第15話「初登校、銀髪令嬢は隣を歩く」
王立アルディア学園、入学初日。
王都の朝は早い。
貴族街では馬車が行き交い、商人街では店が開き、中央通りには学園へ向かう若者たちの姿が増えていた。
その喧騒から少し離れた東端。
忘れられたように立つ一本の塔――東の塔。
かつて王家が“不都合なもの”を閉じ込めるために使った場所。
だが今は違う。
ここはレオンの城であり、帰る場所であり、秘密拠点だった。
「レオン様、起きてください」
朝食の香りと共に、ミーアの声が響く。
寝台の上でレオンは毛布を被ったまま動かない。
「まだ眠い」
「駄目です」
「何故だ」
「学園初日です」
「休む」
「入学初日に?」
「問題ない」
「あります」
ミーアは毛布の端を掴み、一気に引き剥がした。
「寒い」
「知りません」
「侍女が冷たい」
「主がだらしないだけです」
ルミアがベッド上で跳ね回る。
『学園ですー! 青春ですー!』
「その単語をやめろ」
『恋ですー!』
「もっとやめろ」
ヴァルガが腹を抱えて笑う。
『朝から元気だなぁ!』
『主は不機嫌』
ノワールが淡々と告げる。
『でも少し楽しみ』
『違う』
『即否定』
セレネが紅茶を揺らしながら微笑んだ。
『素直じゃない子ね』
イグニスは窓辺から外を見ている。
『世界は待たない。行くなら今だ』
レオンは深く息を吐き、起き上がった。
学園制服へ着替える。
濃紺の上着。
銀縁の装飾。
体格に合わせて仕立てられた細身のデザイン。
立つだけで絵になる。
ミーアは数秒見惚れていた。
「……やっぱり似合いすぎます」
「昨日も聞いた」
「今日も言います」
「やめろ」
「無理です」
朝食は焼きたてのパン、卵料理、温かなスープ。
レオンが席へ着くと同時に、ミーアが素早く皿を置く。
「食べてください」
「多い」
「育ち盛りです」
「十歳から幽閉されていた男に言う台詞か」
「今から取り戻してください」
少しだけ、空気が止まる。
ミーアはしまった、という顔をした。
だがレオンは何も言わず、スープを口に運ぶ。
「……うまい」
「本当ですか!?」
「騒ぐな」
ミーアはぱっと笑顔になった。
その笑顔を見て、レオンは視線を逸らす。
こういう温かさに、まだ慣れていない。
だが嫌ではなかった。
朝食後。
転移陣が光り、ガルドンが現れる。
今日も即土下座だった。
「お頭! 本日もご尊顔が神々しく――」
「やめろ」
「はい!」
「用件」
「暁の夜、昨夜の収益報告と本日の学園周辺警備体制です!」
「警備体制?」
「お頭の安全確保です!」
「いらん」
「ですが女性ファンによる包囲の危険が!」
「帰れ」
「失礼しました!」
だがクロードも続いて現れた。
静かに一礼し、書類を差し出す。
「学園内部の勢力図です」
「早いな」
「裏社会を舐めていただいては困ります」
レオンは書類を見る。
学園内派閥。
貴族上位グループ。
第二王子派。
公爵令嬢派。
中立層。
平民派閥。
そして問題人物一覧まである。
「……有能だな」
クロードがわずかに口元を上げた。
「お褒めに預かり光栄です」
ガルドンが叫ぶ。
「私も褒めてください!」
「うるさい」
「ありがとうございます!」
何がありがとうなのか誰もわからなかった。
レオンは学園鞄を持つ。
「行ってくる」
その一言で、ミーアの動きが止まった。
「……はい」
少しだけ寂しそうに笑う。
「いってらっしゃいませ、レオン様」
レオンは返事をしなかった。
だが扉の前で足を止める。
「……帰る」
それだけ告げて、転移陣へ乗った。
ミーアの瞳が潤む。
「はい……! お待ちしています!」
東の塔は、もう牢獄ではない。
帰る場所だった。
王立アルディア学園・正門前。
朝の登校時間で賑わっている。
馬車で来る貴族。
徒歩で来る平民。
護衛付きの者。
使用人を連れた者。
身分差が、そのまま風景になっていた。
そこへ現れたレイ・ノクトに、周囲の空気がざわめく。
「あれ、首席の……」
「昨日の!」
「殿下倒した人!」
「かっこよ……」
レオンは即座に踵を返そうとした。
「……帰るか」
『早いです!』
『逃げるな』
『もう遅い』
神霊たちが総ツッコミする。
その時。
「レイさん!」
鈴のような声が響いた。
人混みの向こうから、小走りで駆けてくる銀髪の少女。
リリアーナ・ヴァイスだった。
学園制服姿の彼女は、昨日よりずっと映えていた。
古びた制服ではなく、新しく支給された正規のもの。
それでも装飾は最小限だが、彼女の美しさがそれを補って余りある。
銀髪が朝日に輝く。
サファイアブルーの瞳が嬉しそうに細められていた。
「お、おはようございます!」
「……朝から元気だな」
「ね、眠れませんでした」
「何故」
「学園初日なので……!」
「そうか」
少し沈黙。
リリアーナがもじもじと指を絡める。
「あ、あの……もしよろしければ」
「何だ」
「い、一緒に教室まで……」
周囲の女子たちがざわついた。
「えっ」
「リリアーナ様!?」
「第五席の……」
「首席と一緒!?」
リリアーナは顔を真っ赤にして俯く。
「ご、ご迷惑なら……」
「別に」
レオンは歩き出した。
「行くぞ」
「……はい!」
リリアーナの顔がぱっと明るくなる。
そのまま隣へ並んだ。
周囲の視線が痛いほど刺さる。
だがレオンは気にしない。
リリアーナは緊張しながらも、必死についていく。
「……昨日、家族が泣いて喜んでくれました」
「そうか」
「学費免除も決まって……妹もすごく喜んで……」
「良かったな」
「……はい」
短いやり取り。
だがリリアーナにとっては十分だった。
この人は、ちゃんと聞いてくれる。
否定しない。
見下さない。
それだけで胸が温かい。
中庭を通る。
貴族生徒たちがひそひそと囁く。
「没落伯爵家のくせに」
「首席に取り入ったのかしら」
「いやらしい」
リリアーナの肩が震える。
歩幅が少し狭くなる。
その瞬間、レオンが止まった。
周囲の視線が集まる。
「何だ」
レオンは囁いていた令嬢たちを見る。
「続けろ」
「え……?」
「陰でしか言えないのか」
声は静かだった。
だが空気が凍る。
令嬢たちの顔が青ざめる。
「も、申し訳ありません……!」
「謝罪先が違う」
レオンはリリアーナを見る。
令嬢たちは慌てて頭を下げた。
「リリアーナ様、失礼いたしました!」
周囲が静まり返る。
リリアーナは目を丸くした。
「れ、レイさん……」
「歩くぞ」
それだけ言って進む。
リリアーナは慌てて追いかけた。
胸の奥が熱い。
嬉しい。
泣きそうになる。
でも今は泣かない。
少しだけ、強くなれた気がした。
校舎入口へ到着した時。
「レイ・ノクト」
冷たい声が響いた。
階段上。
第二王子アルベルト・フォン・アルディアが立っていた。
取り巻きを従え、不機嫌そうにこちらを見下ろしている。
「朝から目障りだな」
周囲がざわつく。
初日から、首席と王子の対面。
空気が張り詰めた。
レオンは静かに見上げる。
「そうか」
「……何?」
「俺は今、気分がいい」
一歩前へ出る。
「だから一度だけ忠告してやる」
アルベルトの眉が吊り上がる。
「平民風情が――」
「吠える前に、昨日の敗北を思い出せ」
絶対零度の声だった。
広場が静まり返る。
アルベルトの顔が一瞬で赤く染まる。
「き、貴様ぁぁ!!」
取り巻きが慌てて止める。
「殿下! ここは校舎前です!」
「教師も来ます!」
レオンはそのまま通り過ぎた。
リリアーナは震えながらも、その背中を追う。
『主、煽り性能高い』
『最低です! 最高です!』
『性格悪い』
『少しだけな』
神霊たちが騒ぐ。
レオンは心の中でため息をついた。
学園生活初日。
どうやら平穏とは程遠いらしい。
だが――
悪くない。
そう思ってしまった自分に、少しだけ驚いていた。




