表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/251

第14話「合格発表、そして元婚約者は彼を知らない」



 王立アルディア学園の中央広場は、異様な熱気に包まれていた。


 白亜の校舎。


 整えられた芝生。


 噴水の周囲に集まる受験生たち。


 その中心には、巨大な掲示板が設置されている。


 合格者の名前が刻まれる、魔導掲示板。


 そこへ向かって、多くの者が押し寄せていた。


「どけ、見えないだろ!」


「私の番号、どこ!?」


「あった! あったわ!」


「くそっ……落ちた……!」


 歓声。


 悲鳴。


 安堵。


 絶望。


 たった一枚の掲示板を前に、人生の明暗が分かれていく。


 その光景を、レイ・ノクト――レオンハルトは少し離れた場所から見ていた。


 興奮はない。


 不安もない。


 ただ、静かに人の流れを眺めている。


 その隣で、リリアーナ・ヴァイスは真っ青になっていた。


「……あ、あの……レイ様」


「様はいらない」


「で、では……レイ、さん」


「何だ」


「わ、わたし……やっぱり、一人で見に行った方が……」


「一人で行きたいのか」


「い、行きたくは……ありません」


「なら行くぞ」


 レオンは短く言い、歩き出した。


 リリアーナは慌てて後を追う。


 銀髪が揺れる。


 サファイアブルーの瞳は不安で震えていた。


 彼女にとって、この合格発表はただの試験結果ではない。


 没落寸前のヴァイス伯爵家。


 学園に合格できなければ、家の立場はさらに悪くなる。


 奨学金を得られなければ、妹や使用人たちを守ることも難しくなる。


 そして何より。


 周囲から向けられる侮蔑を、また一つ証明してしまうことになる。


 お前は価値がない。


 落ちぶれた家の娘だ。


 身の程を知れ。


 そんな声が、きっとまた降ってくる。


 リリアーナの手が震える。


 それを見て、ルミアがレオンの胸元のブローチから小さな声を上げた。


『守ってあげたいです……!』


『過保護』


 ノワールが即座に言う。


『でも、気持ちはわかる』


 セレネも穏やかに続けた。


『あの子、泣き方を我慢する癖があるわね』


『主と似てるな』


 ヴァルガの一言に、レオンはわずかに眉を動かした。


『誰がだ』


『お前が』


『似ていない』


『即否定するところも似てる』


 レオンは無視した。


 掲示板へ近づくにつれ、人の密度が増える。


 リリアーナは人混みに怯え、何度も足を止めそうになった。


 するとレオンは、何も言わず少しだけ歩く速度を落とした。


 同時に、周囲の人間が自然と道を開ける。


 本人は何もしていない。


 睨んでもいない。


 だが、ただ歩くだけで空気が変わる。


 人は無意識に彼を避けた。


 それは王族の威圧に近い。


 いや、王族のそれよりもさらに深く、静かで、逆らいがたい圧だった。


 リリアーナはその背中を見て、胸の奥が熱くなる。


 助けてもらった。


 泣いてもいいと言われた。


 そして今も、何も言わず自分を守るように歩いてくれている。


 こんな人がいるのだと、まだ信じられなかった。


「あ、あの……レイさん」


「何だ」


「わたし……もし落ちていたら……」


「その時考えればいい」


「で、でも……」


「まだ落ちていない」


 それだけだった。


 慰めではない。


 甘やかしでもない。


 ただ、事実を言っただけ。


 けれど不思議と、その言葉はリリアーナの足を前へ動かした。


 やがて、二人は掲示板の前へたどり着く。


 魔導掲示板には、合格者の名前が光の文字で刻まれていた。


 受験番号順。


 平民枠。


 貴族枠。


 特待枠。


 上位合格者。


 リリアーナは恐る恐る、自分の番号を探す。


 指先が震える。


「……ない」


 小さな声。


 血の気が引いていく。


「ない……です……」


「よく見ろ」


「でも……」


「番号は」


「二百八十一番、です」


 レオンは掲示板を見る。


 下位の一般合格欄には、確かにない。


 リリアーナの顔が青ざめていく。


 足元が崩れそうになる。


 だが、レオンは別の欄を指差した。


「そこだ」


「え……?」


「特待枠」


 リリアーナは顔を上げた。


 震える視線が、掲示板上部へ向かう。


 そこには、上位合格者の名前が刻まれていた。


 第五席。


 リリアーナ・ヴァイス。


「……え」


 声にならない声が漏れた。


 リリアーナは何度も瞬きをする。


 消えない。


 見間違いではない。


 そこに自分の名前がある。


 第五席。


 特待合格。


 周囲からも声が上がった。


「ヴァイスって、あの没落伯爵家の?」


「第五席だと?」


「嘘だろ……」


「筆記が高かったのか?」


「いや、実技もそこそこ評価されてたらしいぞ」


 ざわめき。


 驚き。


 疑い。


 しかし、侮蔑だけではない。


 確かに評価された結果が、そこにあった。


 リリアーナの瞳から涙が溢れた。


「……わ、わたし……」


「合格だ」


 レオンが言う。


「しかも上位だ」


「……はい……!」


 リリアーナは泣きながら笑った。


 先ほどまでの恐怖が、少しずつ崩れていく。


 ずっと否定されてきた。


 貧乏だと。


 没落だと。


 価値がないと。


 でも、今ここに名前がある。


 自分が努力してきた証がある。


「おめでとう」


 短い言葉だった。


 けれど、その一言でリリアーナはさらに泣きそうになった。


「あ、ありがとうございます……!」


「泣くなら端に寄れ」


「はい……っ」


「人混みの真ん中で泣くと踏まれる」


「そ、そういう理由ですか……?」


「他にあるのか」


 リリアーナは涙を拭いながら、少しだけ笑った。


 その笑顔はまだ弱い。


 けれど、確かに前より明るかった。


 レオンは次に、自分の番号を探す。


 探すまでもなかった。


 掲示板の最上部。


 特別合格者欄。


 そこに、異様な光で名前が刻まれていた。


 総合首席。


 レイ・ノクト。


 筆記満点。


 魔力適性規格外。


 実技最高評価。


 特別奨学生認定。


 広場全体が、再びざわめいた。


「レイ・ノクトって……」


「あいつだ!」


「第二王子殿下に勝ったやつ!」


「筆記満点!?」


「魔力適性規格外って何だよ!」


「平民だろ!? 本当に平民なのか!?」


 視線が集まる。


 驚き。


 羨望。


 嫉妬。


 警戒。


 それら全てが、レオンへ突き刺さる。


 レオンは無表情だった。


「……目立ったな」


『今さらです!』


 ルミアが叫ぶ。


『満点はやりすぎ』


 ノワールが冷静に言う。


『水晶ひび割らせた時点で無理だろ』


 ヴァルガが笑う。


『実技で王子倒してるしね』


 セレネも苦笑した。


『目立たない要素がない』


 イグニスが淡々と結論を出す。


 レオンは内心でため息をついた。


 面倒だ。


 非常に面倒だ。


 だが、ここまで来た以上、隠しきるのは不可能だろう。


 正体さえ隠せればいい。


 レイ・ノクトとして目立つ分には、まだ制御できる。


 そう考えた時だった。


「そこをお退きなさい」


 凛とした声が響いた。


 人混みが自然に割れる。


 豪奢なドレスに近い制服。


 金糸のような髪。


 宝石のような瞳。


 背筋を伸ばし、周囲を従わせるように歩く少女。


 エリシア・フォン・ローゼンベルク。


 レオンの元婚約者。


 十歳のあの日、彼から離れた少女。


 その姿を見た瞬間、レオンの胸の奥で、何かが静かに軋んだ。


 怒りではない。


 悲しみでもない。


 もっと古く、乾いた痛み。


 エリシアは掲示板を見上げた。


 そして、眉をわずかに動かす。


 第三席。


 エリシア・フォン・ローゼンベルク。


 彼女にとって、悪い成績ではない。


 十分すぎるほど優秀だ。


 だが。


 その上に二人いる。


 第二席、アルベルト・フォン・アルディア。


 そして最上位。


 レイ・ノクト。


 エリシアの瞳が、ゆっくりとレオンへ向いた。


「あなたが、レイ・ノクト様?」


 周囲が息を呑む。


 公爵令嬢エリシアが、平民らしき少年へ“様”をつけた。


 それだけで、この場の空気が変わる。


 レオンは静かに答えた。


「そうだ」


「総合首席、おめでとうございますわ」


「どうも」


 短い。


 あまりにも短い返答。


 取り巻きの令嬢たちが眉をひそめる。


「エリシア様に対して失礼では?」


「平民のくせに……」


 だが、エリシアは手で制した。


「構いませんわ」


 彼女は微笑む。


 貴族令嬢として完璧な笑み。


 けれど、レオンにはわかった。


 その奥にあるのは好奇心だ。


 そして、わずかな焦り。


「実技でアルベルト殿下に勝ったと伺いました」


「そうらしいな」


「そうらしい?」


「試験官がそう言った」


「……面白い方ですのね」


「面白くはない」


 エリシアの眉がぴくりと動いた。


 昔なら、レオンは彼女の機嫌を取ろうとしただろう。


 どうしたら笑ってくれるか。


 どうしたら認めてくれるか。


 そんなことを考えていた。


 だが今は違う。


 彼女にどう思われようと、何も変わらない。


 少なくとも、そう思いたかった。


 エリシアの視線が、リリアーナへ移る。


「そちらの方は?」


 リリアーナの肩が震えた。


「リ、リリアーナ・ヴァイスです……」


「ヴァイス伯爵家の?」


「はい……」


「第五席。素晴らしい結果ですわね」


 言葉だけなら称賛だ。


 だが、周囲の令嬢たちは笑っている。


 没落伯爵家が上位に入ったことへの、気味悪さ。


 貧しいくせに生意気だという視線。


 リリアーナは身を縮めた。


 レオンは一歩だけ前へ出る。


 その動きに、エリシアが気づいた。


「……あなたが庇うのですか?」


「何か問題か」


「いえ。ただ意外でしたわ」


「何故」


「強い方は、弱い方に関心がないものだと思っておりましたから」


 その言葉に、レオンの瞳が冷えた。


 強い者は弱い者に関心がない。


 それは、王家と同じ考え方だ。


 力ある者が、弱い者を見ない。


 見下す。


 切り捨てる。


 まさにレオンが嫌悪するものだった。


「間違いだ」


 静かな声だった。


 エリシアが瞬きする。


「強い者が弱い者を見ないなら、その強さに価値はない」


 広場が静まり返った。


 リリアーナは息を呑む。


 エリシアも、言葉を失った。


 その言葉は、どこか王族の教えに似ていた。


 けれど、今の王族たちからは決して出ない言葉。


 エリシアの胸に、妙な違和感が走る。


 この少年を、どこかで知っている気がする。


 初めて会ったはずなのに。


 その声。


 その言葉。


 その目。


 何かが、記憶の奥に触れた。


「……あなた」


 エリシアは無意識に呟いた。


「どこかで、お会いしたことがありまして?」


 レオンは答えなかった。


 ほんの一瞬だけ、昔の光景が脳裏を掠める。


 神殿。


 婚約破棄。


 青ざめたエリシアの顔。


 後ずさった足。


 何も言ってくれなかった唇。


 胸の奥が、冷たく沈む。


「ない」


 短く、切り捨てた。


「初対面だ」


 エリシアは黙った。


 はっきり否定された。


 なのに、その違和感は消えない。


 むしろ強くなる。


 レオンはリリアーナへ視線を向ける。


「行くぞ」


「え、あ、はい……!」


 リリアーナが慌ててついていく。


 エリシアの横を通り過ぎる瞬間、彼女はもう一度口を開いた。


「レイ・ノクト様」


 レオンは足を止めない。


「また学園でお会いしましょう」


 返事はない。


 その背中が遠ざかる。


 エリシアはしばらく立ち尽くしていた。


 取り巻きが不満げに言う。


「エリシア様、あの方、無礼では?」


「そうですわ。平民のくせに」


「黙りなさい」


 鋭い声だった。


 取り巻きたちが固まる。


 エリシアは掲示板を見上げる。


 レイ・ノクト。


 総合首席。


 王子を倒した平民。


 そして、自分をまったく見なかった少年。


 胸の奥がざわついていた。


 腹立たしい。


 けれど、なぜか目が離せない。


 あの冷たい瞳を、もう一度見たいと思ってしまう。


 エリシアは小さく唇を噛んだ。


「……何者ですの、あなた」


 一方、広場を離れたレオンは、校舎裏の静かな通路へ出ていた。


 リリアーナはまだ隣で緊張している。


「あ、あの……先ほどは、ありがとうございました」


「何度目だ」


「え?」


「礼を言いすぎだ」


「す、すみ――」


 言いかけて、口を塞ぐ。


 レオンは少しだけ目を細めた。


「学習したな」


「はい……!」


 リリアーナは小さく笑った。


 その笑顔を見て、レオンはふと視線を逸らした。


 弱い。


 まだ怯えている。


 けれど、彼女は折れていない。


 だからきっと、強くなる。


『主、気に入った?』


 ヴァルガがにやにやした声を出す。


『違う』


『即否定だ』


『わかりやすいです!』


 ルミアも騒ぐ。


『リリアーナさん、かわいいです!』


『レオンの周りに女が増える』


 ノワールの声が低くなる。


『警戒対象』


『やめなさい、ノワール』


 セレネが苦笑する。


 レオンは内心でため息をついた。


 神霊たちは本当に騒がしい。


 だが、東の塔で一人だった頃よりはずっといい。


 その時、学園の鐘が鳴った。


 合格者説明会の開始を告げる鐘。


 リリアーナが慌てる。


「せ、説明会……!」


「行くぞ」


「はい!」


 二人は並んで歩き出した。


 王立アルディア学園。


 腐った貴族社会の縮図。


 王家の権威が色濃く残る場所。


 だがそこへ、ついにレオンは踏み込む。


 平民レイ・ノクトとして。


 東の塔の主として。


 暁の夜を従える王都裏社会の支配者として。


 そして――


 魔力では測れぬ神力を宿す者として。


 学園の扉が、ゆっくり開いていく。


 その先に待つものが友情か、恋か、争いか、復讐か。


 まだ誰も知らない。


 だが一つだけ、確かなことがある。


 無能王子と蔑まれた少年は、もう二度と奪われるだけの存在ではない。


 今度は彼が、世界を揺らす番だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ