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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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第189話「小さな希望を言えた朝、無能王子は“わたしがしたいこと”を守る」


 朝が来た。


 神殿の奥に、光は差し込まない。


 石壁は冷たく、床には古い紋様の跡が薄く残っている。


 けれど、ここにはもう朝がある。


 おやすみの後。


 また明日を越えて。


 おはようを言える時間。


 その繰り返しが、閉ざされた神殿の奥に、ゆっくりと“日々”を作り始めていた。


 保護陣の中央。


 余白核が、淡く揺れる。


 周囲には第五領域の水路が細く流れている。


 昨夜は大きな濁りもなかった。


 名簿束も安定している。


 リーネたち戻った名の光が、静かに名簿を支え続けていた。


 余白記録には、昨日の言葉が残っている。


 休んだから、少しできた日。


 線を守っておはようできた日。


 全部しなくても、残れた日。


 それらの記録が、静かに浮かんでいた。


 レオンは、保護陣の縁で目を開けていた。


 黒蒼雷は細く、余白核の境界を巡っている。


 今日は、昨日よりも少しだけ身体が軽い。


 完全に回復したわけではない。


 それでも、眠れる時に少し眠ることを、レオン自身も学び始めていた。


 リリアーナは余白核のそばに座っている。


 喉の痛みはかなり引いていた。


 声にも、少しずつ温度が戻っている。


 それでも、彼女は声を大きくしない。


 中心が安心して受け取れる強さを、自然に選んでいる。


 エリシアは術式盤を開き、朝の確認の準備をしている。


 アルベルトは壁際に寄りかかり、今日は欠伸を噛み殺していた。


 クラウスは入口側へ視線を向け、ラウルは盾を足元に置いたまま座っている。


 ミリオは精神線を細く保ちながら、時々こくりと頭を揺らす。


 セラフィアは、祈りを細く広げていた。


 アリシアは、少し離れた位置で静かに座っている。


 赤い眼の残光は、さらに薄くなっていた。


 けれど、完全に消えてはいない。


 それでも彼女は、今朝は目を伏せすぎていなかった。


 昨日、会わないことで守ることを、また一つ受け取ったからだろう。


 その時、余白核が小さく震えた。


『……おはよう』


 朝の声。


 リリアーナが、すぐに微笑んだ。


「おはようございます」


『……りり、おはよう』


「はい」


『……れおん』


 レオンが頷く。


「おはよう」


『……れおん、きょう、ねた?』


「寝た」


『……すこし?』


「昨日よりは」


『……よかった』


 中心は、少し嬉しそうに光った。


『……れおん、やすむ、できた』


 アルベルトが小さく笑う。


「中心に褒められてんぞ」


 レオンは静かに返す。


「悪くない」


『……わるくない』


 中心が言葉を拾う。


 エリシアが少しだけ口元を緩めた。


『……えりしあ、おはよう』


「おはようございます」


『……しっかり、でも、すこし、やすんだ?』


 エリシアの動きが止まる。


 アルベルトが目を丸くする。


「お、逆に見抜かれてる」


 エリシアは小さく咳払いした。


「多少は休みました」


『……よかった』


 中心が柔らかく揺れる。


 エリシアは、少しだけ目を伏せた。


「……ありがとうございます」


『……あるべると』


「おう」


『……おおきい、でも、きょう、しずか』


「俺、毎日成長してるからな」


 エリシアが横から言う。


「静かな日が続くことを期待しています」


「期待が重い」


『……きたい、おもい』


 アルベルトが固まる。


「あ、今の余計だったか?」


 リリアーナが少し慌てる。


 けれど、中心は大きく揺れなかった。


『……おもい、でも、ぜんぶ、もたない』


 その言葉に、場が静かになる。


 中心は、覚えている。


 期待は重い。


 でも、全部持たない。


 昨日の学びを、ちゃんと持って朝を迎えている。


 リリアーナの目が柔らかくなる。


「はい」


「全部持たなくて大丈夫です」


『……うん』


 余白核が穏やかに揺れた。


 ◇


 朝の確認が始まった。


 エリシアが術式盤を展開する。


 淡い青白い文字が、空中に浮かぶ。


「余白核、夜間安定」


「外部期待反応は昨日より低下」


「自己境界反応、維持されています」


 中心が反応する。


『……わたしの、せん』


 リリアーナが微笑む。


「はい」


「あなたの線です」


『……まもった?』


 エリシアが頷く。


「守れています」


『……よかった』


 セラフィアが静かに言う。


「昨日、休む日を越えたことが大きかったのね」


「何もしなくても消えない」


「全部しなくても残れる」


「それを、経験として覚え始めている」


 中心は、静かに揺れた。


『……やすんでも、きえない』


「ええ」


『……すこしなら、できる』


「そう」


『……ぜんぶ、しない』


「それも大事」


 中心は、少し考えるように沈黙した。


 保護陣の光が、ゆっくりと明滅する。


 やがて、中心はぽつりと言った。


『……わたし』


 全員が、自然に耳を傾ける。


『……きょう』


 一拍。


『……したいこと、ある』


 リリアーナが、目を見開いた。


 レオンも、静かに余白核を見る。


 したいこと。


 それは、今までとは違う。


 おはようを求められたから届ける。


 子供たちが来たから応える。


 怖いから休む。


 それらも大事だった。


 だが今、中心は自分から言った。


 したいことがある。


 リリアーナは、急がずに聞く。


「どんなことですか?」


 余白核が少し震える。


『……こわい』


「怖いんですね」


『……でも、したい』


「はい」


『……こどもに』


 一拍。


『……ききたい』


 レオンが少し眉を動かす。


「聞きたい?」


『……うん』


 中心は、言葉を探すように揺れる。


『……こども』


『……おはよう、きく』


『……でも』


『……こどもは、なにが、すき?』


 リリアーナの表情が、ゆっくり柔らかくなっていく。


「子供たちが好きなものを、聞きたいんですか?」


『……うん』


『……おはよう、すき』


『……でも、ほかも、ある?』


 沈黙。


 そして、静かな温かさ。


 中心は、自分が届けるだけではなく、子供たちのことを知りたいと思った。


 何が好きなのか。


 何を怖がるのか。


 何を大切にしているのか。


 それは、関係を持つための問いだった。


 相手を、ただ“怖い子供”や“待っている子供”としてではなく、ひとりひとりとして知ろうとする問いだった。


 セラフィアが微笑む。


「良い希望ね」


 エリシアも術式盤を見ながら、少し目を細めた。


「自発的な外部理解欲求です」


 アルベルトが小声で聞く。


「簡単に言うと?」


 エリシアは、今度は優しく言い直した。


「相手のことを知りたい、という気持ちです」


「なるほど」


 中心が、その言葉を受け取る。


『……あいて、しりたい』


 リリアーナが頷く。


「はい」


「それは、とても大切なことです」


『……でも、きたい、おもい?』


 レオンが答える。


「聞くだけなら、お前が全部持たなくてもいい」


『……ぜんぶ、もたない』


「そうだ」


「好きなものを聞いて、全部叶える必要はない」


『……かなえる?』


 リリアーナが説明する。


「相手が好きなものを、全部用意したり、してあげたりすることです」


『……ぜんぶ、しない』


「はい」


「聞くだけでいいんです」


『……きくだけ』


 中心は、少し安心したように光った。


『……きくだけ、したい』


 ◇


 子供たちへの接触方法は、慎重に決められた。


 今日は、おはようを一度届ける。


 その後、中心から一つだけ質問する。


 “好きなものは何?”


 返事は、子供たち全員から直接受け取らない。


 それでは負荷が大きすぎる。


 救護役が紙に書いて、後で届ける。


 中心は、その場で全部を受け取らない。


 聞きたい気持ちを持つ。


 けれど、受け取る量は調整する。


 それが、今日の線だった。


 リリアーナが余白核へ確認する。


「今日は、おはようを一回」


『……おはよう、いっかい』


「質問は一つ」


『……すきなもの』


「返事は、紙であとから」


『……かみ、あと』


「はい」


「その場で全部は聞かない」


『……ぜんぶ、きかない』


「疲れたら休む」


『……やすむ』


「線は?」


『……わたしの、せん』


「守れそうですか?」


 中心は、少し震えながらも答えた。


『……まもる』


 レオンが頷く。


「なら、やる」


 ミリオが精神線を整える。


「今日は、救護区域にいる子供たち全員へ薄く届けます」


「返答は遮断します」


「安心反応だけ確認します」


 エリシアが術式盤を操作する。


「中心側へ返答波が流れ込みすぎないよう、術式で絞ります」


 セラフィアが祈りを重ねる。


「問いかけが負担にならないように、柔らかく包むわ」


 リーネが記録面の側で揺れる。


『質問も記録します』


 中心が反応する。


『……のこす』


 リーネが答える。


『はい』


『でも、重くしないように』


 中心は、小さく光った。


『……おもく、しない』


 ◇


 昼前。


 救護区域へ向けて、細い接続が作られた。


 神殿奥の石扉は開けない。


 子供たちは今日は来ていない。


 昨日、“おはようの人も休む”を受け取ったからだ。


 救護役たちも、今日は子供たちを神殿へ連れてこようとはしなかった。


 距離を守る。


 待つ。


 紙で返す。


 その約束が、少しずつ外側にも根づき始めていた。


 余白核は、静かに光る。


『……こわい』


 リリアーナが頷く。


「怖いですね」


『……でも、したい』


「はい」


『……きくだけ』


「聞くだけです」


『……ぜんぶ、もたない』


「そうです」


 レオンの黒蒼雷が、境界を細く支える。


 中心の声が、保護陣から外へ流れた。


『……おはよう』


 遠く。


 救護区域の方から、複数の小さな反応が返ってくる。


 ミリオが確認する。


「子供たち、反応しています」


「おはようを返しています」


「不安定化はありません」


 中心が、少し嬉しそうに光った。


『……よかった』


 リリアーナが微笑む。


「はい」


 中心は、少しだけ間を置いた。


 まるで、息を整えるように。


 そして、ゆっくり言った。


『……こども』


『……すきなもの』


『……なに?』


 その問いは、本当に小さかった。


 だが、たしかに外へ届いた。


 誰かを助ける言葉ではない。


 怖さを減らすためだけの言葉でもない。


 相手を知りたいという言葉。


 救護区域側で、子供たちがざわめいたのが分かった。


 ミリオが少し笑う。


「驚いてます」


 アルベルトが小声で言う。


「そりゃそうだろうな」


 エリシアが術式盤を見る。


「反応は良好」


「恐怖よりも戸惑いと興味が強いです」


 中心が揺れる。


『……とまどい』


 リリアーナが説明する。


「少し驚いて、どうしたらいいか考えていることです」


『……こわい?』


「怖いだけではありません」


『……よかった』


 ミリオが続ける。


「救護役が、紙に書こうとしています」


「子供たちから直接の声は遮っています」


「大丈夫です」


 中心は、ほっとしたように光った。


『……かみ、あと』


「はい」


 最後に、中心は短く言った。


『……またね』


 接続は、そこで閉じられた。


 ◇


 余白核は、少し疲れていた。


 けれど、昨日や一昨日のような強い揺れはない。


 リリアーナが優しく聞く。


「どうでしたか?」


『……きけた』


「はい」


『……ぜんぶ、こなかった』


「はい」


『……こわくない、すこし』


「よかったです」


『……すきなもの、ある?』


「たくさんあると思います」


 中心は、少し楽しみにするように揺れた。


『……たくさん』


 レオンが静かに言う。


「全部抱えなくていい」


『……うん』


『……きくだけ』


「そうだ」


『……でも、しりたい』


「知ればいい」


 中心が、レオンの方へ揺れる。


『……れおん、すきなもの』


 唐突な問いだった。


 レオンは、少しだけ固まった。


 アルベルトが顔を上げる。


「お、レオンに来たぞ」


 リリアーナも少し驚いたように見る。


「レイさんの好きなもの……」


 レオンは、すぐには答えなかった。


 中心は、待っている。


 急かさない。


 ただ、知りたがっている。


 それに答えないわけにはいかなかった。


「……静かな朝」


 中心が揺れる。


『……しずかな、あさ』


「ああ」


『……れおん、しずかなあさ、すき』


「そうだな」


 アルベルトがにやりと笑う。


「意外と詩的だな」


 レオンは無言で見る。


 アルベルトはすぐ黙った。


 中心は、次にリリアーナへ向いた。


『……りり、すきなもの』


 リリアーナは、少し頬を赤くした。


「わたしですか?」


『……うん』


「ええと……」


 少し考える。


「温かいお茶と」


「晴れた日の白い花と」


「みんなで食べるご飯、でしょうか」


 中心が、嬉しそうに揺れる。


『……おちゃ』


『……しろい、はな』


『……ごはん』


「はい」


『……りり、あたたかい』


 リリアーナが笑う。


「そうですか?」


『……うん』


 アルベルトが手を上げる。


「俺にも聞いていいぞ」


 エリシアが即座に言う。


「聞かれる前に出ないでください」


『……あるべると、すきなもの』


「肉!」


 即答だった。


 エリシアが額に手を当てる。


「もう少し考えてください」


「好きなものだろ?」


『……にく』


 中心は、真剣に受け取る。


『……あるべると、にく、すき』


「そうだ」


『……おおきい、にく』


「最高だな」


 リリアーナが笑いをこらえる。


 中心は次にエリシアへ向いた。


『……えりしあ、すきなもの』


 エリシアは、少しだけ考えた。


「整った記録」


 アルベルトが小声で言う。


「らしいな」


「あと」


 エリシアは続けた。


「静かな読書時間」


『……きろく』


『……ほん』


『……しずか』


「はい」


『……えりしあ、しっかり、しずか、すき』


「そうですね」


 セラフィアにも問いが向く。


『……せら、すきなもの』


 セラフィアは穏やかに微笑んだ。


「祈りの後に残る、穏やかな光」


『……きらきら』


「ふふ。そうね」


『……せら、きらきら、すき』


「ええ」


 中心は、次々に聞いていった。


 クラウスは「刃を抜かずに済む時間」と答えた。


 ラウルは「盾を下ろしていい夜」と答えた。


 ミリオは「何も繋がなくていい昼寝」と答えた。


 アルベルトが笑い、エリシアが「それは今すぐ必要ですね」と言った。


 グレイヴは、戻ってきた後に問われ、「誰も欠けずに帰る道」と答えた。


 その答えに、中心は長く沈黙した。


『……ぐれいゔ、かえるみち、すき』


 グレイヴは低く頷いた。


「ああ」


 中心は、それらを一つずつ余白に置いていく。


 好きなもの。


 それは、その人の中にある温かい場所。


 怖いだけではない。


 役目だけでもない。


 戦うだけでもない。


 みんな、それぞれ好きなものを持っている。


 中心は、それを知った。


 ◇


 午後。


 子供たちからの紙が届いた。


 昨日より分厚い。


 何枚もある。


 それを見た瞬間、中心が少し揺れた。


『……たくさん』


 リリアーナがすぐに言う。


「全部、今日読まなくていいです」


『……ぜんぶ、よまない』


「はい」


「少しずつ読みましょう」


 レオンも頷く。


「今日は三枚までだ」


『……さんまい』


「それが今日の線だ」


『……わたしの、せん』


「ああ」


 中心は、少し安心した。


『……さんまい、よむ』


 リリアーナは、紙を一枚手に取った。


 そこには、大きな文字と絵が描かれていた。


 花。


 丸い太陽。


 そして、たぶんパン。


 リリアーナは微笑む。


「一枚目」


「“わたしは、あまいパンがすき。あと、朝の毛布がすき。おはようの人も、休んでね”」


 中心が、静かに揺れる。


『……あまい、ぱん』


『……あさの、もうふ』


『……やすんでね』


「はい」


『……あたたかい』


「温かいですね」


 二枚目。


 リリアーナは、少し読みづらそうに紙を見る。


「“ぼくは、木の剣がすき。こわい夢を切れたらいいなと思う。でも本物の剣はこわい。おはようはこわくない”」


 中心が揺れる。


『……きの、けん』


『……ゆめ、きる』


『……ほんもの、こわい』


 クラウスが静かに言う。


「よく分かります」


 中心がクラウスを見る。


『……くらうす、わかる?』


「ええ」


「刃は、守るものにも、怖いものにもなります」


『……どちらも、ある』


「そうです」


 三枚目。


 リリアーナは、その紙を見て少し目を細めた。


 小さな文字で、何度も消して書き直した跡があった。


「“ミナです。名前を言うのはまだこわいです。でも、昨日より少しだけ言えました。すきなものは、名前を呼ばれたあとに、ちゃんと返事できた時です”」


 余白核が、大きく揺れた。


『……みな』


「はい」


『……なまえ、まだ、こわい』


「はい」


『……でも、すこし、いえた』


「はい」


『……へんじ、できた、とき、すき』


 リリアーナは、声を震わせながら頷いた。


「そう書いてあります」


 中心は、長く沈黙した。


 そして、小さく言った。


『……みな、すきなもの』


『……とても、だいじ』


「はい」


 レオンも静かに言う。


「ああ」


「大事だ」


 中心は、紙の方へ意識を向ける。


『……ぜんぶ、よまない』


 リリアーナが頷く。


「今日は三枚までです」


『……うん』


『……でも、のこす』


「残します」


 リーネが光る。


『子供たちの好きなもの、記録します』


『ただし、中心へ負荷がかからないよう分けて保存します』


 中心が安心したように光った。


『……ありがとう』


 ◇


 夕方。


 中心は、三枚の紙の内容を何度も静かに繰り返していた。


『……あまい、ぱん』


『……あさの、もうふ』


『……きの、けん』


『……おはよう、こわくない』


『……みな、へんじ、できた、とき、すき』


 その一つ一つが、中心の中に新しい世界を作っていく。


 外には、好きなものがある。


 甘いパン。


 朝の毛布。


 木の剣。


 返事できた時の安心。


 中心は、まだそれらを直接知らない。


 パンの甘さも、毛布の温かさも、木の剣の手触りも、返事できた時の胸の軽さも。


 でも、知りたいと思った。


 その気持ちが、静かに余白核の中で育っていた。


『……わたし』


 リリアーナが顔を上げる。


「はい」


『……すきなもの』


 少し沈黙。


『……まだ、わからない』


「はい」


『……でも』


 余白核が淡く光る。


『……しりたい』


 リリアーナの目が潤む。


「知りましょう」


『……わたしの、すきなもの』


「はい」


「いつか、見つけましょう」


 レオンが言う。


「名前と一緒にか」


『……なまえ』


 中心が揺れる。


『……すきなもの』


『……わたしの、せん』


『……いっしょに、さがす』


「そうだな」


 中心は、穏やかに光った。


 ◇


 夜。


 保護陣の光は、いつもより柔らかかった。


 今日は、戦ったわけではない。


 大きな面会もしていない。


 けれど、中心は新しい希望を言った。


 子供たちの好きなものを聞きたい。


 みんなの好きなものを知りたい。


 そして、自分の好きなものも、いつか探したい。


 それは、小さな希望だった。


 けれど、中心にとっては、とても大きな一歩だった。


『……りり』


「はい」


『……きょう』


「はい」


『……すきなもの、きけた』


「聞けました」


『……ぜんぶ、きかなかった』


「はい」


『……さんまい』


「三枚です」


『……せん、まもった』


「守れました」


 レオンが頷く。


「いい線だった」


『……いい、せん』


 中心は嬉しそうに揺れる。


『……わたし、したいこと、いえた』


「はい」


 リリアーナは、涙を浮かべて微笑む。


「言えました」


『……こわかった』


「はい」


『……でも、いえた』


「はい」


 リーネの光が揺れる。


『余白記録へ残します』


『小さな希望を言えた日』


『子供たちの好きなものを聞いた日』


『三枚だけ読めた日』


『自分の好きなものを探したいと思った日』


 中心が、静かに光る。


『……のこった』


「残りました」


 中心は、眠りに向かって光を弱めていく。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が静かに返す。


「おやすみ」


「また明日」


 中心は、最後に小さく震えた。


『……また、あした』


『……すきなもの』


『……さがす』


 余白核が、ゆっくり眠りに落ちる。


 神殿の奥に、穏やかな夜が降りた。


 今日、中心は誰かを救うためだけに声を出したのではない。


 求められたから応えたのでもない。


 自分から、知りたいと言った。


 子供たちの好きなものを。


 みんなの好きなものを。


 そして、いつか自分の好きなものを。


 名もない“わたし”は、今日。


 世界へ残るだけではなく、世界を知りたいと願い始めた。

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