第17話「自己紹介、無能王子は最後に笑う」
王立アルディア学園・一年A組。
朝の光が大きな窓から差し込み、磨かれた床へ長い影を落としていた。
だが教室内の空気は、穏やかとは程遠い。
第二王子アルベルトは前列で不機嫌そうに腕を組み。
公爵令嬢エリシアは優雅な笑みのままレオンを観察し。
貴族子弟たちはそれぞれ牽制し合い。
平民出身者は肩身狭そうに座っている。
そして最後列窓際。
レイ・ノクトことレオンは、頬杖をついて外を眺めていた。
隣ではリリアーナが緊張で固まっている。
「だ、大丈夫でしょうか……」
「何が」
「自己紹介です……」
「名前を言うだけだ」
「そ、それが難しいんです……!」
リリアーナの声は本気だった。
人前で話すのが苦手なのだろう。
レオンは一瞬だけ彼女を見た。
肩が小さく震えている。
膝の上で手をぎゅっと握っていた。
「……死ぬわけではない」
「そ、そうですけど……!」
『励ましが雑』
ノワールが即答する。
『でも主なりに優しい』
セレネが笑う。
『伝わってないけどな!』
ヴァルガが笑い転げる。
『レオン様、がんばってください!』
『何をだ』
ルミアまで騒がしい。
教壇ではカティア教師が名簿を見ていた。
「前列左から順に。立って、名前と簡単な抱負を」
最初の男子生徒が立ち上がる。
「ラルフ・グレーデン伯爵家長男です。将来は騎士団長を目指しています」
「長い。次」
即切り捨てだった。
教室に緊張が走る。
二人目。
「ミレーユ・ドラン侯爵家――」
「家名自慢は禁止と言いました。次」
三人目。
「エドワードです! 趣味は剣術と――」
「短く」
「はい!」
容赦がない。
だが無駄がなく、テンポは良かった。
アルベルトの番になる。
彼はゆっくり立ち上がり、胸を張った。
「アルベルト・フォン・アルディアだ」
当然のように教室がざわめく。
本人は満足そうに続ける。
「次代の王として、この学園を導いてやろう」
数人の取り巻きが拍手しそうになった。
だがカティアが即座に言う。
「自己紹介ではなく演説です。減点一」
「なっ!?」
「座ってください」
アルベルトの顔が引きつる。
教室のあちこちで肩が震えていた。
笑いを堪えているのだ。
レオンは少しだけ思った。
――この教師、面白いな。
次にエリシアが立つ。
所作まで美しい。
「エリシア・フォン・ローゼンベルクです」
澄んだ声が教室に響く。
「皆様と良き学びの日々を過ごせればと思っております。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
完璧だった。
長すぎず、短すぎず、品もある。
令嬢たちがうっとりし、男子生徒たちが見惚れる。
カティアも一度頷いた。
「模範的。座っていいです」
エリシアは微笑みながら座る。
だがその視線は一瞬だけ最後列へ向いていた。
レオンがどう反応するか見たかったのだろう。
だが彼は窓の外の鳥を見ていた。
「……」
エリシアの眉がぴくりと動く。
気に食わない。
とても気に食わない。
やがて順番は後方へ進む。
リリアーナの番が近づくにつれ、彼女の顔色は青くなっていった。
「……む、無理です……」
「まだ始まっていない」
「もう心臓が……」
「生きているな」
「冷たいです……」
だがレオンは机の下で、そっと彼女の震える手元を見た。
数秒考え――
机の上に置いてあった筆記具を、彼女の方へ転がす。
「え?」
「落とすな」
「……はい?」
「手を使え」
意味を理解するまで数秒かかった。
リリアーナはペンを握る。
震えていた手が、少しだけ落ち着く。
握るものがあるだけで違う。
呼吸も整う。
「……あ」
「静かにしろ。気づかれる」
「は、はい……!」
リリアーナの瞳が潤んだ。
この人は、本当に不器用だ。
でも優しい。
「リリアーナ・ヴァイス」
「は、はい!」
勢いよく立ち上がる。
椅子が大きな音を立てた。
教室がびくっとする。
「り、リリアーナ・ヴァイスです! えっと、その……!」
顔が真っ赤になる。
言葉が出てこない。
後方の男子がひそひそ笑う。
「やっぱり田舎令嬢だな」
「第五席なのに?」
その瞬間、レオンの視線がそちらへ向いた。
二人は即座に背筋を伸ばす。
リリアーナは気づかないまま、必死に続けた。
「み、皆様にご迷惑をおかけしないよう頑張ります……! よろしくお願いします!」
深々と頭を下げ、勢い余って机へ額をぶつけた。
「いたっ」
教室が一瞬静まり――
次の瞬間、あちこちで笑いが漏れた。
嘲笑ではない。
和んだ笑いだった。
カティアも口元を押さえる。
「……良い。座ってください」
リリアーナは涙目で着席した。
「お、終わりました……」
「生きていたな」
「優しくないです……」
だが少しだけ、表情は明るかった。
そして最後。
全員の視線が最後列へ向く。
総合首席。
謎の平民。
王子を倒した男。
「レイ・ノクト」
カティアが呼ぶ。
レオンはゆっくり立ち上がった。
教室が静まり返る。
エリシアも、アルベルトも、全員が見る。
レオンは数秒黙った。
「レイ・ノクトだ」
終わった。
「……以上?」
カティアが聞く。
「以上」
「抱負は」
「面倒事に巻き込まれたくない」
教室がざわつく。
アルベルトが机を叩いた。
「ふざけているのか!」
「本音だ」
「貴様ァ!」
「静かに、殿下。減点一」
「また!?」
カティアが無視して続ける。
「他には」
レオンは少しだけ考えた。
窓の外を見る。
青空。
かつて見上げるだけだった世界。
今は自分の足でここに立っている。
「……強いて言うなら」
教室が息を呑む。
「失った時間を取り戻す」
一瞬だった。
誰も意味を理解しきれない。
だがその言葉だけが、不思議と胸へ残った。
リリアーナは隣で目を見開いている。
エリシアの胸がざわつく。
アルベルトは苛立ち。
カティアだけが静かに彼を見ていた。
「……座っていいです」
レオンは腰を下ろした。
『かっけぇぇぇ!』
『最後だけ真面目』
『ずるいです!』
『計算ではないな』
『天然でこれだから厄介』
神霊たちが騒ぐ。
その時、カティアが黒板へ向き直った。
「では次。席替えをします」
教室が爆発した。
「えっ!?」
「初日に!?」
「やった!」
「待ってください先生!」
リリアーナは青ざめる。
「と、隣の席……!」
エリシアは微笑み。
アルベルトは立ち上がり。
レオンは深くため息を吐いた。
「……面倒だ」
学園生活二日目にして。
新たな戦場が、始まろうとしていた。




