第14話「合格発表、そして元婚約者は彼を知らない」
王立アルディア学園の中央広場は、異様な熱気に包まれていた。
白亜の校舎。
整えられた芝生。
噴水の周囲に集まる受験生たち。
その中心には、巨大な掲示板が設置されている。
合格者の名前が刻まれる、魔導掲示板。
そこへ向かって、多くの者が押し寄せていた。
「どけ、見えないだろ!」
「私の番号、どこ!?」
「あった! あったわ!」
「くそっ……落ちた……!」
歓声。
悲鳴。
安堵。
絶望。
たった一枚の掲示板を前に、人生の明暗が分かれていく。
その光景を、レイ・ノクト――レオンハルトは少し離れた場所から見ていた。
興奮はない。
不安もない。
ただ、静かに人の流れを眺めている。
その隣で、リリアーナ・ヴァイスは真っ青になっていた。
「……あ、あの……レイ様」
「様はいらない」
「で、では……レイ、さん」
「何だ」
「わ、わたし……やっぱり、一人で見に行った方が……」
「一人で行きたいのか」
「い、行きたくは……ありません」
「なら行くぞ」
レオンは短く言い、歩き出した。
リリアーナは慌てて後を追う。
銀髪が揺れる。
サファイアブルーの瞳は不安で震えていた。
彼女にとって、この合格発表はただの試験結果ではない。
没落寸前のヴァイス伯爵家。
学園に合格できなければ、家の立場はさらに悪くなる。
奨学金を得られなければ、妹や使用人たちを守ることも難しくなる。
そして何より。
周囲から向けられる侮蔑を、また一つ証明してしまうことになる。
お前は価値がない。
落ちぶれた家の娘だ。
身の程を知れ。
そんな声が、きっとまた降ってくる。
リリアーナの手が震える。
それを見て、ルミアがレオンの胸元のブローチから小さな声を上げた。
『守ってあげたいです……!』
『過保護』
ノワールが即座に言う。
『でも、気持ちはわかる』
セレネも穏やかに続けた。
『あの子、泣き方を我慢する癖があるわね』
『主と似てるな』
ヴァルガの一言に、レオンはわずかに眉を動かした。
『誰がだ』
『お前が』
『似ていない』
『即否定するところも似てる』
レオンは無視した。
掲示板へ近づくにつれ、人の密度が増える。
リリアーナは人混みに怯え、何度も足を止めそうになった。
するとレオンは、何も言わず少しだけ歩く速度を落とした。
同時に、周囲の人間が自然と道を開ける。
本人は何もしていない。
睨んでもいない。
だが、ただ歩くだけで空気が変わる。
人は無意識に彼を避けた。
それは王族の威圧に近い。
いや、王族のそれよりもさらに深く、静かで、逆らいがたい圧だった。
リリアーナはその背中を見て、胸の奥が熱くなる。
助けてもらった。
泣いてもいいと言われた。
そして今も、何も言わず自分を守るように歩いてくれている。
こんな人がいるのだと、まだ信じられなかった。
「あ、あの……レイさん」
「何だ」
「わたし……もし落ちていたら……」
「その時考えればいい」
「で、でも……」
「まだ落ちていない」
それだけだった。
慰めではない。
甘やかしでもない。
ただ、事実を言っただけ。
けれど不思議と、その言葉はリリアーナの足を前へ動かした。
やがて、二人は掲示板の前へたどり着く。
魔導掲示板には、合格者の名前が光の文字で刻まれていた。
受験番号順。
平民枠。
貴族枠。
特待枠。
上位合格者。
リリアーナは恐る恐る、自分の番号を探す。
指先が震える。
「……ない」
小さな声。
血の気が引いていく。
「ない……です……」
「よく見ろ」
「でも……」
「番号は」
「二百八十一番、です」
レオンは掲示板を見る。
下位の一般合格欄には、確かにない。
リリアーナの顔が青ざめていく。
足元が崩れそうになる。
だが、レオンは別の欄を指差した。
「そこだ」
「え……?」
「特待枠」
リリアーナは顔を上げた。
震える視線が、掲示板上部へ向かう。
そこには、上位合格者の名前が刻まれていた。
第五席。
リリアーナ・ヴァイス。
「……え」
声にならない声が漏れた。
リリアーナは何度も瞬きをする。
消えない。
見間違いではない。
そこに自分の名前がある。
第五席。
特待合格。
周囲からも声が上がった。
「ヴァイスって、あの没落伯爵家の?」
「第五席だと?」
「嘘だろ……」
「筆記が高かったのか?」
「いや、実技もそこそこ評価されてたらしいぞ」
ざわめき。
驚き。
疑い。
しかし、侮蔑だけではない。
確かに評価された結果が、そこにあった。
リリアーナの瞳から涙が溢れた。
「……わ、わたし……」
「合格だ」
レオンが言う。
「しかも上位だ」
「……はい……!」
リリアーナは泣きながら笑った。
先ほどまでの恐怖が、少しずつ崩れていく。
ずっと否定されてきた。
貧乏だと。
没落だと。
価値がないと。
でも、今ここに名前がある。
自分が努力してきた証がある。
「おめでとう」
短い言葉だった。
けれど、その一言でリリアーナはさらに泣きそうになった。
「あ、ありがとうございます……!」
「泣くなら端に寄れ」
「はい……っ」
「人混みの真ん中で泣くと踏まれる」
「そ、そういう理由ですか……?」
「他にあるのか」
リリアーナは涙を拭いながら、少しだけ笑った。
その笑顔はまだ弱い。
けれど、確かに前より明るかった。
レオンは次に、自分の番号を探す。
探すまでもなかった。
掲示板の最上部。
特別合格者欄。
そこに、異様な光で名前が刻まれていた。
総合首席。
レイ・ノクト。
筆記満点。
魔力適性規格外。
実技最高評価。
特別奨学生認定。
広場全体が、再びざわめいた。
「レイ・ノクトって……」
「あいつだ!」
「第二王子殿下に勝ったやつ!」
「筆記満点!?」
「魔力適性規格外って何だよ!」
「平民だろ!? 本当に平民なのか!?」
視線が集まる。
驚き。
羨望。
嫉妬。
警戒。
それら全てが、レオンへ突き刺さる。
レオンは無表情だった。
「……目立ったな」
『今さらです!』
ルミアが叫ぶ。
『満点はやりすぎ』
ノワールが冷静に言う。
『水晶ひび割らせた時点で無理だろ』
ヴァルガが笑う。
『実技で王子倒してるしね』
セレネも苦笑した。
『目立たない要素がない』
イグニスが淡々と結論を出す。
レオンは内心でため息をついた。
面倒だ。
非常に面倒だ。
だが、ここまで来た以上、隠しきるのは不可能だろう。
正体さえ隠せればいい。
レイ・ノクトとして目立つ分には、まだ制御できる。
そう考えた時だった。
「そこをお退きなさい」
凛とした声が響いた。
人混みが自然に割れる。
豪奢なドレスに近い制服。
金糸のような髪。
宝石のような瞳。
背筋を伸ばし、周囲を従わせるように歩く少女。
エリシア・フォン・ローゼンベルク。
レオンの元婚約者。
十歳のあの日、彼から離れた少女。
その姿を見た瞬間、レオンの胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
怒りではない。
悲しみでもない。
もっと古く、乾いた痛み。
エリシアは掲示板を見上げた。
そして、眉をわずかに動かす。
第三席。
エリシア・フォン・ローゼンベルク。
彼女にとって、悪い成績ではない。
十分すぎるほど優秀だ。
だが。
その上に二人いる。
第二席、アルベルト・フォン・アルディア。
そして最上位。
レイ・ノクト。
エリシアの瞳が、ゆっくりとレオンへ向いた。
「あなたが、レイ・ノクト様?」
周囲が息を呑む。
公爵令嬢エリシアが、平民らしき少年へ“様”をつけた。
それだけで、この場の空気が変わる。
レオンは静かに答えた。
「そうだ」
「総合首席、おめでとうございますわ」
「どうも」
短い。
あまりにも短い返答。
取り巻きの令嬢たちが眉をひそめる。
「エリシア様に対して失礼では?」
「平民のくせに……」
だが、エリシアは手で制した。
「構いませんわ」
彼女は微笑む。
貴族令嬢として完璧な笑み。
けれど、レオンにはわかった。
その奥にあるのは好奇心だ。
そして、わずかな焦り。
「実技でアルベルト殿下に勝ったと伺いました」
「そうらしいな」
「そうらしい?」
「試験官がそう言った」
「……面白い方ですのね」
「面白くはない」
エリシアの眉がぴくりと動いた。
昔なら、レオンは彼女の機嫌を取ろうとしただろう。
どうしたら笑ってくれるか。
どうしたら認めてくれるか。
そんなことを考えていた。
だが今は違う。
彼女にどう思われようと、何も変わらない。
少なくとも、そう思いたかった。
エリシアの視線が、リリアーナへ移る。
「そちらの方は?」
リリアーナの肩が震えた。
「リ、リリアーナ・ヴァイスです……」
「ヴァイス伯爵家の?」
「はい……」
「第五席。素晴らしい結果ですわね」
言葉だけなら称賛だ。
だが、周囲の令嬢たちは笑っている。
没落伯爵家が上位に入ったことへの、気味悪さ。
貧しいくせに生意気だという視線。
リリアーナは身を縮めた。
レオンは一歩だけ前へ出る。
その動きに、エリシアが気づいた。
「……あなたが庇うのですか?」
「何か問題か」
「いえ。ただ意外でしたわ」
「何故」
「強い方は、弱い方に関心がないものだと思っておりましたから」
その言葉に、レオンの瞳が冷えた。
強い者は弱い者に関心がない。
それは、王家と同じ考え方だ。
力ある者が、弱い者を見ない。
見下す。
切り捨てる。
まさにレオンが嫌悪するものだった。
「間違いだ」
静かな声だった。
エリシアが瞬きする。
「強い者が弱い者を見ないなら、その強さに価値はない」
広場が静まり返った。
リリアーナは息を呑む。
エリシアも、言葉を失った。
その言葉は、どこか王族の教えに似ていた。
けれど、今の王族たちからは決して出ない言葉。
エリシアの胸に、妙な違和感が走る。
この少年を、どこかで知っている気がする。
初めて会ったはずなのに。
その声。
その言葉。
その目。
何かが、記憶の奥に触れた。
「……あなた」
エリシアは無意識に呟いた。
「どこかで、お会いしたことがありまして?」
レオンは答えなかった。
ほんの一瞬だけ、昔の光景が脳裏を掠める。
神殿。
婚約破棄。
青ざめたエリシアの顔。
後ずさった足。
何も言ってくれなかった唇。
胸の奥が、冷たく沈む。
「ない」
短く、切り捨てた。
「初対面だ」
エリシアは黙った。
はっきり否定された。
なのに、その違和感は消えない。
むしろ強くなる。
レオンはリリアーナへ視線を向ける。
「行くぞ」
「え、あ、はい……!」
リリアーナが慌ててついていく。
エリシアの横を通り過ぎる瞬間、彼女はもう一度口を開いた。
「レイ・ノクト様」
レオンは足を止めない。
「また学園でお会いしましょう」
返事はない。
その背中が遠ざかる。
エリシアはしばらく立ち尽くしていた。
取り巻きが不満げに言う。
「エリシア様、あの方、無礼では?」
「そうですわ。平民のくせに」
「黙りなさい」
鋭い声だった。
取り巻きたちが固まる。
エリシアは掲示板を見上げる。
レイ・ノクト。
総合首席。
王子を倒した平民。
そして、自分をまったく見なかった少年。
胸の奥がざわついていた。
腹立たしい。
けれど、なぜか目が離せない。
あの冷たい瞳を、もう一度見たいと思ってしまう。
エリシアは小さく唇を噛んだ。
「……何者ですの、あなた」
一方、広場を離れたレオンは、校舎裏の静かな通路へ出ていた。
リリアーナはまだ隣で緊張している。
「あ、あの……先ほどは、ありがとうございました」
「何度目だ」
「え?」
「礼を言いすぎだ」
「す、すみ――」
言いかけて、口を塞ぐ。
レオンは少しだけ目を細めた。
「学習したな」
「はい……!」
リリアーナは小さく笑った。
その笑顔を見て、レオンはふと視線を逸らした。
弱い。
まだ怯えている。
けれど、彼女は折れていない。
だからきっと、強くなる。
『主、気に入った?』
ヴァルガがにやにやした声を出す。
『違う』
『即否定だ』
『わかりやすいです!』
ルミアも騒ぐ。
『リリアーナさん、かわいいです!』
『レオンの周りに女が増える』
ノワールの声が低くなる。
『警戒対象』
『やめなさい、ノワール』
セレネが苦笑する。
レオンは内心でため息をついた。
神霊たちは本当に騒がしい。
だが、東の塔で一人だった頃よりはずっといい。
その時、学園の鐘が鳴った。
合格者説明会の開始を告げる鐘。
リリアーナが慌てる。
「せ、説明会……!」
「行くぞ」
「はい!」
二人は並んで歩き出した。
王立アルディア学園。
腐った貴族社会の縮図。
王家の権威が色濃く残る場所。
だがそこへ、ついにレオンは踏み込む。
平民レイ・ノクトとして。
東の塔の主として。
暁の夜を従える王都裏社会の支配者として。
そして――
魔力では測れぬ神力を宿す者として。
学園の扉が、ゆっくり開いていく。
その先に待つものが友情か、恋か、争いか、復讐か。
まだ誰も知らない。
だが一つだけ、確かなことがある。
無能王子と蔑まれた少年は、もう二度と奪われるだけの存在ではない。
今度は彼が、世界を揺らす番だった。




