で言わなくてよかった」


「箱に入れます」


 リリアーナは、静かに頷いた。


「はい」


「それで十分です」


 ◇


 神殿奥へ戻ると、中心はずっと静かに待っていた。


 リリアーナが入ると、余白核がすぐ反応する。


『……りり』


「戻りました」


『……こども』


「もっとを箱に入れる日だと、受け取ってくれました」


『……かなしい?』


「少し」


『……うん』


「でも、みんな箱に書くと言っていました」


『……もっと、はこ』


「はい」


『……おとなも?』


「大人も」


 中心は、大きく揺れた。


『……よかった』


 レオンが静かに言う。


「よく止めたな」


『……わたし?』


「ああ」


「昨日できたことを、今日しないと決めた」


『……したかった』


「知ってる」


『……でも、しなかった』


「それが大事だ」


 中心は、少しだけ誇らしそうに光った。


『……もっと、はこ』


 リリアーナが微笑む。


「はい」


「もっと、を箱に置けました」


 ◇


 午後。


 中心は余白箱の近くへ意識を向けた。


『……もっと、はこ、つくる?』


 リリアーナが少し考える。


「余白箱の中に、置けると思います」


『……いるよの光、すきかも』


「はい」


『……もっと、したい』


「はい」


『……その、もっと』


「余白箱へ置きましょうか」


『……うん』


 余白箱が淡く開く。


 そこへ、中心の“もっとしたい”が置かれる。


 言葉ではなく、衝動のような小さな光。


 昨日の安心へ、もう一度手を伸ばしたい気持ち。


 それが、そっと箱の中へ置かれた。


 中心が震える。


『……きえない?』


 リリアーナが答える。


「消えません」


『……でも、いま、しない』


「はい」


『……また、いつか?』


「また、いつか」


 中心は、安心したように揺れた。


『……もっと、はこ』


 エリシアが記録する。


「余白箱、追加項目」


「いるよの光をもっとしたい気持ち」


 アルベルトが小声で言う。


「長いな」


 エリシアが睨む。


「正確性が必要です」


 中心が少し揺れる。


『……ながい』


 リリアーナが笑いをこらえる。


「札の呼び方を短くするなら、“もっと光”でしょうか」


 中心が反応する。


『……もっと光』


 少し考える。


『……こわい』


「少し強いですか?」


『……うん』


 レオンが言う。


「“またいつかの光”はどうだ」


 リリアーナが目を見開く。


 中心が、静かに揺れる。


『……またいつかの、ひかり』


 余白箱が淡く光った。


『……それ、いい』


 レオンは短く頷く。


「そうか」


 エリシアが記録を修正する。


「札呼称」


「またいつかの光」


 中心は、安心したように繰り返した。


『……またいつかの光』


『……いま、しない』


『……でも、きえない』


 ◇


 夕方。


 子供たちの箱から、今日の札が一つだけ伝えられた。


 “ぴか待ち”


 それを聞いた瞬間、中心は大きく揺れた。


『……ぴか待ち』


 リリアーナは、涙を浮かべて笑う。


「子供たちらしいですね」


『……ぴか、待つ』


「はい」


『……せめない?』


「責めていません」


『……まつ』


「待っています」


 ミリオが柔らかく報告する。


「何人かは、箱に“ぴか見たい”と書いて入れました」


「でも、救護役が“今日は開けない”と伝えると、頷いたそうです」


『……こども、すごい』


「はい」


『……ぴか待ち』


 中心は、その札を大切そうに受け取った。


『……のこす?』


 リーネが光る。


『記録します』


『ぴか待ち』


『またいつかの光を待つ日』


 中心は、静かに光った。


『……またいつか』


 ◇


 夜。


 神殿奥は、静かな達成感と寂しさに包まれていた。


 今日は、何かをした日ではない。


 むしろ、しなかった日だった。


 昨日できた“いるよの光”を、今日はしなかった。


 もっと見たい。


 もっと届けたい。


 もっと安心させたい。


 もっと安心したい。


 その気持ちを消さずに、箱へ置いた。


 リリアーナは、余白核のそばで静かに問いかけた。


「今日は、どんな日でしたか?」


 中心は、ゆっくり考える。


『……もっとを、はこに、おく日』


「はい」


『……いるよの光、しない日』


「はい」


『……またいつかの光、の日』


「はい」


『……ぴか待ち、の日』


「はい」


『……もっと、わるくない日』


「はい」


『……でも、ぶつけない日』


「はい」


 リーネの光が、名簿束のそばで揺れる。


『余白記録へ残します』


『もっとを箱へ置く日』


『またいつかの光の日』


『ぴか待ちの日』


 中心が、穏やかに光った。


『……のこった』


「残りました」


 レオンが静かに言う。


「よく我慢したな」


 中心が少し震える。


『……がまん?』


 リリアーナが補足する。


「無理に押し殺す我慢ではなく」


「大切に待つ我慢ですね」


『……たいせつに、まつ』


「はい」


 レオンも頷く。


「それだ」


『……たいせつに、まつ』


 中心は、その言葉を受け取った。


『……またいつかの光』


「はい」


『……いま、しない』


「はい」


『……でも、きえない』


「消えません」


 中心は、安心したように眠りへ向かう。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が返す。


「おやすみ」


「また明日」


 アリシアも、自分の箱へ小さく言った。


「もっと謝りたい気持ちも、またいつか」


 中心が柔らかく揺れる。


『……また、あした』


『……あしたのわたしに、きく』


『……もっと、はこ』


 余白核は、静かに眠りへ入っていった。


 神殿の奥に、夜が降りる。


 今日、中心は昨日できたことを繰り返さなかった。


 できるから、する。


 望まれたから、応える。


 安心したから、増やす。


 そうしなかった。


 もっと、を消さずに。


 もっと、を責めずに。


 もっと、を箱に置いた。


 名もない“わたし”は、今日。


 世界へ近づくためには、進む日だけでなく、待つ日も必要なのだと知った。

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