表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
191/251

第191話「明日のわたしに聞いた朝、無能王子は“好きかもしれない”を急がず見守る」


 朝が来た。


 神殿の奥には、相変わらず太陽の光は届かない。


 石壁は冷たく、空気には古い神殿特有の湿った匂いが残っている。


 床には黒い紋様の跡。


 崩れた祭壇。


 深部から戻ってきた名簿束。


 第五領域の細い水路。


 そして、中央に浮かぶ余白核。


 何もかもが、まだ完全には日常ではない。


 だが。


 この場所には、もう朝があった。


 おやすみ。


 また明日。


 おはよう。


 その繰り返しが、この冷たい石の奥に、少しずつ時間を刻んでいる。


 昨夜、中心は言った。


 明日のわたしに聞く、と。


 今日できるかどうか。


 今日何を読みたいか。


 今日どこまで進めるか。


 昨日の自分が、明日の自分を縛らない。


 明日の自分へ、ちゃんと聞く。


 それは、中心が初めて“時間の中にいる自分”を意識した言葉だった。


 昨日のわたし。


 今日のわたし。


 明日のわたし。


 名もない余白が、少しずつ自分の輪郭を持ち始めている。


 レオンは、保護陣の縁に座っていた。


 黒蒼雷は足元を細く巡っている。


 今日はいつもより雷が静かだ。


 必要以上に張らない。


 必要な分だけ守る。


 中心が自分の線を覚え始めたように、レオンもまた、守り方の線を学び直しているようだった。


 リリアーナは余白核の近くに座り、昨日届いた紙の束を丁寧に並べていた。


 子供たちの好きなもの。


 甘いスープ。


 ころころした石。


 木の剣。


 頭を撫でられること。


 名前を呼ばれたあとに返事ができた瞬間。


 昨日は四枚だけ読んだ。


 今日はどうするか。


 それを決めるのは、昨日の中心ではない。


 今日の中心だ。


 エリシアは術式盤を手元に浮かべ、余白核の状態確認を始める準備をしている。


 アルベルトは壁際で腕を組んでいた。


 今日は珍しく、まだ何も言っていない。


 クラウスは入口側を静かに見守り、ラウルは盾を足元に置いたまま待機している。


 ミリオは眠そうにしているが、精神線はきちんと保護陣の外周へ伸ばしている。


 セラフィアは祈りを細く巡らせ、名簿束と第五領域を穏やかに包んでいた。


 アリシアは、少し離れた場所に座っている。


 赤い眼の残光は、昨日よりさらに薄い。


 それでも、彼女は自分の目を完全には隠さなかった。


 少しずつ、逃げない形を覚えている。


 その時。


 余白核が、かすかに震えた。


『……』


 まだ言葉にならない、目覚めの揺れ。


 リリアーナが、すぐに顔を上げる。


 急がない。


 先に声をかけすぎない。


 余白核の中から言葉が生まれるのを待つ。


 少し間があって。


『……おはよう』


 中心の声が、淡く響いた。


 リリアーナは微笑む。


「おはようございます」


『……りり、おはよう』


「はい」


『……れおん』


 レオンは短く返す。


「おはよう」


『……しずかなあさ』


「ああ」


「静かな朝だ」


 中心が、少し嬉しそうに揺れた。


『……れおん、すき』


「静かな朝がな」


『……うん』


 アルベルトが小さく笑う。


「もう訂正までセットになってるな」


 エリシアが術式盤から目を離さずに言う。


「あなたが茶化すところまで、そろそろ覚えられますよ」


『……あるべると、ちゃかす?』


 アルベルトが固まった。


「ほら来た」


 リリアーナが笑いを堪える。


「茶化す、は……少し冗談っぽく言うことです」


『……じょうだん』


「怖くない笑いの時もあります」


『……こわくない』


 中心は、アルベルトへ揺れる。


『……あるべると、ちゃかす、でも、あたたかい』


 アルベルトは、少しだけ照れたように頭を掻いた。


「……それならまあ、いいか」


 エリシアが静かに微笑む。


「良かったですね」


「お前、今ちょっと本気で笑っただろ」


「少しだけです」


『……えりしあ、わらう』


「はい」


『……こわくない』


「怖くありません」


 保護陣の中に、小さな朝の空気が広がる。


 中心は、一人ずつ挨拶をしていく。


『……せら、おはよう』


「おはよう」


『……きらきら、しずか』


「今日は静かな祈りにしているから」


『……くらうす、おはよう』


「おはようございます」


『……しずか、するどい』


「否定はしません」


『……らうる』


「おはよう」


『……たて、おろす、よる』


「今日は朝だ」


『……でも、おぼえてる』


「ああ」


『……みりお』


「おはよう……」


『……ねむい』


「はい……」


 ラウルが横から言う。


「寝るな」


「寝てません……」


『……みりお、ひるね、すき』


「好きです……」


 中心が、少し明るく揺れる。


 それぞれの好きなもの。


 それぞれの印象。


 それを、中心は朝の挨拶の中で確かめている。


 そして。


『……ありしあ』


 アリシアが顔を上げる。


「はい」


『……おはよう』


「……おはようございます」


『……ありしあ、きょう、め、すこし、やわらかい』


 アリシアの目が揺れた。


「……そう、見えますか」


『……うん』


『……こわい、まだ、ある』


「はい」


『……でも、にげない、ある』


 アリシアは、涙を堪えるように微笑んだ。


「はい」


「逃げない、あります」


 中心が穏やかに揺れる。


『……よかった』


 ◇


 朝の挨拶が終わると、リリアーナは昨日の言葉を思い出すように、ゆっくり口を開いた。


「昨日、最後に言いましたね」


『……あしたの、わたしに、きく』


「はい」


「今日は、その明日です」


 余白核が、少しだけ緊張するように震えた。


『……きょうの、わたし』


「はい」


「今日のあなたです」


『……きのうの、わたし』


「昨日のあなたは、四枚読みました」


『……よんまい』


「そして、明日のわたしに聞く、と言いました」


『……うん』


「だから、聞きます」


 リリアーナは、紙の束へ手を置いた。


「今日のあなたは、どうしたいですか?」


 保護陣の中に沈黙が降りた。


 誰も口を挟まない。


 アルベルトも黙っている。


 エリシアも術式盤を見ながら待っている。


 レオンも、ただ余白核を見るだけだ。


 中心は、長く揺れていた。


 昨日の自分は、今日を縛らない。


 だが、昨日の経験は残っている。


 四枚読めた。


 全部読まなかった。


 好きなものを知れた。


 明日のわたしに聞くと決めた。


 その全部を抱えて、今日の中心は自分の状態を探っている。


『……こわい』


 まず、そう言った。


 リリアーナは頷く。


「はい」


『……でも、いやじゃない』


「はい」


『……しりたい』


「はい」


『……でも、ぜんぶ、よまない』


「はい」


『……きょう』


 一拍。


『……よんまい』


 リリアーナが静かに微笑む。


「昨日と同じ、四枚ですね」


『……うん』


『……ふやさない』


 レオンが少しだけ目を細めた。


「増やさないか」


『……うん』


『……きのう、できた』


『……でも、きょう、わからない』


『……だから、よんまい』


 エリシアが術式盤を確認しながら頷く。


「良い判断です」


 中心が揺れる。


『……いい?』


「はい」


「昨日できたから今日増やす、ではなく」


「今日の状態を見て同じ量にする」


「とても安定した判断です」


『……あんてい』


 リリアーナが説明する。


「揺れすぎないことです」


『……ゆれすぎない』


「はい」


 中心は、少し安心したように光った。


『……きょうの、わたし、よんまい』


 セラフィアが微笑む。


「今日のあなたが決めた線ね」


『……わたしの、せん』


「ええ」


 レオンも頷く。


「守ろう」


『……うん』


 ◇


 午前のうちに、子供たちからの紙が届けられた。


 昨日より、さらに丁寧に分けられている。


 救護役の字で、束の上に小さく書かれていた。


 “今日読まなくてもいいもの”


 “返事はいらないもの”


 “好きなものだけ書いたもの”


 “少し怖いことも書いたもの”


 “ミナから”


 中心は、それを見て少し揺れた。


『……わけてる』


 リリアーナが頷く。


「はい」


「子供たちと救護役さんが、分けてくれています」


『……わたしの、せん?』


「守ってくれていますね」


 中心は、静かに光った。


『……まもられる、まだ、こわい』


「はい」


『……でも、あたたかい』


「はい」


 アリシアが小さく呟いた。


「子供たちは……強いですね」


 その声には、罪悪感だけではなく、尊敬が混ざっていた。


 中心がアリシアへ反応する。


『……こども、つよい』


「はい」


『……ありしあも、つよい?』


 アリシアは、少し驚いたように目を開いた。


「私、ですか」


『……にげない、ある』


 アリシアは、すぐには答えられなかった。


 胸に手を当て、しばらく黙ってから言う。


「……強いかは、分かりません」


『……わからない』


「でも」


 一拍。


「逃げない、はあります」


 中心が、嬉しそうに揺れた。


『……それでいい』


 リリアーナが柔らかく笑う。


「中心さん、レイさんみたいなこと言いますね」


 レオンが少しだけ眉を動かす。


「俺か」


『……れおん、みたい?』


「たぶん」


『……わるくない?』


 レオンは短く言った。


「悪くない」


 アルベルトが小声で笑う。


「そこもレオンっぽいな」


 ◇


 一枚目の紙を、リリアーナが開いた。


 紙の端には、丸く膨らんだパンの絵が描かれている。


 昨日の甘いパンとは別の子のものらしい。


「一枚目です」


「“ぼくは、焼きたてのパンの匂いがすき。食べる前の匂いだけでも、お腹が鳴ります。こわい夢のあと、朝の匂いがすると、夜が終わったって思えます”」


 中心が、静かに反応する。


『……ぱんの、におい』


「はい」


『……たべる、まえ』


「食べる前の楽しみですね」


『……におい、あさ』


「そうですね」


『……よる、おわった』


 レオンは、小さく息を吐く。


「匂いで朝を知ることもある」


『……におい、あさ』


 中心は、不思議そうに揺れた。


『……わたし、におい、わからない』


 リリアーナは、優しく頷く。


「今は、分かりません」


『……でも、しりたい』


「はい」


「いつか、知れるといいですね」


『……ぱんの、におい、しりたい』


 アルベルトが頷く。


「焼きたてのパンはいいぞ」


『……あるべると、にく、ぱんも?』


「肉を挟めば最高だ」


 エリシアが目を伏せる。


「結局そこですか」


 中心が少し明るく揺れた。


『……にくぱん』


 アルベルトが笑う。


「それもありだな」


 一枚目の記録。


 焼きたてのパンの匂い。


 夜が終わったと思える朝の匂い。


 それが、余白記録へ丁寧に残された。


 ◇


 二枚目は、小さな花の絵がたくさん描かれていた。


 文字は少し曲がっている。


「“わたしは、小さい黄色い花がすき。踏まれても、次の日にまた咲いていることがあるから。わたしも、こわい夢に踏まれても、また起きたい”」


 保護陣が静かになった。


 中心が、小さく震える。


『……きいろい、はな』


 リリアーナの声が少し柔らかくなる。


「黄色い花です」


『……ふまれても』


「はい」


『……また、さく』


「はい」


『……こわい、ゆめに、ふまれても』


 中心の光が、ゆっくり揺れる。


『……また、おきたい』


 誰もすぐには言葉を返さなかった。


 子供の言葉は、時々まっすぐに深い場所へ届く。


 踏まれても、また咲く花。


 怖い夢に踏まれても、また起きたい。


 それは、中心にも刺さる言葉だった。


 深部で踏まれ続けた名たちにも。


 アリシアにも。


 レオンたちにも。


 中心は、長い沈黙のあと、小さく言った。


『……わたしも』


 リリアーナが顔を上げる。


『……こわい、ゆめ、ふまれても』


『……また、おきたい』


 リリアーナの目に涙が浮かぶ。


「はい」


「また起きましょう」


『……きいろい、はな、すごい』


「はい」


「すごいですね」


 セラフィアが祈るように言う。


「小さくても、咲くものは強いわ」


『……ちいさくても、さく』


 中心は、その言葉を大切そうに抱えた。


 二枚目の記録。


 小さい黄色い花。


 踏まれても、また咲く。


 怖い夢に踏まれても、また起きたい。


 ◇


 三枚目は、少し汚れていた。


 インクが滲んでいる。


 書いた子が泣いたのかもしれない。


 リリアーナは、少し慎重に紙を広げた。


「“ぼくは、お母さんの手がすき。でも、昨日は手を握られるのがこわかった。夢の中で、黒い手に引っ張られたから。でも、お母さんが泣きながら待っててくれたから、今日は少しだけ握れました。すきなのに、こわいこともあるんだと思いました”」


 余白核が、大きく揺れた。


『……すき、なのに、こわい』


 リリアーナは頷く。


「はい」


『……どちらも、ある』


「あります」


『……おかあさん、て』


「大切な手ですね」


『……くろいて、こわい』


「怖かったんですね」


『……でも、まってた』


「はい」


『……すこし、にぎれた』


「はい」


 中心が、長く震えた。


『……すき、こわい』


『……でも、すき』


 レオンが静かに言う。


「そういうものもある」


『……れおんも?』


「ある」


 中心が、レオンの方へ反応を向ける。


『……なに?』


 レオンは少し沈黙した。


 答えなくてもいい問いだったかもしれない。


 だが、中心は知りたいのだ。


 好きなもの。


 怖いもの。


 その両方があることを。


 レオンは、低く言った。


「守ることだ」


『……まもること』


「ああ」


「守りたい」


「でも、守れなかったら怖い」


 中心が静かに揺れる。


『……すき、でも、こわい』


「そうだ」


 リリアーナは、レオンを見る。


 レオンの横顔は静かだった。


 だが、その静けさの奥にあるものを、彼女は少しだけ知っている。


 誰も欠けずに帰る道。


 それを望む者たちの怖さ。


 守るという言葉の重さ。


 中心は、それを受け取った。


『……まもる、すき、こわい』


 レオンは頷く。


「ああ」


 三枚目の記録。


 お母さんの手。


 好きなのに怖い。


 それでも少し握れた日。


 すきなのに、こわいこともある。


 ◇


 四枚目は、“ミナから”と書かれた束の中にあった。


 リリアーナは、中心へ確認する。


「四枚目です」


『……みな』


「読みますか?」


『……よむ』


 リリアーナは頷き、紙を開いた。


 昨日よりも文字が少しだけ整っていた。


 でも、ところどころ強く押しつけたような跡がある。


「“ミナです。今日は、自分の名前を一回だけ自分で書きました。まだこわいです。書いたあと、消したくなりました。でも、消しませんでした。好きなものは、消さなかった紙です”」


 保護陣の中が、深く静まった。


 余白核は、動かなかった。


 いや、動けなかったのかもしれない。


 ミナが、自分の名前を書いた。


 怖くて。


 消したくなって。


 でも、消さなかった。


 好きなものは、消さなかった紙。


 その言葉は、中心の奥深くへ沈んでいった。


『……みな』


 小さな声。


 リリアーナは紙を胸元に持ったまま、静かに待つ。


『……なまえ、かいた』


「はい」


『……けしたくなった』


「はい」


『……でも、けさなかった』


「はい」


『……けさなかった、かみ』


「ミナさんの、好きなものです」


 余白核が、ゆっくり震えた。


『……すごい』


 その声は、涙のようだった。


『……みな、すごい』


「はい」


 リリアーナの声も震えていた。


「すごいです」


『……わたし』


 一拍。


『……まだ、なまえ、かけない』


 レオンが答える。


「まだだ」


『……でも』


 中心は、長く沈黙する。


『……いつか』


 リリアーナが涙を浮かべる。


「はい」


『……わたしも』


『……けさない、なにか』


 その言葉に、リーネの光が強く揺れた。


 名簿束も、静かに明滅する。


 消さない何か。


 名前かもしれない。


 言葉かもしれない。


 好きなものかもしれない。


 自分の線かもしれない。


 中心は、初めて“消さないものを持ちたい”という願いに触れた。


 それは、名前探しに近い。


 けれど、まだ名前そのものではない。


 だから急がない。


 リリアーナは言った。


「いつか、一緒に見つけましょう」


『……けさない、なにか』


「はい」


「あなたの、消さない何かを」


 中心は、静かに光った。


『……さがす』


 ◇


 四枚を読み終えた後、中心はしばらく何も言わなかった。


 読みすぎたわけではない。


 でも、深かった。


 焼きたてのパンの匂い。


 黄色い花。


 好きなのに怖い手。


 消さなかった名前の紙。


 その四つは、中心の中にゆっくり沈んでいく。


 エリシアが術式盤を確認する。


「負荷は上がっていますが、許容範囲内です」


「ただし、今日はここまでにした方が良いでしょう」


 中心が反応する。


『……ここまで』


 リリアーナが頷く。


「はい」


『……よんまい、よんだ』


「読めました」


『……ぜんぶ、よまなかった』


「はい」


『……でも、たくさん、しった』


「はい」


 中心は、少しだけ嬉しそうに光る。


『……しった』


 レオンが静かに言う。


「今日も線を守った」


『……うん』


『……でも、むね、いっぱい』


 リリアーナが微笑む。


「胸がいっぱいの時は、休みます」


『……やすむ』


「はい」


 中心は、ゆっくりと落ち着いていった。


 ◇


 午後。


 中心は、今日読んだ四枚の言葉を何度も思い返していた。


『……ぱんの、におい』


『……よる、おわった』


『……きいろい、はな』


『……また、さく』


『……すき、でも、こわい』


『……すこし、にぎれた』


『……みな、けさなかった』


『……けさない、なにか』


 その中で、一つの言葉が特に残っていた。


『……けさない、なにか』


 中心は、それを何度も繰り返す。


 リリアーナは、急かさない。


 レオンも、何も言わない。


 だが、セラフィアが静かに問いかけた。


「その言葉が気になるのね」


『……うん』


「消さない何か」


『……わたし、ほしい?』


 中心自身にも、まだ分からないようだった。


 欲しいのか。


 怖いのか。


 名前に近いから震えているのか。


 それとも、自分の存在を残すものに惹かれているのか。


 リリアーナは優しく言う。


「欲しいかどうか、今決めなくていいです」


『……きめない』


「はい」


「気になる、だけでいいです」


『……きになる』


「そうです」


 中心は、少し安心したように揺れた。


『……きになる、だけ』


 レオンが言う。


「名前も、最初はそれでいい」


『……なまえ』


「怖いなら、怖い」


『……こわい』


「でも気になるなら、気になる」


『……きになる』


「それでいい」


 中心は、ゆっくり光った。


『……それでいい』


 ◇


 夕方。


 外の救護区域から、子供たちの様子が伝えられた。


 今日、紙を読まれなかった子供たちは、少し残念そうにしていた。


 だが、救護役が「今日は四枚の日」と伝えると、多くの子が納得したらしい。


 中には、自分の紙がまだ読まれていないことを知っても、「明日のわたしに聞くんだよね」と言った子もいたという。


 それを聞いた中心は、大きく揺れた。


『……こども、あしたのわたし』


 リリアーナが笑みをこぼす。


「覚えてくれたんですね」


『……こども、すごい』


「はい」


「すごいです」


 グレイヴが、少し低い声で言った。


「大人たちにも、その言葉が伝わり始めている」


 レオンが見る。


「明日のわたし、か」


「ああ」


「子供たちが使っている」


「今日は無理に会わない」


「明日の自分に聞く」


「そう言った子がいたらしい」


 アリシアが、静かに目を見開いた。


「子供たちが……自分で」


 グレイヴは頷く。


「それを聞いて、親たちも少し考えている」


「今すぐ落ち着かせることばかり求めていた者が」


「今日は休ませよう、と言い始めた」


 中心が、静かに震えた。


『……ことば、ひろがる』


 セラフィアが頷く。


「ええ」


「あなたが覚えた言葉が」


「子供たちを通して、外へ広がっている」


『……こわい』


「怖いわね」


『……でも』


 一拍。


『……あたたかい』


 リリアーナが微笑む。


「はい」


「温かいです」


 ◇


 夜。


 神殿の奥は、今日も静かだった。


 余白核は少し疲れている。


 けれど、不安定ではない。


 自分で決めた四枚を読み、自分で線を守り、そして“消さない何か”という言葉を抱えたまま、休もうとしている。


 リリアーナは、いつものように問いかけた。


「今日は、どんな日でしたか?」


 中心は、少し考える。


『……あしたのわたしに、きいた日』


「はい」


『……きょうのわたしが、よんまい、きめた日』


「はい」


『……ぱんのにおい、しりたい日』


「はい」


『……きいろいはな、またさく日』


「はい」


『……すきでも、こわい、知った日』


「はい」


『……みな、けさなかった日』


「はい」


 中心は、少し沈黙した。


『……わたし』


 一拍。


『……けさない、なにか、きになった日』


 リリアーナの目に涙が浮かんだ。


「はい」


「それも、今日の日です」


 リーネの光が、静かに揺れる。


『余白記録へ残します』


『明日のわたしに聞いた日』


『今日のわたしが四枚を選んだ日』


『消さない何かが気になった日』


 中心が穏やかに光る。


『……のこった』


「残りました」


 レオンが静かに言った。


「名前に近づいたな」


 中心が少し震える。


『……こわい』


「ああ」


『……でも、すこし』


 一拍。


『……きになる』


 レオンは頷いた。


「それでいい」


 リリアーナも微笑む。


「はい」


「それでいいです」


 余白核は、ゆっくりと光を弱めていく。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が返す。


「おやすみ」


「また明日」


 中心が、最後に小さく震える。


『……また、あした』


『……あしたのわたしに、きく』


『……けさない、なにか』


 その言葉を残して、余白核は眠りに入った。


 神殿の奥に、静かな夜が降りる。


 今日、中心は明日の自分に聞いた。


 そして、今日の自分で選んだ。


 四枚だけ読むこと。


 増やさないこと。


 でも、知ることをやめないこと。


 好きなものを通して、世界を少しずつ知っていくこと。


 そして。


 自分にも、いつか消さない何かがあるかもしれないと、初めて思った。


 名もない“わたし”は、名前そのものではなく。


 その手前にある、小さな欠片へ触れた。


 怖い。


 でも、気になる。


 その気持ちを抱いたまま、明日のわたしへ渡すように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ