表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
186/251

第186話「求められる朝、無能王子は“全部はできない”を責めさせない」


 朝は、昨日より少しだけ早く来た。


 神殿の奥。


 石壁に囲まれた保護陣の中で、余白核が淡く震える。


 まだ外の光は届かない。


 けれど、中心はもう朝を知っている。


 おやすみ。


 また。


 おはよう。


 その順番を、少しずつ身体のない場所に覚え始めている。


 保護陣の外周を流れる第五領域の水路は、穏やかだった。


 名簿束も、夜の間に大きく崩れていない。


 リーネたち戻った名の光が、静かに名簿の縁を支えている。


 昨日の記録。


 おはようの人。


 いてくれて、よかった。


 怖いけれど、少し温かい。


 わたし、少し残った日。


 その文字たちは、余白記録の端に柔らかく残っていた。


 中心が、小さく反応する。


『……おはよう』


 リリアーナは、目を開ける。


 昨日より、少し声が出やすくなっている。


 それでも急がず、喉に手を当ててから微笑んだ。


「おはようございます」


『……りり、おはよう』


「はい」


『……れおん』


 レオンは保護陣の反対側で、黒蒼雷の細い線を整えていた。


「おはよう」


『……れおん、きょう、ねた?』


「少し寝た」


『……すこし』


「昨日よりは」


『……よかった?』


 レオンは、わずかに目を細める。


「ああ」


「よかった」


 中心が、少し満足したように揺れた。


『……れおん、すこし、やすんだ』


 リリアーナが小さく笑う。


「報告されていますよ」


 アルベルトが壁際から眠そうな声で言った。


「いいじゃねぇか。レオンが休んだのは重大ニュースだろ」


 エリシアが術式盤を起動しながら返す。


「重大ニュースにしないためにも、普段から休むべきです」


『……えりしあ、しっかり、おはよう』


「おはようございます」


『……あるべると、おおきい、おはよう』


「おう」


『……きょうも、すこし、しずか』


「俺、めちゃくちゃ気を遣ってんだよ」


 エリシアが静かに言う。


「ようやくですか」


「朝から刺すな」


 小さな笑いが生まれる。


 中心が、それを拾って穏やかに揺れた。


『……わらう、こわくない』


 リリアーナは頷く。


「はい」


「怖くない笑うです」


 その朝の挨拶は、ずいぶん自然になってきた。


 最初は、一つの言葉を言うだけで余白核が揺れていた。


 今も揺れる。


 けれど、崩れない。


 おはようが、中心の中に居場所を持ち始めている。


 レオンは、それを静かに見守っていた。


 ◇


 朝の確認が始まった。


 エリシアが術式盤を展開し、余白核の安定率を読む。


「余白核、夜間安定」


「昨日の外部接触後の負荷は、休息により軽減しています」


「ただし、反応域が広がっています」


 リリアーナが聞く。


「反応域?」


「外部の声や感情に対して、以前より敏感になっています」


 エリシアは少し眉を寄せた。


「良い面もあります」


「子供たちの安心を受け取れる」


「小さな喜びにも反応できる」


「ですが、その分、不安や期待にも強く反応します」


 中心が揺れる。


『……きたい』


 リリアーナが、少し慎重に説明する。


「期待」


「誰かに、こうしてほしいと願われることです」


『……おはよう、ほしい?』


「そうですね」


「子供たちが、おはようを聞きたいと思うのも、期待に近いです」


 中心が小さく震える。


『……きたい、こわい』


 レオンが言う。


「怖いな」


『……うん』


「応えられないこともある」


『……こたえられない』


「ああ」


『……だめ?』


 リリアーナが、すぐに首を横に振る。


「駄目じゃありません」


「全部に応えられなくても、駄目じゃないです」


『……ぜんぶ、できない』


「はい」


『……でも、こども、まってる』


「待っている子もいます」


『……わたし、できないと、こども、かなしい?』


 その問いに、少し空気が重くなる。


 リリアーナは、すぐには答えなかった。


 期待に応えられない。


 誰かを悲しませるかもしれない。


 それは、中心にとって新しい恐怖だった。


 今までの恐怖は、自分が消えること。


 外殻に戻ること。


 誰かを壊すこと。


 だが今は違う。


 誰かが自分を待っている。


 自分が応えられないと、その誰かが悲しむかもしれない。


 それが怖い。


 リリアーナは、静かに答えた。


「悲しむ子も、いるかもしれません」


 余白核が揺れる。


『……っ』


「でも」


 リリアーナは声を柔らかくする。


「それは、あなたが悪いという意味ではありません」


『……わるくない?』


「はい」


「会えない日があっても」


「おはようを言えない日があっても」


「疲れて休む日があっても」


「それは悪いことではありません」


『……やすむ、わるくない』


「そうです」


 レオンも続ける。


「守るために止めるんだろ」


『……とめる、まもる』


「ああ」


「お前も、子供たちも」


 中心は、長く沈黙した。


 そして、小さく言う。


『……でも、かなしい』


 リリアーナは頷いた。


「悲しいは、あると思います」


『……かなしい、ある』


「はい」


「でも、悲しいからって、全部壊れるわけじゃありません」


『……こわれない?』


「壊れないように、説明します」


『……せつめい』


「今日は休む日です」


「また明日です」


「そうやって伝えれば、子供たちも少しずつ分かってくれます」


『……また、あした』


「はい」


 中心は、少し落ち着いたように揺れた。


『……また、あした、まもる』


「そうです」


「また明日も、守る言葉です」


 ◇


 しかし、外の状況は穏やかさだけでは進まなかった。


 午前の半ば。


 グレイヴが入口側から戻ってきた。


 顔が険しい。


 レオンは、その表情だけで何かがあったと分かった。


「どうした」


 グレイヴは短く答える。


「子供ではない者たちが、接触を求めている」


 神殿奥の空気が冷える。


 アルベルトが眉を寄せた。


「大人か?」


「ああ」


 グレイヴは頷く。


「子供の親たちだ」


 リリアーナが息を呑む。


 アリシアは、少し離れた場所で肩を震わせた。


 子供たちの親。


 当然だった。


 子供たちが、神殿奥の“おはようの人”に会った。


 おはようを聞くと落ち着いた。


 またねを交わした。


 名前を言えるようになった子もいる。


 それを知れば、親たちは来る。


 感謝したい者もいる。


 理由を知りたい者もいる。


 何かに縋りたい者もいる。


 そして。


 恐れている者もいるはずだ。


 セラフィアが静かに問う。


「様子は?」


「分かれている」


 グレイヴの声は重い。


「感謝を伝えたいという親」


「子供をもう一度会わせたいという親」


「正体を確認したいという親」


「危険なものではないのかと問う者」


「……アリシアの赤い眼と関連しているのかと疑う者もいる」


 アリシアの顔色が青ざめた。


「……当然、です」


 彼女は小さく呟く。


「当然です。私が……」


 レオンが遮る。


「今は、自分を刺すな」


 アリシアが息を止める。


 レオンは続ける。


「状況を見ろ」


「自分を責めるのは後だ」


 アリシアは、震えながら頷く。


「……はい」


 中心が、余白核の中で不安定に揺れた。


『……おとな』


 リリアーナが答える。


「大人たちです」


『……こども、の、おとな』


「はい」


『……こわい?』


 誰もすぐには答えられなかった。


 大人は、子供より複雑だ。


 感謝もする。


 疑いもする。


 責めることもある。


 守ろうとして、強い言葉を使うこともある。


 中心にはまだ早い。


 レオンは、はっきり言った。


「今日は会わせない」


 中心が揺れる。


『……あわない』


「ああ」


「大人は、まだ早い」


『……こわい?』


「怖いことも言う」


 中心が小さく震えた。


『……わたし、わるい?』


 リリアーナが、すぐに余白核へ向き直る。


「違います」


『……でも、おとな、こわい』


「怖いかもしれません」


「でも、あなたが悪いと決まったわけではありません」


『……きまってない』


「はい」


 セラフィアも静かに言う。


「大人たちにも説明が必要なの」


「子供たちとは違う形で」


『……せつめい』


「ええ」


「けれど、今それをあなたが受ける必要はない」


 中心は不安そうに揺れた。


『……りり?』


「わたしも一緒にいます」


『……れおん?』


「ここにいる」


『……みんな?』


 アルベルトが声を抑えて言う。


「いるぞ」


 エリシアも。


「います」


 クラウスが静かに。


「守ります」


 グレイヴが低く。


「通さない」


 アリシアも、震えながら言った。


「……私も、逃げません」


 中心は、少しだけ落ち着いた。


『……ひとりじゃない』


 リリアーナが頷く。


「はい」


「一人じゃありません」


 ◇


 大人たちへの対応は、グレイヴとクラウス、そしてセラフィアが行うことになった。


 レオンは余白核のそばから離れない。


 リリアーナも残る。


 エリシアは保護陣の状態を管理する。


 アルベルトとラウルは万一に備え、入口側と保護陣の間に立つ。


 アリシアは、前へ出ない。


 出れば、感情の矛先になりかねないからだ。


 けれど、完全に隠れるわけでもなかった。


 彼女は神殿奥の一角に立ち、聞こえる範囲で大人たちの声を受け止めることを選んだ。


「逃げません」


 アリシアはそう言った。


 声は震えていた。


「でも、今は近づきません」


「それが守ることなら」


 中心が、その言葉を拾う。


『……あわない、まもる』


 アリシアは余白核を見る。


「はい」


「今は、そうします」


 グレイヴたちが入口側へ向かう。


 石扉の向こうから、大人たちのざわめきが聞こえ始めた。


「子供が落ち着いたと聞いた」


「どういう力なんだ」


「本当に安全なのか」


「会わせてくれ」


「礼を言いたいだけだ」


「でも、また危険なものだったらどうする」


「赤い眼の女はどうなった」


「神殿の中に何を隠している」


 声が重なる。


 子供たちの声とは違う。


 大きい。


 硬い。


 疑いと不安が混ざっている。


 中心が、強く震えた。


『……おおきい』


 リリアーナがすぐに言う。


「大丈夫です」


『……こわい』


「怖いですね」


『……わたし、なにか、した?』


「今は、あなたが直接何か言う必要はありません」


『……せつめい、しない?』


「しません」


 レオンも言う。


「今日は聞かなくていい」


『……きこえる』


「なら、俺を見る」


『……れおん』


 余白核がレオンの方へ揺れる。


『……ぴりぴり』


「ああ」


「怖いなら、こっちを見てろ」


『……まもる?』


「守る」


 中心は、レオンの黒蒼雷の細い光へ意識を向けた。


 外の声が聞こえる。


 だが、それを全部受け取らない。


 黒蒼雷の線を見る。


 リリアーナの声を聞く。


 保護陣の内側にいる。


 少しずつ、落ち着く。


 ◇


 入口側では、グレイヴの低い声が響いていた。


「奥には入れられない」


「現在、救護と調査を進めている」


「子供たちへの影響については、順に説明する」


 大人の一人が言う。


「説明って、いつだ!」


「うちの子は、あの“おはよう”を聞いて泣き止んだんだ!」


「何か知ってるなら教えてくれ!」


 別の声が重なる。


「でも、あれがまた子供を操ってるんじゃないのか?」


「おはようなんて優しい言葉で近づいているだけかもしれない!」


 その言葉に、中心が大きく揺れた。


『……あやつる?』


 リリアーナの表情が険しくなる。


「違います」


『……わたし、あやつる?』


「違います」


『……でも、おとな、いった』


「大人も、怖いんです」


『……こわい、いう?』


「怖いと、強い言葉を言ってしまうことがあります」


 中心が震える。


『……こわい、つよい』


「はい」


『……いたい』


 リリアーナは、ぎゅっと胸元を握った。


「痛いですね」


『……うん』


 レオンは、扉の方を見た。


 声は届く。


 中心を傷つける言葉も。


 完全には遮断できない。


 だが、ここで中心を隠し続ければ、外の不安も膨らむ。


 線引きは難しい。


 グレイヴが入口側で声を強めた。


「子供たちは操られていない」


「確認済みだ」


 大人の声。


「本当か!」


 セラフィアの穏やかな声が続く。


「少なくとも、現在確認できる範囲では、子供たちの意識は本人のものです」


「むしろ、怖い夢から戻る支えを得ている」


「ただし、それを無制限に求めることは危険です」


 ざわめきが少し弱まる。


 クラウスが静かに補足した。


「接触は管理する」


「子供たちを守るために」


「そして、神殿内のものを不安定にしないために」


 大人の一人が言う。


「神殿内のもの?」


 沈黙。


 クラウスは答えすぎない。


「詳細は今後、正式に説明する」


「今は子供たちの回復を優先する」


 また別の大人が叫ぶ。


「隠すのか!」


 その声に、中心がまた震える。


『……かくす』


 リリアーナが言う。


「守るために隠すこともあります」


『……まもるため』


「はい」


『……でも、おとな、いや?』


「嫌な人もいます」


『……いや、かなしい』


「はい」


 中心は、苦しそうに揺れる。


『……わたし、でたら、いい?』


 レオンがすぐに言った。


「駄目だ」


 余白核が止まる。


 レオンの声は強かった。


 だが、怒りではない。


「今出れば、お前が壊れる」


『……でも』


「駄目だ」


『……おとな、こわい』


「だからだ」


『……せつめい』


「説明は俺たちがする」


『……わたし、しない?』


「しない」


 中心が、しばらく震え続けた。


 リリアーナが優しく続ける。


「あなたが何もしないことも、今は大切です」


『……なにもしない』


「はい」


「全部、自分でどうにかしなくていいです」


『……ぜんぶ、しない』


「そうです」


「今日は、その練習です」


 中心が、小さく揺れる。


『……ぜんぶ、しない、れんしゅう』


「はい」


 レオンは、少しだけ目を伏せた。


 全部自分でどうにかしない。


 それは、中心だけではなく、レオン自身にも必要な言葉だった。


 ◇


 大人たちへの説明は長く続いた。


 怒る者。


 泣く者。


 感謝する者。


 疑う者。


 何度も同じことを聞く者。


 自分の子供だけを早く会わせてほしいと訴える者。


 神殿を閉ざせと言う者。


 逆に、もっと早く救ってくれればよかったのにと責める者。


 その声を、アリシアは離れた場所で聞いていた。


 顔色は真っ青だった。


 だが、逃げない。


 拳を握り、震えながら立っている。


 中心が、その揺れに気づく。


『……ありしあ』


 アリシアが余白核を見る。


「……はい」


『……いたい?』


 アリシアは、少しだけ微笑もうとした。


 でも、うまくできなかった。


「痛いです」


『……おとな、こわい』


「はい」


「怖いです」


『……でも、にげない』


「はい」


「逃げません」


 中心が、小さく揺れる。


『……ありしあ、がんばる』


 アリシアの目に涙が浮かぶ。


「……はい」


「今は、ただ立っているだけですが」


『……たつ、たいせつ』


 その言葉に、アリシアは涙をこぼした。


「……ありがとうございます」


 リリアーナは、そのやり取りを見て胸が締めつけられた。


 中心は、人の痛みも拾うようになっている。


 その分、苦しくなる。


 けれど、それは成長でもある。


 誰かの悲しみを、ただ怖いだけで終わらせない。


 そこに言葉を返そうとしている。


 ◇


 昼過ぎ。


 大人たちは一旦下がった。


 全員が納得したわけではない。


 むしろ、不安も不満も残っている。


 だが、グレイヴとセラフィア、クラウスの説明により、今日これ以上の接触はないと伝えられた。


 子供たちへの面会も、体調と安全を見ながら管理する。


 神殿奥への立ち入りは禁止。


 アリシアへの接触も禁止。


 それが決まった。


 グレイヴが戻ってきた時、神殿奥には重い空気が残っていた。


 アルベルトが低く呟く。


「……きついな、大人は」


 エリシアが疲れた顔で頷く。


「子供より言葉が複雑ですから」


「悪意だけではないのが厄介です」


 レオンは、余白核を見る。


 中心は疲れていた。


 直接会っていないのに。


 ただ声を聞いただけで、大きく消耗している。


『……おとな、いっぱい』


 リリアーナが頷く。


「いっぱいでしたね」


『……こわい』


「はい」


『……かなしい』


「はい」


『……ありがとう、も、あった』


「ありましたね」


『……うたがう、も、あった』


「はい」


 中心は、少し苦しそうに揺れた。


『……ぜんぶ、ある』


 レオンが答える。


「ああ」


「全部ある」


『……ぜんぶ、もつ?』


「持たない」


 はっきり言った。


 中心が揺れる。


『……もたない』


「全部持てば壊れる」


『……こわれる』


「だから、選ぶ」


『……えらぶ』


 リリアーナが優しく言う。


「今持つもの」


「後で考えるもの」


「誰かに預けるもの」


「持たなくていいもの」


「そうやって分けます」


『……わける』


「はい」


「深部で、名前と感情を分けたように」


 中心が反応する。


『……なまえ、かみ』


「はい」


『……きもち、みず』


「はい」


『……まだ、よはく』


「はい」


「外の声も、分けていいんです」


 中心は、長く沈黙した。


『……ありがとう、のこす』


 リリアーナが頷く。


「はい」


『……うたがう、いま、もたない』


 レオンが頷く。


「ああ」


『……こわい、みず』


「第五領域へ流しましょう」


『……かなしい、みず』


「はい」


『……おとな、あと』


「後で考えましょう」


 中心は、少しずつ落ち着いていった。


 外の大人たちの声を、全部自分の中へ抱えなくていい。


 それを覚える。


 それもまた、境界だった。


 ◇


 午後は、面会をしなかった。


 子供たちには、今日は神殿奥も休む日だと伝えられた。


 数人は寂しがった。


 だが、救護役が「また明日」と伝えると、少し落ち着いたらしい。


 その報告を聞いた中心は、小さく反応した。


『……また、あした』


 リリアーナが微笑む。


「守れましたね」


『……こども、かなしい?』


「少し、寂しかったみたいです」


『……さみしい』


「はい」


『……でも、また、あした』


「はい」


『……こわれない?』


「壊れません」


『……よかった』


 中心は、今日初めて少し安心したように光った。


 会えない日。


 おはようをしない日。


 それでも終わりではない。


 また明日がある。


 それを、子供たちも少しずつ受け取っている。


 中心も、それを受け取っている。


 ◇


 夕方。


 アリシアが、静かにレオンへ近づいた。


 余白核からは少し距離を置いたまま。


「レオン様」


「何だ」


「今日、外の声を聞いて思いました」


 彼女は、胸元で手を握っている。


「私は、すぐに謝りに出てはいけないのですね」


 レオンは黙って聞く。


 アリシアは続けた。


「謝りたい気持ちはあります」


「でも、今日の大人たちの声を聞いて……」


「私が今出れば、彼らの怒りや恐怖が一気に向く」


「それは、私が受けるべき罰だと思っていました」


 一拍。


「でも、それでは子供たちも怖がる」


「中心も揺れる」


「神殿の保護陣も乱れる」


 アリシアは、涙を堪えるように目を伏せる。


「私が罰を受けたいから前へ出るのは」


「償いではなく、自分のためなのかもしれません」


 リリアーナが、静かに目を見開いた。


 レオンは短く答える。


「そうだな」


 アリシアは、その言葉を受け止めるように目を閉じた。


「……はい」


「だから、今は出ません」


「逃げるのではなく」


「守るために」


 中心が反応する。


『……ありしあ、あわない、まもる』


 アリシアは、余白核へ向かって微笑んだ。


 涙はある。


 でも、昨日より少しだけ真っ直ぐだった。


「はい」


「会わないことで、守ります」


『……ありしあ、あと』


「はい」


「後で、ちゃんと」


『……あとで、せつめい』


「はい」


『……いそがない』


「急ぎません」


 アリシアは、深く息を吐いた。


 その姿を見て、リリアーナは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


 アリシアもまた、境界を覚えている。


 すぐに謝らない。


 すぐに罰を受けに行かない。


 自分の痛みだけで動かない。


 それは、簡単ではない。


 けれど必要なことだった。


 ◇


 夜。


 神殿奥は、いつもより早く静かになった。


 中心は一日中、直接外へ言葉を届けていない。


 それでも疲れていた。


 大人たちの声。


 期待。


 疑い。


 感謝。


 恐怖。


 それらを聞いたからだ。


 余白核の光は薄いが、安定している。


 リリアーナが、そっと声をかける。


「今日は、難しい日でしたね」


『……むずかしい、ひ』


「はい」


『……こども、まってた』


「はい」


『……でも、あわない』


「はい」


『……おとな、こわい』


「はい」


『……ありがとう、あった』


「はい」


『……うたがう、あった』


「ありました」


『……ぜんぶ、もたない』


「はい」


 中心は、少し沈黙した。


 そして。


『……わたし、ぜんぶ、できない』


 リリアーナは頷く。


「はい」


『……でも、すこし、できる』


「はい」


『……できない、わるくない?』


 レオンが答える。


「悪くない」


『……ほんとう?』


「ああ」


「悪くない」


 中心は、その言葉を何度も確かめるように揺れた。


『……できない、わるくない』


『……やすむ、まもる』


『……あわない、まもる』


『……また、あした、まもる』


 セラフィアが静かに微笑む。


「今日は、境界を学んだ日ね」


『……きょうかい』


「そう」


「自分と、誰かの間に線を引くこと」


「拒絶ではなく、守るために」


 中心が、小さく光る。


『……きょうかい、まもる』


 リリアーナは、涙を浮かべながら言った。


「はい」


「よく守りました」


 余白核が、少しだけ明るくなる。


『……よく、まもった?』


 レオンが頷く。


「守った」


『……わたし、まもった』


「ああ」


「お前も守った」


 中心は、安心したように光を弱めていく。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が、静かに返す。


「おやすみ」


「また明日」


 中心が、最後に小さく言った。


『……また、あした』


『……できない、わるくない』


『……すこし、できる』


 その言葉を残して、余白核は休みに入った。


 神殿の奥に、静かな夜が降りる。


 今日、中心は知った。


 求められることは、嬉しいだけではない。


 期待は、時に重い。


 応えられないことは怖い。


 疑われることは痛い。


 けれど。


 全部できなくても、悪くない。


 休むことも、会わないことも、止めることも、境界を引くことも。


 守ることになる。


 名もない“わたし”は、今日。


 世界へ残るために、初めて“できない”を抱えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ