第16話「教室騒乱、隣の席は銀髪令嬢」
王立アルディア学園・本校舎。
高い天井。
磨き上げられた白い床。
魔導照明が等間隔に灯り、壁には歴代優秀卒業生の肖像画が並んでいる。
その中央階段を、レイ・ノクトことレオンは無表情で歩いていた。
隣にはリリアーナ・ヴァイス。
後方では未だに第二王子アルベルトが怒鳴っている。
「待てぇぇ! 貴様ァァ!!」
「殿下! お静まりください!」
「離せ! 昨日の借りを――!」
教師たちと取り巻きに止められ、階段下でもがいていた。
ヴァルガが腹を抱えて笑う。
『朝から元気だな弟!』
『主の煽りが原因』
ノワールが即答する。
『事実です!』
ルミアまで元気に頷いた。
レオンは無視した。
「れ、レイさん……」
「何だ」
「その……大丈夫でしょうか」
「何が」
「アルベルト殿下にあんなことを……」
「事実を言っただけだ」
「で、でも……」
「負けたのは昨日だ」
「そうですけど……!」
リリアーナは困ったように眉を下げる。
この人は時々、信じられないほど正論を平然と言う。
しかも一番刺さる言い方で。
怖いのに、どこか痛快だった。
教室前。
一年A組。
学年上位者と有力貴族子弟が集められる、実質的な特別クラス。
扉前にはすでに生徒たちが集まっていた。
レオンとリリアーナが現れた瞬間、空気が変わる。
「来た……」
「首席と第五席……」
「しかも一緒に登校!?」
「没落伯爵家、やるじゃない」
「違うでしょ、あの平民が異常なのよ」
ざわめき。
羨望。
嫉妬。
警戒。
様々な視線が飛ぶ。
レオンは扉を開けた。
広い教室だった。
三十席ほどの机。
前方には魔導黒板。
窓際からは中庭が見える。
だがその空間を支配しているのは、机でも景色でもない。
人間関係の空気だった。
貴族は貴族同士で固まり。
平民出身者は端へ寄る。
上位家格ほど中央に陣取る。
見えない序列が、すでに完成している。
「……くだらん」
レオンが小さく呟く。
「え?」
「何でもない」
その時。
「レイ・ノクト様」
優雅な声が響いた。
前列中央の席から立ち上がったのは、エリシア・フォン・ローゼンベルク。
金糸の髪。
気品ある所作。
教室内でも一際目立つ存在だった。
周囲の令嬢たちが当然のように彼女の周囲を固めている。
「こちらのお席、空いておりますわ」
最前列、彼女の隣。
誰が見ても特等席だった。
教室がざわつく。
「エリシア様が誘った……!」
「平民相手に!?」
「何考えてるの……?」
リリアーナが青ざめる。
「す、すごいです……」
「そうか?」
「公爵令嬢です……!」
「興味ない」
即答だった。
レオンは教室後方、窓際の最後列へ歩く。
誰も座っていない席。
日当たりが良く、逃走経路も確保しやすい。
「ここでいい」
座った。
教室が凍った。
エリシアの笑顔も一瞬止まる。
「……そこ、ですの?」
「座れる」
「そういう意味ではなくて」
「なら何だ」
会話になっていない。
令嬢たちがざわつき始める。
「失礼ですわ!」
「エリシア様のお誘いを!」
「平民の分際で……!」
レオンは窓の外を見た。
「うるさい」
一言で全員黙った。
リリアーナは教室入口で固まっている。
自分の席を探しながら、どこへ座ればいいか迷っていた。
平民出身。
没落伯爵家。
上位合格者。
その全てが中途半端に目立ち、どの集団にも入りづらい。
レオンが机を軽く叩く。
「来い」
「……え?」
「隣、空いてる」
最後列窓際、その隣席。
確かに空いていた。
教室がまたざわめく。
「えええ!?」
「リリアーナが!?」
「首席の隣!?」
リリアーナは顔を真っ赤にした。
「わ、わたしが……?」
「嫌なら別にいい」
「い、嫌じゃありません!」
即答してしまい、自分でさらに赤くなる。
慌てて小走りで向かい、隣へ座った。
「……よ、よろしくお願いします」
「もう知ってる」
「そ、そうでした……」
ルミアがきゃあきゃあ騒ぐ。
『隣席イベントです!』
『うるさい』
『青春です!』
『その単語禁止』
エリシアは席へ戻りながら、わずかに唇を噛んでいた。
誘いを断られたことではない。
断られた直後、別の少女を隣へ呼んだことが気に入らなかった。
しかも相手はヴァイス家の娘。
格だけ見れば比較にもならない。
「……面白い方ですわね」
笑顔のまま呟く。
だが目は笑っていなかった。
その時、教室扉が勢いよく開いた。
「よくもやってくれたなァァ!!」
アルベルトだった。
取り巻きを連れ、怒りで顔を真っ赤にしている。
教師不在の隙を突いて来たのだろう。
「今ここで決着を――」
「遅い」
レオンが机に頬杖をついたまま言う。
「何?」
「朝から三回も同じ顔を見るとは思わなかった」
教室中が息を呑む。
アルベルトの額に青筋が浮かぶ。
「貴様……!」
「用件だけ言え」
「決闘だ!」
「断る」
「なっ!?」
「面倒だ」
アルベルトが絶句する。
断られると思っていなかったのだ。
「逃げるのか!」
「違う」
レオンは静かに視線を向ける。
「価値がない」
教室が完全に凍った。
アルベルトの口が震える。
「お、お前……!」
「朝も言ったはずだ」
レオンは椅子へ深く座り直す。
「昨日の敗北を思い出せ」
「――ッ!!」
アルベルトが剣へ手をかけた瞬間。
教室扉が再び開いた。
「そこまでです」
澄んだ女性の声。
全員が振り向く。
長い黒髪をまとめた若い女性教師。
眼鏡越しの視線は鋭く、背筋は真っ直ぐ。
細身のスーツ型教師服に身を包み、凛とした雰囲気を纏っている。
一年A組担任。
カティア・エルンストだった。
「アルベルト殿下」
静かな声。
「入室早々、剣を抜くおつもりですか?」
「……これは教育だ」
「教育を必要としているのは殿下の方に見えます」
教室内で何人かが吹き出しそうになった。
アルベルトの顔がさらに赤くなる。
「き、貴様……教師の分際で!」
「ええ、教師ですので」
にこりともせず言い切る。
「席へどうぞ」
圧勝だった。
アルベルトは歯ぎしりしながら前列へ座る。
レオンとの間に三列以上距離があった。
ヴァルガが爆笑する。
『遠っ!!』
『隔離成功』
ノワールが冷静に言う。
カティアは教壇へ立ち、名簿を開いた。
「改めまして、一年A組担任のカティア・エルンストです」
静かだが通る声。
「私は家格で評価しません。成績と行動で見ます」
数人の貴族が顔をしかめる。
「問題行動には王族であっても減点します」
アルベルトが机を叩いた。
「名指しだろう!」
「心当たりがあるのですね。減点一」
「なっ!?」
教室の空気が一変する。
この教師、強い。
レオンは少しだけ目を細めた。
「……悪くない」
リリアーナが小声で囁く。
「先生、怖いです……」
「必要な怖さだ」
「はい……」
カティアが名簿を閉じる。
「では、まず自己紹介から始めましょう」
教室に緊張が走る。
「家名自慢は禁止」
数人の貴族が沈んだ。
「短く、簡潔に」
カティアの視線が前列から流れていく。
やがて最後列、窓際へ止まった。
「総合首席、レイ・ノクト」
全員の視線が集まる。
「最後にしていただけますか」
「理由は?」
「面倒なので」
一拍置いて、カティアの口元がわずかに緩んだ。
「面白い。では最後で」
教室がざわめく。
教師に初手で通した。
リリアーナは隣で小さく笑っていた。
学園初日。
王族、令嬢、教師、貴族社会。
その全てが渦巻く教室で。
レオンの新しい日常が、静かに始まっていく。




