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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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170/251

第170話「何もないという鎖、無能王子は“空白にも残ったもの”を見つける」


 最後の鎖は、透明だった。


 黒くない。


 赤くもない。


 熱もない。


 冷たさすら、はっきりしない。


 そこにあるのに、見えない。


 見えないのに、中心の空洞を確かに縛っている。


 今までの鎖とは違っていた。


 ゼクトの鎖には、閉じ込めた罪があった。


 ルカの鎖には、泣くことを恥じた痛みがあった。


 ミルとダリオの鎖には、助けてが届かなかった夜があった。


 セリアの鎖には、聞こえた声を憎むほど追い詰められた記録の歪みがあった。


 どれも重かった。


 どれも苦しかった。


 どれも、触れればレオンの胸を抉るような記憶だった。


 だが、最後の鎖は違う。


 記憶ではない。


 罪でもない。


 感情ですらない。


 もっと前。


 名前より前。


 感情より前。


 声より前。


 “自分には何もない”という、深く沈んだ思い込み。


 それが鎖になって、中心を縛っていた。


 レオンは、その透明な鎖を見つめていた。


 見ようとすると消える。


 消えたと思うと、中心を締めつけている。


 黒蒼雷を伸ばそうとすると、輪郭がぼやける。


 まるで、掴まれることそのものを拒んでいるようだった。


「……触りにくい」


 レオンが呟く。


 リリアーナが隣で手を握る。


「見えないからですか」


「いや」


 一拍。


「見えないというより、触る意味がないと思わされる」


 リリアーナの表情が揺れた。


「意味がない……」


「ああ」


「何もない」


「だから触っても無駄だと」


「そう思わされる」


 透明な鎖は、攻撃してこない。


 怒りもしない。


 泣きもしない。


 叫びもしない。


 ただ、そこにある。


 そして、こちらの意思を少しずつ削る。


 どうせ何もない。


 探しても無駄だ。


 呼んでも無駄だ。


 助けても無駄だ。


 名前などない。


 記録などない。


 感情などない。


 空白は空白のままだ。


 だから、手を伸ばす必要はない。


 そう囁く。


 声ですらない形で。


 思考の隙間に、染み込むように。


 レオンの黒蒼雷が、一瞬だけ揺らいだ。


「レイさん」


 リリアーナが呼ぶ。


「俺はここにいる」


「はい」


「……今、少し遠くなりました」


「分かってる」


「何もないって、思わされましたか」


「ああ」


 リリアーナは、中心の空洞を見た。


 そこは第五領域へ、かすかな感情を流している。


『……こわい』


『……たすけ』


『……ごめん』


 それでも、透明な鎖は言う。


 それは何でもない。


 ただの反応だ。


 ただの揺れだ。


 名前ではない。


 存在ではない。


 意味はない。


 リリアーナは、静かに首を横に振った。


「何もないわけ、ないです」


 その声は掠れている。


 喉が痛んでいるのが分かる。


 でも、はっきりしていた。


「怖いって流れました」


「嫌だって流れました」


「助けてって流れました」


「ごめんって流れました」


 一拍。


「それを、何もないとは言わせません」


 透明な鎖が、かすかに震えた。


 外殻が低く呻く。


『それは、何もない』


『意味のない揺れ』


『空白の反射』


『名ではない』


『存在ではない』


 セラフィアが、金色の祈りを整えながら言った。


「いいえ」


「名ではない」


「けれど、存在へ向かう最初の動きよ」


 エリシアが術式盤を見つめる。


「中心核の未定義反応は、すでに複数回、外部呼びかけに応答しています」


「完全な自己とは言えません」


「ですが、無反応とは明確に異なります」


 アルベルトが炎剣を握り直す。


「難しいことは分かんねぇけどよ」


「怖いって言って、助けてって言って、ごめんって言って」


「それを何もない扱いすんのは、さすがに無理があるだろ」


 クラウスが頷く。


「透明な鎖は、事実を消している」


「無いのではない」


「無いと思わせている」


 グレイヴが大剣を構えたまま低く言った。


「なら、見つけたものを一つずつ突きつけるしかない」


 ラウルが盾を握る。


「証拠を並べるってことか」


 リーネの光が、記録面の前で揺れた。


『記録……』


 リリアーナが、リーネを見る。


「そうです」


「記録があります」


「名前を呼んだことも」


「感情が流れたことも」


「余白が揺れたことも」


「全部、ここに残っています」


 リーネの光が、少し強くなる。


『残します』


『何もないと言わせないために』


『ここに、残します』


 四枚の記録面が淡く光った。


 中央の余白も、小さく揺れる。


 第五領域の水面が、静かに波打つ。


 透明な鎖は、見えないまま中心を締めつけている。


 だが、ほんの少しだけ。


 その輪郭が、見えた気がした。


 ◇


 レオンは、黒蒼雷を伸ばした。


 透明な鎖へ。


 今度は、触ろうとするのではなく。


 記録面から辿る。


 何もないと囁く鎖に直接手を伸ばすと、思考を削られる。


 なら、これまで残してきたものから道を作る。


 ミオ。


 リセ。


 ノア。


 サナ。


 エルド。


 マリ。


 ガレス。


 カイル。


 ユーナ。


 リーネ。


 ゼクト。


 ルカ。


 ミル。


 ダリオ。


 セリア。


 そして、仮固定された数多くの名。


 それらの光を、一つずつ見る。


 名前が戻った事実。


 呼ばれた事実。


 記録された事実。


 感情が流れた事実。


 余白が残った事実。


 それらを黒蒼雷で細く繋ぐ。


 透明な鎖が囁く。


 何もない。


 レオンは、繋いだ光を見せる。


「ある」


 静かに言う。


「ここにある」


 鎖が揺れる。


『ない』


「ミオがいる」


『ない』


「リセがいる」


『ない』


「ノアがいる」


『ない』


「サナ、エルド、マリ、ガレス、カイル、ユーナ、リーネ」


 一人ずつ呼ぶ。


 名の光が震える。


「ゼクト」


「ルカ」


「ミル」


「ダリオ」


「セリア」


 呼ばれた光が、応える。


 完全ではない。


 弱い。


 揺れている。


 でも、応える。


『ミオ……いる』


『リセ……いる』


『ノア……』


『サナ……』


『エルド……』


『マリ……』


『ガレス……逃げない』


『カイル……呼ばれた』


『ユーナ……迷わない旗』


『リーネ……記録します』


『ゼクト……鎖じゃない』


『ルカ……泣いていい』


『ミル……聞こえた』


『ダリオ……開けなかった』


『セリア……聞いていた』


 透明な鎖が、初めてはっきりと震えた。


 外殻が、低く叫ぶ。


『無意味』


『残滓』


『欠片』


『名ではない』


『存在ではない』


『何もない』


 リリアーナが、その声を遮るように言った。


「欠片でも、ここにあります」


「弱くても、返事があります」


「全部じゃなくても」


 一拍。


「消えていません」


 リーネが続ける。


『記録されています』


 セラフィアが祈る。


「祝福されています」


 エリシアが術式盤を見る。


「反応があります」


 アルベルトが炎を灯す。


「聞こえてる」


 クラウスが剣を構える。


「見えている」


 グレイヴが低く言う。


「守っている」


 ラウルが盾を上げる。


「背後にいる」


 ミリオが精神線を震わせる。


「繋がっています」


 それぞれが、事実を置いていく。


 感情論だけではない。


 綺麗事だけでもない。


 そこにあるものを、ひとつずつ確認する。


 透明な鎖は、“何もない”という思い込みで中心を縛っている。


 なら、こちらは“ある”を積むしかない。


 一つずつ。


 何度でも。


 場面を急がず。


 焦らず。


 レオンは、中心の空洞を見た。


「お前」


 空洞が震える。


「怖いって言った」


 第五領域が波打つ。


「嫌だって言った」


 水面が揺れる。


「助けてって言った」


 細い光が走る。


「泣きたいって言いかけた」


 余白が震える。


「聞こえたって言った」


 ミルの光が震える。


「ごめんって流した」


 セリアの光が揺れる。


「それを、何もないとは言わせない」


 透明な鎖に、ひびのようなものが入った。


 見えないはずの鎖に、光の線が走る。


 外殻が叫ぶ。


『違う!!』


『違う違う違う!!』


『それは我ではない!!』


『中心などない!!』


『声などない!!』


『感情などない!!』


 リリアーナが、掠れた声で言った。


「あります」


「聞こえています」


「ここに、あります」


 中心の空洞から、第五領域へ小さな波が流れた。


『……ある?』


 全員が、息を止めた。


 それは問いだった。


 初めての、問い。


 怖い、嫌だ、助けて、ごめん。


 これまでは感情だった。


 今は違う。


 “ある?”と。


 自分に何かがあるのかと。


 中心が、初めて問いかけた。


 レオンの胸が強く震える。


 リリアーナの目から涙が零れる。


「あります」


 彼女は即答した。


「あります」


「あなたは、怖いって言えました」


「助けてって言えました」


「ごめんって言えました」


「今、ある?って聞けました」


 一拍。


「それは、あります」


 第五領域の水面が大きく波打つ。


 透明な鎖がさらに震える。


 外殻の声が荒くなる。


『答えるな!!』


『問いに答えるな!!』


『何もない!!』


『空白だ!!』


『空白でなければならない!!』


 セラフィアが金色の祈りを強める。


「いいえ」


「空白は、問いを持った」


「それはもう、ただの空白ではない」


 エリシアが震える声で言う。


「中心核、問いかけ反応確認」


「これは……自己参照の初期反応です」


 アルベルトが小さく呟く。


「自分に何かあるか、聞いたってことか」


 クラウスが頷く。


「そうだ」


 グレイヴが大剣を握る。


「なら、答え続ける」


 レオンは、中心を見る。


「ある」


 短く言った。


「名前はまだない」


「過去も分からない」


「何者かも分からない」


「でも」


 一拍。


「お前は、何もないだけじゃない」


 透明な鎖に、またひびが入る。


 ◇


 だが、外殻は黙っていなかった。


 王冠が、最後の力を振り絞るように軋んだ。


 透明な鎖が、急に重さを増す。


 見えないはずなのに、深部全体へ圧がかかる。


 それは攻撃ではない。


 否定の重みだった。


 あると言うな。


 何もない。


 問いもない。


 返事もない。


 感情もない。


 名前もない。


 何もないから、痛まない。


 何もないから、責任もない。


 何もないから、助けを求めなくていい。


 何もないから、喰えばいい。


 何もないから、奪えばいい。


 その圧が、全員の胸へ落ちる。


 ミリオが膝をつく。


「ぐっ……!」


 ラウルが支える。


「ミリオ!」


「線が……薄く……」


 記録面が揺れる。


 リーネの光が震える。


『文字が……薄くなる……!』


 四枚の記録面に刻まれた名が、ぼやけ始める。


 何もないという否定が、記録そのものを薄くしている。


 リリアーナが叫ぼうとするが、声が掠れる。


「ミナさん……!」


 声が出にくい。


 喉が限界だ。


 名前を呼べなければ、記録が薄れる。


 レオンが黒蒼雷を広げようとするが、透明な鎖が思考を削る。


 何を守っている。


 そこに何がある。


 どうせ欠片だ。


 どうせ残滓だ。


 意味などない。


「……っ」


 レオンの膝が落ちそうになる。


 その時。


 ガレスの光が震えた。


『逃げるな』


 低い声。


『ある』


 続いて、ルカの光。


『涙……あった』


 ミル。


『声……あった』


 ダリオ。


『聞こえた……』


 セリア。


『記録……直す』


 カイル。


『呼ばれた……』


 ユーナ。


『旗……あった』


 リーネ。


『書いた……』


 ミオ。


『待ってた……』


 リセ。


『花……あった』


 ノア。


『人形……あった』


 サナ。


『助けたかった……』


 エルド。


『鐘……鳴った』


 マリ。


『布……あった』


 戻った名たちが、ひとつずつ言う。


 自分にあったものを。


 虚ろに奪われても、残っていたものを。


 弱い声だ。


 小さい声だ。


 だが、重なる。


 何もないという圧の中で、“あった”が積み上がる。


 リリアーナが涙を流しながら頷く。


「あります……」


 声はかすれている。


 でも、続ける。


「みんな、ありました」


「あなたにも、あります」


 レオンは、その声に支えられて立ち直る。


 黒蒼雷を握り直す。


「ある」


 再び言う。


「怖いがある」


「助けてがある」


「ごめんがある」


「問いがある」


「今ここに、ある」


 透明な鎖が、ぎしりと音を立てた。


 初めて、音がした。


 見えない鎖が、存在を示した。


 それはつまり、ほどける対象になったということでもあった。


 クラウスが剣を構える。


「見えた」


 グレイヴが頷く。


「押さえるぞ」


 アルベルトが炎を灯す。


「透明だろうが何だろうが、外側の嘘だけ燃やす」


 エリシアが術式盤を展開する。


「鎖の輪郭を固定します!」


「レオン様、今なら触れます!」


 セラフィアが祈りを強める。


「中心へ、あると伝え続けて!」


 レオンは黒蒼雷を伸ばした。


 今度は届く。


 透明な鎖へ。


 触れた瞬間。


 何も見えなかった。


 本当に何も。


 暗闇すらない。


 音もない。


 温度もない。


 記憶もない。


 ただ、何もない場所。


 そこに、幼い気配があった。


 名前を呼ばれたことがない。


 誰にも見つけられたことがない。


 泣いても、泣いたことにならない。


 助けてと言っても、声にならない。


 存在しても、存在と認められない。


 何もないものとして扱われ続けた、最初の痛み。


 レオンは、胸が潰れそうになった。


 東の塔の孤独と似ている。


 だが、それよりも古い。


 もっと根源的な空白。


 生まれた瞬間から名前がないような。


 呼ばれる前に、無いものとされたような。


 そこに、中心はいた。


 透明な鎖は、その痛みに言い続けている。


 お前には何もない。


 だから、他者から奪え。


 他者の名を被れ。


 王冠を作れ。


 そうしなければ、形を持てない。


 レオンは、歯を食いしばる。


「違う」


 闇の中で言う。


「何もないから奪うんじゃない」


 一拍。


「何かが欲しかったんだろ」


 空白が震える。


「呼ばれたかった」


「見つけてほしかった」


「怖いと言いたかった」


「助けてと言いたかった」


「ごめんと言いたかった」


「あるのかって、聞きたかった」


 透明な鎖が震える。


『ない』


 声ではない。


 でも、意味が来る。


『ない』


『ない』


『ない』


 レオンは、黒蒼雷を奥へ進める。


「ある」


『ない』


「今、俺が聞いてる」


『ない』


「リリアーナが呼んでる」


『ない』


「皆が守ってる」


『ない』


「名前たちが、あると言ってる」


 透明な鎖に、さらにひびが走る。


 中心から、小さな問いが流れる。


『……ある?』


 レオンは答える。


「ある」


 リリアーナの声も、遠くから届く。


「あります!」


 セラフィアの声。


「あるわ」


 アルベルトの声。


「あるだろ!」


 エリシアの声。


「反応があります!」


 クラウスの声。


「問いがある」


 グレイヴの声。


「声がある」


 ミリオの声。


「繋がっています!」


 ラウルの声。


「守る場所がある!」


 リーネの声。


『記録します!』


 そして、戻った名たちの声。


『ある』


『ある』


『ある』


 何度も。


 何度も。


 透明な鎖の中へ、“ある”が響く。


 空白が震える。


 外殻が絶叫する。


『ない!!』


『ないないない!!』


『何もない!!』


『何もないから王冠を被る!!』


『何もないから名を喰う!!』


『何もないから――』


 レオンが、その言葉を断つ。


「何もないと思ったから、喰ったんだ」


 一拍。


「でも、もう喰わなくても聞こえてる」


 中心が震える。


「喰わなくても、呼ばれてる」


「奪わなくても、見られてる」


「王冠がなくても」


「今、お前はここにいる」


 透明な鎖が、ついに大きく割れた。


 しかし、まだ切れない。


 最後のひと押しが足りない。


 中心が、問いを流す。


『……なに』


 レオンは息を止めた。


『……なにが』


 リリアーナが涙を拭う。


「何が、あるのか……?」


 中心が震える。


『……なにが、ある?』


 それは、最大の問いだった。


 自分に何があるのか。


 名前もない。


 過去もない。


 祝福もない。


 呼ばれた記憶もない。


 そんな自分に、何があるのか。


 レオンは、すぐには答えなかった。


 軽い答えでは駄目だ。


 優しいだけの答えでも届かない。


 事実を探す。


 今、確かにあるもの。


 中心に生まれたもの。


 レオンは、第五領域を見る。


 余白を見る。


 記録面を見る。


 仲間たちを見る。


 そして、答えた。


「聞きたいという問いがある」


 中心が震える。


「怖いと思う心がある」


「助けてと外へ向く手がある」


「ごめんと返そうとする動きがある」


「泣きたいという流れがある」


「聞こえたと認める震えがある」


 一拍。


「それで十分だ」


 リリアーナが続ける。


「今は、それで十分です」


「名前じゃなくても」


「形じゃなくても」


「あなたの中から出てきたものです」


 セラフィアが祈る。


「それが、最初の核」


 エリシアが言う。


「未定義でも、存在反応です」


 アルベルトが言う。


「それを何もないとは言わせねぇ」


 クラウスが言う。


「問いがあるなら、次へ進める」


 グレイヴが言う。


「声があるなら、守れる」


 リーネが言う。


『記録できます』


 透明な鎖が、大きく震えた。


 中心の空洞から、第五領域へ新しい波が流れた。


『……ある』


 小さな声。


 だが、確かに。


『……ある』


 外殻が絶叫する。


『ない!!』


 中心が、もう一度震える。


『……ある』


 その瞬間。


 透明な鎖が砕けた。


 音もなく。


 派手な爆発もなく。


 ただ、見えない何かがほどけるように。


 中心を最も深く縛っていた最後の拘束が、消えた。


 ◇


 深部が、静止した。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 王冠の軋みも。


 記録面の揺れも。


 第五領域の波も。


 すべてが止まったように感じた。


 中心の空洞は、外殻から離れた。


 完全ではない。


 まだ不安定だ。


 まだ名前はない。


 だが、王冠の内側に縛りつけられてはいない。


 透明な鎖が外れたことで、中心と外殻の間に、明確な隙間が生まれた。


 エリシアの術式盤が激しく光る。


「主要拘束、全解除!」


「中心核と外殻の結合率、急低下!」


「分離可能です!」


 アルベルトが息を呑む。


「ついにか……!」


 グレイヴが大剣を構える。


「気を抜くな!」


「外殻が来る!」


 その通りだった。


 次の瞬間。


 虚ろの王の外殻が、今までで最も大きな叫びを上げた。


『返せえええええ!!』


 王冠が崩れる。


 外殻が裂ける。


 中に残っていた名の残骸が、一斉に溢れ出そうとする。


 四枚の記録面が激しく揺れる。


 第五領域が大きく波打つ。


 中央の余白が、中心の反応を守ろうと震える。


 リーネが叫ぶ。


『来ます!!』


 セラフィアが祈りを広げる。


「全員、受け止めて!」


 レオンは、黒蒼雷を広げた。


 右腕が悲鳴を上げる。


 それでも、広げる。


「分離する!」


 リリアーナが中心へ向かって叫んだ。


「あなた!」


「聞こえていますか!」


 中心が震える。


『……ある』


 リリアーナの涙が零れる。


「はい!」


「あります!」


「だから、こちらへ!」


 外殻が黒い手を伸ばす。


『戻れ!!』


『王冠へ戻れ!!』


『お前には何もない!!』


 中心が震える。


 第五領域へ、もう一度波が流れる。


『……ある』


 その言葉は、まだ弱い。


 でも、外殻の否定に対する答えだった。


 レオンは黒蒼雷を中心と外殻の間へ差し込む。


「今だ!!」


 グレイヴが外殻の黒い手を大剣で受け止める。


 クラウスが絡みつく名の残骸を切り分ける。


 アルベルトの炎が虚ろの膜だけを焼く。


 エリシアの風が溢れる名を記録面へ流す。


 ラウルが盾で第五領域を守る。


 ミリオが精神線を全員へ繋ぐ。


 セラフィアが祈りで余白と中心を包む。


 リーネが流れ込む名を聞き取る。


 リリアーナが掠れた声で中心を呼ぶ。


「あなた!」


「こちらです!」


「怖くても!」


「名前がなくても!」


「何があるか分からなくても!」


「ここに、場所があります!」


 中心が、余白へ触れる。


 第五領域が波打つ。


『……ある』


 レオンは、黒蒼雷を引いた。


 中心を外殻から。


 王冠から。


 虚ろの構造から。


 引き離す。


 外殻が絶叫する。


『戻れ!!』


『我は王!!』


『王冠は我!!』


『名は我!!』


 レオンは叫ぶ。


「違う!!」


 一拍。


「お前が王冠で縛っていた中心は」


「もう、何もないだけじゃない!!」


 黒蒼雷が閃いた。


 外殻と中心の繋がりが、断たれる。


 中心の空洞が、余白の中へ引き寄せられる。


 その瞬間。


 虚ろの王の外殻が、大きく裂けた。


 王冠が崩壊し、無数の名が溢れ出す。


 深部全体が、名前の洪水に包まれた。


 レオンたちは、構える。


 中心は分離した。


 だが、終わりではない。


 これから、崩れた王冠から溢れる名を受け止めなければならない。


 そして、外殻はまだ残っている。


 王冠を失った、怒りだけの虚ろとして。


 しかし。


 中心は、もうそこには縛られていなかった。


 余白の中で、小さく震えている。


『……ある』


 その一言を抱えたまま。


 レオンたちは、王冠崩壊の奔流へ向き直った。

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