第190話「好きなものを分け合う日、無能王子は“わたしの好き”の芽生えを見守る」
朝は、少しだけ柔らかかった。
神殿の奥に太陽は差し込まない。
石壁は変わらず冷たい。
床には黒い紋様の痕が薄く残り、古い祭壇の影も消えてはいない。
それでも。
空気は、昨日より少しだけ柔らかかった。
保護陣の中央で、余白核が穏やかに揺れている。
第五領域の水路は細く流れ、名簿束は静かに浮かんでいた。
余白記録には、昨日の言葉が残っている。
小さな希望を言えた日。
子供たちの好きなものを聞いた日。
三枚だけ読めた日。
自分の好きなものを探したいと思った日。
中心は昨日、初めて自分から言った。
したいことがある、と。
子供たちの好きなものを知りたい、と。
それは、誰かに求められて応える声ではなかった。
助けなければならないから出した声でもなかった。
中心自身から生まれた、小さな希望だった。
だから今朝の神殿は、少しだけ違う。
怖いものはある。
外にはまだ疑いも不安もある。
大人たちの反応も完全には落ち着いていない。
子供たちの悪夢も消えていない。
それでも。
好きなもの。
その言葉が、神殿奥に温度を作っていた。
余白核が、小さく震える。
『……おはよう』
リリアーナが、すぐに微笑んだ。
「おはようございます」
『……りり、おはよう』
「はい」
『……れおん』
レオンは保護陣の縁に座っていた。
黒蒼雷は、昨日よりさらに細い。
だが、安定している。
「おはよう」
『……れおん、しずかなあさ』
レオンは少しだけ目を細めた。
「ああ」
「静かな朝だ」
『……れおん、すき』
アルベルトが壁際で口元を押さえた。
エリシアが横目で睨む。
「笑わないでください」
「いや、これは……」
レオンは余白核を見たまま言う。
「俺が好きなんじゃなくて、静かな朝が好き、だろ」
中心が少し揺れる。
『……れおん、しずかなあさ、すき』
「そうだ」
『……わたし、おぼえた』
「ああ」
リリアーナが優しく笑う。
「ちゃんと覚えていますね」
中心は、少し誇らしげに光った。
『……りり、おちゃ、しろいはな、ごはん』
「はい」
「それも覚えてくれたんですね」
『……あたたかい』
リリアーナの目が柔らかくなる。
「ありがとうございます」
『……あるべると、にく』
「おう!」
アルベルトが嬉しそうに返す。
「俺の好きなものも覚えたか」
『……おおきい、にく』
「余計な言葉ついてない?」
エリシアが小さく笑う。
「合っています」
『……えりしあ、きろく、ほん、しずか』
エリシアは、少し驚いたように目を開いた。
「……はい」
『……えりしあ、しっかり、すき』
「少し違いますが……ありがとうございます」
中心は、次々に思い出していく。
『……せら、きらきら』
『……くらうす、はをぬかない、じかん』
『……らうる、たてをおろす、よる』




