第13話「銀髪令嬢、泣くことすら許されず」
王立アルディア学園・中央講堂前。
入学試験全日程を終えた受験生たちが、結果発表を待ちながら騒いでいた。
「今年の筆記、難しくなかったか?」
「実技で殿下が負けたって本当!?」
「相手の平民、どこ行ったんだ?」
「もう囲まれてたぞ、女子に」
その中心人物――レイ・ノクトことレオンは、現在逃走中だった。
「止まれぇぇぇ!」
「お名前だけでも!」
「今夜お茶しませんか!?」
「嫌だ」
即答だった。
廊下を曲がり、中庭を抜け、人気の少ない旧校舎裏まで走る。
ようやく静かになり、レオンは息を吐いた。
「……なんなんだ」
『モテ期です!』
ルミアが嬉しそうに飛び回る。
『災難だな』
ノワールは冷静だった。
『逃げ足速かったぞ!』
ヴァルガが笑う。
『あれは戦闘回避として優秀ね』
セレネまで感心している。
『敵ではない』
イグニスだけが真面目だった。
レオンは額を押さえた。
「敵の方がまだ楽だ」
その時だった。
ぱしんっ!
乾いた音が、旧校舎裏に響いた。
続いて女性の怒声。
「本当に使えませんわね!」
レオンの目が細まる。
声の方へ歩く。
古い噴水跡の陰。
三人の女子生徒が、一人の少女を囲んでいた。
囲まれている少女は、銀髪。
陽光を受けて淡く輝く、美しい長髪。
サファイアブルーの瞳。
細い身体。
制服も古く、何度も繕った跡がある。
頬には赤い手形。
今、叩かれたのだろう。
彼女は俯いたまま、唇を噛んでいた。
囲んでいる中心の女が扇子を鳴らす。
豪奢な制服。
高価な装飾品。
金の縦ロール。
そして、人を見下す目。
「平民同然の没落伯爵家が、よくも同じ学園へ顔を出せましたわね」
レオンの瞳がわずかに冷えた。
『うわぁ……』
ヴァルガが引く。
『テンプレ悪役です!』
ルミアが興奮する。
『楽しむな』
ノワールが切った。
少女が小さく答える。
「……申し訳、ありません」
「聞こえませんわ」
「申し訳……ありません」
「声が暗いですわね。こちらまで貧乏になりそう」
取り巻きたちが笑う。
少女の肩が震える。
それでも泣かない。
泣くことすら許されないと、身体が覚えてしまっているようだった。
「本当に不快ですわ」
縦ロールの女が顎を上げる。
「その顔、その髪、その目……無駄に整っているのも腹立たしい」
嫉妬だった。
レオンには一瞬でわかった。
少女の美しさに、相手が苛立っているだけだ。
「次は試験結果で笑わせてもらいますわ。どうせ落ちるでしょうし」
再び手が上がる。
その瞬間。
レオンの足が動いた。
ぱしっ。
女の手首を、横から掴む。
「……誰ですの?」
縦ロールが振り向く。
そして固まった。
そこにいたのは、左右色違いの瞳を持つ少年。
整いすぎた顔立ち。
ただ立つだけで空気を変える存在感。
「次は何だ」
レオンが静かに問う。
「殴るのか」
「な、なんですの貴方!」
「質問している」
声は低い。
怒鳴ってはいない。
だが、圧だけで周囲の空気が震えた。
取り巻き二人が一歩下がる。
「ぶ、無礼ですわよ!」
「そうか」
レオンは手首を離す。
女がほっとした瞬間。
その扇子だけが、真っ二つになって地面へ落ちた。
「きゃああ!?」
誰も見えなかった。
木剣すら抜いていない。
だが何かが走った。
女の顔色が真っ青になる。
「次にこの場で手を上げれば」
レオンの左眼が金に光る。
「扇子では済まない」
静寂。
数秒後。
「い、行きますわよ!」
縦ロールは涙目で叫び、取り巻きを連れて逃げていった。
ヴァルガが爆笑する。
『扇子斬りぃぃ!!』
『見えませんでした!』
『無駄に格好いい』
『威嚇として適切』
神霊たちが騒ぐ中、レオンは少女へ視線を向けた。
「立てるか」
少女は俯いたままだった。
「……ご迷惑を、おかけしました」
「していない」
「でも……」
「された側が謝るな」
その言葉に、少女の肩がぴくりと震えた。
ゆっくり顔が上がる。
サファイアブルーの瞳が、真正面からレオンを見る。
綺麗な目だった。
怯えきっているのに、奥にはまだ芯が残っている。
折れていない。
折られ続けても、折れきっていない目だ。
「……ありがとうございます」
小さな声。
「礼は不要だ」
「でも……」
「泣きそうな顔をしている」
少女が息を呑む。
「泣けばいい」
「……え」
「誰も見ていない」
旧校舎裏は静かだった。
風だけが吹いている。
少女の瞳に、涙が滲む。
一粒。
二粒。
やがて堰を切ったように零れ落ちた。
「……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝るなと言った」
「……はい……っ」
泣きながら頷く姿は、妙に幼く見えた。
レオンは外套の内側からハンカチを出し、差し出す。
「使え」
「……こんな高そうなもの……」
「布だ」
「言い方……」
少しだけ、少女が笑った。
泣き顔のまま。
その笑顔は、驚くほど綺麗だった。
『うわぁ』
『ヒロインです!』
『遅い』
『確定演出ね』
レオンは神霊たちを無視した。
「名前は」
少女は慌てて姿勢を正す。
「り、リリアーナ・ヴァイスです」
ヴァイス伯爵家。
没落した名門の一つだ。
記憶にあった。
「……レイ・ノクト」
少女の目が丸くなる。
「え……あの、殿下に勝った……?」
「その呼び方はやめろ」
「す、すみません!」
「謝るな」
「す、すみま――あっ」
自分で口を塞ぐ。
レオンは少しだけ息を吐いた。
「面倒だな」
「ご、ごめ……っ」
「だから謝るな」
「は、はい……」
また少し笑う。
その時、講堂側から鐘が鳴った。
合格発表の合図だった。
受験生たちの歓声が遠く響く。
リリアーナの顔が青ざめる。
「……わ、私……落ちていたら……」
「行くぞ」
「え?」
「結果を見る」
「で、でも怖くて……」
「一人で見る必要はない」
レオンは歩き出す。
数歩進み、振り返る。
「来ないのか」
リリアーナは目を見開いた。
そして慌てて駆け寄る。
「……は、はい!」
銀髪が揺れる。
泣き跡の残る顔で、それでも必死についてくる。
その姿を見ながら、レオンはほんの少しだけ思った。
――騒がしくなりそうだ。
王立学園。
失った場所で。
新しい出会いが、静かに始まっていた。




