第20話「元婚約者の昼食招待、銀髪令嬢は負けたくない」
王立アルディア学園・一年A組。
昼休み開始直後の教室は、本来なら解放感に包まれる時間だった。
授業が終わり、友人同士で食堂へ向かい。
弁当を広げ。
中庭へ走り。
恋の噂話でもする。
そんな穏やかな昼休みになるはずだった。
だが今、教室内の空気は戦場そのものだった。
原因は一人。
エリシア・フォン・ローゼンベルク。
公爵令嬢にして学園第三席。
完璧な笑みを浮かべながら、最後列窓際――レオンの机の前へ立っている。
「昼食、ご一緒していただけませんこと?」
教室中が凍った。
「え……」
「今、誘った?」
「エリシア様が?」
「首席を?」
「平民を!?」
ざわめきはすぐに熱へ変わる。
嫉妬。
驚愕。
羨望。
敵意。
全ての視線がレオンへ突き刺さった。
リリアーナは二列前の席で固まっている。
手にしていた包み布が落ちそうになった。
「……え」
小さな声しか出ない。
アルベルトは前列で机を叩いた。
「何故だエリシア!」
誰より先に叫んだ。
「何故その男なんだ!」
教室中が「そこ?」という空気になる。
エリシアは振り返りもせず答える。
「成績上位者同士、交流を持つのは自然でしょう?」
「なら俺を誘え!」
「殿下は昨日から何度もお会いしておりますわ」
「意味が違う!」
カティア教師がまだ教室に残っていたら減点三くらい入っていただろう。
レオンは頬杖をついたまま、エリシアを見上げた。
「断る」
即答だった。
教室が再び凍る。
「……え?」
「聞こえなかったか」
「い、いえ……」
「断る」
二度言った。
令嬢たちの顔色が変わる。
「無礼ですわ!」
「エリシア様のお誘いを!」
「身の程を――」
エリシアが片手で制する。
笑顔は崩れていない。
だが目だけが少し鋭くなっていた。
「理由を伺っても?」
「面倒だ」
あまりにも率直だった。
数人が吹き出しそうになる。
リリアーナは口元を押さえている。
笑ってはいけない。
でも少し面白い。
エリシアは一拍置いた。
「わたくしとの昼食が?」
「人が多い」
「二人でも構いませんわ」
「もっと面倒だ」
教室中が息を呑む。
この男、本当に容赦がない。
エリシアの笑顔がほんの少しだけ引きつる。
それでも彼女は退かない。
「……では、どなたとならご一緒されますの?」
「静かな相手」
レオンは淡々と答えた。
「騒がない相手」
『それ主も難しいぞ』
『黙れ』
『条件厳しいです!』
神霊たちが騒ぐ中、教室入口から声がした。
「レ、レイさん……!」
全員が振り向く。
リリアーナだった。
両手で包み布を抱え、顔を真っ赤にしている。
「も、もし……その……」
声が小さい。
だが必死だった。
「ご迷惑でなければ……お昼、ご一緒に……」
教室が爆発した。
「うそ!?」
「ヴァイスまで!?」
「第五席対第三席!?」
「昼食戦争だ!!」
アルベルトが立ち上がる。
「俺も行く!」
「座れ」
誰も頼んでいないのに参加しようとしていた。
エリシアは初めて、はっきりとリリアーナを見る。
銀髪。
没落伯爵家。
気弱そうな少女。
だがその瞳は震えながらも、逃げていなかった。
少しだけ面白くない。
「リリアーナ様」
柔らかな声で呼ぶ。
「あなた、お昼を共にする意味をご存じ?」
「……え」
「社交ですのよ」
周囲の令嬢たちがくすくす笑う。
「会話、作法、知識、空気作り。簡単ではありませんわ」
遠回しな牽制だった。
リリアーナの肩が震える。
確かに自信はない。
貴族社会の会話も苦手。
社交など得意なはずがない。
だが。
レオンと一緒にいたい。
その気持ちだけは、驚くほどはっきりしていた。
「……わ、わたしは」
震える声で言う。
「うまく、お話はできません」
教室が静かになる。
「でも……」
ぎゅっと包み布を抱きしめる。
「お、お弁当は作ってきました」
その一言で空気が変わった。
手作り。
昼食を一緒に、という意味が一気に具体的になる。
ルミアが大騒ぎした。
『お弁当ですー!!』
『勝負あったな』
『早い』
『料理は強い』
エリシアの眉がぴくりと動く。
「……そう」
想定外だった。
リリアーナはそこで言い切った安心感から、逆に真っ赤になって固まる。
「い、今のなしで……!」
「遅い」
レオンが立ち上がった。
全員の視線が集まる。
彼はリリアーナの前まで歩く。
「作ったのか」
「……は、はい」
「朝から」
「……はい」
「誰のために」
「……っ」
リリアーナの耳まで赤くなる。
「その……自分の……ついで、です……」
「そうか」
数秒沈黙。
教室全員が息を止める。
「行くぞ」
「……え?」
「昼食だ」
リリアーナの目が丸くなる。
「わ、わたしと……?」
「嫌ならやめる」
「い、嫌じゃありません!!」
即答だった。
今度は教室全体がざわめく。
エリシアの笑顔が固まる。
アルベルトが机を叩いた。
「何故だァァ!!」
「うるさい」
レオンの一言で黙った。
強かった。
エリシアは扇子を開き、口元を隠す。
だが内心は穏やかではない。
自分が断られ、あの少女が選ばれた。
理由は手作り弁当。
……妙に納得できてしまうのが腹立たしい。
「次は負けませんわ」
小さく呟く。
レオンには聞こえていない。
リリアーナと共に教室を出ていくところだった。
廊下。
人目を避けるように歩く二人。
リリアーナはまだ混乱していた。
「れ、レイさん……本当にわたしで良かったんですか……?」
「何が」
「エリシア様とか……もっと、その……」
「騒がしい」
「え?」
「お前は静かだ」
「……そ、それ褒めてます?」
「普通だ」
「褒めてませんね……」
少しだけ笑う。
緊張がほどけていく。
中庭の木陰。
人の少ない場所へ腰を下ろす。
リリアーナが包み布を開いた。
中には、小さく丁寧に作られた弁当。
卵焼き。
野菜の煮物。
肉団子。
彩りも綺麗だった。
「……すごいな」
「ほ、本当ですか!?」
「うまそうだ」
リリアーナの顔が一気に明るくなる。
「た、食べますか……?」
「だから来た」
「……っ」
また赤くなる。
忙しい少女だった。
レオンは卵焼きを口に入れる。
甘さ控えめ。
丁寧な味だった。
「……うまい」
リリアーナの瞳が潤む。
「ほ、本当に……?」
「泣くな」
「泣いてません……!」
泣きかけていた。
東の塔で一人食べた冷えた食事。
誰にも祝われなかった日々。
思い出す。
今、自分は学園の木陰で、誰かの手作り弁当を食べている。
妙な人生だった。
『青春です!』
『うるさい』
『でもこれは青春』
『否定できん』
神霊たちも騒ぐ。
レオンは空を見上げた。
青い。
少しだけ眩しい。
学園生活五日目。
元婚約者との火種。
銀髪令嬢との昼食。
そして穏やかな時間。
まだ知らない。
この平穏が、次の騒動の前触れだということを。




