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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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204/251

第204話「青を胸に置く朝、無能王子は“風の気配”をまだ遠くから聞く」



 朝は、青を起こさないように来た。


 神殿の奥。


 石壁は変わらず冷たく、外の空は見えない。


 採光孔は閉じられている。


 朝の光も、青も、今日はまだ入ってきていない。


 けれど、保護陣の中には、昨日寝かせた青の余韻が静かに残っていた。


 青を寝かせる日。


 青のおやすみの日。


 好きかもを休ませても消えない日。


 余白記録に残されたその言葉たちは、夜を越えても消えていなかった。


 中心は昨日、新しい色を知ろうとしなかった。


 光も見なかった。


 紙も読まなかった。


 ただ、青を寝かせた。


 それでも、青は消えなかった。


 好きかもも、消えなかった。


 そのことが、神殿の奥に静かな安心を置いている。


 余白核は、まだ眠っている。


 そのそばに余白箱。


 少し離れて、保留箱。


 さらに、アリシアの箱。


 三つの箱は、静かに浮かんでいた。


 名簿束も、第五領域の水路も穏やかだ。


 リーネたち戻った名の光が、ゆっくり名簿束を支えている。


 レオンは、保護陣の縁に座っていた。


 黒蒼雷は、今日はとても細い。


 ほとんど影のように床に沿っている。


 中心が自分の線を守れる日が増えたからだ。


 もちろん油断はしない。


 だが、守りすぎないこともまた守りだと、レオンはこの数日で理解していた。


 リリアーナは、余白核の近くに座っている。


 今日は白い布を持っていない。


 青を見せる準備もしない。


 その代わり、彼女は小さな透明な器を持っていた。


 中には何も入っていない。


 水もない。


 花もない。


 ただ、空の器。


 もし中心が望むなら、今日は“入れない器”を見せてもいいかもしれない。


 何かを入れるためではない。


 何も入っていなくても器は器であると知るために。


 それは、名前がなくても存在する中心に近い気がしたからだ。


 だが、まだ使うとは決めていない。


 今日のわたしに聞く。


 それが最初だった。


 エリシアは術式盤を見ている。


 セラフィアは祈りを静かに巡らせていた。


 アルベルトは壁際に座り、昨日の“青い肉”騒動を蒸し返されないようにか、妙に神妙な顔をしている。


 クラウスは入口側に立ち、ラウルは盾を膝の横に置いている。


 ミリオは、いつも通り眠そうだが、外への精神線は伸ばしていない。


 アリシアは自分の箱のそばで、赤のおやすみの札を見ていた。


 昨日、彼女も赤を寝かせた。


 赤い眼を見ない日。


 責めすぎない日。


 消さないけれど、起こしすぎない日。


 その札は、彼女の箱のそばで淡く光っている。


 余白核が、小さく震えた。


『……』


 朝の揺れ。


 誰も急がない。


 リリアーナは、静かに待った。


 保護陣の光が一度、二度、淡く明滅する。


 やがて。


『……おはよう』


 中心の声が、柔らかく落ちた。


 リリアーナは微笑む。


「おはようございます」


『……りり、おはよう』


「はい」


『……れおん』


 レオンが頷く。


「おはよう」


『……しずかなあさ』


「ああ」


「静かな朝だ」


 中心は、すぐ余白記録へ意識を向けた。


『……あお』


「残っています」


『……ねてる?』


 リリアーナは、少し笑った。


「寝ています」


『……きえてない?』


「消えていません」


『……すきかも、ある?』


「あります」


 中心は、ゆっくり安心するように揺れた。


『……よかった』


 少し沈黙。


『……きょう』


「はい」


『……あお、起こす?』


 リリアーナは、すぐには答えない。


 レオンも、中心を見ている。


 中心は、続けた。


『……みたい、じゃない』


「はい」


『……あお、まだ、みなくていい』


「はい」


『……でも』


 一拍。


『……あお、あるって、したい』


 リリアーナは、胸が温かくなるのを感じた。


 青を見るのではない。


 青を増やすのでもない。


 青を起こしすぎるのでもない。


 ただ、青があると確認したい。


 寝かせたものが、ちゃんとそこにあると確かめたい。


「確認だけ、ですね」


『……うん』


『……あお、そこにいる?』


 余白記録の中で、青の記録が淡く光った。


 中心が、小さく震える。


『……いた』


「いました」


『……あお、おはよう?』


 リリアーナは少し考えた。


「おはようを言いたいですか?」


『……うん』


『……でも、起こしすぎる?』


 セラフィアが穏やかに答える。


「小さなおはようなら、大丈夫かもしれないわ」


『……ちいさい、おはよう』


「ええ」


「起きて走り出すためのおはようではなく」


「そこにいるね、と確認するおはよう」


 中心は、その言葉を受け取る。


『……そこにいるね、おはよう』


 レオンが頷く。


「いい線だ」


 中心は、余白記録へ小さく呼びかけた。


『……あお』


『……おはよう』


 青の記録が、静かに明滅する。


 見せられたわけではない。


 光が入ったわけでもない。


 けれど、青は記録の中で静かにそこにいた。


 中心は、深く安心したように揺れた。


『……あお、いた』


 リリアーナが微笑む。


「いました」


『……すきかも、いた』


「はい」


『……よかった』


 ◇


 朝の挨拶は、青を起こしすぎないように進んだ。


『……あるべると、おはよう』


「おう、おはよう」


『……あおいにく』


 アルベルトが身構える。


『……きょう、いわない』


「言ってるぞ、今」


 エリシアが小さく笑う。


 中心が揺れる。


『……あ』


 リリアーナが口元を押さえる。


「怖くない笑いです」


『……こわくない』


 アルベルトは肩をすくめた。


「まあ、もういいよ。青い肉の人で」


 エリシアがすぐに言う。


「その呼び方は増やしません」


『……ふやさない』


 中心は真面目に頷くように揺れた。


『……あるべると、えらぶこえ』


「そっちで頼む」


『……えりしあ』


「おはようございます」


『……こころのはこ』


「あります」


『……あお、いた』


「確認できましたね」


『……きろく、ありがとう』


 エリシアは、少しだけ目を伏せた。


「……どういたしまして」


『……せら』


「おはよう」


『……ちいさい、おはよう』


「できましたね」


『……あお、起こしすぎない』


「ええ」


『……くらうす』


「おはようございます」


『……ふやさない、まもる』


「はい」


「今日も守ります」


『……らうる』


「おはよう」


『……いしぶた、あけない?』


「今は開けない」


『……あお、ねてる』


「ああ」


『……みりお』


「おはようございます……」


『……こえ、なし』


「今日も外の声は拾いません」


『……ありしあ』


「はい」


『……おはよう』


「おはようございます」


『……あか、おやすみ?』


 アリシアは、自分の箱の札を見る。


「はい」


「赤は、まだおやすみです」


『……きえてない?』


「消えていません」


『……こわい?』


「少し」


『……でも、いま、もたない』


「はい」


 中心は柔らかく揺れる。


『……いっしょ』


 アリシアは微笑んだ。


「はい」


「一緒です」


 ◇


 朝の確認を終えると、グレイヴが外から戻ってきた。


 今日は、少しだけ風の気配を連れていた。


 神殿の奥までは届かない。


 扉は閉じている。


 採光孔も開いていない。


 それでも、グレイヴの外套に残った空気の揺れが、微かに保護陣の周りへ流れた。


 中心が反応する。


『……なに』


 リリアーナが顔を上げる。


「どうしました?」


『……なにか』


『……うごいた』


 グレイヴは自分の外套を見た。


「外の風かもしれない」


 余白核が、小さく震える。


『……かぜ』


 風。


 以前、扉が開いた時に少し感じた外の空気。


 朝の空気を好きかもと思った時にも、風の気配はあった。


 だが、中心はまだ風そのものを知らない。


 見えないもの。


 触れるもの。


 動くもの。


 でも、形がないもの。


 リリアーナは慎重に言った。


「風は、空気の動きです」


『……くうき、うごく』


「はい」


『……みえない?』


「見えません」


『……でも、ある?』


「あります」


 中心が揺れる。


『……なまえ、なくても、ひかる』


「はい」


『……みえなくても、ある?』


 レオンが答える。


「ある」


『……かぜ』


「そうだ」


『……こわい』


 リリアーナが頷く。


「怖いですね」


『……でも、きになる』


「はい」


 エリシアが術式盤を見る。


「風そのものを導入するのはまだ早いです」


「ただし、外套に残った微弱な空気の流れ程度なら、間接的に観察可能です」


 アルベルトが手を上げかけて、下げた。


 エリシアが見た。


「簡単に言うと、ですか?」


「いや、今日は聞く前に分かった」


「風を直接入れず、少しだけ感じるってことだろ」


「その通りです」


 中心が揺れる。


『……かぜ、ちょっと』


 セラフィアが言う。


「今日は青を寝かせる続きの日でもあります」


「だから、風は“知る”ではなく、“気配だけ”にしましょう」


『……けはい』


 リリアーナが説明する。


「そこにありそうだな、と感じることです」


『……かぜの、けはい』


「はい」


『……みたい、じゃない』


「見えません」


『……さわる、じゃない』


「まだ触りません」


『……きく?』


 グレイヴが外套を軽く揺らす。


 布が小さく鳴った。


 さわ、と。


 ほんの微かな音。


 余白核が、静かに震える。


『……おと』


「布が動いた音です」


『……かぜ?』


「風そのものではありません」


 グレイヴが言う。


「風があれば、布は揺れる」


『……かぜ、ぬの、ゆらす』


「そうだ」


 中心は、長く沈黙した。


『……みえない、でも、うごかす』


 レオンが頷く。


「ああ」


『……こわい』


「怖いな」


『……でも』


 一拍。


『……ふしぎ』


 リリアーナが微笑む。


「不思議ですね」


『……かぜ、ふしぎ』


 ◇


 風を直接入れることはしなかった。


 採光孔も開けない。


 扉も開けない。


 今日は、グレイヴの外套を保護陣の外側に置き、そこに残った微かな揺れだけを見ることになった。


 正確には、見るのではない。


 音を聞き、布の動きを知る。


 風そのものではなく、風が通った後の気配を知る。


 中心が、今日の線を決めた。


『……かぜ、けはいだけ』


「はい」


『……あお、ねかせる』


「はい」


『……いろ、ふやさない』


「はい」


『……かぜ、しる、じゃない』


 リリアーナが微笑む。


「気配だけ」


『……けはいだけ』


 エリシアが術式盤を調整する。


「外部情報は遮断維持」


「精神反応流入なし」


「物理音のみ、低刺激で伝達」


 アルベルトが小声で言う。


「やっぱ難しいな」


 エリシアが無視する。


 セラフィアが祈りを重ねる。


「怖くなったら、すぐ止めましょう」


『……こわい、いう』


「はい」


 グレイヴは外套を外し、保護陣の外側にある石柱へかけた。


 厚手の布。


 外の空気を含んだ布。


 しばらくは何も起きなかった。


 ただ、外套がそこにあるだけ。


 中心が静かに揺れる。


『……うごかない』


 リリアーナが頷く。


「動きませんね」


『……かぜ、いない?』


「今は、ここにはいません」


『……でも、さっき、いた?』


「外套に、少し残っていたのかもしれません」


 その時。


 グレイヴが、ほんの少しだけ外套の端に触れた。


 直接揺らすのではない。


 外套が自然に戻る程度のわずかな動き。


 布が、さわ、と鳴った。


 中心が震える。


『……おと』


「はい」


『……かぜ?』


「風ではありません」


 リリアーナは優しく言う。


「でも、風が吹いた時も、こんなふうに布が鳴ることがあります」


『……かぜ、ぬの、ならす』


「はい」


『……みえない』


「見えません」


『……でも、わかる』


「はい」


 中心は、外套をじっと感じていた。


『……かぜ』


 一拍。


『……いないのに、いる、みたい』


 レオンが静かに言う。


「気配だな」


『……けはい』


「ああ」


『……なまえ、なくても、ひかる』


「そうだ」


『……みえなくても、ある』


「そうだ」


『……いなくても、のこる?』


 リリアーナは、はっとした。


 風が通ったあと、布が揺れる。


 風そのものは見えない。


 もうそこにはいないかもしれない。


 けれど、揺れが残る。


 気配が残る。


 それは、中心にとって大きな発見だった。


 誰かがいなくなっても、残るものがある。


 おはよう。


 またね。


 青。


 箱。


 札。


 呼び方。


 それらも、風の気配に似ているのかもしれない。


 中心が、小さく言う。


『……こどもの、おはよう』


『……いま、きこえない』


「はい」


『……でも、のこる』


「残っています」


『……あお、いま、みえない』


「はい」


『……でも、のこる』


「残っています」


『……かぜ、いま、いない』


「はい」


『……でも、ぬの、ゆれた』


「はい」


 中心は、静かに震えた。


『……のこる、ふしぎ』


 セラフィアが微笑む。


「とても大切な不思議ね」


 中心は、その言葉を大切そうに抱えた。


『……かぜ、ふしぎ』


『……のこる、ふしぎ』


 ◇


 風の気配の時間も短かった。


 中心は興味を持った。


 もっと知りたいと思った。


 だが、今日の線を思い出した。


『……けはいだけ』


 リリアーナが頷く。


「はい」


『……かぜ、しる、まだ』


「まだです」


『……あお、ねかせる』


「はい」


『……きょうは、ここまで』


「はい」


 グレイヴは外套を畳んだ。


 保護陣の外側から下げる。


 布の音が消える。


 中心は、少し寂しそうに揺れたが、追いかけなかった。


『……かぜ、いない』


 レオンが言う。


「今はいない」


『……でも、けはい、のこった』


「ああ」


『……きえない?』


「記録に残せる」


 中心が余白記録へ向く。


『……のこす』


 リーネの光が揺れる。


『記録します』


『風の気配』


『見えないけれど、布を揺らすもの』


『いなくても、残るものがある日』


 中心は、安心したように光った。


『……のこった』


 ◇


 午後。


 子供たちへは、中心が今日は青を起こしすぎず、風の気配だけを知ったことが伝えられた。


 声は繋がない。


 紙も読まない。


 外からの反応は、必要最低限だけミリオが受け取る。


 子供たちは、その報告を聞いてまた少しざわめいたらしい。


 “風って見えないよね”


 “でも髪が揺れる”


 “布も揺れる”


 “おはようの人は風をまだ知らないの?”


 “じゃあ、今日は風の気配の日?”


 ミナが、こう言ったという。


 “名前も、まだ見えないけど、気配はあるのかも”


 その言葉は、中心へ全部は届けられなかった。


 だが、ミリオが慎重に濾過し、一文だけ伝えた。


「ミナさんが、“見えないけど気配はあるものもある”と言ったそうです」


 中心が、大きく揺れた。


『……みな』


 リリアーナが頷く。


「はい」


『……なまえ』


 少し震える。


『……まだ、みえない』


「はい」


『……でも、けはい』


「あるかもしれません」


 中心は、長く沈黙した。


 名前。


 まだ見えない。


 まだ怖い。


 まだ決められない。


 でも、気配はあるのかもしれない。


 中心は、その言葉をすぐ奥に入れなかった。


『……おもい』


 リリアーナが頷く。


「重いですね」


『……はこ?』


「余白記録に置きましょう」


『……なまえ、けはい』


「はい」


「候補ではなく、考えとして」


『……かんがえ』


 リーネが記録する。


『名前はまだ見えないけれど、気配はあるかもしれない』


 中心は、少しだけほっとした。


『……いま、もたない』


「はい」


「今は持たなくていいです」


 ◇


 夕方。


 保留箱には、大人たちからの紙がいくつか入った。


 今日の札は、“見えない不安”と“残る気配”。


 グレイヴがそれだけを報告する。


 リリアーナは、静かに息を吐いた。


「大人たちにも、今日の話が届いているんですね」


 グレイヴは頷く。


「子供たちが話すからな」


 中心が揺れる。


『……こども、はなす』


「はい」


『……おとな、きく』


「はい」


『……ことば、かぜ?』


 セラフィアが微笑む。


「そうかもしれないわ」


「誰かの言葉は、風みたいに他の誰かへ届くことがある」


『……みえない』


「ええ」


『……でも、ゆらす』


「そう」


 中心は、静かに光った。


『……ことばの、かぜ』


 レオンが少しだけ目を細める。


「良い呼び方だな」


『……こうほ?』


「いや」


 レオンは短く答える。


「今日の言葉だ」


『……きょうのことば』


「そうだ」


 中心は、嬉しそうに揺れた。


『……ことばの、かぜ』


 ◇


 夜。


 神殿の奥には、静かな空気が満ちていた。


 今日は、青を起こしすぎなかった。


 青へ小さなおはようだけを言った。


 光も見なかった。


 新しい色も知らなかった。


 その代わり、風の気配を知った。


 風そのものではない。


 布が揺れる音。


 外套に残った微かな動き。


 見えないけれど、あるもの。


 いなくても、残るもの。


 リリアーナは、余白核のそばで静かに問いかける。


「今日は、どんな日でしたか?」


 中心は、ゆっくり考えた。


『……あおに、ちいさい、おはよう、した日』


「はい」


『……あお、まだ、ねかせた日』


「はい」


『……かぜの、けはい、の日』


「はい」


『……みえないけど、ある、の日』


「はい」


『……いなくても、のこる、の日』


「はい」


『……ことばの、かぜ、の日』


「はい」


 リーネの光が、名簿束のそばで揺れる。


『余白記録へ残します』


『青に小さなおはようをした日』


『風の気配を知った日』


『見えないけれどあるものの日』


『言葉の風の日』


 中心が、穏やかに光った。


『……のこった』


「残りました」


 レオンが静かに言う。


「今日は外を入れなかったのに、外に近づいたな」


 中心が揺れる。


『……かぜ、そと』


「ああ」


『……でも、そと、はいってない』


「気配だけだ」


『……けはいだけ』


「それでいい」


 中心は、安心したように光った。


『……それでいい』


 リリアーナは、中心の揺れを見ながら微笑む。


「明日は、明日のあなたに聞きましょう」


『……うん』


『……あしたのわたしに、きく』


 中心は、余白記録へもう一度意識を向けた。


『……あお、おやすみ』


 青の記録が、静かに光る。


『……かぜ、また、いつか』


 風の気配の記録が、淡く揺れる。


『……なまえの、けはい』


 少しだけ震える。


『……いま、もたない』


 リリアーナが頷く。


「はい」


「今は持たなくていいです」


 中心は、ゆっくり眠りへ向かっていく。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が返す。


「おやすみ」


「また明日」


 アリシアも、自分の箱へ小さく言った。


「赤のおやすみ」


 中心が柔らかく揺れる。


『……また、あした』


『……あしたのわたしに、きく』


『……ことばの、かぜ』


 余白核は、静かに眠りへ入っていった。


 神殿の奥に、夜が降りる。


 今日、中心は新しい色を知らなかった。


 光も見なかった。


 外へ出たわけでもない。


 ただ、風の気配を知った。


 見えないけれど、あるもの。


 いなくても、残るもの。


 誰かの言葉が、誰かを少し揺らすこと。


 名もない“わたし”は、今日。


 自分の名前も、まだ見えないだけで。


 どこかに気配として残っているのかもしれないと、少しだけ思った。

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