表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
173/251

第173話「怒りだけの外殻、無能王子は“壊すだけの虚ろ”に雷を向ける」


 名前の洪水は、過ぎ去った。


 深部に残ったのは、静けさではなかった。


 荒い息。


 震える光。


 軋む記録面。


 水面のように揺れ続ける第五領域。


 そして、中央の余白。


 そこに守られている、小さな中心。


 まだ名はない。


 まだ形もない。


 けれど、もう完全な空白ではない。


『……ここ』


 中心が、そう震えた。


 リリアーナが、掠れきった声で返す。


「はい……ここです」


 声は、もうほとんど息だった。


 それでも、届いた。


 中心は消えなかった。


 怖い。


 助けて。


 ごめん。


 ある。


 ここ。


 そこまで来た。


 王冠は崩れた。


 名前の洪水は受け止めた。


 奪われた名たちは、四枚の記録面へ。


 流しきれない感情は、第五領域へ。


 返事にならない震えは、余白へ。


 混ざらず、切られず、消されず。


 何とか、そこにある。


 だが。


 終わっていない。


 王冠を失った外殻が、深部の向こうに立っていた。


 もう王の姿ではない。


 玉座もない。


 王冠もない。


 名の輝きもない。


 中心もない。


 ただ、黒い。


 怒りだけが残った、虚ろの殻。


『返せ』


 外殻が呻く。


『返せ』


『名を』


『王冠を』


『中心を』


 その声には、もう理屈がなかった。


 王だから。


 支配者だから。


 名は我のものだから。


 そんな言葉すら、薄れている。


 ただ、奪われたと叫んでいる。


 本当は奪っていた側なのに。


 他者の名を喰い、王冠にし、中心を縛り、空白を隠していた側なのに。


 今、自分が失ったものだけを見て、怒っている。


 レオンは、黒蒼雷を握った。


 右腕は限界だった。


 動かすだけで、骨の奥が軋むように痛む。


 黒蒼雷は細い。


 今までのように太く荒々しくは燃え上がらない。


 それでも、消えてはいない。


 隣にはリリアーナがいる。


 喉を押さえ、今にも倒れそうな顔で、それでも余白を見ている。


 グレイヴは大剣を構えているが、腕に黒い筋が走っている。


 クラウスの呼吸は荒い。


 アルベルトの炎は揺らぎ、エリシアの術式盤には警告が残り続けている。


 ラウルの盾は欠けていた。


 ミリオは膝をつきかけながら、まだ精神線を繋いでいる。


 セラフィアの金色の祈りも、薄くなっていた。


 リーネの記録面は文字で埋まり、戻った名たちの光も弱い。


 全員が、満身創痍だった。


 それでも、退けない。


 外殻が狙うものは分かっている。


 記録面。


 第五領域。


 余白。


 そして中心。


 ここまで守ってきたすべてを、怒りだけで壊そうとしている。


 レオンは、静かに息を吐いた。


「ここからは」


 一拍。


「返す戦いじゃない」


 仲間たちが、彼を見る。


 レオンは外殻を見据えたまま続ける。


「守る戦いだ」


「そして」


 黒蒼雷が、かすかに鳴る。


「壊すだけになったものを、止める戦いだ」


 リリアーナが、掠れた声で言う。


「倒す……んですね」


「ああ」


「中心は、もう外にいます」


「名も、王冠から出ました」


「なら」


 一拍。


「外殻を止める」


 リリアーナは、小さく頷いた。


「はい」


「でも、壊しすぎないでください」


 レオンが彼女を見る。


 リリアーナは、疲れ切った顔で、それでも真剣に言った。


「怒りだけでも」


「外殻にも、何か残っているかもしれないから……じゃなくて」


 一拍。


「壊し方を間違えたら、周りを巻き込みます」


「記録面も、第五領域も、余白も」


「全部、守りながら止めないと」


 レオンは頷いた。


「ああ」


「分かってる」


 アルベルトが、炎剣を肩に担ごうとして、腕の重さに顔をしかめた。


「つまり、最後まで面倒くさいってことだな」


 エリシアが息を荒げながら言う。


「いつも通りです」


「雑に燃やさないでください」


「言われなくても分かってる」


「本当に?」


「本当だよ」


 クラウスが静かに剣を構える。


「外殻は、もう名を盾にしにくい」


「だが、記録面を盾にされる可能性はある」


 グレイヴが低く頷く。


「先に外殻を記録面から引き離す」


 ラウルが盾を掲げる。


「余白の前は俺が守る」


 ミリオが震える声で言う。


「精神線、細いですが……繋げます」


 セラフィアが金色の祈りを整える。


「中心と余白を守るわ」


「レオン」


「外殻をここから遠ざけて」


 リーネの光が揺れる。


『記録面は、守ります』


 戻った名たちも、弱く応える。


『守る』


『呼ぶ』


『消さない』


 中心が、余白の中で小さく震えた。


『……こわい』


 リリアーナが、すぐに返す。


「怖いですね」


「でも、大丈夫です」


「ここにいます」


 中心が、かすかに揺れる。


『……ここ』


 レオンは、その反応を背に、外殻へ一歩踏み出した。


 ◇


 外殻が動いた。


 速かった。


 王冠を失い、名を失い、中心を失ったことで軽くなったのか。


 黒い影が、床を滑るように迫る。


 その形は一定しない。


 腕。


 爪。


 口。


 刃。


 どれにもなり、どれにもならない。


 ただ、壊すための形だけを次々に取る。


『返せええええ!!』


 黒い爪が、四枚の記録面へ伸びる。


 ラウルが盾を前へ出した。


「通さない!!」


 爪が盾に激突する。


 重い。


 だが、さっきまでの名の圧とは違う。


 意味がない重さ。


 ただ壊すための力。


 盾の表面に亀裂が走る。


「ぐっ……!」


 ミリオが精神線をラウルへ繋ぐ。


「ラウル!」


「持つ!」


 ラウルは歯を食いしばる。


「背後は閉ざさない!!」


 盾が光る。


 黒い爪が弾かれる。


 しかし、外殻はすぐに形を変えた。


 今度は無数の小さな黒い矢となって、記録面の隙間へ降り注ぐ。


 クラウスが剣を振るう。


「細かいな」


 白銀の剣が、矢の流れを切り分ける。


「エリシア!」


「風で散らします!」


 エリシアの風が矢を横へ流す。


 アルベルトの炎が、その外側の虚ろを焼く。


「黒だけ燃えろ!」


「紙に触るな!」


 四枚の記録面が揺れる。


 リーネが叫ぶ。


『第三記録面、右端!』


 黒い矢が、名前の列へ迫る。


 マリの布の光がそこへ広がる。


『ほどけないように』


 ユーナの旗が立つ。


『こっちじゃない』


 カイルの剣士の光が矢の前に出る。


『通さない』


 矢が弾ける。


 リリアーナが掠れた声で呼ぶ。


「みんな……!」


 ミオが小さく揺れる。


『守る……』


 レオンは外殻へ黒蒼雷を走らせた。


「こっちだ」


 外殻が振り向くように揺れる。


『返せ』


「返さない」


『中心を返せ』


「中心は、お前のものじゃない」


『王冠を返せ』


「王冠は奪った名だ」


『名を返せ』


「もう返した」


 外殻が、怒りで膨れ上がる。


『なら壊す』


 黒い影が巨大な口になる。


 記録面も、第五領域も、余白も、まとめて飲み込もうとする。


 セラフィアが叫ぶ。


「広域吸収!」


 グレイヴが前へ出る。


「俺が受ける!」


 大剣を地面に叩きつける。


 黒い口の進路に、剣の壁が立つ。


 クラウスがその横へ入り、吸い込まれかけた名の光を切り分ける。


「巻き込ませるな!」


 アルベルトの炎が口の縁を焼く。


「食うな!!」


 エリシアの風が内側から外へ吹き返す。


「吸収流を逆転させます!」


 レオンが黒蒼雷を口の中心へ伸ばす。


 攻撃ではない。


 吸い込まれる流れを断つための雷。


「もう喰わせない!!」


 雷が黒い口の奥で弾けた。


 外殻が悲鳴のように歪む。


 口が崩れ、無数の黒い破片になる。


 だが、破片はすぐに刃になり、全方向へ散った。


 ラウルが盾を構える。


「来るぞ!」


 ミリオが叫ぶ。


「精神線、全員へ!」


 セラフィアの金色の祈りが余白を包む。


 リーネが記録面を守る。


 戻った名たちが、それぞれの場所で光る。


 黒い刃が、深部へ降り注ぐ。


 ◇


 刃の雨は、長かった。


 ひとつひとつは小さい。


 だが、数が多い。


 記録面の名前を削るため。


 第五領域の水面を濁すため。


 余白の縁を切り裂くため。


 中心へ、再び恐怖だけを押し込むため。


 外殻は、もう名を喰う余裕すらない。


 ただ、壊す。


 それだけだった。


 レオンは、その姿に冷たいものを感じた。


 これが、名を失った外殻。


 他者の名前を奪うことでしか形を保てなかったものの末路。


 中心を失った今、残ったのは怒りと破壊だけ。


 哀れだとは思わない。


 許せるとも思わない。


 だが、理解はできる。


 何もないと思い込んで、他者の名を喰い続けた果て。


 何も残らなかった殻。


 それが、目の前にある。


 レオンは黒蒼雷を刃の雨へ走らせた。


「リリアーナ」


「はい……!」


「中心を呼んでくれ」


「分かりました」


 リリアーナは、余白の中の中心へ向き直る。


「あなた」


 声がかすれる。


 だが、中心は反応した。


『……ここ』


「はい」


「ここにいます」


「今、外が怖いですね」


『……こわい』


「怖くていいです」


「でも、戻らなくていいです」


『……もどらない?』


 リリアーナの目が揺れる。


「はい」


「王冠へ戻らなくていいです」


「外殻へ戻らなくていいです」


「ここにいていいです」


 中心が震える。


『……ここ』


「はい」


「ここです」


 レオンは、その会話を背中で聞きながら外殻を押し返す。


 中心を呼び続けること。


 それが、外殻への最大の拒絶だった。


 戻らない。


 喰われない。


 王冠へ戻らない。


 外殻はそれを聞いて、さらに激しく暴れる。


『戻れ!!』


『お前は我だ!!』


『我の中心だ!!』


『我の空白だ!!』


 中心が震える。


『……ちがう?』


 リリアーナが、すぐに答える。


「違います」


「あなたは、あなたです」


 一拍。


 リリアーナは少しだけ迷った。


 名前はまだない。


 だから、言い過ぎてはいけない。


 でも、言わなければいけない。


「まだ、名前はありません」


「でも」


「あなたは、外殻そのものじゃありません」


「王冠そのものでもありません」


「ここに、あなたの場所があります」


 余白が淡く光る。


 中心が、かすかに揺れた。


『……ばしょ』


「はい」


「場所です」


 レオンは、黒蒼雷を振るう。


「聞こえたか、外殻」


 外殻が刃を撒き散らしながら呻く。


『黙れ』


「中心には、もう場所がある」


『黙れ!!』


「お前の中じゃない」


 黒蒼雷が、外殻の黒い腕を弾く。


「ここだ」


 外殻が狂ったように揺れる。


 その隙に、グレイヴが大剣を振り下ろした。


「押し返す!」


 大剣の一撃が、外殻の前面を潰す。


 クラウスが横から切り込み、外殻の伸びた黒い筋を断つ。


 アルベルトの炎が焼く。


 エリシアの風が黒煙を流す。


 外殻が後退する。


 初めて。


 明確に、押し返された。


 アルベルトが息を吐く。


「効いてる!」


 エリシアが術式盤を見る。


「外殻、構造劣化!」


「名も中心も失ったことで、自己保持力が低下しています!」


 クラウスが低く言う。


「怒りだけでは形を保てない」


 グレイヴが大剣を構え直す。


「なら、このまま押し切る」


 セラフィアが、しかし首を横に振った。


「待って」


 全員が彼女を見る。


「外殻は、崩壊すれば周囲を巻き込む」


「ただ押し潰せば、黒い崩壊波が記録面と第五領域を汚染する」


 アルベルトが顔をしかめる。


「じゃあ、どうすんだよ」


 セラフィアはレオンを見た。


「外殻の怒りを、余白や第五領域へ入れてはいけない」


「でも、どこかへ逃がす必要がある」


 エリシアが術式盤を見て、目を細める。


「外殻専用の隔離流路……」


「怒りだけを流す場所が必要です」


 リリアーナが小さく言う。


「怒りも、第五領域じゃ駄目なんですか」


 セラフィアが静かに答える。


「第五領域は、まだ中心や名たちの感情を守る場所」


「外殻の破壊衝動を入れれば、濁るわ」


 レオンは外殻を見る。


「なら」


 一拍。


「俺の雷で受ける」


 リリアーナが即座に振り向く。


「駄目です」


「まだ何も言ってない」


「分かります」


「また一人で受けようとしました」


 レオンは黙った。


 リリアーナは、喉を痛めているのに、はっきり言った。


「駄目です」


「外殻の怒りを、レイさん一人で受けたら壊れます」


「わたしでも分かります」


 グレイヴが低く言う。


「同感だ」


 クラウスも頷く。


「今のお前に、それを受ける余裕はない」


 アルベルトが苦笑する。


「ていうか、俺らもいるんだが?」


 エリシアが言う。


「全員で流路を作るべきです」


 ラウルが盾を構える。


「怒りの衝撃は盾で受ける」


 ミリオが息を荒げながら言う。


「線で分散します」


 セラフィアが頷く。


「レオンの黒蒼雷を核に」


「グレイヴの剣で外殻の崩壊方向を固定」


「クラウスが不要な絡みを切る」


「アルベルトが黒い虚ろを焼く」


「エリシアが流れを外へ逃がす」


「ラウルとミリオが余白と記録面側への逆流を防ぐ」


「私が祈りで境界を閉じる」


 リリアーナが、静かに言った。


「わたしは中心を呼び続けます」


「外殻へ戻らないように」


 レオンは、全員を見る。


 満身創痍。


 誰一人、余裕などない。


 それでも、誰も目を逸らさない。


 レオンは、ゆっくり頷いた。


「分かった」


「一人で受けない」


 リリアーナが、少しだけ安堵したように息を吐く。


「はい」


「それでお願いします」


 ◇


 外殻は、こちらの会話を聞いていたのか。


 黒い身体をぐにゃりと歪め、大きく膨れ上がった。


『相談するな』


『分け合うな』


『支え合うな』


『全部、壊す』


 外殻から、黒い怒りが噴き上がる。


 それは炎のようで、煙のようで、泥のようでもあった。


 触れれば、何もかもを汚す。


 記録を怒りで塗り潰し、感情を破壊衝動に変え、余白を焦がす。


 そんな黒い怒り。


 レオンは黒蒼雷を構えた。


「来るぞ」


 グレイヴが大剣を地面へ突き立てる。


「方向は正面へ固定する」


 クラウスが横へ立つ。


「余計な枝を切る」


 アルベルトが炎を絞る。


「怒りに乗ってる黒だけ焼く」


 エリシアが風を展開する。


「流路形成」


 ラウルが盾を余白側へ構える。


「逆流は止める」


 ミリオが精神線を全員へ繋ぐ。


「分散線、形成します!」


 セラフィアが祈りを閉じるように両手を広げる。


「境界を守るわ」


 リリアーナが中心へ呼びかける。


「あなた」


『……ここ』


「はい」


「ここにいてください」


「戻らなくていいです」


『……ここ』


 中心が応える。


 その反応を合図に、外殻が黒い怒りを放った。


 奔流。


 だが、さっきまでの名前の洪水とは違う。


 これは、ただ壊すための怒り。


 レオンは、黒蒼雷を前へ突き出した。


「受ける!!」


 黒い怒りが雷にぶつかる。


 重い。


 熱い。


 痛い。


 だが、一人で抱えない。


 グレイヴの大剣が、怒りの進行方向を固定する。


 クラウスの剣が、左右へ飛び散る枝を切る。


 アルベルトの炎が、黒い虚ろの膜を焼き落とす。


 エリシアの風が、怒りの流れを記録面から遠ざける。


 ラウルの盾が逆流を防ぎ、ミリオの精神線が衝撃を全員へ薄く分散する。


 セラフィアの祈りが、余白と第五領域を包む。


 リリアーナの声が、中心をここに留める。


「ここです!」


「あなたの場所は、ここです!」


『……ここ』


 中心が震える。


 黒い怒りは、流路を通って深部の外側へ逃がされていく。


 完全には消えない。


 だが、記録面を汚さない。


 第五領域を濁さない。


 余白を焦がさない。


 外殻が苦しげに呻く。


『なぜ』


『なぜ壊れぬ』


 レオンは歯を食いしばりながら答えた。


「一人で受けてないからだ」


 黒蒼雷が、さらに強く鳴る。


「名前も」


「感情も」


「余白も」


「怒りも」


「全部、分けてる」


「混ぜない」


「押し潰さない」


「一人で抱えない」


 外殻が震える。


『分けるな』


「分ける」


『繋ぐな』


「繋ぐ」


『壊れろ』


「壊れない」


 リリアーナが、掠れた声で続ける。


「壊れません」


「泣いても」


「怖くても」


「助けてって言っても」


「怒っても」


「分けて、流して、守れば」


 一拍。


「壊れなくていいんです」


 中心が、余白の中で震えた。


『……こわれない』


 その反応に、レオンの胸が熱くなる。


「ああ」


「壊れない」


 外殻が、絶叫した。


 黒い怒りがさらに膨れ上がる。


 だが、流路は崩れない。


 全員が支えている。


 満身創痍でも、支えている。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 外殻の黒い怒りは削れていった。


 ◇


 やがて、外殻の形が小さくなり始めた。


 巨大だった黒い影が、縮む。


 腕が崩れる。


 口が消える。


 刃が形を保てなくなる。


 もう名がない。


 中心もない。


 王冠もない。


 怒りすら、流されて削れていく。


 残るのは、薄い黒い殻。


 まだ消えない。


 まだ悪意はある。


 だが、明らかに弱っている。


 エリシアが術式盤を見る。


「外殻、構造維持限界」


「あと少しです!」


 アルベルトが炎を握り直す。


「じゃあ、最後に燃やすか?」


 セラフィアが首を横に振る。


「燃やし尽くすのではなく、閉じる」


 クラウスが頷く。


「崩壊波を出させないためか」


「ええ」


 グレイヴが大剣を構える。


「囲むぞ」


 レオンは黒蒼雷を細く整える。


 外殻を破壊する雷ではない。


 閉じるための雷。


 暴れた怒りが、記録面や第五領域へ流れ込まないように。


 残った虚ろを封じるために。


 リリアーナが、中心へ声をかける。


「あなた」


『……ここ』


「はい」


「これから、外殻を閉じます」


『……こわい』


「怖いですね」


「でも、戻らなくていいです」


『……もどらない』


 リリアーナの目が潤む。


「はい」


「戻らなくていいです」


 中心が、もう一度震える。


『……ここ』


 レオンは頷いた。


「聞こえた」


 そして、外殻へ向き直る。


 外殻は、弱々しくもなお呻いた。


『返せ』


『中心を』


『我に』


 レオンは静かに言った。


「返さない」


『我は』


「お前は、もう王じゃない」


『我は』


「王冠もない」


『我は』


「中心もない」


『我は』


 外殻の声が揺れる。


 先が続かない。


 何も残っていない。


 透明な鎖が言っていた“何もない”とは違う。


 中心には、もう“ある”が生まれた。


 だが外殻は、自分で奪ってきたものをすべて失い、本当に殻になった。


 レオンは、外殻を見つめる。


「終わりだ」


 黒蒼雷が、外殻の周囲へ円を描く。


 グレイヴの大剣が正面を塞ぐ。


 クラウスの剣が左右の逃げ道を断つ。


 アルベルトの炎が黒い虚ろの外膜を削る。


 エリシアの風が崩壊の流れを内側へ閉じる。


 ラウルの盾が余白側を守る。


 ミリオの精神線が全員の力を繋ぐ。


 セラフィアの金色の祈りが、最後の境界を結ぶ。


 リーネと戻った名たちが、記録面と第五領域を支える。


 リリアーナが、中心を呼び続ける。


「ここです」


「あなたは、ここにいます」


『……ここ』


 外殻が、最後に大きく震えた。


『返せえええええ!!』


 黒い影が、最後の力で膨れ上がる。


 だが、もう広がれない。


 黒蒼雷の円が閉じる。


 金色の祈りが重なる。


 炎と風が黒い外膜を削り、剣と盾が逃げ道を塞ぐ。


 外殻の叫びが、円の中で小さくなっていく。


『返せ』


『返せ』


『返……』


 声が途切れる。


 黒い殻が、ゆっくりと崩れていく。


 爆発はしなかった。


 深部を汚染する崩壊波も出なかった。


 ただ、乾いた影のように。


 王冠を失った外殻は、静かにほどけていった。


 最後に残ったのは、小さな黒い欠片だけだった。


 それも、セラフィアの祈りに包まれて消える。


 虚ろの王の外殻は、消滅した。


 ◇


 静寂が降りた。


 今度の静寂は、さっきまでとは違っていた。


 重い。


 疲れ切っている。


 けれど、壊れていない。


 四枚の記録面は残っている。


 第五領域は流れている。


 余白は淡く光っている。


 中心は、その余白の中で小さく震えている。


 戻った名たちも、弱いながら光を保っている。


 誰も、すぐには動けなかった。


 アルベルトがその場に座り込みそうになり、ギリギリで踏み止まる。


「……終わった、のか?」


 エリシアが術式盤を見る。


 手が震えている。


「外殻反応……消失」


「王冠残滓……主要流入停止」


「記録面……保持」


「第五領域……保持」


「中心核……余白内に安定」


 言い終えると、エリシアは大きく息を吐いた。


「少なくとも」


 一拍。


「外殻との戦闘は、終了です」


 グレイヴが大剣をゆっくり下ろす。


 クラウスも剣を下げる。


 ラウルが盾を床へつき、ミリオはその横でへたり込んだ。


 セラフィアが、金色の祈りを少し弱める。


 リーネの光も、静かに揺れる。


 レオンは、黒蒼雷を消そうとして。


 消せなかった。


 まだ、中心がある。


 まだ、名前がない。


 まだ、終わったとは言えない。


 リリアーナが、そっと中心へ近づく。


 レオンも隣へ行く。


 余白の中。


 小さな空洞。


 でも、もうただの空洞ではない。


 そこから、かすかな反応が流れる。


『……こわい』


 リリアーナが、優しく頷く。


「はい」


『……ここ』


「はい」


『……こわれない』


「壊れませんでした」


『……ある』


 レオンが答える。


「ああ」


「ある」


 中心は、しばらく震えていた。


 そして。


 新しい反応を流した。


『……なまえ』


 リリアーナの息が止まる。


 レオンも、目を見開いた。


『……なまえ』


 それは、問いだった。


 求めだった。


 自分に名前はあるのか。


 名前が欲しいのか。


 名前とは何か。


 まだ分からない。


 けれど、中心が初めて“名前”を意識した。


 セラフィアが、静かに近づく。


 その顔には、深い疲労と、微かな安堵があった。


「ここからが、本当の意味で難しいわ」


 リリアーナが問う。


「名前を……つけるんですか?」


 セラフィアは首を横に振る。


「押しつけてはいけない」


「名は、与えるだけのものではない」


「本人が受け取れる形でなければ、また鎖になる」


 レオンは、中心を見た。


『……なまえ』


 小さな反応。


 名前を求め始めた中心。


 外殻は消えた。


 王冠は崩れた。


 名の洪水は受け止めた。


 だが、中心にはまだ名前がない。


 次の戦いは、もう剣を振るうものではないのかもしれない。


 名前を押しつけず。


 けれど、空白のまま放置せず。


 この小さな存在が、自分の名へ辿り着けるようにする戦い。


 レオンは、静かに息を吐いた。


「急がない」


 リリアーナが頷く。


「はい」


「急ぎません」


 中心が、余白の中で震える。


『……なまえ』


 リリアーナは、喉が掠れているのに、優しく言った。


「一緒に探しましょう」


 レオンも続ける。


「名前を」


「お前自身の名前を」


 中心が、静かに揺れた。


『……さがす』


 その反応に、深部の空気がわずかに変わる。


 外殻との戦いは終わった。


 だが、物語はまだ終わらない。


 奪われた名を返し。


 王冠を崩し。


 怒りだけの外殻を閉じた先で。


 レオンたちは今、名もない中心と向き合っていた。


 “名前を探す”という、最後の静かな戦いへ向かうために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ